第96話 失踪

「なんですって? 昨日からエレナが帰って来ていない?」


 オズとの再会より一晩経った正午前のひと時、素っ頓狂なローズの驚き声が廊下に響く。

 いつも通りラウンジで既に待つイケメン達の下へと足元軽やかに廊下を歩いていると、悲痛な顔をした古い使用人に呼び止められたのだ。

 その際に『お嬢様はお客様を待たせておられます。火急の要件以外は後にして下さい』との貴族の社交慣習では当たり前であるフレデリカの言葉をローズは遮り話を聞く事にしたのだった。


 何しろその古い使用人はシュタインベルク家の生き字引。

 長年メイド長を勤め上げ古くからある貴族社会における裏と表の仕来りを知り尽くしている人物である。

 その様な人物が客として来訪した貴族子息達の元へ向かう主人を止めたと言うのだから、ただ事ではない筈とローズは思ったのだ。

 それについてはフレデリカも分かっていた。

 先程の言葉は建前と言う奴である、だから言葉遣いも丁寧な物を選んで発せられている。

 これが同僚なら怒鳴り散らしているところだったのだから。

 先輩使用人でありかつてメイドのイロハを教えて貰っていた先生でもある彼女は、この屋敷において神童として振舞う事を決めたフレデリカが唯一頭の上がらない人物である。

 そんな彼女が声を掛けて来たのだから、火急的事態である事は明白であろう。

 ローズが自らの言葉を遮り、古い使用人の話を聞こうとするだろう事を読んでの言葉だった。


 そして、その話はローズが上げた驚きの声の通り。

 昨日からエレナが買い出しに出掛けたまま屋敷に帰って来ないらしい。


「そう言えば、昨日は朝に会ったっ切りエレナの姿を見掛けなかったわ……。フレデリカは知っていたの?」


「いいえ、初耳です」


 元のゲームでは何でも知っているお助けキャラだったフレデリカでさえ知らない事らしい。

 なるほど、確かに緊急事態だとローズは腕を組みながら『主人公が不在? そんなイベント有ったかしら?』と野江 水流だった頃の三徹攻略の記憶を漁る。


「……も居ない……? まさか……」


 ボソッと誰にも聞こえないほど小さい声でフレデリカはその言葉を吐きピクリと眉を動かす。

 そして何やら思案に耽ける。

 それに気付かないローズは失踪する理由を考えていた。


 『う~ん。ゲーム中に館を離れたと言えば、ディノ様の騎士団演習に見学に行くイベントと、街で犬に追い掛け回されているところをホランツ様に助けて頂くイベント。他にもカナンちゃんとの下町お忍びデート。あと記憶喪失になったオーディック様の看病と回復後に一緒にお城に行くのもそうね……あら? 思い出すと結構有るわ。……けど』


 ローズはエレナが館を離れるイベントを色々思い出してはいたのだが、それら全部のイベントが今回に当て嵌まらない。

 例えばイベントが発生すると漏れなくが消費される。

 要するに基本日帰りばかりであり、二日以上も日数が消費されるイベントはそう多くないのだ。

 何しろ折角週頭に設定した仕事による能力値向上の計画にズレが生じてしまうので、早期能力値カンストを目指したローズにとってイベントによる無駄な日数消費は鬼門であった為、各イベントの日数消費は把握済み。

 その事から知り得る限り少なくとも青草の月に発生するイベントの中にはその類のものは存在しなかった。

 既にイベント発生の順番は前後している状況では有るものの、他の数日消費イベントに関しても事前のフラグ立てが必要であり、容易く発生するものではない。

 特にオーディックの記憶喪失イベントは数日泊まり込みだったが、オーディックが記憶喪失になったと言う話は聞いていないし、それどころか本人自身現在ラウンジでローズの到着を待っているのだから有り得ない話だった。


 次にローズが思い出そうとしたのが突発的なバッドエンドだ。

 クソゲーあるあるなイベント盛りだくさんなこのゲーム。

 偶発的に発生する自動生成のアクシデントイベントと言うものが有り、そこで選択を間違えるとゲーム期間中と言えども容赦無く死亡する。

 勿論助かっても無駄に一日が過ぎると言う外道の所業だ。

 もし、それによって死んでしまっていたら日帰りもクソも無いだろう。

 そして、そんな偶発イベントの中には『外出時』と言うシチュエーションも確かにあった。


 しかし、この状況で発生するとは思えないとローズは思う。

 何故ならば、基本的に偶発イベントの内容はローズからの無茶な命令が発端となっており、その結果アクシデントに見舞われると言う物ばかりだったからだ。

 それを知っているが故に有り得ない。

 現在ローズは自分であり、更に無茶な命令などしていない。

 発生原因である自分が動いていないのだからイベントが発生する訳がないのではないか?


 それに一応死ぬまでには数回の選択肢が有り『それら全て不正解の選択肢を選んだ場合』と言う条件がある。

 そしてステータスが高ければ、直接死亡ENDには行かずローズやその時点で一番好感度の高いイケメンが登場してエレナを助けると言う救済イベントが入るのだった。

 現在のエレナは自分より遥かに少ない回数で全攻略した無敵の主人公であるのだから、そんなエレナがイベントで死ぬ筈がない。

 ならば一体……?


「何か心当たりは無いの?」


 ローズは50回プレイでの攻略者である無敵のエレナに対して最悪の事態は無いだろうとは思うものの、それでも不安は拭い切れずにいた。

 現在自分が居るのは隠しルート。

 それにイケメン達とエレナの好感度に関してそう高くないだろうと睨んでいる。

 幼馴染属性を手に入れたカナンにしてもたまに昔話をしているところを見るだけで関係が進展している様には見えないし、ホランツに関しては避けている素振りすら見て取れる。

 他のイケメン達に関しては言わずもがな、大抵のフラグは先取りしてへし折っているのだから、進展しようがないだろう。

 ならば偶発イベントの回答も通常ルートとは異なっていたり、高好感度のイケメン達による救済ベントも発生しないのではないか?

 そんな不安が心に過っていたのだ。


 いかに主人公をバッドエンドに叩き込む事を目指しているローズとは言え、少なくとも幾度かの戦いを経て一度は心を通わした相手であると勝手に思っている。

 ローズの前世である野江 水流的にはそれはもう強敵と書いて『友』と呼ぶに必要条件は満たしており、既に主人公のイベント死による勝利などは望んでいない。


「それは……いえ……あの……」


 そんなローズの考えとは裏腹に、普段優しいながらも毅然とした雰囲気を醸し出す古い使用人だったのだが、今まで見た事も無いような狼狽え方であやふやな言葉を吐くばかり。

 どうやら心当たり自体は有るのだが、言葉にするのを躊躇っていると言う感じに取れる。

 『もしかして、あたしに原因が有るのかしら?』と、ローズは胸をドキリとさせた。


「ねぇ、知っている事を最初から話して貰えないかしら?」


 本当は今すぐ『私が原因なの?』と肩をがっくんがっくんさせながら問い質したいところではあるのだが、相手が高齢であるので自重した。

 一旦冷静な態度を取って、口を濁している古い使用人が言葉を出せる雰囲気を創る事を心がける。

 あまり必死だと、まるで本当に原因に心当たりが有るかのような印象を与えてしまうからだ。

 ローズは取りあえず最近評判のいい聖女スマイルを浮かべ優しく古い使用人の目をじっと見た。

 すると、それが功を奏したのか古い使用人はまるで懐かしい者を見るかのように目を潤ませ口を開く。


「……分かりました、お嬢様。……あの……あの子、エレナはずっと心に闇を抱えていたのです」


「闇……?」


 古い使用人が口にした言葉はローズにとって想定外だった。

 もっと具体的な話をきけると思ったのに、いきなりフワッとした表現だったからだ・

 その為、思わず首を傾げる。

 しかし、改めて思うとその言葉自体には心当たりが有るとローズは思う。


 『エレナは闇を抱えている』


 ……確かにあの日見エレナの魂の慟哭の正体は闇と言えるかもしれない。

 ゲームの主人公と言う立場に生まれながら、少し記憶の覚醒が早かったのだろう。

 将来を知らなければ、それが当たり前と納得していたのかもしれない。

 だが、口少なに語ったエレナの過去は、将来華々しいハッピーエンドが待っている事だけを心の拠り所とするにはあまりにも過酷な環境であったのだ。

 母の病と共に極貧の生活を強いられながらもなんとか生きていたであろう彼女が生きる糧としたのは、やがて対峙するであろうライバルキャラであるローズへの憎しみだけだった筈だ。

 その事を思うとローズはキュッと胸が痛くなる。


「この屋敷に来てからずっと側でエレナを見て来ました。何とかあの子の闇を癒そうとしてきたのですが、私の力及ばず……」


 古い使用人はそこで一旦口をつぐませた。

 その言葉にローズは思わず『その闇はあたしの所為だから! ゲームで数々の煮え湯を飲ませられてきたあたしを憎んでいるだけだから!』と声を出して言いそうになったが、何とか止める事に成功した自分を心の中で褒め称える。

 それと共に『毎度の事ながら本当に驚かされるわ。ゲームの世界なのに登場人物以外の皆もちゃんと悩みながら日々を生きているのですもの』とゲーム制作者の裏設定の緻密さに感心していた。


「ちょっと待って下さい。先生、少しいいでしょうか?」


 突如フレデリカが口を開いた。

 どうやら古い使用人の事をフレデリカは先生と呼んでいるらしい。

 突然話を折られたローズは『いい所で邪魔をしないでよ~』と思いながらフレデリカの方に顔を向けたのだが、フレデリカの顔があまりにも真剣だったので言葉に出来なかった。


「フレデリカ、今それどころじゃ……」


「いえ、それどころです」


 エレナが居ない事態に焦っている古い使用人の言葉をビシッと遮るフレデリカ。

 その迫力に古い使用人は言葉を失った。


「先生。なぜエレナが帰って来ないと言う情報をすぐに知らせなかったのですか? 朝の集会時の点呼も誤魔化されていましたよね?」


「そ……それは……」


 古い使用人はフレデリカの言葉に動揺しだした。

 その態度にフレデリカの目がキラリと鋭くなる。


「それと、前々から気になっておりました。どうしても先生がエレナに向けている感情に関して、普段の新人に対するとは少々異なっているように見て取れるのです。それはどうしてでしょうか?」

 

「うっ……」


 フレデリカの更なる追求に古い使用人は目を伏せた。

 弁明もしない様子からすると、古い使用人とエレナとの関係はただの教育係と新人と言う物ではないらしい。

 訳の分からないローズは混乱する。

 なにしろ三桁回数を超えるプレイ中、自分がエレナであったにもかかわらずこの古い使用人は名称だけの汎用モブ画像でしか登場せず、それに関しても二~三のお小言を言われる程度の関係でしかなかった為だ。

 このただ事じゃない態度はまるで昼ドラのドロドロ展開みたいだとローズは思った。

 暫くの沈黙、古い使用人は真夏だからと言う訳ではない汗が額に光る。

 その間、ずっとフレデリカは古い使用人を睨んでいた。

 とうとう痺れを切らしたのか、フレデリカは怒気を孕んだ言葉で古い使用人に詰め寄った。


「言いたくなければ言わなくても結構です。けれど! もし、それがお嬢様に対して敵となるものならばっ!」


「ち、違います!! そうじゃないんです!!」


 フレデリカの言葉に古い使用人は驚き、慌ててローズに訴えかける様に訴えて来た。

 その眼からすると、どうやらその言葉自体には嘘は無いようだ。

 ローズはホッと胸を撫で下ろした。

 最近仲良くなってきた古い使用人がエレナ側のスパイだったらとても悲しいからだ。


「あの……よろしかったら教えて貰えないかしら? 言える所まででいいわ。居なくなった理由に心当たりが有るのでしょう? もしエレナに何かあったら私も悲しいもの。お願い」


 ローズは古い使用人に優しく問い掛けた。

 勿論聖女スマイルをモリモリで。

 エレナが心配なのは間違いないのだが、半分以上が自らの知的好奇心を満足したい欲求に駆られていたりする。

 その思惑には気付かない古い使用人は、言葉通りに受け取りやがて、一度ふぅと息を吐き顔を上げローズに向き直った。

 その顔はいつもの毅然としたものだった。


「分かりました。……エレナは……あの子は……私の……私の孫なのです」


「なっ! なんですってぇ!!」


 ローズは古い使用人の言葉に声を上げた。

 フレデリカでさえこの情報は知らなかったようで、声は上げないものの顔をしかめている。


 『本当にどうなっているの? プレイヤーのあたしが知らない主人公の秘密が多過ぎよーー!!』


 ローズは心の中で主人公の裏設定を盛りまくっているゲーム制作者にツッコミを入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る