第87話 色男

「そう言えば聞いたよ。急に陛下に呼び出し食らったんだって? 大変だったねぇ~」


 時期外れの『王城からの召喚状』イベント騒動の明くる日。

 既にローズは屋敷に戻っており、日課であるイケメン達とのお茶会に興じていた。

 と言っても、現在この場にいるメンバーは遊んで暮らせる財を持つ悠々自適な公爵家三男のホランツと……。


「お姉ちゃん大丈夫だった? 城の人達に怒られたりしなかった?」


「えぇ、大丈夫だったわよ」


 心配そうな顔をしながらローズを上目遣いで見て来る従弟のカナンの二人だけ。

 ローズは目をウルウルさせているカナンに笑顔でそう答えた。


 自分が倒れた事はあの場の居た四人と国王達だけの秘密となっている。

 実は改めて三人と心を通い合わせたあの後、国王達が血相変えて部屋に飛び込んで来て、少しばかり騒動が起こったのだった。

 その騒動とは無事に目が覚めたローズを見て喜んだ国王達は、倒れるまで追い詰めた事に負い目を感じたのか再び『やはりバルモアを呼び戻すべきだ』と言い出した。

 しかし、その提案をローズはまたもやきっぱりと断る。

 そして自分が倒れた事について、父はおろかこの場だけの秘密として貰う様に頼んだのだった。

 自分が心労で倒れた事で、生死が関わるような場所で日夜職務に励んでいる父に要らぬ心配を掛ける事は出来ないと言う想いと、謁見の間に呼び出された貴族がその帰りに倒れると言う事実はある意味王宮を巻き込むスキャンダルとなるからである。

 ただでさえ自分の預かり知らぬ所で広がっていく称賛の噂に戸惑っている現状であるのに、ここに来て再び悪評を広め兼ねないこのスキャンダルはどうしても避けたいとローズは考えたからだ。

 この言葉に国王以下その場に居た重鎮達は冷静になった。

 確かにこれはスキャンダルだ。

 だが、国王達とローズの間には大きな認識の違いが有る。

 自己評価が低いローズにとってこの悪評の噂は最近湧いた好評の噂を塗り潰す物と捉えていたが、国を担う者達には既に聖女や守護天使とまで謳われ出したローズへの民の想いはその様な物で覆る訳も無く、逆に王宮がローズを苦しめた所為で倒れたと国に対して恨む者が出てくるだろう事を懸念していた。

 それはかつてのアンネリーゼの悲劇を想起させる出来事であり、ただでさえローズを中心として内外の火種が燻ぶり出した昨今の情勢において、この出来事が国を揺るがす大惨事への呼び水となると考えたのだ。

 幸いな事に、謁見の間においての今回の様な出来事はそれなりに有るものである。

 貴族達の名誉を守る為や、王宮の醜聞の拡散を防ぐ事が目的で、謁見の間においての公務の際は謁見の間付きの使用人以外の者の人払いを行っていた。

 その為、謁見の間を出たすぐ後に倒れたローズの事を知っている者は多くない。

 緘口令を敷く事だって容易いのだ。

 ローズのからの提案に国王達はホッと胸を撫で下ろすと共にローズへの更なる助力を心に誓う事となる。




「それで陛下からどんな事を言われたの? 気になるなぁ~」


 ローズが昨日あった事を振り返っていると、ホランツが流し目をしながそう尋ねて来た。

 ほのぼのお兄さんキャラではないホランツは、色男キャラが織りなす色気をムンムンと出しており、少しばかりその色気に当てられたローズは顔を真っ赤にして慌てる。


「え? あ、あの。あはははは。大した事ではないんですよ? 陛下はお父様を国境に派遣した事を気にしておられて、一人残る私に何か困っている事が有るなら申してみよって、そんなお話でしたわ」


 緘口令の事も有りローズはそう誤魔化した。

 とは言え、これも大筋から離れている訳ではなく、おおよそ最後にはその様な話に落ち着いたのだから問題無いだろう。

 記憶が戻った事に関しては今の所これ以上広めるつもりは無かった。

 これも緘口令によるものなのだが、陛下にもフレデリカ達にも記憶が戻ったら悪女に戻るのか? なんて心配をされたのだから噂が独り歩きして『良い子ちゃん振ってたのは記憶が無かったから』と言うある意味事実な伝聞が広まると厄介だと考えたからである。


「ふ~ん、それだけで謁見の間に伯爵令嬢をお呼び出しねぇ~」


 ローズの回答を信用しているのか居ないのか、ホランツは顎に手を当て首を捻る。

 そして、更に続けた。


「で、陛下のお言葉にローズはなんて言ったの?」


「え? あ、あの……それは……」


 ローズはホランツの問いに言い淀む。

 誤魔化そうとする為ではない、ただ単に答えを持ってないからだ。

 最終的に先程の言葉に落ち着いたとは言え、謁見の間で行われた問答は尋問から始まったからだ。

 しかも、その主旨は改心したのは誰がの差し金か? と言う物であり、そしてその目的はいまだ語って貰っていない。

 その後は記憶を取り戻すと言う騒動が起こった所為で、有耶無耶のまま終わってしまったのである。

 その際国王は詫びの意味を込めて幾つかの援助を申し出たが、バルモアの帰還含め全てローズは断っていた。

 これは自立の意味も有るのだが、少々打算が働いている。

 要するに国王への貸しと言う奴だ。

 真のローズとなったとは言え……いや、だからこそ権謀術数が渦巻く貴族社会の生まれであり、また常に困難をその才覚で打ち砕いて来た野江 水流は敢えてその場で何かを望むと言う事をしなかった。

 今後何か困難に陥った場合の切り札になればと保険を掛けたのである。

 その思惑を知らない国王や重鎮達は、その言葉にいたく感動していたがそれもローズの作戦の内であった。

 とまぁ、そう言う少々後ろめたい打算も働いていたので、ホランツの問いに言い淀んでいたのだ。


「おほん。ホランツ様。お嬢様が困っておりますのでそこまでで勘弁して頂けませんか?」


 困るローズの助け舟として後ろに控えていたフレデリカが声を上げた。

 この部屋にはローズとホランツとカナンの三人のみではあるが、通常貴族のお茶会において使用人は数には入れない。

 その為、ホランツとカナンの使用人がそれぞれの後ろに控えており、ローズもフレデリカ以外にこのゲームの主人公であるエレナも連れていた。


「なっ! たかが伯爵令嬢のメイド風情が公爵家に対してその様な口を!」


 ホランツの後ろに控えていた使用人が、伯爵家の一使用人であるフレデリカの無礼とも取れる言葉に敵意を露わにした。

 この使用人は伯爵家に仕える名誉を誇りとしていたが、兼ねてから伯爵家令嬢のローズに対して、三男とは言え爵位が上の公爵家のホランツがまるで媚を売るような真似をしている事に対して苛立ちを募らせていたのだ。

 ただこの使用人も自らの主人であるホランツが本当に媚を売っているのではなく、恐らく跡取りがこの令嬢以外居ないこの伯爵家に取り入り養子縁組で自らが伯爵を継ごうと画策をしているのだろうと言う事は分かっているのだが、だからと言ってその使用人にまで好き勝手を許す謂われはない。

 いつもは計画の為に耐え忍んでいる主人の手前抑えていたのだが、ここ最近のフレデリカの達観した様な態度が気に入らず、思わず文句が口に出てしまった。


「はははは、キミ~そんな事を言うもんじゃないよ。ごめんね~フレデリカ。ちゃんと言い聞かせておくから許してくれよ」


「なっ! ホランツ様!」


 主人の口から飛び出した言葉に使用人は耳を疑った。

 自分の言葉に賛同しないばかりか、身分が下である伯爵家の、しかも一使用人に謝罪したと言うのだ。

 更に主人は折角主人の名誉の為に抗議した自分が悪いと言ったのだ。

 使用人は悔しさからギリリと唇を噛んだ。


「いえ、こちらこそホランツ様に失礼な言葉を申したのは確かでございます。大変失礼いたしました」


 使用人の憤怒の眼差しを意にも返さず、涼しげな表情のままフレデリカは頭を下げる。

 そして顔を上げた時、使用人はフレデリカを見て小さい悲鳴を上げた。

 何故ならば顔を上げたフレデリカの顔には笑顔が浮かんでいたからだ。

 しかし、その笑顔は文字通りの意味ではなく、絶対的強者の立場である捕食者が獲物に向ける無慈悲なであり、使用人はまるで自身の事を蜘蛛の巣に掛かった哀れな蝶になったと錯覚した。


「ほらほら、フレデリカは怖い子だからね。キミも気を付けた方が良いよ~。彼女を敵に回さない方が得策だ」


 ホランツが凄みのある笑顔を向けられている使用人に笑いながら忠告した。

 怯えている使用人も言葉自体何を指すのかは分からないが、本能的に意味を察してコクコクと頷いている。


「エレナもこんな怖い先輩が居ちゃ大変だねぇ~」


 不意にホランツが後ろに控えていたエレナに心配する様にそう声を掛けた。

 ローズは思ってもみなかったその言葉に驚き声を上げる。


「ホランツ様? いつの間にエレナと仲良くなったのですか?」


 ゲームとは違う劇的な出会いを果たした二人では有るものの、ローズとしても注視していたつもりなのに、ここまで気安く語る仲になっているとは思わなかったのだ。

 色男とほのぼのお兄さん、ホランツのキャラに違いは有るものの今のやり取りはゲームの中でも似たシチュエーションが幾度かあった。

 怖い対象は勿論フレデリカではなく悪役令嬢のローズだったのだが……。

 ローズはちらりと後ろのエレナに目を向けた。

 もしかしたら既に恋仲に落ちているかもしれないと思ったからだ。

 もしそうだった場合、好きな相手から気遣って貰えたのだから恐らく頬を染めているだろう。


 『本当にいつの間に! やっぱり無敵の主人公油断ならないわ!』


 改めてエレナと言う主人公の恐ろしさを実感したローズであったが、エレナの顔を見た途端その実感は驚きの声と共に掻き消えた。


「あ……あれ?」


 ローズは自分の目を疑った。

 頬を染めているだろうと思ったエレナは、想像の真逆の表情を浮かべていたからだ。

 最近輝くばかりの笑顔を見せなくなったエレナだったが、今のエレナの顔はもっと酷い。

 目を伏せ唇を噛みまるで何かに怯えているように身体を震わせていた。

 しかし、ローズの声に反応しチラと目が合った途端、また最近見せる暗い表情に戻る。


「大丈夫エレナ? 気分でも悪いの?」


 今の態度を不思議に思ったローズは思わずエレナに声を掛けた。

 明らかにただ事じゃない。

 何が有ったと言うのだろう?

 ローズは色々と考察するが答えが出ない。


「大丈夫です。お嬢様。申し訳ありません」


 エレナはそう言って頭を下げたが、顔色は真っ青だった。

 やはり気分が悪いのだろうか?

 それとも風邪にでも罹ったのか?

 心配になったローズはエレナに休ませようと考えた。


「エレナ、今日はもう上がりなさい。それと医者を呼ぶから診て貰って」


「い、いえ大丈夫です。お気になさらないでください」


 エレナは間髪入れずに断って来たが、そう言う訳にもいかない。

 文化レベルが中世ヨーロッパ程度のこの世界、風邪と言えども油断ならない病気である。

 ローズにとってエレナは敵ではあるが、だからと言って死ぬ事なんて望んでいなかった。

 このままだと押し問答になると判断したローズは立ち上がりエレナの肩に手を当てた。


「ダメよ! エレナ。これは私からの命令と取りなさい。あなたは今すぐ仕事を上がって休むの。良いわね?」


 エレナは最初肩のに乗せられた手から逃げようとしたが、ローズの迫力に押されて「はい」とだけ頷き慌てて部屋から飛び出していった。

 あの様子から本当に言う通りにするのか気になったローズはフレデリカにエレナの面倒を見る様に頼むと、フレデリカは一瞬眉を顰めたが「はぁ」と小さく溜息を零し「かしこまりました。お嬢様」と頭を下げて部屋から出て行った。


「おやおや大変だねぇ~」


 出て行った二人を目で追う様に扉を見詰めているホランツがそう言って肩を竦める。

 その態度に少しだけ元のゲームとの違いを感じた。


 『そう言えば、ホランツ様ルートのイベントで体調を崩したエレナが部屋を飛び出すシーンが有ったわ。その時ホランツ様は血相変えてエレナの後を追うの。そしてホランツ様はエレナを看病するんだけど、逆にエレナの風邪を貰っちゃう。その事実に恐れ多い事とエレナはホランツ様に土下座するんだけど、ホランツ様は何も言わず優しくエレナを抱き上げてキスするの! その時のセリフ『風邪はうつすと治るんだって、だから二人でうつし合えば早く治るよ』は屈指の名シーンなのよね~』


 そうなのだ、今のシーンは多少違う所があるとは言え、体調を崩したエレナが部屋を飛び出すと言うシチュエーションに沿っている。

 しかし、ホランツは後を追う真似をしない。

 と言う事は、まだホランツとエレナの間には恋愛フラグが立っていないのでは?

 そうローズは解釈した。

 ならば先程のエレナの態度も納得がいく。

 それはやはりホランツの態度。

 ほのぼのお兄さんキャラのホランツが同じ顔で色男キャラになっているこの世界。

 元のホランツを知っていれば知っているほど違和感を抱くだろう。

 自分的にはありよりのありだった為、色男ホランツもすぐに受け入れる事が出来たが、色男キャラが苦手な者にとっては気持ち悪いと思っても仕方が無い。

 恐らくエレナの中の人はそう言う人種なのだ。

 だから先程の怖がっている様なエレナの態度は、ホランツの色男振りにサブイボが立って震えていただけかもしれない。

 うんきっとそうだ! とローズは心の中でポンと手を打った。


 『じゃあさっき大丈夫と言っていたのは本当だったのかもね。フフフ。けど用心に越した事は無いわよね。だってエレナのお母様は……』


 ローズの脳裏にはあの日の慟哭が浮かんでいた。

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