バッカじゃない!


「お兄ちゃんね、フリーターで、俺はバンドで食って行くとか言ってるようなバカで。でも親にバイトくらいしろって言われて、学校近くのコンビニでバイトしてるんだ」


 あっ、と声が出そうになった。あの金髪の店員だ。鼻の辺りが誰かに似ていると思ったのは、坂井だったのか。


「本当にバカで、軽くて、適当で、態度も悪いからバイトも色々と首になって。でも一昨年からコンビニのバイトを始めて、続いてるからちゃんとしていると思ってた。でも去年の夏、電話で誰かと話してて、偶然部屋の前歩いてたから聞こえたんだけど、その内容が」


「内容が?」


 いつの間にか、聴き入っている自分がいた。


「『レジにウザい虫がいてさあ、潰してやったんだけどお、傍にあったコンビニのポットで溺れさせてやってえ』って」


 心拍数が、上がっていく。


「『ロシアンルーレットみたいなやつ?』とか言ってて、そのときは、あのバカは何してんの、って思っただけなんだけど、それから数日後にあの混入事件の報道があって。まさかね、と思って、だけど必死に心の中にしまいこんで、まあ、少しずつ、忘れかけてた」


 私の苛立ちが、募っていく。


「そしたら、あの工場の火災で人が亡くなったって聞いて。それでも私は他人事みたいに思ってた。だけど、その直後に常見さんが転校してきて、しばらくして噂で聞いたのが、亡くなった のが、その」


 この苛立ちは、だけど、そのバカな兄貴だとか、事件に関してとかよりも。


「だからね、私が責任取らなくちゃって。カップ麺しか食べられないのも、あの事件のせいなら、そういうの忘れる役に立てたらって、だから私、色々考えて」


 この苛立ちは、あんたに向けて。


 この告白って、あんたが楽になりたいだけじゃないの?


「もしかしたら、ウザいって思ってたかもしれないけど」


 うん、ウザかった。本当に、ウザい。


 私が持っていないものを、無邪気に易々と見せつけてくるところとか、ウザい。


「だけど、私、バカだから、他に思い付かなくて」


 そうやって、逆に自分が悲劇のヒロイン面しようとするところとかも含めて、全部ウザい。


「広大くんにも、だから相談して」


 だけど、この苛立ちは、本当は。


 少し、視界が揺らぎ始める。


「広大くんも、本当に心配してた」


 本当は、何より自分に向けてかもしれない。


 坂井の髪の毛が、一つ一つ、うねり出す。


「ねえ、私、何かしてあげられないかな?」


 こんな風に、ひねくれた目でしかこの子のことを見られない、愚かな自分に向けて。


 周りの自転車が、地面の土が、金網のフェンスが、空が、うねっている。


「ねえ、何かあったら、言って」


「……バカじゃない?」


 広大や坂井やおばさんや、みんなの心配を受け入れられない、ただの自己中な人間になり果てていた自分に向けて。


 また全てがうねり始めて、私を飲み込みにかかる。


「バッカじゃない!」


 空気が流れていく。蠢いている麺がどんどん襲い掛かってきて、私はそれを必死で振り払う。

 影から日向へ、そして校舎へ。逃げたらダメ。私の涙が後ろへ流れていく。この幻影を打ち消したくて、全力で階段を上った。こいつらを乗り越えないと。どこか、どこか上の方へ。


 階段の踊り場で、体を誰かに抱き止められる。


「待って!」


「離してください!」


 奈穂先輩だった。ここは何階なんだろう。あいつらに飲み込まれる、早く、早く。


「ロッカー室、それから屋上」


「え?」


「ロッカー室、屋上。これは伝言。さやかちゃんなら、きっとバーを越えられる」


 彼女の落ち着き払った声に、私は説得力を感じた。彼女はそっと腕を離してくれて、ロッカー室の方向を示してくれる。わかりました、と呟いて再び走り始めた。

 相変わらず周りの景色は揺らいでいて、ロッカーを開けると真っ直ぐ手を突っ込み、目的の物を掴むと鍵もかけずに部屋を出た。


 階段を上っていくと、あの日以来ずっと閉まっていた屋上のドアが開いている。迷わず駆け上がると、ドアの先の部屋には彼がいて、なぜか私はそれに驚いたりはしなかった。

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