第105話 嫉妬の炎
「あら? 何か聞こえたかしら?」
どこか遠くの方から何かが聞こえた気がしてローズは振り返る。
なんだかカエルの潰れた様な声だった様な……?
「どうしたのローズちゃん?」
「今、何か聞こえなかった?」
「えぇ~? 何も聞こえなかったわよ? そんな事より早く行きましょうよ」
「そう? なら気の所為だったのかも? まぁ良いわ」
「ふふふ、変なローズちゃん。ほらもうちょっとで庭園よ。早く行きましょ」
修道院の裏手に周ると薔薇の生垣が見えて来た。
生垣はとても背が高くまるで壁の様に庭園の周囲を取り囲み庭園の中の様子はここからでは窺い知れない。
現在季節は夏である為、残念ながら生垣に花は咲いておらず緑の葉が風で揺れるだけ。
少々物寂しい風景だがこの季節は仕方が無い。
だが秋の開花に向けて綺麗に剪定されている生垣自身は、王国でも有名な王宮やシュタインベルク家の庭園に比べるとさすがに目劣りはするものの、それでも丁寧に手入れされている事が窺えた。
満開の季節ならば、それは見事なものとなるだろう。
とは言う物の、ローズとしてはシャルロッテが薦めて来たにしては少し肩透かしを食らった気分になる。
「あ~そっかぁ。今は季節じゃないのね。ちょっと残念かも」
どうやらローズが抱いていた気持ちはシャルロッテも同じだったようだ。
緑色の生垣に落胆している。
「ご、ごめんねぇ~ローズちゃん。庭園が綺麗だって聞いたからこの修道院にしたのに。季節間違えちゃった」
申し訳なさそうな顔で謝って来るシャルロッテに、ローズは「薔薇が咲く季節にまた来ましょう」と返した。
『悪女時代の贖罪の為って言っていたのに』と少し思ったが、だからと言って曲がりなりにも伯爵令嬢であるシャルロッテが身の危険や貞操の危機が隣り合わせと言う様な劣悪な環境に身を置くのは問題が有るだろう。
ローズ自身、そんな所に親友を送りたくなどない。
結局のところ、場所が何処であろうとシャルロッテの奉仕活動によって救われる人間が居れば良いだろうと思う事にした。
「それにしても一昨日からここに来ていたって言うのに、今日になって知ったの?」
「え?」
おっちょこちょいな親友を少しからかうつもりで尋ねた言葉だったのに、シャルロッテは思った以上に大きく反応した。
不思議に思いシャルロッテの方に顔を向けたローズは、その何かを焦っているような表情に首を傾げる。
「どうしたの?」
「あ、あの……。その……そ、そう忘れてたの」
「忘れてた……って? ここ決めた理由でしょ」
「だって、一昨日は遅くに着いてそれどころじゃなかったし、それに昨日は隣村? に懺悔をしに行く準備で忙しくて、今日は朝から出掛けてたんだもん。うん」
そう説明してきたシャルロッテ。
一応辻褄は合っているが、所々怪しいのはローズにも分かった。
シスターの部屋で何処に居たのかを説明した時には断定していた筈の『隣村』と言う言葉に『?』が付いていたし。
「そう、それは大変だったわね。ご苦労様」
明らかに怪しいと思うのだが、今はまだその時ではない。
ローズは取りあえずにこやかに微笑み返した。
エレナの行方についてどこまで知っているかは分からないが、エレナから何らかの情報を聞いたのは確かな筈だ。
しかも姿を消す理由の根本となる事情を。
先程から見せるシャルロッテの反応から判断すると、確実に自分に関係する事なのだろう。
だからシャルロッテは世話焼きの性分から無理に悩みを聞き出してしまった手前、そのエレナと親友である自分との間でジレンマに陥っているのではないか?
ローズは一連のシャルロッテの怪しい素振りについてそう推測した。
だとすると、今問い詰めるのも気の毒だ。
出来ればシャルロッテの口から話して貰うのがベストだろう。
さて、どう誘導したものか? そう思いながら庭園の入り口に向かって歩く。
少し先に見える庭園の入り口は生垣を門状に剪定して造られているようだ。
それにしても薔薇は残念だが、この修道院はとてものどかでいい所の様だ。
やはり修道院と言う宗教的な建造物である事からか、何処か荘厳で神聖な空気で満ちていると感じなくもない。
王都内に広い敷地を持つシュタインベルク邸とは言え、少し耳を澄ましだけで都会の喧騒は常に聞こえてくるものだ。
それに比べてここは町に併設されていると言えど、修道院の敷地をぐるりと大きく取り囲むレンガ造りの塀のお陰か人の声など聞こえず、ただ鳥のさえずりや風が揺らす木々の葉擦れだけが緩やかに耳を擽った。
そんな優しい静寂を堪能しようと思いローズは意識を周囲に向ける。
『本当に静かで良い所ね』と感想を言おうとした所で、ローズは少しだけ違和感が有る事に気付いた。
『静かって言うか静か過ぎない? ここは修道女が住まう修道院よ? 町の音が聞こえないにしても修道院内の生活音まで聞こえないなんて』
そう感じたローズは改めて思い起こす。
この修道院に来てから出会った人間は院長であるシスターとシャルロッテだけ。
たまたま本堂の外を歩いていた中年のシスターに声を掛けたらそれが院長だった。
ローズはいきなり責任者が見つかってラッキーと思っていたのだが、そうではなくそのシスター以外誰一人会っていないのだ。
部屋を出てからここに来るまでにも誰一人すれ違わなかった。
違和感に気付いたローズは慌てて後ろを振り返る。
「どうしたのローズちゃん?」
「……ねぇシャルロッテ。ここに他の人は居ないの?」
「え!? ……ほ、本当だわ。気付かなかった」
ローズの言葉にシャルロッテは一瞬言葉を失い、すぐに慌てて後ろを振り返った。
やはりその態度はとても不自然でただ事でない違和感を覚える。
「……えっとぉ……人が居ない……怪しまれた時は…え~と…はわわわ。なんだったっけ?……」
振り返ったシャルロッテは周りを気にする素振りを見せながら何か小さい声でぼそぼそと呟いていた。
しかし「え~と」や「なんだったっけ?」と何かを思い出そうとする声が大きくて言葉の全容は把握出来ない。
それに「はわわわ」と言う言葉を実際に吐く人間がよもや実在した事のショックの方が大きかったのも言葉を聞き取れなかった理由の一つだろう。
何を言ってるのか聞き取ろうと顔を近付けた途端、シャルロッテが急にピンと背筋を伸ばし「あっ!!」っと大声で叫んだ。
「きゃっ! びっくりした。急にどうしたの? シャルロッテ」
「思い出したの! え~と、確か~? 他の修道女の方達は今日は隣領に在る大きな教会に研修に行ってるって話だったわ」
その言葉の通りシャルロッテの顔は『やっと思い出した』と言う様な良い笑顔だ。
確かに本来のシャルロッテは今頃周辺の村々にある教会への懺悔行脚をしていると言う話だった。
その為、他の修道女の予定に関してはうろ覚えで、今まで居ない事に気が付かなかったと言うのはそれなりに説得力があると言えるだろう。
シャルロッテの呟きの全容を聞き取れなかったローズにとって、今の態度や発言に不信感は有るものの、それが何なのかまでは分からなかった。
「ふ~ん、そうなの。あっ……そう言えば……ここの隣領って確かアッヘンバッハ領じゃなかったかしら? ホランツ様が生まれ育った土地なのよね」
中央領と隣接している地方伯領についてはシャルロッテの授業である程度把握していた。
特にイケメン達の故郷については熟知していると言っても過言ではないだろう。
王都生まれのオーディックやシュナイザーは兎も角、戦災孤児であるディノや他領主の子息であるカナンとホランツについては、話を膨らませる種として名所や特産品まで調べていたのだ。
そしてアッヘンバッハ領はその名の通り、王国においてローズの父であるバルモアと併せて武の双璧と謳われているジークフリート・フォン・アッヘンバッハ公爵が治める土地であった。
即ちアッヘンバッハ公爵の三男であるホランツの生まれ故郷と言う事だ。
数日前までは毎日の様に屋敷に入り浸りっていたホランツだが、あの一件以来ぱったりと来なくなった事にローズは少し淋しさを感じており、『隣領に行った』と言う言葉でついホランツの事を思い出し口にしたのだった。
「ブフォッ!! ゲホ、ゲホッ」
「ちょっと、どうしたの大丈夫?」
ホランツの名前を出した途端、シャルロッテは急に咽てしまった。
何事かと思いローズは声を掛ける。
「だ、大丈夫よ、ローズちゃん。そ、そうなんだ~知らなかったわ」
咳も止まり顔を上げたシャルロッテ。
その言葉に『むむ?』と何かをローズは察した。
咳をしてたとは言え、少し顔が真っ赤ではないか?
それになんだか目が泳いでいる。
『ハッ!! こ……これはもしかして?』
もしかしてシャルロッテはホランツに恋しているのでは?
だからホランツの名を出した途端、びっくりして咽たのでは?
いや、先程『庭園が綺麗だからここに決めた』とシャルロッテは言っていたが、そもそもホランツの故郷に近いからこの修道院にしたのでは?
ホランツが屋敷に来なくなったのもシャルロッテとここで逢引する為に一旦故郷に戻ったのでは?
そんな疑惑が次から次に湧いて来る。
てっきりイケメン争奪戦の相手は主人公であるエレナだけだと思っていたのに、まさかゲームに登場しなかったぽっと出の親友キャラがライバルになろうとは露とも思わずに完全に油断していた。
しかし、よく考えたら庶民であるエレナより伯爵令嬢であるシャルロッテの方がライバルとなり得るのではないか?
家柄も良く容姿に関しても二大悪女としてローズと同格で扱われていた事からも分かる通り大変美しいものである。
特に顔から悪女時代の険が取れおっとりとした優しい表情を取り戻した今となっては、おじ様方やマニア向け人気はローズに勝るものがあった。
ホランツはそこに惚れたのでは?
前世で惚れた相手が次々と友達の彼氏になっていくと言う悪夢が脳裏を過る。
ローズの心の奥底にふつふつと嫉妬の炎が揺らめき出した。
『シャルロッテってば私からホランツ様をNTRって言うの? ……いや、付き合ってた訳じゃないんだけど、システム的にね。それにシャルロッテは私の事が好きだって言っていたじゃない! あれは嘘だったって言うの? 裏切り者ーー!! ……いやいや、女同士なのに何考えてるのかしら私……』
と、突然の話に多少混乱気味のローズ。
このまま悶々としていても話が進まない。
取りあえずシャルロッテに事情を聴いてみよう。
もし二人の愛が本物だったら……。
前世で人の恋ばかり世話をして来た人生にさよならするつもりだったが、だからと言って愛する二人の恋路を引き裂くのは自分の主義に反する事だ。
もしそうだったら、ローズは二人の事を祝福してあげようと思い、まずシャルロッテがホランツの事をどう想ってるのかを確かめる事にした。
「あの……シャルロッテ? 貴女もしかしてホランツ様の事を好き……なの?」
ある意味決死の覚悟で発した言葉なのだが、それを聞いた途端シャルロッテの顔は言葉で形容し難いモノに変った。
それは恋する乙女の顔ではない。
なんかもう『はぁ? 何言ってんの? こいつ』と言わんばかりの嫌そうな顔だ。
あれ? なんでこんな顔をするんだろう? シャルロッテの顔を見たローズは驚くと言うよりも頭の中が真っ白になった。
「酷いわローズちゃん!! そんな風に思っていたの?」
シャルロッテは開口一番泣きそうな顔でローズに訴えて来た。
二人の仲を誤魔化すと言う感じでもなく、本当に嫌な事を言われたと言う表情だ。
「え? 違うの? いや、てっきりホランツ様の名前を聞いた途端に顔を真っ赤にしたものだからつい……」
「違いますぅ~! あれはただ単に喉が咽ただけよ。誰があんなキザったらしい末成り瓢箪を好きになると言うんですか! ローズちゃんの為だからって協力したのに、陰でこそこそ動いて本当に性格の悪い! あんなのと付き合うくらいなら豚の方がマシです!」
「ちょっと、ごめんってば。あっ! こら抱き着かないでって、誰かに見られたらまた誤解されちゃうわよ」
ベルクヴァイン家でのトイレの悪夢再び!
途中何か重要な事を言っていた気もするが、二人が付き合っていると勘違いされた事に怒ったシャルロッテの迫力にそんな事など吹っ飛んでしまった。
それに「キザったらしい末成り瓢箪」とか「豚の方がマシ」と言う悪口を言われたホランツに同情すると共に、ホランツの事は今の性格含め容姿も結構タイプだったローズとしても、自分の好みを否定された感じでプチショックだった事が理由だろう。
そんなローズは、文句を言った後に凄い勢いで抱き着いて来たシャルロッテを引き剥がそうと必死にもがく。
「へへ~ん、ローズちゃんが悪いんですぅ~。それに今修道院には誰も居ないのよ」
「いや確かにそうだけど、それ関係無く離れて~!」
どうやら今のシャルロッテの言葉は嘘や誤魔化しではなく本心の様だ。
この抱き着きも考えたくはないが愛を感じる。
前世の高校時代、先輩と同性愛が深い困った同級生のじゃれ合いを側で見て来たローズには分かるのだが、この抱き着きにはその困った同級生と同じ匂いがした。
自分はノーマルだとシャルロッテを引き剥がそうとするローズだが、二人が付き合ってないと言う話にホッと安堵の溜息を吐く。
果たして付き合っていなかった事に対するこの安心感は、ホランツとシャルロッテのどちらが強いんだろう?
頭の何処かでそんな疑問に悩んでる自分に笑うのだった。
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