怠惰召喚
「スイムー、飯食おうぜ」
スイムと呼ばれた彼は、言われるまでもなく弁当を開いていた。
「なーなー、さっきの数学、さっぱりだったんだけど」
それを聞いてスイムは緩慢な動きでノートを取り出し、タツヤに渡した。
「さんきゅー。本当は教えてほしかったけどこれで我慢するよ」
タツヤは笑いながらパンパンとスイムの肩を叩く。スイムは気にせず食事の手を進める。
授業を受ける理由も、部活動に所属する理由も全て、将来を怠けて過ごす為にすぎない。
ブラック企業で働き詰めるのは面倒くさいし、仕事に燃える一流企業のビジネスマンなど狂気の沙汰に思える。
スイムはただ、出来るだけ楽で怠けられる企業に就きたかった。
生きる為に働き、怠ける為に生きる。
そんな理想の人生の為に、高校一年である今、怠けすぎてはいけない。
適度な成績を保ち、選択の余地を広げる。
スイムは極上の怠惰を貪る為に、合理的に自分を動かす人間であった。
「なー、スイム、今日部活休みだろ?」
「忙しい」
スイムが他人に関わろうとする事はない。それは最重度面倒事項だからだ。
つまり、勝手に寄ってくるタツヤがいなかったらスイムは一人だ。それはそれでめんどくさい。というのも、スイムが一人でいると、容姿の良さのせいか、次々に人が寄ってくる。適当に流すのだが、それすらも面倒だ。
だからタツヤが寄ってくるのは許してるし、少しだけ感謝もしていた。ついでに、タツヤのことは嫌いではなかった。
「まだ誘ってもないのに……」
もっとも、プライベートの時間を差し出すほど好いてもなかったが。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
放課後の帰り道、スイムは錆びついた自転車を走らせていた。中学生の頃から使っていた愛車であるが、手入れは空気を入れる事しかしていなかった。
目的地に着くと、自転車を止めてベンチに寝転がった。
これがスイムの習慣である。
特に何をするでもなく、ベンチで怠ける。
気分によって読書に浸る事もあるが、大抵何もしない。
「もー、どこが忙しいんだよ」
夕日が暮れてきた頃、その声は響いた。
「またお前か」と言うようなスイムの表情に苦笑を浮かべながらタツヤは言った。
「スイ、俺たち高校生になったんだぜ?なんていうか、将来とかさ、やりたいこととかさ」
「ない」
「…クラス中の子がお前の事を怠け者と呼んでるぞ?運動も勉強もやれば出来るのに適度に手を抜いて勿体無いとか、仲良くしたいのに適当に流されるとか、もっとこう、馴れ合いくらいさ」
「できない」
「…お前は……」
タツヤはスイムの幼馴染だ。つまりスイムの過去も知ってるし、今いるこのダムで何があったかも知っている。そんな過去を思い出していたから、スイムの事を幼少期の頃の様に呼んでいた。
「誰に迷惑を掛けてもない。俺は今の生活に満足してるし、将来に不安もない。悪いことなどないだろ」
「そうじゃなくて……」
タツヤが言い淀んでいる間にスイムは自転車に乗って帰ってしまった。このダムはスイムの家から遠い。せめて途中まで一緒にと思ったが、スイムは「またな」と言ってくれた。怠惰なスイムが挨拶をするのは珍しかったため、タツヤは追いかけなかった。
もっとも、二人が二度と会うことは無いとタツヤが知っていれば、何処までも追いかけただろうが、それはもしもの話である。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「「おかえり」」
家に帰ると母と弟に迎えられた。
「にーちゃん、今日は早かったな。僕また賞状もらったんだ」
「よかったな」
「スイ?丁度ご飯できるわよ。マサも手を洗ってきなさい」
「はいはーい!」
小学六年になった弟のマサルは作文や絵画での受賞が多い。その時は決まって夕食が豪華になる為、スイムは弟の自慢を不快に思わなかった。何より、マサルの無邪気さには嫌味などなく、純粋に兄から褒められたい思いが伝わってくる。
もちろん、スイムは大袈裟に褒めたりはしないが、怠惰なスイムが言葉を発しただけでマサルは満足だった。
「いただきます」
夕食は決まって家族三人で囲む。
これは女手一つで頑張っているミチコが決めた眠惰家のルールだ。
だが会話があるのはマサルとミチコだけである。スイムは静かにゆっくり食事をする。
ミチコは偶に寂しそうにその様子を見ているが、スイムに嫌われたわけでなく怠惰故の事だと理解しているため、落ち込む事はなかった。それに、弟のマサルだけでなく、スイムにも沢山の才能がある事を知っていたし、 少し打算的なところがあるスイムの将来は心配など要らなかった。良い意味で手のかからない息子達であった。
夕食が終わり、部屋でくつろぐスイムの元にミチコが訪れた。
「ねえスイ、ちょっといい?」
椅子に座って夜空を眺めていたスイムは、顔だけを母の方へ向けた。
ミチコはベットに腰掛けると、スイムと同じ様に夜空を見上げた。
しばらくの間、沈黙が続いた。
静寂を破ったのは不安そうなミチコの声だった。
「スイ…。あなたは、何処にも行かないわよね……?」
母にしては少し若いミチコの怯えを、スイムは確かに感じた。
もちろんスイムが何処かへ旅立つ予定など無い。そんな面倒事はご免だ。
しかし、横目でミチコを見れば、本気で何かを心配している様だ。
「あの時と、同じ胸騒ぎがするの……」
物騒な事を言うな、とスイムは思ったが、スイム自身も自分に明日があると思えなかった。これが人間の第六感だろうか。
(今日が寿命だとしたら短い人生だったな)
あまり死をネガティブに考えていないスイムだったが、母に不安を抱かせても仕方がないと思い、声をかけた。
「気のせいだろう。まあ俺は何処に行ってものんびり暮らすし、マサが寂しがらない様に母さんも元気にやってくれ」
そう言って、数年ぶりに笑顔を見せた。
「風呂入ってくる」と扉を出て行ったスイムは、母の頬に光るものを見た気がした。
「あ、にーちゃん。本貸して欲しいんだけど」
「ああ、いいぞ。これからはこの部屋のものを好きに使っていい。ただし、大事にしろ。あと、自分の才能を信じて、されど慢心するんじゃない。お前は立派に成長する。それと、母さんを困らせるなよ」
風呂上がりのスイムに声を掛けたマサルは、予想外の言葉の多さに驚嘆した。
普段兄に声を掛けても、二言程度しか返ってこなかったのに。
小学生のマサルは言葉の意味を深く理解していなかったが、「うん!」と元気の良い返事をした。
寝る前にミチコが再び来て、
「あなたはお父さんによく似ている。自分の信じた道を行くのよ」と言った。
その言葉を漠然と頭に浮かべたまま、スイムはゆっくり目を閉じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目を覚ましたのが先か、光に包まれたのが先か。
(なんだよ眩しいなぁ)
あまり眠っていない気がする。それにしてはやけに体が軽く、力が漲り、空気が美味しかった。
そして目を開いたスイは、直ぐに理解した。
(異世界転移か)
スイの読む小説のジャンルは幅広く、ライトノベルの類もいくつか読んでいた。
その予備知識があったにせよ、この一瞬の洞察力と冷静な思考能力は天才と言えるだろう。
しかし、次に考えた事は頭のネジが少し外れていると思える事だった。
(もしかして俺は、相当な美男子ではないか?)
遠くまで見渡せるほどに上がった視力で、向かいの窓に映った自分の姿を見た。
金髪碧眼、剣と鎧。更に何かを期待する様な民衆。
「「オォオォオオォオォォ!!」」
格好つけてポーズを取ったのは挨拶の様に自然だった。
しかし、調子に乗ってはみたが、スイはしっかり不安も抱いていた。
――めんどっちぃ事が起きなきゃいいな。
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