第95話 憎悪

「それは誠か!!」


 男はドライの言葉に思わず大声を上げた。

 想定はしていたのだが、実際に耳にすると想像以上に心臓が跳ねたのに自身が驚く。


「えぇ、シュタインベルク家に潜り込ませていたが、先日これを見つけました」


 ドライは主人の目を剥いた様を見て吹き出そうになるのを堪えながら、そうとは気付かれない様にポーカーフェイスを保ちつつ持ってきた鞄から折りたたまれた布を取り出した。

 男の目には何の変哲もない布にしか見えない。

 もっと分かり易い証拠を期待していた男はドライが取り出した布に拍子抜けしてしまった。


「その布が何だと言うのだ?」


「これはとある国の民族衣装です。頭に巻く物なのですが、手に取ってよく見て下さい」


 ドライはそう言って男の近くまで歩き布を手渡した。

 いまだにドライの意図が分からない男は無造作に受け取り、その布をマジマジと見る。

 絹織りの上等な物には見えるのだが……それがどうした。


「ん? これは……金糸か?」


 手に取った布を広げるとその両端の四隅に金色に輝く刺繍が施されていた。

 その柄は羽ばたく鳥の様に見える。

 何処かでその意匠を見た事が有ったなと、男は思い出そうと首を捻った。


「まだわかりませんか? 金色の鳳の紋章にお心当たりが有る筈ですが」


「なっ! もしや!!」


 やっとドライが言わんとしている事に気付いた男は立ち上がり目を見開き叫ぶ。

 鳥をモチーフにした紋章を掲げる貴族家は多々有れど、金色の鳳の紋章を抱くのはこの国のみならず近隣諸国含めてもそう多い物ではない。

 少なくともこの男の知識では一家しか心当たりが無かった。


「やっとお分かりになりましたか。そうです、それは依頼主様の国に伝わるもので、その材質によって使用者の身分が決められております。大まかに麻は平民、絹は富裕層と言った感じですが、刺繍を用いた装飾が許されるのは一部の上流貴族です。そして金糸を使えるのは王族だけ。しかも金色の鳳は世継のみにしか施されません」


「ど! どこで見つけた!」


 これこそがずっと知りたかった答えその物ではないか!

 男は問い詰める様に身体を机から乗り出した。

 一瞬何故ドライが今まではっきりとは伝えていなかった依頼主の素性を知っているのか疑問に思ったが、浮かれていた男はどこかで語った事でも有るのだろうとすぐに考えるのを止める。


「シュタインベルク家の庭です。人形から聞き出した情報によるとその布の持ち主はローゼリンデと庭で密会していたとの事。そして屋敷の使用人に驚いた持ち主は間抜けにも慌てて逃げる際にその布を落としていったとの事です。逃げるその者は木々の暗がりの中に有ろうとも日の輝きを放たんばかりのプラチナブロンドの髪をなびかせ、陶磁器を思わせる様な透き通る程の白い肌をした男だったようです」


 ドライの語る世継のみにしか許されぬと言う布の落とし主の特徴は、まさに依頼主が探しているオージニアスの特徴そのものだった。

 そこまで条件が揃えばその男はオージニアス本人で間違いないだろう。


「な、なんと……。オージニアスは悪女と接触していたとはな」


 ある意味灯台下暗しと言えるだろうこの報告に、少々呆れた声を出した。

 いや、元より二人の関係を思えば一番可能性が有ったのだ。

 だが、それは既に解消されてから久しい契約。

 それにドライも常日頃から屋敷の内外を調べていたと言う報告を受けていたので、その可能性を排除していた。

 ドライめ、今まで気付かぬとはその目は節穴か? と罵ろうと思ったが、今はそんな事に問い質す時ではないと思い留まった。

 何よりこの事実は男にとってとても都合が良い事であったのだ。


 オージニアスの生存は依頼主にとって自らの地位を脅かす由々しき事態。

 そしてそれはこの国の命運にも関わる事である。

 その様な人物と接触している悪女。

 もしやドライが掴んだと言う王都を揺るがす悪戯とはオージニアスとの密会が関係しているのであろうか?

 男はドライの顔を見る。

 ドライならば今自分が考えている事を読めるだろう、そう考えての事だ。

 そして男の思惑通り笑顔を浮かべ頷くドライ。


 なるほど、そう言う事か。

 やるではないかドライよ。

 先程も話を遮ったのではなく全てが繋がっていたのだな。


 ドライの行動をそう理解した男は満足げに何度も頷いた。

 自ら動くべきとして、これ以上の組み合わせは無い。

 男は今まで待ちかねていた計画開始の最後のピースが填まった事に邪悪な笑みを浮かべた。

 すぐに動くか? ……いや一つ気になる事が有る。


「ちょっと待て、先程からお前の言う人形と言うのは、小男が手配したか?」


「えぇ、そうですよ。彼女はよく働いてくれる良い駒です」


「ふん、言う事を聞くのは暗示の所為だろうに」


「はははは。嘘は言ってませんよ。と共に優しく諭すだけですから。これはあなたに教わった技能ではないですか」


 ドライの言う通り、これも男が教えた技能の一つだ事だった。

 ある種の精神に作用する薬を嗅がせ巧みな話術によって相手の心を支配すると言う洗脳術。

 男の家に代々伝わる貴族の闇を現すが如き恐ろしい技である。


「まぁいい。それよりも今の話は小男には漏れてないだろうな?」


 男が気にしているのはその事であった。

 小男とは男と同じ王国内に領地を所有する領主である。

 だが、身分としては男より随分と爵位は低い。

 その為、普段は主従の様な関係ではあるのだが、男は自分以上に抜け目が無い性格をしている小男に対して、心を許す事など出来ぬ油断のならない相手だと分析していた。

 もしオージニアスの行方を小男が掴んだのならば、自分を出し抜いて先に依頼主と接触し名誉を掠め取ろうとするのではないか?

 男はそれが気掛かりだったのだ。

 知られたのならば、小男より先に動く必要が有る。

 男はドライの回答を焦りながら待った。


「安心して下さい。小男側には漏れておりません。それに現在人形はとある場所に隔離して外部との接触を断っております。面倒は私の部下が見ておりますので問題有りませんよ」


「そ、そうか……安心し……。いや、それはそれで問題ではないか。使用人が居なくなるとならばシュタインベルク家が動くのではないか?」


「あぁ、その事でしたら。最近ついローゼリンデに対する憎しみを煽り過ぎてしまいましてね。どうやらローゼリンデに反抗的過ぎる態度に他の使用人達から煙たがられていた所なんですよ。人形が居なくなった事に対しても夜逃げした程度にしか捉えないでしょう」


「なるほど……。ふむ安心したぞ」


 男は安堵の溜息を吐く。

 浮かれている男は今の言葉の矛盾にさえ気付かない。

 本来今まで悪女に虐げられていた使用人達が、その悪女に対して反抗的態度を取る使用人を英雄視する事は有れど煙たがる筈もなく、それが突然居なくなったとすれば大騒ぎになるだろうと言う事に。

 ドライは思考の誘導が思いの外上手くいっている事に心の中でほくそ笑んだ。


「だがしかし、あの小娘は利用価値が有る。来るべき日の為に丁寧に扱っておけ」


 小男から聞いた話が本当ならば、憎きバルモアを栄えある英雄としての舞台から引き摺り落とすのに十分な生きた証拠となろう。

 下手に傷付けでもして恨みを買われると元も子もない。

 バルモアは大戦の折に我が成す筈だった大いなる戦功を掠め取ったのだ。

 そして暗愚なる王は自らの目や耳を使う事もせずに、ただバルモアの嘘に塗れた言葉を盲信し、事もあろうに四英雄筆頭の名誉を与えた。

 思い出すだけでも腹が立つ!

 まずはバルモアの名誉を地に落とし、そして依頼主の力を借り暗愚な王に復讐するのだ。

 男の邪悪な笑みは悪魔のソレに変っていく。


「それは勿論ですとも。彼女はとても大事にしておりますよ」


 悪魔の笑みをする男にドライは思わせ振りな含み笑いをしてそう返した。

 その言葉を聞いた男は、少し機嫌が悪い顔をすると溜息を吐く。


「ふん、言っておくが領地に居た頃のように相手が女だからと言って、あの小娘に手を出すのは止めておけ。あれは世間の目にお前が女好きの愚か者だと思い込ませる為のただの芝居だ。本来はお前の様な者が貴族の娘などに触れて良いものではなかったのだからな」


 一瞬眉をピクリと動かしたドライだが、にっこりとほほ笑み「承知しております」とだけ返す。

 その態度に違和感を覚えながらも、これ以上の問答で無駄に時間を費すのが勿体無いと考えた男はドライから目線を外した。


「よし! では早速連絡を……」


 すぐに報告を隣国で待つ依頼主にお届けせねば!

 男は机に戻り、引き出しから羊皮紙を取り出して今聞いた事を書簡として纏め始めた。


「ドライ! お前を栄えある使者として任命してやろう。この書簡を何としても守り抜きあの方に届けるのだ」


 依頼達成の使者として直接すれば、あの方への覚えも良くそれなりの褒美を貰えるであろう。

 それをそのままドライにくれてやる。

 それが私からの褒美としようじゃないか。

 自らの懐が痛まぬこの妙案に男はほくそ笑んだ。


「あぁ、待って下さい。本日戻りましたのは、報告とは他に少々厄介事が発生してしまったので、そのご判断を仰ぎたく直接参ったのです」


「は? 厄介事?」


 我が世の春の到来に浮かれていた男はドライの言葉に冷や水を掛けられたかの様な感覚にとらわれる。

 ドライには工作員として徹底的に鍛え上げてきた。

 それはただ単に言う事を聞くだけの道具ではなく、目的達成の為には潜入先でも独自の判断によって動く知恵も教え込んで来たのだ。

 そのドライが判断を仰ぎたいと言って来た。

 よもや小事な訳ではあるまい。

 男は恐る恐るその厄介事と言う理由を尋ねた。


「厄介事とはなんだ? 言ってみろ」


「それでは報告させて頂きます。どうやら人形は証拠を持ってくる際に後をつけられていたようなのですよ。その所為で運悪く話を聞かれてしまいましてね。現在その者も人形と同じ場所で監禁しております。その者に対しての処置のご判断を伺いたいのです」


「後をつけられていただと? くそっ使用人の訓練を受けてとは言え、やはりただの小娘と言う事か。バカめ……。しかし、捕らえたのなら何を迷う? 口封じに殺してしまえばいいではないか」


 後をつけられていたと言う事は間抜けだが、既にその者を捕らえたと言う。

 それならばなぜ殺さない? そうすれば問題無かろうに。

 男は何故その判断をドライがしなかったのか首を捻った。

 ドライが判断し兼ねる相手……?

 あっ……!


「も、もしかして悪女か?」


 その問いにドライはくすりと笑った。

 

「えぇ、そうです。悪女は悪女なのですが、の方なのです」


「ハァ?」


 ドライの言葉に男は間の抜けた声を吐いた。

 もう一人の悪女だと? 誰だそれは?

 いやいや違うぞ? 何を今更な話だ。

 この王国には悪女が二人いたではないか。

 一人はシュタインベルク家の愚女。

 そしてもう一人は、先程ドライの人見の才の優秀さを比べた者の令嬢の事だ。


 …………。


 いやいやいや……そんなまさか!


「もしや! ビスマルク家令嬢か!!」


「はい。どうやらお忍びで街に繰り出していたシャルロッテ嬢が、たまたま街を歩く人形を見掛けたらしく声を掛けようと追い駆けていたようですね」


「ば、馬鹿な! ビスマルク家令嬢と言えば人事院の重鎮カールの娘だぞ! なんと言う事だ……伯爵令嬢を拉致なぞとは。 なんて事をしてくれたのだお前は!!」


 町娘ならいざ知らず伯爵家の令嬢を拉致などすれば王宮が間違いなく動く。

 しかも人事院重鎮ともなれば軍さえ動き兼ねない。

 そうすれば、自分の計画などあっと言う間に露呈するではないか!

 男はドライの元に駆け寄り、その襟首を力の限り掴み上げる。


「落ち着いて下さいご主人様。すぐには判明しない様に手は尽くしておりますよ。丁度その日はシャルロッテ嬢は地方の修道院へと出向く予定だったようです。既に馬車の御者や修道院の者達は買収済みですので口裏合わせは出来ております」


「そ、そうか……。しかし悪女が修道院に行くだと? 一体何故なのだ?」


「それが最近のローゼリンデに触発されたのか、シャルロッテ嬢は先頃本当に改心いたしましてね。まぁ彼女自身ローゼリンデへの愛憎から悪女を演じていたきらいが有りましたし。その罪滅ぼしの為に暫く修道院で奉公をするつもりだったのでしょう」


「ふ~む……それならば問題が無いか……」


 男はドライの言葉に安心して掴んでいた襟を放した。

 そう言えば二人の悪女が仲直りしたと言う噂も届いていた事を思い出す。

 すぐに計画がバレる事態は免れたものの、それも時間の問題である事には変わりない。

 暫し考えた男はドライに対して命令を下す。


「だが、いつまでも誤魔化せるものではないな。何しろカールの目は聡い。娘心配で視察などされたらマズいだろう。そうなればお前が王都に不在と言う事すら手掛かりとなりかねん。仕方無い使者の件は取り止めだ。ドライよ! 今すぐ王都へ戻りビスマルク家令嬢に洗脳を施し傀儡とするのだ」


「御意に、それではすぐに戻ります」


「お、おい! 待て……まだ話が……」


 男の制止など聞こえていないかのようにドライはすぅっと部屋を出て行った。

 あまりにも素早い行動に男は放心したようにドライが出て行った扉を見詰める。

 奴は本当にそれだけの判断を貰う為にわざわざここまで来たのか?

 それくらいの判断など幾らでも出来るだろうに、休まず早馬を飛ばしたからと言って王都からこの地は往復に三日は掛かる道程なのだ。


「まぁ相手は伯爵令嬢。しかも人見の才を持つカールの娘か……」


 一流の工作員とは言え、卑しい孤児出ならば伯爵家を相手する事など恐れ多くて判断を仰ぎたくなる気持ちも分からないでもない。

 だが、それ以上にこの事態を招いた失態はそう易々と拭えるものではないだろう。

 いくら既にバレない様に手を回しているとは言え、それ相応の罰を与えるべきだ。


「ちっ、罰が怖くて逃げる様に帰って行きおったのか」


 机の上に広げられた布を手に取り、男は吐き捨てる様にそう零した。

 折角のドライが入手したオージニアスの手掛かりだが、そのドライのヘマの所為ですぐに動く事が出来なくなってしまった。

 今王宮に警戒されると全てが水泡に帰す事態になる。

 慎重に時期を伺わなくては……。


「くそっ。次の報告を待つほかあるまい」


 そう言って男は唇を噛み締める。


 この男は本来武勇に優れるだけでなく狡猾で権謀術数に長ける人物であった。

 だが、目先の利に目を奪われ浅慮の判断しか出来なくなったのは老いによるものだろうか?

 いや、そうではあるまい。

 ついに男は部屋に残る微かな薬香に気付く事はなかった……。

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