第115話 オズの葛藤

「我が先程想っている者が居ると言ったのは、そなたが言った保護者的な意味ではないぞ」


 オズはまず勘違いの大前提を崩す為に思考の逃げ道を塞いだ。

 これでもローズはナマズやウナギの様ににゅるりと勘違いの方向へ逃げて行きそうだが、この絶好の告白タイミングを逃すまいとオズは言葉を続ける。


「そなたと添い遂げたいと願う者が居ると言う意味なのだ」


 さすがのローズと言えどもここまではっきりと言えば心に届く筈だ。

 オズは更に自身の告白まで畳み掛けようとした。


 ……が、


「またまたぁ! オズったら何を言っているんですか」


「……え?」


 ローズの返しにオズはポカンと口を開けた。

 少し照れてはいるが、今にも吹き出しそうな顔をして手平をひらひらと上下に振っているローズ。

 オズは一瞬自分の言葉が歪曲的な言い回しをした物だったかと思い返す。

 しかし、短い語句はどう考えても冗談を含んでいないと思える。

 ならばこの返しは一体……。


「私なんかと添い遂げたいなんて奇特な人居る訳無いじゃない」


 この言葉にオズは理解した。

 ローズの『好かれる筈がない』と言う思い込みは難攻不落の城塞なのだと。

 今のローズにはただ単に好きだと伝えたとしても心に届かないかもしれない。


 なぜローズの心の壁はここまで拗れたのだろうか?

 そして、なぜこう思い込むようになるまで悪女の道を歩んだのだろうか?


 その事を思うと胸が締め付けられるようだった。

 オズはローズが悪女の道を歩いて来た理由を知っている。

 しかしそれはローズ自身の意志による話ではなく、その様な状況を作り上げた我が国の凶事についてを。


 勿論オーディックよりローズの母であるアンネリーゼの葬儀での馴れ初めの誓いは聞いていたので、誰よりも強くなると言う最初の志は知っている。

 しかし『強くなる』の意味を取り違え、ただ我儘に力を振るえば良いと思い至った事については彼女の意思によるものだけではなかった。


 それこそが自身とローズが引き裂かれる事となった理由。

 当時はそんな事情が有る事を知らずに、伝え聞くローズの凶行に『自分がローズの側に居てあげていたらそうならなかっただろうに』と唇を噛んだものだ。

 オーディックに救われこの国に亡命してからそこへと至る思惑の真相を聞いた時は、ローズを悪女と貶めたこの国に対しての激しい怒りと共に、その原因を作り上げた自国の卑劣な計画の存在に深く落胆したのを覚えている。


 全ての発端は聖女アンネリーゼ殿の女神の如き美貌に目が眩んだ我が父上の愚かな欲によるものだった。

 アンネリーゼ殿を必ず我が物にすると言う邪なる計画により、まずはその娘……ローズを皇太子妃として引き込む。

 そんな愚かな計画の為にまだ幼かった我とローズは婚約する事となった。


 第一段階としてまずは我がこの国に赴きローズと逢瀬を交わし内外共に婚約が確定の事実として周囲に知らしめる。

 そして程好い頃合いになったら今度はローズを我が国に短期留学と言う形で呼び寄せるつもりだったらしい。

 この話自体は我も聞いていたし、裏に汚れた思惑が有ったなど知らずにその日が来るのを楽しみにしていたものだ。

 幼い我とローズの間には父上の計画など関係無い、愛と言うにはまだ遠い淡い恋と言う絆を紡ぎ始めていた……そう信じていた。


 第二段階になると短期留学中にアンネリーゼ殿と、そしてバルモア殿を国へと招き親交を重ねる。

 それはあくまで計画の一部分でしかなく、本当の狙いはその旅程の最中にバルモア殿を暗殺し未亡人となったアンネリーゼ殿を皇太子妃母として正式に招き入れ、自分の愛人とするなどと言うあまりにも馬鹿げた話だ。


 奇しくもその計画はアンネリーゼ殿の逝去によって果たされる事はなかったが、手に入らなくなったモノに興味を失くした父上が急に態度を変え、婚約自体まるで無かったかのように振舞う我が国の動向に不信を抱いたこの国は密偵を放ち我が父の計画を知ったようだ。


 ……それによるとアンネリーゼ殿の死さえも我が国の手によるものだったらしい。


 とは言え、それは計画ではなく犯人は父上と言う訳ではない。

 後宮に住まう愛人の一人が自らへの寵愛を失う事への恐れから暗殺者を雇いアンネリーゼを毒殺したと言う。

 それを知ったこの国の上層部はすぐでも兵を挙げ我が国に宣戦布告をしようとする声も有ったがそれを止めたのは、驚く事にバルモア殿本人だった。


 曰く『やっと大戦も終わり平和な世となったのだ。ここで兵を挙げればまた戦乱の火が民達を苦しめる事となるだろう。その事をアンネリーゼが喜ぶ筈もない』と。


 この発言を愚かと笑う者も居るだろう、臆病者と罵る者も居るだろう。

 確かに我もそう思う。


 だが、この発言に対して一番悔しい思いをしているのはバルモア殿本人なのだ。

 愛する妻をただの欲望によって殺された。

 本来なら許せるはずがない。

 いや、許している訳ではないだろう。

 身を引き裂く思いでその決断をした。


 アンネリーゼ殿が自らが原因で戦争が起こる事など望む筈が無いと知っているからだ。

 そしてアンネリーゼ殿が真に望む事は、自分の娘であるローズが自分の身に降りかかったような愚かな欲望の犠牲とならないように護って欲しい事である、と。


 このままローズが清く正しく成長すればやがて母であるアンネリーゼ殿と生き写しの聖女として讃えられる事となるであろう。

 そうなれば父上の欲望が今度はローズに向かう事は必定だ。

 この国に自分の計画が漏れた事を知った父上は今度は手段を選ばないかもしれない。

 力尽くでもローズを手に入れる事だろう。

 それが戦争と言う愚かな行為だとしても。


 その事が分かっていたバルモア殿達は敢えてその道を絶つ事を計画した。

 それが今日までこの国に騒がせていたローズの悪女伝説の始まりである。 



 なるほど、ただ単に幼い頃の恋心だけを胸に抱き無垢な幼子の様に生きて来た自分と違い、は一早くその真実を知り人知れず計画を練っていたのか。

 如何にそこに自らの権力向上だけを考える腐った貴族達の下衆な思惑が有ろうとも、そして操り人形の如く傀儡にされようとも、ただ一つの信念を胸に皇太子の座を自分から奪い取ったのだ。

 『ローズと結ばれたい』と言う信念ただ一つの為に……。


 自ら皇太子と言う立場に胡坐をかいていただけの自分を恥じる気持ちは有るものの、弟の取った手段は許される物ではない。

 自分だけを謀殺するならばその限りではなかったが、権力を手中にする為に国内で多くの血が流れた。

 敵対勢力の貴族達、そして数年前には皇帝である父上までもが毒によってその命を奪われた。

 いや、父上や貴族達だけならばこの下衆な計画を遂行した罰として当然の報いと言えるだろう。

 だが、弟は有ろうことか護るべき自国民達の命さえ目的の道具として殺しているのだ。

 バルモア殿が爆ぜる程の怒りを押し殺して選んだ道を踏み躙る行為。

 如何に傀儡であろうとも上に立つ者としてその責任は取らねばならない。


 一人の女を取り合うと言うただの兄弟喧嘩の為にこれ以上無益な血を流しても良いのだろうか?

 罪悪感が募るばかりだが、もはや弟の暴走は止まらない。

 それは仮にローズを手に入れたとて収まる事は無く、傀儡主の貴族達の欲望は際限無く広がり、やがては戦乱の火がこの大陸全土を覆う事になるだろう。


 既にこの国の幾人かの地方伯達は我が国によって篭絡されているらしい。

 それは周辺国にも及んでいると聞く。

 今まさに開戦前夜と言っても過言ではない状況だ。


 止めねばなるまい。

 大義名分の旗印に祀り上げられ様とも、この国と共に弟の暴挙を止めなければ我が国の所為で命を落としたアンネリーゼ殿やバルモア殿に顔向け出来ない。


 ……そしてローズにも。


 幸いな事に我が国にも弟派閥の強引過ぎる愚かな行為に反感を持つ勢力は少なくない。

 そして時が来れば各地で立ち上がってくれる手筈となっている。

 やっとここまで来る事が出来た。

 

 愛するが故にローズから身を引こうと思った事は一度ではない。

 ローズに訪れた不幸は全てこの身に流れる血が起こした凶事なのだ。

 しかしそれを止めたのは我が親友オーディックだった。


 『本当に申し訳なく思うなら、一生ローズの隣で愛し続け幸せにすることこそが償いだろ』と。


 その後には『まっ、俺は譲るつもりは無いけどな』と笑っていたが、これは彼の優しさだろう。

 その言葉が有ったからこそ我は立ち直れたのだ。


 そうだ、我にはローズを幸せにする責任が有る。

 愛しいローズ……今はまだ真実を話す事は禁じられているが、全てが終わったら話そう。

 その結果我は憎まれる事になるやもしれぬが、それでも我はローズを一生愛し続ける。

 オーディックが言ったような『隣に立つ』と言う事は出来ぬとしてもローズが幸せに暮らせるよう陰ながら尽力するつもりだ。

 だから……だから今このひと時は想いを交わしたい。


 それがやがて彼女の悲しみに変ろうとも……。

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