第116話 止まらない

「おぬしを愛している者は確かに居るぞ。如何におぬしが認めなくともな」


 オズは心の中の葛藤を全て奥底に押し込んで、クールな笑顔を決めながら優しくそう告げた。

 ここまで言えばさすがのローズも分かるだろう。


「え? え? そ、そんな、まさか……」


 そんなオズの心の内を知らないローズはただその言葉に狼狽えた。

 三人以外に自分の事を愛してくれる者が居る?

 そんなバカなと思いはすれど、実は一人だけ心当たりがあったりする。

 が、百合的アレシャルロッテは高校時代に先輩と親友が繰り広げた悲しき結末の記憶が蘇るのでノーセンキューだ。


 脳裏に浮かんだ瞬間、秒で虚空の彼方へと追いやった。


 オーディック様なら良いのだけれど……そう思いはすれど、記憶が無い筈なのにあの時見せた鋭く深い憎しみで溢れた眼差しは、オーディックの心の内に眠る嘘偽りの無いローズへの想いの姿だったのでは?

 ……そう思えてならない。


 劇中に出て来ない過去や未来の話、音声で一方的に台本通り語られるだけのセリフの内に眠る心情など知る由も無いローズ野江 水流にとって、ゲームの登場人物からのローズ評の出所は基本的に主人公に対する愚痴や罵詈雑言に他ならない。

 三分にも及ぶフレデリカの絶叫も今となっては懐かしい思い出だ。


 ゲームだけじゃなく自らの中に宿る悪役令嬢ローズとしての記憶にも、実際に人々から陰口を叩かれている場面を幾度も目撃していた場面が多々あった。

 そして、それはゲームの攻略対象であるイケメン達でさえ同じだ。


 あからさまにローズの事を嫌っていた二人組、父の部下であるが故に訪問せざるを得ないディノとローズに罵られたトラウマを抱えるシュナイザーは元より、比較的ローズに友好的だった劇中では癒し系お兄さんであるホランツ、それにローズに懐いていた従弟のカナンでさえ主人公エレナに日頃の愚痴を吐露していたのだ。

 そして記憶を失くさないと攻略出来ないオーディックにしても、問題を起こしたローズに対して苦虫を噛み潰したような顔をして「困った奴だ」と溜息を吐いている場面が多々あった。

 そんな彼らの何処に自分への愛が有ると言うのだろうか?

 

 確かに最近では関係が改善されて来たと言えるだろう。

 それが愛まで届いているかは分からないが、少なくともエレナに対して陰口を言うような事は無いと思いたい。


 しかし、それもこれも前世の記憶を取り戻して以降の話。

 オズが言うにはそれ以前かららしいので参考にならないと思われる。


 ならば誰なのか?

 悪役令嬢時代のローズをも愛する人物……?


 そんな人が……やはりシャルロッテ? いやいやいや! だからそれは別の話。

 と言うか、この話の流れで同性の人物の名を挙げる事をオズはしないだろう。

 なんたってオズはオーディックより古い幼馴染なのだ。

 例え十年以上の月日が流れていても言葉の節々から漏れ出る彼の人格はあの頃と変わっていないと感じる。

 だからこんな場面でそんな事を言う人間じゃないと言うのは分かっているのだ。



 ……あれ? ちょっと待って?


 ローズは今の思考の中で何かが引っ掛かったのを感じた。


 母であるアンネリーゼの葬儀から始まった『悪役令嬢ローゼリンデ』と言うキャラクターデザインされた存在。

 劇中ローズが嫌われているのは間違い無く、その『悪役令嬢』であったからだ。

 それ以前のローズと言えば内なる記憶を客観的に分析しても聖女とまで謳われた母の生き写しと言える人物だった。


 じゃあ、その『』時代を知らない人間だったらどうだろうか?

 幼女のローズと今の自分のみを知っている人間ならばローズと言う存在を愛してくれるのではないか?

 しかし、そんな都合の良い人間が居るのだろうか……? ……いや。



 『いるじゃない! 幼いローズを知っていて悪役令嬢時代を知らない都合の良い人物が!!』


 ローズは目の前に居るそんな都合の良い人物を熱く見詰める。

 そうだった……目の前の幼馴染は悪役令嬢の一歩を踏み出す前に自分の前から居なくなったのだ。


 噂で聞いてはいただろうが、出会ったのは前世の記憶に目覚めてからである。

 直接見ていないのならギリセーフと言えるだろう。

 少なくとも久し振りの再会の時に悪役令嬢時代の事を気にしている様子はなかった。


 幼い頃の記憶を辿り恋愛マスター技能の一つである恋愛脳的客観視(客観じゃない)で、当時のオズとの逢瀬を思い出しても、なんだかとても甘酸っぱくラブにならないラブと言える雰囲気を醸し出していたとのではないか? (希望的観測)


 『そうよ! さっきから回りくどい事を言っているわと思っていたけど、オズったら遠回しに告白して来ていたのね。もうっ! 恥ずかしがっちゃって』


 現在ローズが余裕を持って自身への好意を冷静に判断しているのは、恋愛マスターとしてのスイッチが入り妄想の中の『自分』と言う架空キャラを対象とした相関図フローチャートを傍から眺めている状態なだけである。

 げに悲しきは幾重にも繰り広げられたいざという為の脳内トレーニングと言う名の都合の良い妄想による後遺症。

 これは人の好意を自らの心の内に送り届ける事を無意識の内にフィルターを張り防御している行為だった。

 野江 水流だった頃、このフィルターによって数々の恋愛のチャンスを知らずにふいにして来たのだ。


 だが、今のローズは違う。

 心の奥に仕舞い込んでいた人を真に愛する心を自覚しているのだから。

 好意を妨げるフィルターは既にボロボロで穴だらけだ。

 だから悲しき妄想が正解を導き出している事に対し、それが自分にとってどう言う事なのかこの状況を正確に理解する。

 今まさに妄想は現実となったのだ。


 その事に気付くまであと三秒……二秒……一秒……。




 ボッ!!


 『ひゅえあぁぁぁ! ちょっちょちょ! ちょっと待って? え? それってオズは私の事が好きって事? えぇぇぇ! そ、そんな! 私にはオーディック様と言う想い人が……でも、今は嫌われているし……とは言え、とは言えっえっえっあっさり乗り換えるなんて……ダメよね?』


 心の中でぐるぐると纏まらない妄想の悲鳴を上げる。

 前世含めて初めて直接好意を向けられた事を自覚したローズは精神が大きく揺れた。

 揺れと言うかそれはもう大災害と言っても過言ではない。

 そのエネルギーはイケフェスの優に15倍に匹敵する程と言えば分かって貰えるだろう(分からない)


 本来なら脳内のパニックにつられて身体の方も顔を真っ赤にしてあたふたと狼狽えるところだったのであろうが、過去最高の災害級ディザスターパニックによるあまりにも大き過ぎる感情のうねりは、身体へと繋がる神経のバイパスで目詰まりを起こし少し赤面し掛けた状態でフリーズしてしまった。

 端から見るとほんのりと頬を染めてはいるものの、表情は乏しくただ目を血走らせ大きく見開いたまま微動だにしない彫刻像の様になっている。


 美しいながらも悪役令嬢としてキャラデザされた故に見る人によっては恐怖を煽る顔立ちと言えるので、もし夜道にこれ・・が立っていたとしたら大の大人でも悲鳴を上げて逃げ出す代物に下手すると百年の恋も醒めるとも思われる……のだが、現在目の前に居るのは遠く離れていながら今までローズ一筋で生きて来たオズである。


 彼は幼き頃、故知らずに引き裂かれた後に、いつか会う日が来る事を願い『ラブラブハッピーエンドの日々』を夢見て妄想に妄想を重ね生きて来た。

 先程は格好付けて親友に花を持たせるとか弟との確執だとか自らに流れる血の業だとか色々考えてはいたが、そんなのは意識の表層にこびり付いている苔みたいな物でしかない。

 その中心に存在するのはローズへの純粋な想いに他ならなかった。


 普段の飄々とした態度は勿論将来皇帝らしからんとする為のものではあるが、その根幹はローズに格好を付けたいだけ。

 幼い頃に泣き虫オジュと言われた事に対する意趣返しとも呼べる虚勢でしかなかった。

 彼の精神の本質は今でも変わらずローズと共に過ごしたあの頃のまま。

 ローズと再会したあの日も嬉しさのあまり一睡も出来なかったくらいだ。

 正確には会いに行く前日からまるで遠足が楽しみで眠れない小学生の如くそわそわして寝てなかったので二徹であるのだが。


 先程全てを話して嫌われたら身を引くと心に誓っていたが、実際にその状況に置かれたら間違いなく泣き虫オジュの本領発揮とでも言わんばかりに大泣きしてローズに縋り付く事になるのだが、その未来が本当に来るのかは今語るべき話ではないので割愛させて頂く。

 

 要するにオズにとってローズの変顔や恐ろしい姿など、現代に例えると課金ガチャで欲しかったSSレアキャラが出た喜びに等しい。

 今の目を血走らせてフリーズしている様でさえ『知らないローズの顔ゲットだぜ!』と言った塩梅に心の中は愉悦で満ち溢れていた。



 『う、美しい! まるで母なる海の蒼を全て凝縮させたかのようなその瞳。血走る様も純白の雲に赤き稲妻を迸らせたかのように鮮やかな色彩美を醸し出している。そして白い頬が薄く火照り紅に染まる様はメホカティロスのようではないか。あぁローズ、お前は本当に美しい……全く動かないのはちょっと怖いが』


 と、こんな感じでローズへの熱い想いの炎に次から次にガンガン薪がくべられている状況である。

 ちなみにメホカティロスはこの世界にだけ存在する桃色の花びらがとても美しい花の事であるが、こちらもまた詳しい説明は割愛させて頂く。

 ただオズの国では女性に対して会心の一撃的な誉め言葉と捉えて欲しい。



 『ん? そう言えばローズのこの体勢と言うのは……もしかしてっ!?』


 レアモノなローズの姿を心のキャンバスに焼き付けていたオズであったが、あまりにも微動だにしないこの体勢に対してある事に気付いた。

 気付いたと言うより妄想の中の一場面に似ていたのだ。

 目を見開いているのが理想と違うものの、その他は大体一緒だと言えるだろう。

 自分に向けて真っ直ぐに少し顎を突き出すように顔を向けている。

 その唇も閉じられやや先を尖らせている体勢と言えば……。


 『これはまるで……そうだ! これは所謂キ、キスを強請っているのではないか!?』


 何度も妄想の中で思い描いたローズとキスする場面。

 頬を染め顎を上げて唇を尖らせる。

 これはまさにその時の光景だ! ……目を見開いているのは想定外だけども。


 『じっと動かないのも我を待っていると言う事の証左だろう。何も言わないのは女にみなまで言わせんなと言う無言の意思表示ではないのか? よかろう! ローズよ! キ、キ、キスゥをし、してやろうじゃないか』


 とんでもない勘違いをしたオズ。

 白磁の様な白く透き通る肌、プラチナブロンドの流れる様な艶のある髪、キリリとした切れ長の目に長い睫毛、スッと通った高く形のいい鼻筋、この様に外見だけなら攻略対象の五人を圧倒する程の美形の持ち主であるオズと言うこの男。

 確かに弟の謀略によってその地位を追われ、今は王国に身を寄せ死んだ身となり潜伏生活を送っているとは言え、ただの愚鈍な人物ではなく曲がりなりにも皇帝の嫡男であり第一継承権を持つ皇太子に相応しい文武両道権謀術数に優れた人間ではあるのだが、そこにローズが加わると一気にポンコツ化する。

 弟に後れを取り王国に潜伏する事態に陥ったのもこのピュア過ぎる想いを利用されたからに過ぎず、真っ当な権力争いだったのなら彼は今でも皇太子の座に居た事であろう。


 しかしながら、それは有り得ない架空の話。

 彼がローズに対して抱いている想いが有ったからこそ今のオズが存在しており、更に言うと生来のオズの正確ならば早々に権力欲に溺れた帝国重鎮達に取り込まれ、領土拡大の野望の元に折角平和となったこの大陸に再び戦乱の世が訪れていた事であろう。



 そんな本人達でさえ知る由の無い裏設定はさておき、ローズが絡むだけで一瞬の内にチェリーボーイに早変わりするオズ。

 先程『愛している者が居る』と述べた際も本当は勢いに任せて『我がお前を愛している』と言ってしまいたい衝動に駆られていたのだが、寸前でヘタれた所為で匂わせ程度の言葉しか出なかっただけである。

 そんな脳内パニックになって前後不覚のオズは、相変わらず顔だけキリッと決めながらその手をローズの肩に置きゆっくりと顔をローズの唇に近付けていく。



 相対してローズと言えばほぼ同じような状況である。

 ただ身体はパニックで固まったままなのだが、今自分の身に起ころうとしている事に気付いていない訳ではなかった。

 寧ろその事が更なる緊張を呼び身体の効果を助長させている。


 『え? ちょっ! これってもしかしてアレよね? キスシーンって奴よね? イケメンの顔が近付いてくる場面はゲームで何度も見たわ。うわ~うわ~臨場感たっぷりねぇ~……いやそりゃ臨場感たっぷりなのは当たり前じゃない! 今まさにあたしがキスされそうになってるんだからっ!』


 夢に夢見て憧れたキスシーン。

 異性に対するキスなど、弟が赤ん坊の時に親愛の情から致すノーカンなキス以来、三十年近く護り通して来たファーストキス。

 オーディックへの想いを自覚した今、唇の純潔は意中の人に捧げたいと言う気持ちは有るものの、据え膳食わぬは女の恥……あれ? それ男だったっけ? と、恋愛漫画にも色々と種類が存在し一人の相手に尽くす純潔系な展開もあれば、色々なイケメン達と浮名を流す放蕩系な展開も数多く存在する。

 国内の恋愛と名の付く作品全てを網羅していると自負している彼女野江 水流に取ってその全てが胸ときめく物であり、それらの作品の主人公に自身を当て嵌めて妄想してきたのだ。

 

 今、彼女は人生の岐路に立っていた。

 ここで流れに任せてオズとファーストキスをするか、それともオーディックが記憶を取り戻し自分の意思を告げるまで護り通すべきか……それが問題だ。


 初めて知った自分の人を想う気持ちを大切にしたいとは思うものの、実際に告ってフラれた時の事を想うと恐ろしい。

 三十一年転生前約十九年転生後の合わせて五十年と言う長い人生経験を持ってはいるものの、その殆どが恋愛と言う感情に対して妄想と逃避を重ねて来たのだから、フラれる事への恐怖心もまた相当なものにまで膨れ上がっていた。


 もし本当にオーディックにフラれた場合、立ち直れない気がする……いやマジで立ち直れない。

 そうなればファーストキスと言う彼女の中では人生において一、二を争う程の重大なイベントを体験する機会が失われるのではないか?


 ここでキスをするべきか、それともせざるべきか……それが問題だ。

 ローズは何度も何度もこの思考の迷宮から抜け出す事が出来ないでいた。

 それどころか、最悪ここでキスをするのは良いとしても、ファーストキスは欲を言えば綺麗な夜景の見える高台でロマンティックな告白の元にキスしたかったなぁ~なんて事をこのに及んで考えていたりする。


 しかし時間は待ってはくれない。

 オズの形のいい唇は止まる事なく近付いて来ていた。


 あぁどうしましょう?

 いまだ答えを出せないローズ。


 打って変わってオズはと言うと、実はここに来てヘタれてしまい我に返って抜け駆け的行為で罪悪感に苛まれ出している。

 更に妄想の中で思い描いていたベストファーストキスは、綺麗な夜景が見える城の最上階のテラスにおいて情熱的な告白をしてキスをすると言うものだったので、こんな薄暗い隠れ家でして良いのか? と悩み出していた。


 だが、既に動き出した身体を止められないでいた。

 若いリビドーの暴走は思考を凌駕する。

 互いの唇の距離はもうあと数センチまでに迫っていた。


 そして、どちらからともなく二人は目を瞑る。

 後はもう成すがままだ。

 その時、ローズとオズの心の声がシンクロした。


 『だ、誰か止めてぇ~!』

 

 しかし、互いの唇は……。





「はい、そこまでです。お二人共離れて下さい」


 突然聞こえて来た声に我に返った二人は弾かれた様に慌てて互いに距離を取る。

 助かったと言う気持ちと残念と言う気持ちがグルグルと渦巻く中、二人は声の人物の方に目を向ける。

 そこに居たのは果して……ジト目でこちらを見据えながら壁にもたれ掛かって腕を組んでいたフレデリカだった。


 二人は心の中で止めたフレデリカに対して感謝と共に悪態をつく。

 そしてそれもまたキレイにシンクロしていた。


 『この御邪魔虫め〜』

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