仲間の意味

 

 スイだってわかっていた。

 いつからだろう。

 気が付いたら、彼が大切な人だと意識していた。

 或いは、出会った最初の時からかもしれない。


 それでも自分は勇者だからと、責任感に乗っ取られたみたいな思考で動き続けた。


 ――だって、しょうがないじゃないか。


 優れた頭脳は様々な事に勘付いていた。

 きっと、こうして剣を交える事だって予見していた。だから意識的に、考えないように、知らないふりをした。


 それでもこうして顔を向き合わせてしまえば、様々な感情が溢れ出てくる。


 若くなったな。

 どうしてここにいる。

 俺の事に気付いていたのだろう。


 だが、たった一つも言葉に出来ずに、また、彼の事も言葉以外の材料で判断していた。


 俺に剣を向けたな。

 今のは避けなければ死んでいたぞ。

 まだ剣を拾うんだな。


 だからそれが父の――幼きスイが最も憧れた人の――答えだと知れて、唯一無二の正解なのだと思えた。


 ――俺も彼も間違っていない。皆が救われる唯一の方法なんだ。


 スイは自分を殺して、勇者になった。


 ステュに止められた時は、思わず何かが決壊してしまいそうだった。

 それでも、偉大なる父――いや、魔王は、勇者の信念を貫き通せと言った。


 世界を救えるのは勇者しかいない。

 仲間を守れるのは勇者だけで。

 平和を築くのは勇者の義務なのだ。


 そうだ、もう迷わない。

 走り出した漆黒を迎え討とう。



「さようなら、勇敢な魔王」



 無の境地、正しく達人の域に達したスイの剣は、魔力解放を伴った身体能力の高さも相まって、最早誰にも止められないかと思われた。


 これが運命。

 正常な時の流れは、誰にも覆す事などできない。

 スイはもう、敵を見ていない。

 世界に動かされる身体は剣を握り。

 その剣が振り抜かれた先で誰かを斬ったとしたら、そいつは死ぬ運命だったという事。


 神速の剣は、裁断を下すかの様に振り下ろされる。


 そして遂に、下された。

 永遠の様で一瞬の様な、硬直した空気を切り裂くかの如く鋭い音を響かせて、剣は床に突き刺さった。

 誰も捉えていなかった。

 何故なのか。

 それはロイが剣でいなした所為だった。



「やめろって言ってんだろ馬鹿野郎!」



 衝撃。

 弟のマサを幻視した。

 こんなに幼い少年に、自分は守られたのか。

 守られた?

 一体何を?


 ロイの向こう側を見れば、同じようにして、ミラが手に持った長杖でミチルの剣を止めていた。


「貴方達が戦う理由が、一体どこにあると言うんですか!」


 ミラも叫ぶ。

 馬鹿を言うな。

 貴様達を守る為に戦っているのだろう。

 スイの慢心を見透かしたように、ロイは言う。


「俺達が守られる対象だって勘違いしてるなら、今ここで訂正してくれ。俺たちはアンタと一緒に戦いたいんだ」


 守るべき存在だった彼が、強い瞳でスイを見つめる。


「だから、戦うべき相手を間違えないでくれよ」



「……間違い?」


 ――俺が何を間違った?


 全てを守る為に、たった一つの選択を、今まさに成し遂げようとしていたのに。

 邪魔をしたのは誰だ?


「間違ってなんかいない!」


 スイの中で、何かが決壊した。


「自分の力も測れん奴が、理想ばかりを口にするな!出来ない事を目指す愚か者に、一体何が守れると言うんだ!」


 この場にいる誰もが、初めて見るスイの感情。


「全てを守らなくてはならない勇者が、どうして無責任な道を選べると思う!?失敗したら全てが終わるんだ!」


 表層で取り繕った、不真面目な怠惰なスイ。

 その奥底にいる正義の少年が、悲壮に満ちた表情で、今は訴えている。


「誰もが救われる手段が……たったこれだけなんだ。わからないのか?俺も含めて、この世界の生物は皆、箱庭の中で生かされているだけなんだ」


 だから自分に出来ることは、箱庭の清掃や、害虫駆除、それだけなのだ。

 そして、何より――


「何より……アンタが出した答えが……これなんだろう?」


 サファイアブルーの瞳は悲哀の色を際立たせて、ミチルを突き刺した。


 ずっと、幼い頃から憧れていた父の正義。

  スイのヒーローはまさにスイの道徳観を育んだ本人だ。

 そんな彼が出した答えを、どうして否定できるというのだ。



「わからないわ。全くわからない。貴方達が親子だった事もわからなかったし、どうして再会を喜ぶ事が出来ないのかもわからない。それに、聡明なスイが、どうして簡単な答えに行き着かないのかもわかりません」


 武器を下ろしたミチルを確認してから、ミラも武器を仕舞う。

 スイを振り向きながら、偶にミチルに視線を送りながら、話をした。


「でもね、思い返せば不確定な事ばかりだったんです。初めてスイが召喚された時だって、貴方が真面目に働いてくれるのかもわからなかったし。怠惰な性格の裏で何をしようとしてるのかも、誰もわからなかった。デヴィスさんもそう言っていたわ」


 思い出したように小さく笑った後、ミラは少しだけ寂しそうにした。


「でも、ここにいる“仲間”を見て。私達はこの世界の真実すらわからなかったのに、貴方に着いて行くにつれて、やっと自分の頭で物事を考えられるようになったみたい。全て貴方が教えてくれたのよ。……だから今度は私達が貴方に教えてあげたい」


 スイは知らなかった。

 自分に対する、ミラの評価を。


「この世界の人々は、貴方が思ってるほど弱くはないわ。全てを一人で守ろうとしないで下さい。それではリクハートと同じ答えしか出ないわ」


 スイは少し目を見開いた。

 冷たくなって凝り固まっていた頭が、ミラの言葉によって解されていくようだった。


「仲間って言うのはね、お互いに助け合う関係の事を言うのよ。私達は貴方を助けたいし、貴方の幸せを願っているわ。ねえ、皆んなを幸せにしようとする勇者が、自分の幸せを犠牲にするなんて間違っているものね?」


 スイの剣を止めたロイとステュも、いつもそばに居たメリーも、ミラの言葉に頷いた。


「それと、私達が一番わからない事は、どうして奔放なスイが、たった一つの事を出来ないと決め付けてしまうのか、ということよ。孤高という存在は極めて強大だけども、皆んなを繋ぐ絆っていうものも人を強くするって事、スイは知ってましたか?」


 スイはいつかの暗闇を思い出していた。

 大切な人との絆を見失った時、大きな傷を負ったあの日を。

 そうか、大きいのは悲しみだけではないのだ。

 この関係が自分に与える影響というのは無視できない。

 それくらい強大なのだ。

 その繋がりに、漸く目を向けたスイは、自覚した。


 ――自分が守りたかったのは、この強い絆だったのだ。


 その絆は、繋がれた先で、相手も守ろうとしてくれている。

 だから強固になる。

 今、スイには幾つもの絆を見る事が出来た。

 その中で最も古くて強い繋がりを、今手繰り寄せる。



「どうか仲間達を頼って、何も考えずに、自分の望みを口にしてください」


 何も考えずに。

 勇者以前に。

 フェンリルが言ってくれた事を思い出した。


『少年の我儘なら、大人が叶えてくれる』


 許されるだろうか。

 十五歳の息子として、父に願いを告げる事。



 滲んでいる視界に、昔見た光景が蘇る。


『お父さんは正義のヒーローだからな。スイが呼べばいつでも助けに行くぞ』


 幼い頃、買い物中に迷子になった時だったか。

 知らない地下の道で、知らない大人に視線を向けられ、恐ろしい思いをしていた時だった。

 その場から逃げるように走って人気のない場所に行き、感情のままに泣き喚いていた時だった。

 突然抱き上げられ、目を開くと、何度も呼び続けた父の姿。

 その時感じた温もりは、安心感と心強さを伴って、スイの胸にいつまでも残っていた。



 また、心強い言葉で慰めてくれるだろうか。

 また、優しい言葉で安心させてくれるだろうか。




「……とう……さん……俺を……俺たちを……助けて……」




 皆が危険に晒されるとか、愚かな反逆だとか、否定的な言葉が幾つか浮かんだが、震えるスイの身体を抱きしめたのは、いつかの温もりだった。




「――っすまない!俺が……間違っていたんだ!もう、決して離さない……!当たり前だ、俺が全てまとめて救ってやる!絶対に……二度と悲しませるもんか……!」



 単純でいて複雑な道を、遠回りしながら怯えながら、踏み外しそうになる道を仲間に支えられながら。



 何度も出会った二人は、漸く再会を果たした。

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