第98話 大切な人

「なるほど。皆に知らせると逃亡扱いで処理される可能性があったから黙っていたのね」


 状況整理は捜査の基本、ローズは生前野江 水流だった頃に読んだ探偵マンガの知識から失踪時の状況を詳しく聞く事にした。

 廊下で話すのも内容が内容だけに、今は近くの客間のソファーに座っている。

 ちなみにイケメン達には少し遅れると通達済みだ。

 そこで聞いた古い使用人の話によると最近屋敷内でのエレナの立場は少々微妙な物となっており、エレナが帰って来ないと言う話を他の使用人が知ると『エレナが屋敷から逃げ出した』と思うのだと言う。


 これに関してはローズもその可能性が高いと思っていた。

 一時はこの屋敷に溶け込み着実に主人公としての地位を築いていたエレナであったが、ローズがビスマルク家より帰って来た日から事態は急変する。

 それまで完璧にこなして来た業務の数々に対して急にミスするようになったのだ。

 当初は疲れているのだろうと庇っていた使用人達も度重なるミスにやがて冷めた目で見るようになっていく。

 その理由は、使用人達の間で一つの噂が広まったからだ。

 これに関してはローズ自身も軽率だったと今になって少し反省している。


 その噂とは『お嬢様の気を引く為にわざとミスをしているのではないか?』と言うモノだ。

 確かにエレナのミスは主にローズの前でのみ行われており、それ以外では今まで通り業務を卒なくこなしていた。

 それにローズもローズで、失敗するエレナを気遣う素振りをするのだから、現在ローズの事を敬愛している使用人達の眼にそう映ってしまうのも仕方が無いだろう。

 だが、ローズとしてはただ単に『そんな事しても元の悪役令嬢に戻らないぞ』と言う意思表明みたいなもので、状況を元に戻そうとするエレナの心を折る為に行っていたに過ぎない。


 その結果、エレナが孤立して行く状況にもローズは気付いていたのだが、当初は思いも寄らぬ副産物として主人公の立場が崩壊して行く様を見てほくそ笑んでいた。

 しかし、いつしかその状況に心を痛めていたのも事実。

 不幸な生い立ちから抜け出す為に必死になっているエレナ。

 余程の焦りなのだろうか、愚直なまでに同じ失敗を繰り返す事によって、ささやかながら屋敷の中で築いていた使用人仲間達からの温もりもその手から零れ落ちて行く事に気付かない。

 ローズはその様を見ていられなくなり、何度アドバイスをしようと思った事か。

 幸いな事に先日の母親の形見破損未遂事件で懲りたのか、それ以降はミスを連発する事も無くなったのでホッとしたのだが、あのまま続いていたら恐らく転生者同士腹を割って話して休戦協定を持ちかけていた事だろう。


 ギリだった。

 本当にローズの胃に穴が開くギリギリの所だった。

 それ程までに野江 水流として人の先頭に立ち弱気助け強気を挫くという学生生活を送ってきたローズにとって、エレナの転落していく姿を傍観する時間は胃がキリキリと痛む案件だったのだ。

 もしやこれも作戦か? とさえ思った事も有る。

 それが解消されホッとしたのも束の間の降って湧いたこの失踪劇。

 『こんなに心配を掛けて、これがなんて事の無いただのお出かけイベントなら覚えておきなさい』と、ローズは心の中で呟く。


「先生。本当に逃亡したと言う可能性も有るんじゃないですか? 最近のエレナはどこかおかしい様子でしたし」


 フレデリカがそう口を挟んで来た。

 しかし、これは一般論でフレデリカ自身はそう思ってはいない。

 なにしろ彼女はエレナの事をテオドールが送り込んで来た工作員だと断定している。

 推測でも憶測でもなく断定。

 最近までは孤児院の院長を陰から操っていた神童時代に比べ貴族界隈の出来事に耳目を広げようとは思っていなかったのだが、ローズに天下を取らせると言う野望が生まれて以降はその頃以上に目を光らせている。

 それによるとどうやらテオドールは数年前からとある地方を治める大貴族と手を組み何やら怪しい動きをしているらしい。

 しかもその背後には隣の大国の影もチラついていたのだ。

 そこに向けてのバルモアの出立と、それに合わせてのエレナの赴任。

 数々のエレナのおかしいな言動も相まって、そう断定するに難くない。

 とは言え明確な証拠は今のところ掴むまでには至っていないのが歯痒い所だった。

 それはエレナが誰かの命令で動いている様なシステム的な行動ではなく、ローズに対する感情が起因となっていると思われたからだ。

 それ程ローズに執着していたエレナが自分が気付かない程綺麗にこの屋敷から姿を消すのだろうか?

 そこが今一つフレデリカの納得出来ないところだった。


 そんなフレデリカの思惑は分かっていないが、エレナが途中でゲームを降りた可能性も捨てきれないローズは特に深読みせずにフレデリカの言葉頷いた。

 しかし、それを見て古い使用人は首を振る。

 

「その可能性も有るかもしれません。現にあの子の部屋に手掛かりが無いか探しに行った時、まるでもう戻らないかのように片付けられていましたので」


 否定する様に首を振ったにも関わらず、出てきた言葉はフレデリカを肯定するものだった。

 しかし、その眼は言葉通りの色を宿していない。

 どうやら古い使用人にはそれを否定する心当たりがあるようだった。


「そうかもしれませんが、でも私はそう思えないのです。あの子が出掛ける前に見せた笑顔。あれは嫌な場所から逃げる時に浮かべるものには見えなかった。むしろ大切な場所……いいえ、大切な人を守る為に死地に赴く覚悟を決めた微笑みに見えたのです」


 古い使用人は先の大戦で幾人ものそう言った騎士達を見送った。

 あの時エレナが見せた微笑みはそれを思い起こさせるものだったのだ。

 気の所為と思いたかった。

 だが、一晩経っても戻らない。

 嫌な予感だけが胸の中に押し寄せて来る。


「死地にって……そんな。それに大切な人って誰の事?」


 ローズは古い使用人の驚くべき言葉の内容を恐る恐る尋ねた。

 主人公であるエレナが大切な者を守る為に死地に赴く?

 そんなイベントなんて知らないし、なにより命を賭ける程大切な人なんて現時点で居るのだろうか? そんな疑問が湧いて来て、一瞬冗談を言っているのだろうかとさえ思った。

 しかし、古い使用人の目は真剣だ。

 嘘偽りを言っている訳ではないのだろう。

 わざわざ『大切な場所』と言う言葉を『大切な人』と言い換えたその口振りからすると、その人物に心当たりが有るのかもしれないと思ったのだ。

 古い使用人は誰であろうローズの事を真正面に見て口を開く。


「それは……お嬢様。あなたです」


「えぇぇぇーーーーーー!」


 ローズは思わず驚きの声を上げる。

 ここが他に誰も居ない客間で良かったと声を上げてから思った。

 そして、心の中で今の古い使用人の言葉をローズは否定する。


 『ないないないない。主人公の大切な人が悪役令嬢? しかも命を賭けて守るなんてそんなの有り得ないって』


 多少仲良くなったとは言え、ハッピーエンドを競い合う敵同士であるのには変わらない。

 死ぬ気になった理由について百歩譲ってゲーム進行を失敗した現状を悲観して自殺……なんて事なら分からなくもないが、それにしても無敵の主人公であるのだから挽回の道など幾らでも見付かる筈だ。

 それなのにシナリオ上やがて没落する事が運命付けられている悪役令嬢の為に命を掛けるなんて事をするだろうか?

 ローズは首を捻る。

 正直な所、自分なら目の前で困っている人が居たら、それがかつての敵だろうと命を張って助けようとする自信は有るが、エレナの中の人もそう言う人種なのだろうか?

 生前のどうしようもないお人好しの性格を把握しているローズは、エレナも似た様な性格の持ち主だったのだろうかと思ったが、現在自分が命を張って守られるほど困っていないので更に首を捻った。


「あ、あの何を根拠に?」


「出掛けるあの子に、お嬢様の言葉を借りて『この屋敷の皆は家族だからもっと頼りなさい』と声を掛けたんです。そうしたらあの子は『分かっています。家族の為なんです』と……。根拠は有りませんが、その時の微笑みはお嬢様に向けられていたと直感しました」


 端から聞くと無茶苦茶うっすい根拠に聞こえるが、古い使用人の顔を見る限りそう信じているようだ。

 ローズは眉唾ながらも取りあえず否定する言葉を飲み込む事にした。


「え~と、皆に内緒にしていたのに私の所に報告しに来たのもそれが理由?」


「はい……。それだけじゃなく、先程アンリの家庭教師をしている頃に誕生日プレゼントとして貰った形見の手鏡が急に割れたのです。アンリがエレナの危機を知らせようとしているのかと思うと居ても立っても居られなくなり……」


 最初にエレナが帰って来ないと訴えて来た時の様な悲痛な顔を浮かべる古い使用人にどう回答して良いのか困るローズ。

 大切な人がローズと言う根拠もだが、心配になった理由も『貰った手鏡が割れたから』と言われても『それは大変!』と、すぐには言い辛いだろう。


 『とは言え、虫の知らせって案外馬鹿に出来ないのよね。それにここはゲームの世界。元の世界よりそう言った不思議な事が起こっても、それこそ不思議じゃないわ』


 元の世界では起こり得ない様な展開を既に体験しているローズは、自分にそう言い聞かせた。

 本を正せば転生自体有り得ない事なのだから。


「分かったわ。その話信じる。私の為に命を張ろうとしてくれているのなら止めないとね」


「ありがとうございます。お嬢様」


 古い使用人の顔に笑顔が戻り、ローズに頭を下げている。

 その姿を見てフレデリカは小さな溜息を吐き口を開いた。


「エレナがお嬢様を守ると言うのは俄かに信じられませんが、お嬢様がそう仰るのなら私も手伝います。まずエレナの足取りですが、お使いを頼んだと言うのならその店に行ったかどうかの確認をすべきですね」


 フレデリカはそう提案した。

 なるほどとローズは頷く。

 しかし、古い使用人は少し困った顔をして首を振った。


「それが、お店には行ったようなの。だけど『少し寄る所があるので』と言って配達を頼んだらしいわ。届けてくれたお店の人がそう言っていたわ」


「う~ん、エレナも律儀ねぇ。じゃあそれ以降の足取りは掴めないって事か。街で聞き込みするしかないのかしら?」


「なるほど……。となると、明確に目的の場所に向かう意思があったと言う事ですか……」


 フレデリカはそう言うと黙り込んでしまった。

 確かに店の人が言う事が本当なら誰かに攫われたと言う突発的な事情に苛まれた訳ではないようだ。

 自分の意志で何処かに向かった。

 しかも、決死の覚悟で……。

 ローズは今になって古い使用人が感じていた不安と同じものが胸に湧いて来た。

 エレナは無事なのだろうか? そんな思いで胸が痛くなる。


「王都から出て行ったのかしら?」


「いえ、その可能性低いと思いますよ。なにしろ貴族家の使用人が外出許可証無く外門を通る際には、そのお屋敷に報告が来る事になっておりますので。まぁ上手く変装されていたらその限りでは有りませんけどね。けれど平民用の通行証を用意するにしても偽造は難しい物ですし、そう簡単に隠れて王都を出入り出来るものでは有りませんから」


「へぇ~そんな風になってるのね。全然知らなかったわ。さすが王都って所かしら」


 ゲームの世界に転生して来た現代人の野江 水流にしても、貴族として生まれて来たローズとしても、使用人や平民の王都の出入りにそんな規則が有る事を知らなかったのでただ感心した。


「じゃあ、何処に行ったのか~? ……あっそうだ! カナンちゃんなら何か知ってるかも!」


 可能性を考えていたローズはそう声を上げる。

 如何に自主的に動いたとは言え、主人公の非常事態に救済イベントが発動する可能性は高い。

 となれば、それはローズ(ハズレ枠)かイケメン(アタリ枠)のどちらかの手によるものになる筈だ。

 今のところ自分がお助けキャラになるか不明ではあるが、もしイケメン達がなるとしたら現在可能性の一番高いのが普段からそれなりの親交が有り、なおかつ幼馴染属性を持つカナンだろう。

 それ以外のイケメン達との間に好感度を高めている様子は見られない。

 ならば、カナンに聞けば何か分かる可能性があるとローズは考えたのだ。

 毎日来ているカナンなら現在ラウンジに居る筈だ。

 ローズは立ち上がり扉に向かって歩き出した。

 そんなローズにフレデリカが呼び掛ける。


「お嬢様、残念ながら本日カナン様はお見えになっておりません」


「え? そうなの?」


 思い付いた自分エライ! と喜んだのも束の間、フレデリカの言葉に情けない顔で振り返るローズ。

 『皆様がお待ちです』と言う言葉で迎えに来たので、ローズはてっきり皆そろい踏みなのかと思っていた。


 『そう言えば、ホランツ様もあの日先に帰っちゃったきり家に来ていないのよね~。二人共毎日来ていたのに一体どうしたのかしら?』


 他のイケメンが居なくともその二人だけはいつも居たので、揃って居ない事に少し寂しく感じた。

 『ホランツ様の去り際の皆との空気がなんだかピリピリしてたし、皆と喧嘩しちゃったのかしらね? 折角のほのぼのお兄さん改め色男枠なのに、皆仲良くして欲しいんだけどな』と、去り際に漂っていた皆の微妙な態度を思い出して溜息を吐く。


 『ホランツと仲が良かったカナンが来ていないのも、それが原因だとしたらイケメン枠が減っちゃうわね。困ったものだわ』


 そんな風にメタ視点でイケメン二人が不在の現状を憂慮しているとフレデリカが口を開いた。


「お嬢様はこのままラウンジにお向かい下さい。かの方達をこれ以上待たす訳にもいきません」


「え? あぁそうね。でも……」


 フレデリカの言葉に素直に頷いたローズだがすぐには動けずにいた。

 確かにこれ以上イケメン達の不興を買って人数が減るのは勘弁して欲しい。

 しかし、かと言ってエレナが居ない事を放っていられる訳もなく、その言葉に乗っかって良いのか思い悩んだからだ。


「お嬢様。エレナ不在はいつまでも隠し通せるものでは有りません。しかし、居ない事に変な噂を立てられるのも避けたいですし、取りあえずお嬢様の名を借りて隣の町にでも出向いている事に致しましょう。その間、私の方でエレナの行方を捜しておきます」


 フレデリカがそう言うと、古い使用人も頷いた。

 エレナの事が心配だが、かと言って私事で貴族様方をこれ以上待たせるのは使用人として許される事ではない。

 神童時代を知らぬまでも以前よりフレデリカの有能さを見抜いていた古い使用人はこの場をフレデリカに託す事にした。

 勿論自分も動くつもりである。


「さすがフレデリカ! それ名案。分かった、取りあえず私はこのままラウンジに向かうわ。それにそれとなく皆にエレナを見なかったか聞いてみる」


 やはり頼れる主人公の相棒だ。

 ローズはフレデリカに感謝しながらラウンジに向かうのだった。

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