第86話 これから歩む姿

「皆様には謝らなければいけない事が有ります」


 ローズはこの場に居るオーディック、シュナイザー、そして今自分のシーツに顔を埋めて泣いているフレデリカにそう告げた。

 その表情には意を決した想いが込められている。

 オーディックとシュナイザーは、今まで見た事が無いようなローズの真剣な瞳に息を呑み、フレデリカはその顔を上げ敬愛する主人を見詰めた。


「そんな改まった言い方するなんて一体何事だ?」


 ローズと付き合いが一番長いオーディックだが、初めて声を交わしたアンネリーゼの葬儀の日にまで遡ってもこれ程思い詰めた顔を見た事が無かった。

 幼きあの日、心配して声を掛けた自分に、泣くのを我慢して唇を無理矢理への字にして『強いレディになる』と啖呵を切った時も、どんな事でも泣かない令嬢が主人公の物語にカブレた時も、皮肉屋の主人公が悪い相手を懲らしめると言う物語にカブレた時も、王都にやって来たサーカス団に居た東洋の剣士『サムライ』にカブレた時も、……性根の腐った令嬢が悪の限りを尽くすと言う貴族を揶揄したご禁制の物語にカブレた時も……、そんな過去のローズを振り返っても覚えが無かった。


 改めて思い越しても『よくもまぁ、こんなにダメ人間の方向に進むものだ』とオーディックは少し呆れたのだが、『それを止めなかった自分が悪い』と言う事を思い至り少々胸が痛む。

 それでも『シャルロッテ嬢に対抗する為とは言え、なんで強い女性を目指すのに勧善懲悪の英雄小説やそれこそアンネリーゼ様の伝記を参考にしなかったのか』と心の中で溜息を吐いた。


 だが、それは過去の日の事とオーディックは今のローズを優しく見詰める。

 バルモア出立の日、突如ローズはまるで生まれ変わったかの様に、言葉、仕草、美しさ、そして魂の輝き……。

 その全てが、ローズに対して求めていた自身の理想など遥かに超える存在へと姿を変える。

 オーディックにとってその変化は喜びであり……悲しみであった。

 何故ならば彼女だけを見続けていた自分の目でさえ、その変化へと至る兆候を感じる事が出来ないまま、完成された最高の貴族令嬢の姿で目の前に現れたからだ。


 切っ掛けは分からない。

 自分の言葉で変わったのではない事だけは分かっている。

 ならば自分以外の者の言葉か、それとも自分自身の意志なのか、またもや何かの物語にカブレたのか。

 少し伺い知れるのは、変わったその日に何らかの記憶障害に陥ったるのでは? と言う程度だ。

 そこにが彼女の心に影響を与え、ローズは今の姿に変わったのだろうと……。


 しかしながら、それは常に彼女の側に居た自分の存在など、彼女にとって心変わりを起こす因子には成り得なかったと言う事実に他ならないのではないか?

 その不安が日々脳裏を過り、大いなる哀しみに苦しんでいた。

 ローズは自分の事など必要としなくなり、その影響を与えたの元へ去って行ってしまうのではないだろうか?

 そんな疑心暗鬼によって育った恐怖に怯え、少しでも自分の存在感をアピールする為に足繁く通い、彼女が自分の事を見てくれるように働いた。

 しかし、彼女はそんな自分の働きなど然程の影響も無かったのでは? と思えるような素晴らしき事を次々と成していく。

 まずは自身の屋敷の使用人達。

 長年の悪行が祟り、あれ程嫌われていたローズだったにも拘らず、一ヶ月も経たぬ内に命まで捧げると言わしめる者達が一人や二人ではなくなった。

 命までとは言わぬまでも、全員が今の彼女に心酔しているようだ。


 今までローズの事を好きだと想っている人間は、その父バルモアを除けば自分だけだと思っていた。

 いや、数年前に策略によって命を絶たれようとしていた所を救出した古き友オー……オズが唯一のライバルとなるかもしれないと、少しばかり頭を悩ましていた程度だ。

 しかし、いつの間にか茶会と称しローズの元に集うシュナイザー、ディノ、ホランツ、カナン達もそれまで宿していた打算の芝居を捨てて好意を露わにしている。

 それどころか、今では王都中ローズへの称賛の声が噴水の様に溢れ出しているではないか。


 オーディックはローズにとって自分などもう必要とされていない、そう悟り絶望した。

 しかしながら、それは勘違いだったとローズ本人から光を貰ったのだ。


 もうオーディックは迷わない。

 いま彼女が何を告白しようと、自分は彼女の側から離れず守り続けよう。

 邪魔だと言われようが、誰か想い人が出来たと言われようが、それならば彼女の前から消えただの影となり果てても、その身を守ろうと心に決めたのだから。


 だからオーディックはローズからの言葉をただじっと待つ事にした。



「ふん。ローズが今更何を言おうと気にする様な俺達じゃない。言ってみろ」


 少々ぶっきらぼうな言い方だが、その言葉通りシュナイザーもオーディックと同じ心境である。

 彼は今でこそローズの事を敬愛してやまないが、つい最近までは彼女の事を自分が一人の貴族、そして過去の弱い自分と決別し一人前の男として歩む為に乗り越えなければならない過去の亡霊と思っていた。


 『情けない男』


 幼き日にローズより言われたこの言葉が彼の歩む人生を決定付けた。

 今では貴族の鑑と呼ばれる事も有る程の彼なのだが、幼少期は今と異なり身体も弱く頭も悪い。

 悲しいかな、ローズが放った『情けない男』と言う言葉がとても似合う男だった。

 しかしながら宰相を父に持つ家柄である為、誰からも面と向かってその様な悪口を言われた事が無く、彼の心を大きく傷付ける事となる。

 だが、彼はそこで終わらなかった。

 貴族として脈々と受け継がれたプライドがそうさせたのか、若しくは自覚はないが確かに初恋の人であったローズを振り向かせたいだけなのか。

 彼はローズから『情けない男』を撤回させる為に寝る間を惜しんで勉学に励み、そして自らの身体を鍛え上げた。

 自身を自ら虐める様な鍛錬の日々、そしてローズから日々放たれる数々の暴言。

 いつの日からか始まりであった淡い想いは姿を変え、自らのトラウマとしての存在、悪しき敵、乗り越えるべき障害、憎しみの象徴と成り果てていたのだ。


 彼の目に映るローズは過去から這い寄る悪魔の姿となり自らを苦しめる。

 そんな悪夢を幾度見た事か。

 努力の結果、周囲の者達は彼の事を『天才だ』『貴族の中の貴族』『王国の未来を担う希望』、数々の称賛の言葉を以ってそう評価していた。

 誰も『情けない男』と彼を呼ぶ者はいない。

 しかし、それらの言葉は彼の心には届かなかった。

 彼の心にはローズと言う扉が存在していたからだ。

 それは『歪んだ承認欲求』と言う名の憎悪であり、その力の源は自身でさえ忘れたローズへの恋心。

 それを燃料として憎悪を燃やし、どの様な称賛の言葉もその扉まで辿り着くまでに灰と化した。

 この誰の言葉も通さない扉を、開く事が出来る鍵は一つだけ。

 ローズによるトラウマの懺悔。

 自分がして来た努力への称賛。

 そして、なにより自分の目をまっすぐと見てくれる事。

 それがシュナイザーの心の扉を開く鍵であったのだ。


 ゲーム本編ではローズから幼き日と同じ暴言の数々を受けたエレナへの同情心を恋心と勘違いしやがて恋仲となるのだが、エンディングで語られる幸せな結末より少し後の事、彼は悪夢にうなされる事となる。

 それは長年の宿敵であったローズが、伯爵家廃爵によって絶望の淵に落ち屋敷を去る時の情景だった。

 当時の彼はその姿に積年の恨みの留飲が下がる思いで見ていたのだが、日々自身の『歪んだ承認欲求』がローズへの恋心であった事に気付き始めたのだろう。

 彼はやがてその悪夢によって心を壊し破滅の道を歩む事となる。

 それは、まるでローズが悪役令嬢の道を歩んだ後をなぞるかの様に悪行に手を染め、その果てに断頭台の露と消える未来が待っているのだ。

 そして、その悲しき未来はエレナと結ばれなくとも同じ道へと至る事となるのだが、今の彼はどの結末を迎えようとその様な未来を辿る道は存在しない。

 なぜならば既に彼の心の扉はローズだけが持つ鍵によって開かれ、憎しみだと思い込んでいた幼き日からの恋慕を思い出したからである。

 もし自らの想いが実らずとも構わない。

 ローズの事を諦めた訳ではないが、今の彼はそう思っている。

 もしローズが誰かを選ぼうとも、自身はローズがその選んだ人と一緒に幸せに暮らす事が出来るように、宰相である父の後を継ぎこの王国を守り育てようと心に誓ったからだ。


 そんな信念の元にシュナイザーはローズを優しく見詰めその言葉を待つ。



「お嬢様……」


 現在この部屋に居る三人の中で、フレデリカはベッドに身を沈めている敬愛する主人にしがみ付きながらも他の二人とは少々異なる面持ちでローズを見上げていた。

 彼女も幼き頃の出来事で心を閉ざした過去を持つ。

 それは聖女アンネリーゼへ仕えたいと言う一途な願いが永遠に叶わなくなった事に端を発し、その復讐として自らの記憶を封印し王国への復讐を誓う道を選んだ。

 しかし、その道もローズとの出会いによって、別の道を歩む事となる。

 そして、幼き頃の果たされる事が無いと思っていた願いが、別の形となり既に果たされていた事を、先程になって知るに至ったフレデリカはこの先の未来何が有ろうとも彼女の手となり足となり、生涯を掛けて仕える事を心に決めた。

 その想いは他の二人の覚悟に勝るとも劣らない。

 それなのにフレデリカがなぜその二人と違う面持ちでローズを見ているのかと言うと、それは彼女の持つ神からのギフトと言うべき才能に起因していた。

 本来ならば力も無いただの孤児の少女であるにも拘らず、その知恵と知識のみでこの王国を破滅の一歩手前まで追い込んだ彼女は、現在その恐るべき才の全てをローズの為だけに捧げているのだ。

 その為、今ローズが思い詰めている表情、そしてベルナルドからそれとなく伝え聞いた謁見の間での状況。

 それらの情報を分析し、これからローズが喋るであろう言葉を正確に予測していたからである。

 『これからローズ様が仰る事は恐らくご自身の記憶の事でしょうね。あの日から隠しておられている様でしたが、皆にはバレバレでしたよ』

 そう心の中で少々の呆れと、皆を心配させないようにと黙っていたいじらしさへの感動の混ざった溜息を吐いた。

 そして、フレデリカの予想は的中する。


「国王様方にも申し上げたのですが、私は今まで皆様に嘘を付いてまいりました」


「嘘……? どう言う事だローズ?」


 フレデリカと違いまだローズの真意が分からないオーディックが、訝し気に顔を歪めながら聞き返した。

 シュナイザーも同じような表情を浮かべローズを見詰めているが、オーディックとは真逆で真意が分からないのではない。

 元より過去の体験からローズの言葉には敏感であった為、その裏にある真意を朧気ながら感じ取っている。

 だが、何故それを今更言うのだ? と考え込んでいただけだった。


「そう、嘘です。お父様の出立の日から今日まで皆様を騙して来たんです」


 ローズはそう言って眉に力を入れ歪ませ唇を噛む。

 シャルロッテに語った時は、元のローズと入れ替わった事を誤魔化す為の嘘だった。

 先程謁見の間にて自分がローズだったと知る至った際に、国王と重鎮達にその真実を告白した時は、ただ正直に言うべきだったと思っただけで今の様な罪悪感は浮かんで来なかった。

 恐らくディノやホランツ、それにカナンでも同じだろうとローズは思う。


 しかし、今目の前に居る三人は幼少期より共に暮らしてきた者達だった。

 オーディックは一人泣いていたあの日。

 シュナイザーは悪役令嬢への道を歩み出した頃。

 フレデリカは悪役令嬢に染まった後……何かの式典の際に廊下でじっと見詰めて来た彼女を罵ったのが初めての出会いだった。

 それぞれ出会った日と彼らが宿している想いは違えど、ずっと側に居てくれた者達なのだ。

 この三人に今まで騙していた事実を打ち明けるのは、ローズ自身が思っていたよりもその言葉を口から出すのがとても重く感じた。

 一度ふぅっと息を吐く。

 そして表情を戻して三人を見つめ返した。


「今まで悪行を重ねた私でしたが、それはお父様の権力を傘にしていた事だと気付きました。お父様が長期の任務で王都から居なくなる。守ってくれる人が誰も居ない。その不安が日々募り、ついにあの日の前日に自ら罪への罪悪感によって私の弱い心は負けてしまったのです」


 事実を語る決心をしたローズだが、自身に野江 水流の魂が有る事実は伏せた。

 全てを知った今となっては、前世の記憶など自らが歩んで来た人生にとって大きな意味を成さないからだ。

 ただ思い出した自分がいるだけ。

 いま語った事が野江 水流に戻る切っ掛けだったに過ぎないのだから。


「お母様の事は本当です。壊れそうになった私の心を守る為に過去の記憶を封印したのです。都合のいい記憶だけ残した偽りの姿。それが今朝までの私でした。本当に騙してごめんなさい」


 ローズは目に涙を浮かべながら、ずっと側に居てくれて来た大切な人達を騙してきた罪を懺悔した。

 頭を下げて分かったのだが、どうやら父だけに甘えていた訳ではない事に気付いた。

 いつも側に居てくれるこの三人にも甘えていたらしい。

 ただその態度は、父へのものと違い悪役令嬢としてのものだった。

 その事実が胸を締め付けその頬を涙で濡らす。


「……え?」


 オーディックが間抜けな声を上げた。 


「はぁ……」


 既に気付いていたシュナイザーが額に手を当て首を左右に振りながらため息を吐く。


「フフフ、お嬢様ったら……」


 フレデリカがローズのいじらしい告白に笑みをこぼした。


「あ……あれ?」


 ローズは三人の思いもよらない反応に顔を上げた。

 そして涙も忘れキョロキョロと三人の顔を見る。


「え、えっと……聞いていました? 私良い子ちゃん振って皆を騙していたんですよ?」


「えーーーと、ちょっと待て……それがどうしたんだ?」


 今の今までローズが何に対して謝るのか分かっていなかった。

 いや、今も分からない。

 何故そんな今更な事を謝るのだろうか?

 オーディックとしては今までどれだけローズの言動が振れ様と、その全てがローズだとしか見ていない。

 今回もその一つ。

 要するに彼女の今までをずっと側で見て来たオーディックだからこそ、その真意に至らなかったのだ。


「それがどうしたって……、だから皆様を……」


「なぜローズがそんなにも思い詰めているのか俺でも分からないぞ」


 シュナイザーもローズの言おうとしている事は分かっていたがその態度には少々困惑している。

 そして、その意味を確認する為に言葉を続けた。


「今のお前に何を恥じる事が有るのだ? 何を謝る事が有るのだ? そして、そう言うのであれば過去の悪行を思い出したのだろう。ならば、お前はこれからどうしたいと言うのだ?」


「え? そ、それは……」


 ローズはシュナイザーの言葉に衝撃を受けた。

 今の懺悔を聞いてなお、騙されたとも思わずに怒るどころかそれを以ってどうしたいと聞いて来る。

 そうか、そうなのか。

 真のローズに戻ったと思っていたが、まだ過去の自分と今の自分を心の中で区別していた。

 ローズはその事に気付き先程の懺悔を少し恥ずかしくなった。

 この三人への懺悔は大切な事であったのは確かだろう。

 そうしないと前に進めないと思っているからだ。

 そしてオーディックとシュナイザーは気にもしていない。

 まるで『それがどうした』と当たり前のような態度で接してくれた。


「お嬢様? 過去を思い出したのならお分かりになると思いますが、昔からお嬢様はすぐに言った事をお忘れになりますし、性格もコロコロッとお変わりになっていたじゃないですか。本当に何を今更と言う話ですよ。私達が何年お嬢様の側で貴女を見続けていたのだと思っているんですか?」


 フレデリカもそう言ってくれた。

 三人は私を見てくれていた。

 それが嬉しかった。


「ありがとう。けれどあなた達だけにはちゃんと謝っておきたかったの」


 ローズはもう一度頭を下げた。

 三人から笑い声が上がる。

 その声にローズの笑い声も加わった。

 ローズは心の中で『やっと前を向いて歩けるわ』と呟いた。



「一つだけお聞かせください。先程のシュナイザー様のお言葉の回答。そしてご自分の事を弱かったとお認めになられたお嬢様は、これからどうされますか?」


 四人の笑い声も一旦の終わりを迎え、少しの沈黙が広がった最中、フレデリカがそう口を開いた。

 思いがけない真剣な声色にローズはドキリとする。

 改めて三人に顔を向けると全員が真剣な目でローズを見詰めており、その回答を待っていた。

 但し、全員がローズが出すであろう答えを分かっている。

 そしてローズは既に答えは持っていた。


「これも陛下の前で宣誓いたしましたが、いつまでも弱いからと過去から逃げる様な真似は致しません。今の私がこれからローゼリンデ・フォン・シュタインベルクとして歩む姿ですわ」


 ローズは優しく微笑みながら三人の前で自らを想いを語る。

 その姿は三人の目にやがて彼女が至るであろう聖女の姿を映した。

 しかしその道は険しいものだろう、だがどのような困難が待ち受けていようと自分達の力で必ず彼女を連れて行く。

 改めて心に誓った。

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