夢に見るくらい
だけど一番近くて一番肝心な色は、すぐには思い出せない。
「夢に見るくらい、か」
「ん、どうした?」
いやなんでも、と言って、真の追及を退けようとランニングのペースを上げた。
既に部活の練習は始まっているけれど、土曜授業の公欠を出すために二人で職員室に行っていたせいで遅れてしまった。
ちょうど視線の先で、さやかがバーに向かって走り出した。いつもと同じ綺麗な弧を地に描き、決然と蹴り、跳ぶ。しなった体は棒の上をふわりと越えて、足をぴんと伸ばしながらマットへと吸い込まれる。思わず、ほうっ、と息が出る。
初めてさやかの跳躍を見たとき、お世辞抜きで綺麗なフォームだと思った。
確かに昔はよく一緒に遊んでいたから運動神経は悪くないと知っていたけど、あのクールで、いじめを受けて一人ポツンとしていた女の子が、こんなお手本のような弧を描けるとは思いもしなかった(実際それまでは、本当に跳べるのかよー? と半分本気でからかっていた)。
さやかは昔から、負けず嫌いで、ストイックだ。普段はそれを必死に覆い隠しながら、俺や友人と遊ぶときは、ゲームでも、スポーツでも、いつも上を目指す。
きっと根っからの跳びたがりなのだ。クラスではいつも濁っていたアイツの目の色は、俺たちとの遊びで何かを競うときには、いつも輝いていたから。
ふと彼女と目が合い、手を振ってきた。嬉しそうに、じゃなく、しっしっ、と前後に。見るな、集中しろ、ということだろう。軽く敬礼をしてコースに意識を向ける。
だけど、今の彼女の目は簡単には思い出せない。肌の色も、体操服の色も、唇の色も、いつでも呼び起こせるのに。
わかっている。あの夏の日から、この距離でもないと、まともに目を合わせられなくなってしまったからだ。
「おい越野!」
突然、グラウンドに怒号が響き渡った。チラッと見ると、他の一年生の顔に越野の蹴ったボールが当たったみたいで、あーこれはまずいぞと思った。幸い二年生が数人仲裁に入っているが、助けに行きたくてもグラウンドの反対側は遠い。
「越野、いいボール蹴ってるじゃん、あっれは痛いぞ」
いつの間にか、真がすぐ後ろまで来てケッケッと笑っていた。
「というか、なんか今日遅えぞお前」
「お前の調子がいいだけじゃないか?」
「またまたあ、褒めるの上手いんだからあ」
おほほ、と笑いながら肩をバンバンと叩かれる。痛い。ちょっとウザい。
「それにしても良かったな、越野の個別指導の効果出てるぞ」
「皮肉かよ」
「お褒めに預かり光栄になさい」
ややこしいワケわかんねえよ、と言い返し、その間にも越野たちの動向を見守る。越野は小さな顔を何度もペコペコさせていて、涙目にでもなっているのではないだろうか。
「なあ」
「なんだよ」
真の声のトーンが、いつになく低くなる。
「いや、俺さ、あんまりこういうこと言わねえタチだけど」
「どした?」
「越野の個別指導、やっぱり贔屓とか思われてきてるかもしれねえぜ」
「え、いやいや、ちゃんと他の後輩の面倒も見てるじゃねえか、練習後とか」
「それでも毎朝、しかも個別指導は意味が違うだろ。実際、この前越野が教室で、うちの一年生数人に囲まれてるのを見たって噂があってさ」
盗み聞きだけどね、と舌を出した真に「趣味悪っ」とおどけながら、俺は考えていた。
今朝、越野が休んだ理由って、もしかして……?
「置いてくぞー」
さやかちゃんとか越野にうつつぬかし過ぎだぞウキキキ、と真はペースを上げ、ざけんなエテ公、とペースを上げようとした。
ふと、こっちを見ているさやかに気が付いた。
ここからだと遠くてわかりにくいけれど、どこか不安そうな表情に見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます