ハイスペック少女・凛
全校生徒分の体育祭のアンケートは重たい。
さっきの体育委員会で読んだのだが、内容はぺらっぺらで、物理的な重さと逆にしてくれませんか、と思う。「楽しかった」「疲れた」「告白失敗しました責任取ってくれよ」このアンケート意味あるんですかね?
「広大くん、もうちょっと持とうか?」
「いや、これくらい大丈夫」
体育委員会は、先日開かれた体育祭終了をきっかけに三年生が引退して、俺はすぐに後任の委員長に任じられてしまった。とりあえず最初のあいさつは済ませ、アンケートを一人で運んでいたら、廊下で出くわした坂井が手伝ってくれた。
「そうだ。聞いたよ、噂」
「何の」
「下腹部の話」
思い切り咳き込んだ。周囲に人がいないか確認するが、北校舎の三階のこの辺りは放課後に人通りはほとんどない。たとえ誰かいても、同じフロアの教室から聞こえるトランペットの練習音でこんな会話も消されるだろう。そう望みたい。
「お前、そんなストレートに言わなくても」
「結構広まってるよ。広大くん元々有名人だし」
そう言えば、さっきの委員会中にどうも一部生徒が俺の股間の辺りを見ていたような、っていやいやいや。
「有名でも三枚目でもピエロでもいいけど、下ネタキャラは嫌だ……」
ごめんごめん、と坂井は苦笑している。本当に一々どんな表情も絵になる女の子だな、と思った。万が一にもここで反応したらクズの極みだから、逃げるようにして開いた窓の外を見る。涼しい風がブレザーの裾を揺らす。南校舎の窓辺でショートヘアの女子とポニーテールの女子が談笑している。
「っていうか、坂井ってそういう話できるんだな」
「うちはバカな兄貴がいるからね。耐性があるどころか、むしろ下ネタを笑えちゃうレベル」
この顔で天真爛漫キャラで、下ネタオッケーとか、彼氏も尽きないわけだ。なんだよこの超ハイスペック。そりゃさやかも嫉妬するよな。
「それで、さやかの夢でも見てたの」
俺は開いた窓に向かってダッシュしそうになった。慌てて腕を掴まれる。
「やめて、そんなんじゃ、ない、から」
「ごめん、さすがにナイーブな問題だったよね、ごめんね」
ナイーブってなんて意味だっけ、と頭の片隅で思いながら、彼女に手を離してもらう。
「というかそもそも、こか……下腹部のアレは違うんだって」
「まあ今それは置いておいて。夢に見るくらい、気になっちゃってる?」
置いておかないで、と思いながらもう一度窓の外を眺める。
……夢に見るくらい、か。気になる、けど、今はむしろあの発言の続きという意味で、気になり続けている。
「どうしたの?」
「え、いや、ああ」
「さやか、本当にいい子だよ」
それは言われなくても俺が一番よく知っている。真面目だし、しっかりしてるし、何より大事な人を本当に大事にできる、文句なしにいい奴だ。
「迷ってるなら告白してみたら? 広大くん、今まで告白したこととかないでしょ」
ぎくっ、と脊髄反射で体が硬直した。
「なんでわかるの?」
「だってモテるでしょ? 放っておいても後輩とかから告白されてたはず」
「まあ、昔はな」
ええと、自慢ではないと言っておく。中学時代には二人ほど付き合ったことはある。自慢じゃないからね?
ちなみに正確には告白されたのは後輩と同級生、付き合わなかったのも含めればあと……あ、ちょっとタイム! マジで自慢とかじゃなくて客観的事実を述べているだけ、ね? しかも結局もう別れてるし、ね!?
「いや、というかそれを言えば坂井の方がモテるだろ」
「でも私は告白する側される側、どっちのパターンもあるよ」
この言い切り方からして、やはり相当な経験を積んでいるのだろう。ああそうだな、坂井は確かにどっちでもいけそうなタイプだ。しかも坂井くらいだったら、彼女持ち男子相手に告白しても難なく奪えそうなレベルだ。なんなら振られても後腐れなく次に行けそうでもある。
俺が言うのもどうか、だが。
恋愛って、本当に不公平なシステムだよな……。
「……もう、こういう話はよそう」
「失礼しました。一人で悩んでるこの時期が一番楽しいもんね」
そういう意味じゃねえよ、とぶつくさ言っていると、ふと視界の片隅、階段の辺りに人影が見えた。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
早く職員室行かないとな、と歩き出しながら、不審に思っていた。階段の踊り場まで来ても、上からは打楽器のタン、タン、タン、という単調な練習音が降ってくるだけだった。
四階に、アイツが行くような所、何かあったっけ?
さっき、上の階へと急いでいる越野を見た気がしたのだ。
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