第14話:放たれる力
「……」
水を入れた木桶を両手に、標的へと駆けて行く。
燃え盛る標的に水をぶちまけると、エリシアが嬉しそうに駆けて来た。
「兄さん! アーバインが凄いんだよ!」
「先生です。あと、アーバインて、どちらさまですか」
エリシアの話では、アーバインと言うのは、取り憑いている炎の精霊の事らしい。
見た目は深紅の大きなトカゲで、小さい頃にエリシアが名付けたとの事だ。
朝アリエッタさんが言ってた奴だな。
遊んでOKと昨日言われたので、早速「燃やせ! アーバイン!」と標的を指さしたら、ものの見事に灰にしてくれたそうだ。
もはや、魔術の工程も、理もあったものではない。
頑張って精霊とタッチしてるクロエに謝れと言いたい。
ってか理を外れてるって、もしかして魔法?
遊び半分で魔法使うとか、精霊憑きこわい。
と思いつつも、
「そうか、凄いなエリシア」
と、頭を撫で撫でしてやった。
今までになく明るい表情のエリシアを見ていると、怒る事など出来る筈も無い。
教師として甘すぎるのは良くないが、兄としてなら問題ないのだ。自分で授業中は先生だと釘を刺しているが、そこは軽率に忘れている事にしよう。
「アリエッタさん、有難うございます。お陰様でエリシアがあんなに明るくなりました」
「あれが、彼女の本来の姿です」
隣で見守っていたアリエッタさんに礼を言うと、彼女は僅かに慈しむような目でエリシアを見つめる。ただの挙動不審なエルフメイドでは無かった様だ。
「それでは戻ります。エリシアさん、アーバインさんと喧嘩しないでくださいね。あと、走り込みもしっかりやるように」
「はーい」
建物の中で喧嘩でもしようものなら、今度は孤児院が火の海になるだろう。
開校二日目で廃校は勘弁していただきたいので、エリシアに釘を刺しておくとクロエの所に戻った。
「先生、もう大丈夫ですので続きをお願いしますわ」
クロエが、ぶんぶんと手を振り回して大丈夫をアピールしながら歩いて来た。余程、魔術の練習が楽しい様だ。
「分かりました。では、次はちょっと難しくなりますよ」
「望むところですわ」
新しい事を覚えるのが楽しくて、うずうずしている。
「先程、精霊にタッチした時のやり方をイメージしつつ、呪文を唱えてみてください」
「かしこまりましたわ」
クロエは素直に答えると、目を閉じ深呼吸を一つして、再び意識を集中した。
そして、おもむろに両手を広げると目を開き、精霊を所在を確認する。
「其は、大気に浮かぶ若草の精、我が元に集え」
ゆっくり、確実にクロエが呪文の詠唱を終了すると周囲に風が舞い始めた。
「素晴らしいですね、本当に」
魔力の流れや精霊は見えないが、舞い上がる風を見て成功を確信する。僕は尊敬と共に僅かな嫉妬を込め、クロエに向けて拍手をしていた。
自分が十年かけても出来なかった事を、一日でやってのける。
これが、本当の才能と言うものなのだろう。
そう思っていると当のクロエは、この先どうしていいか分からず、助けを求める様な顔でこちらを見ていた。
「残りの三小節を覚えていたら、唱えてみてください」
今日は、前半の三小節を練習すると言って始めたのに、あまりに早く習得してしまったのと、ちょっと意地悪のつもりで僕は迂闊にもそう言ってしまった。
「僅かな力もて、彼のものへ、切り刻まん」
クロエは素直に言われたとおり、教科書に書いていた呪文を思い出しながら唱えた。
すると突然、デュランの横で凄まじい風が舞い起こる。
「ちょっ!」
まさか本当に唱える事が出来るとは思っていなかったし、まさか本当に発動するとも思っていなかった僕は、咄嗟にしゃがみ込むと風が収まるまで地面に伏せた。
「先生!」
クロエは叫びながら駆け寄ると、状態を確かめる為に伏せている僕を抱き起こそうとする。
「ごめんなさい! 大丈夫ですの?」
涙目で訴えるクロエを手で制すると、何ともない事を示す。
発動したとはいえ、標的の精度が低かった事が幸いして直撃は免れていた。
それにしてもこの子にこんな顔をさせてしまうとは、罪悪感が一気に押し寄せてきた。
「こちらこそ、すみません。冗談半分で言ってみましたが、まさか本当に発動できるとは。やはり天才ですね」
笑って見せ、クロエを落ち着かせようとする。
「わたくしは、天才などではありません」
首をふるふると振って、否定する。
やがて落ち着きを取り戻したクロエは、抱き起した僕を膝枕しつつ話を続けた。
と言うか、何だこの状態。見上げる顔が眩しすぎて直視できない。
「本当の天才は先生ですわ。十四年間、わたくしに魔術を教えてくださる方はおりませんでした。それを僅か一日で、わたくしに教えてくださったのですから」
そして、真っ赤になって悶絶している僕の顔を覗き込むと、
「わたくしにとって、先生が伝説の魔術師ですわ」
と、目に涙を浮かべたまま微笑んだ。
何故だろう。
その時のクロエの顔は、泣いているのにあの日の少女の笑顔と重なって見えた。
そんな尊いクロエの微笑みから少し視線をずらすと、後ろの方で本日五本目の標的が火だるまになっているのが見える。
アーバイン、はしゃぎすぎである。
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