第99話 解毒剤

「……と言う訳でよ。母さんがまたわがまま言ってきて困ったぜ」


「まぁ、サーシャ様ったら相変わらずの御様子ですわね」


 ラウンジに着いて暫く後、イケメン達にそれとなくエレナの事を聞こうと機会を伺いながらお喋りに興じていたローズ。

 いつもは楽しいラウンジでの会話も、いまいち乗り切れない気分だ。

 フレデリカの言葉通り、現在ラウンジに居るのはオーディック、シュナイザー、ディノの三人と部屋の壁際に控えている貴族二人の従者達のみ。

 いつものホランツとカナン、それに最近では毎日のように来ていたシャルロッテも今日は居ない。

 特に今はローズ側の使用人であるフレデリカとエレナも居ないので、なんとも寂しいラウンジ風景となっていた。


「……どうした? 何か気になる事でも有るのか?」


 どうやら表面では楽し気を装っていても、幼馴染であるオーディックやシュナイザーには一目瞭然の様だ。

 声を掛けて来たオーディックだけでなく、シュナイザーもオーディックの言葉に頷くように腕を組みながら少々眉をしかめている。


「い、いえ、そう言う訳でもないんですが……」


 そう言い訳をしたのだが、嘘を吐いている事がバレバレであるのは明白だ。

 オーディックは周囲を見渡して溜息を吐いた。


「まぁ、この部屋がこんなに寂しいのは久し振りだしな」


「ごめんなさい、その通りなんです。だからなんだか寂しくて……」


 オーディックの言葉に乗っかるようにそう言ったのだが、どうやら回答を間違えたらしい。

 少しばかりオーディックの顔が不機嫌になる。


「ホランツが居ないからなのか?」


 そう言ってローズの目をじっと見詰めて来るオーディック。

 ローズはその言葉に不意を突かれた。


 『ど、どう言う事? どうしてオーディック様はホランツ様のみを挙げて来たの? 他の方達の目もそれに追随するように目付きが鋭くなったみたい……ハッ! もしかしてこれは……嫉妬? 嫉妬ね! あら嫌だわ。皆あたしがホランツ様が居ない事に落ち込んでると思っているのね。だからそれに嫉妬して怒ってるんだわ』


 ローズは現状を自分の都合の良い様に解釈した。

 目の前のイケメン達は、自分達が居るのに愛しいローズはここに居ないホランツの事を想って憂鬱になっている……と。

 確かにオーディック達が今想っている事は言い方を替えるとそう取れなくも無いがローズが考えている事とは方向性は真逆であった。

 そうとは知らないローズは、イケメン達がホランツに魅了された自分の事を取り戻そうとする苦悩のアレコレを脳内妄想逞しく展開中だった。


 『そんなオーディック様。あんな奴の事は忘れて俺の元に来い! だなんて、『いつか彼氏に言われてみたいセリフ☆ベスト50』の第2位を堂々と言ってのけるなんて! あぁ今度はシュナイザー様!! お前の瞳には俺だけ映っていればいい……ですって? 第8位ごっちゃんです! あらあらまぁまぁディノ様まで……』


「おいっローズ! いきなり黙りこくってどうしたんだ? しかもそんなににやけてよ」


 ローズが自らの脳内で乱れ飛ぶイケメン達による饗宴如きの口説き文句の数々に少々深くトリップしてしまい、思わずそれが表情に出てしまっていたらしい。

 前世含めての今までの人生の中で自らを掛けて奪い合おうとする男性の存在を認識していなかった所為で、少々ハイになってしまっても仕方が無いだろう。

 そんな呆けたローズだが、オーディックの声で慌てて我に返る。


「え? な、なんでもありませんわよ。おほほほ」


 と言って、ジト目で自分の事を見ているオーディック達に言い訳した。

 さすがにわざとらしかったか? と内心冷や汗をかく。


 『ヤバイヤバイ。いつものイケフェス以上にディープにトリップしてしまっていたわ。だって仕方無いじゃない? 男の人達に嫉妬された事なんて無かったんだし』


 そんな愚痴を心でぼやくローズであったが、それは本人の認識として正しいだけで実際はそんな事は無かった。

 輝いていた学生時代、多くの異性だけでなく同性においても彼女を巡る嫉妬渦巻く熾烈な戦いは日々水面下にて行われていたが、自分への好意に対するアンテナがぶっ壊れていた彼女はその様な状態に陥っている事など全く気付かなかっただけなのである。

 表面上その争いが顕在化しなかった理由は、誰にも優しく贔屓などしない彼女に対してある種の紳士協定が結ばれていたからに他ならない。

 それは彼女の優しさが、彼女の事を知れば知る程に自分のみに向かず全ての人に対して平等である事を知るに至ったが為の諦めから来るものだった。

 もし、それでも彼女に対して真摯に向き合って一歩踏み出す勇気を持った人物が居たとすれば、アラサーで独り身と言う未来は変わっていたかもしれない。


 学生時代にそんな裏事情が有った事など知らないローズの愚痴は止まらない。

 今度はローズとしての記憶の中の話である。


 『う~ん、小さい頃から立場的に周りからちやほやはされて来たとは言え、正直お貴族様のお家事のお付き合いばかりだからモテてたって実感は無いのよね。悪女時代は言わずもがなだし。私を巡る男性同士の戦いなんて、それこそ英雄と聖女の娘と言う肩書きに対してものだから正直微妙だわ』


 貴族の恋愛に憧れてはいたものの、当事者になった今は好意の矛先が自分ではなく家名込みの評価にしか向けられていない裏事情を知り、少しばかりがっかりしていた。

 それは今の現状にも言えるのではないだろうかと考える。

 少なくとも『メイデン・ラバー』というゲームにおいての悪役令嬢であるローズを取り囲むイケメン達は間違いなくそうであった。

 ゲーム中のイケメン達の思惑は伯爵家令嬢の婿と言う、やがて手に入る伯爵と言う爵位を巡る敵同士と言う立場でしかない。

 シュナイザーとディノは公式設定で少しばかり違う事情が有るのだが、結局はローズが伯爵令嬢でなければ本来ローズに近寄る事も無かっただろう。

 だからこそ、平民出のメイドと言う本来言葉を交わす事すら叶わない立場である主人公が、伯爵令嬢のライバルとして入り込む余地が有ったのだ。


 『今はどうなのかしら? オーディック様はゲームと変わらない態度だけど、ディノ様やシュナイザー様は明らかにゲームとは違って優しく接してくれている。これは二人のトラウマを解消してあげたからなのかしら? って、あら?』


 あまり長く考え事していてもマズいのでオーディック達に目を向けようとしたところ、三人が何やら目で会話をしているかのように目配せして頷いていた。


「え……っと、どうしました?」


 どうもただならぬ雰囲気を醸し出している三人にローズは恐る恐るその理由を尋ねる。

 すると皆は何も言わず、一人シュナイザーが立ち上がり近付いて来た。


「あ、あの、シュナイザー様どうしました?」


「すまないがローズ。この匂いを嗅いで貰えないだろうか?」


 そう言って懐から陶器で出来た小瓶を取り出したかと思うと、有無を言わさずそれをローズの鼻に近付けてその蓋を開けた。

 その行為の意味が分からないローズは思わず言われた通り思いっ切り鼻から息を吸い込む。


「*%#%#%%%#&&%$$#%%&&!!」


 一瞬の後、ローズは鼻を押さえながら言葉にならない声を上げた。

 まるで脳をガツンと殴られたかの様なケミカル臭。

 前世でまだ小学生だった頃、理科の授業で誤ってアンモニアの原液を直接瓶から匂いを嗅いでしまいその場で悶絶した記憶が脳裏に過ぎった。

 シュナイザーはそんなローズの反応を見て小瓶の蓋をすぐに閉める。

 顔をしかめている所を見ると手を伸ばす距離でも臭いようだ。


「な、なななんんですのそれ? どう言うおつもりなんですか!」


 まだ鼻の中に匂いが残っており身悶えながらシュナイザーに文句を言うローズ。

 なぜこんな事をされたのか意味が分からず頭の中はぐるぐると様々な思考が飛び跳ねていた。


 『シュナイザー様ったらいきなりなんて物を嗅がせるのよ。そんなに待たせたことに怒っていたのかしら。それとも今一人で妄想に耽ってい事に怒ったの? それにしても酷くない? 他の人もなんだか雰囲気がおかしいし、もしかして悪女時代の悪戯の復讐とか? そ、そんな……ホランツ様が居た時はこんな事なかったのに……』


 訳の分からない状況によってどんどん想像がネガティブになっていくローズ。

 最近三人との人間関係が上手くいっていた事も勘違いだったのかと少し悲しくなってくる。


「あ……あれ? ローズ、なんともないのか?」


 オーディックが呆気に取られた顔でそう声を掛けて来た。

 その言葉にどんな言い草だとローズはカチンと来て文句を言う。


「なんともって何ですか! こんなに苦しんでるじゃないですか!!」


 オーディック達はローズの怒った姿に驚きながら顔を見合わせて首を捻っいる。

 そして、すぐさま三人は過ちに気付いたかのような表情になりローズを見た。

 ローズの目には涙が浮かんでいる。

 ローズは信頼していた三人から裏切られたと思い、そのままラウンジから逃げ出す為に走り出そうとした瞬間―――。


「すまんローズ!」

「すまぬ事をしたローズよ!」

「申し訳ありません。ローゼリンデ様……」


 三人は大声で謝罪の言葉を上げながらローズの道を遮るように土下座をして来た。

 思ってもみなかった突然の土下座に水を差された形のローズは、逃げるのも忘れ足を止める。


 『なになに? なんなのコレ。訳分からないわ。三人とも本気で謝ってるみたいだけど、もしかしてさっきのはドッキリだったってこと? 突然扉が開いて大成功って書かれた看板持った人が飛び込んでくるとか? まぁ、そうだったの。それにしちゃかなりのダメージを受けた訳なんだけど……』


 何度も謝る土下座の三人を見ながらどう声を掛けたら良いのか困っているローズ。

 とは言え、このままでは埒が明かないので理由を聞く事にした。


「ほんとにすまねぇローズ」


「もう、それは良いですって。それよりなんんであんな事をしたんですか?」


 先程の悪戯の実行犯はシュナイザーだったが、どうやら主犯はオーディックだった様だ。

 三人を代表して説明してくれるらしい。


「さっき嗅がせた薬なんだが、実はある薬の効果を中和する解毒剤みてぇなものなんだ」


 オーディックは申し訳なさそうにシュナイザーから受け取った小瓶を持ちながらそう説明した。


「解毒剤……? と言う事は、私ってば毒に犯されてたんですの?」


 全く言葉の意味は分からないが、オーディックや他の二人の顔を見る限り嘘は吐いていないようだ。

 どうやら先程の事は自分を助けようとした結果らしい。

 今の説明だけでは納得いかないまでも、裏切られた訳ではない事が分かりローズは少し心が軽くなった。


「……いや、それなんだが……。ローズ、アレを嗅いでなんともないのか?」


「それ先程も聞いていましたが、あまりに臭くて死ぬかと思いましたよ」


 改めて聞いて来たオーディックに再度文句を言うローズ。

 先程の悶え苦しみようを見ていなかったのかとご立腹だ。


「ち、違う。それは普通の反応なんだ。俺が言っているのは、もし想像通り薬にやられていたとしたら、匂いを嗅いだ瞬間解毒反応で記憶が飛んだり酷い場合はその場で気絶するんだよ」


 そう説明するオーディックなのだが、実際あまりの臭さに気を失い掛けたのでローズは微妙な気持ちになる。

 皆が想像していた薬と言う物がどんな物か分からないが、解毒と称するあの匂いを不意打ちで嗅がされたらもし健康だったとしても三人に一人は気絶するんじゃないか? と思わなくもない。

 だが、記憶が飛んだりする事も無く脳にガツンと来たあの匂いの所為で、逆に目が覚めた感じさえする。


「と言う事は……、ん~……どう言う事ですの?」


「う~ん……俺達の想像と違ったって訳だ」


 オーディックはバツの悪い顔をしながら目を逸らす。

 その仕草が意味する所は一つだろう。


「では、匂いの嗅ぎ損だった……と言う事ですか?」


「あぁ……本当にすまん!!」

「すまないローズよ!!」

「貴女の騎士になると誓ったのに私はなんて事を……」


 いつもより人の少ないラウンジの中、イケメン達の謝罪の言葉が響いた。

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