第72話 勘違い



「フレデリカッ!」


「……チッ」


 『え? 舌打ち?』と、突如聞こえて来た小さい破裂音に驚き、その音がした方に目を向けたが、そこには不思議そうな表情でフレデリカを見ているシャルロッテの顔が有るのみ。

 『気の所為かな?』と思いフレデリカの方に顔を戻した。


「突然どう致しましたの、フレデリカ先生? なぜ私とあなたのご主人様であるローズちゃんとの楽しいひと時をお止めになるのかしら?」


 悪魔……いや、あくまで無邪気に不思議そうな顔を崩さずに、少しぶりっ子な物言いでフレデリカにそう尋ねるシャルロッテ。

 端から見れ純真無垢な物言いに見えるかもしれない。

 しかしながら、すぐそばでがっちり腕をホールドされているローズには、無邪気どころか邪気の塊で有るのがヒシヒシと伝わってきている。

 よく見るとこめかみに青筋が浮かび、それがぴくぴくと動いている。


 『ひーーー! この子ってば悪役令嬢に戻ってるんじゃないの?』と、心の中で悲鳴を上げた。


「先程、小さい頃に一緒にお風呂に入っていたと仰られておりましたが、それは嘘でございますね?」


 シャルロッテの言葉に対して、フレデリカはそう問い返した。

 言葉の内容は置いておいてその態度はあくまでメイド然としており、言葉遣いも恭しいものである。

 しかしながら、ローズの目にはまるで二人の間には激しい火花が散っているように見えた。


「あら~? 何を根拠にそんな事を仰るの? 幾ら私の先生と言えども、一介の使用人が伯爵令嬢である私にその様な根も葉も無い嫌疑を掛けるなど許される事ではありませんわよ?」


 シャルロッテも言葉の内容は置いておいて、やはり先程同様無邪気な笑顔に無邪気な口調でフレデリカにそう言った。

 とは言え、伯爵令嬢にこんな事を言われれば、普通の使用人ならビビッて腰を抜かすに違いない。

 数々の修羅場を潜り抜けて来た筈のローズでさえ『怖い怖い! シャルロッテ怖い!』と、ただ震えるばかり。

 ただ、今目の前に立っているのは、かつてこの国を崩壊に陥れようとした張本人であるフレデリカだ。

 なんちゃって悪役令嬢の圧力など物ともせず、不敵な笑いを浮かべ仁王立ちで対峙している。


「根も葉も無くはありませんとも。あなた様のお父上であるカール伯爵様、そしてお母上であるクリスティーネ様に確認させて頂きましたのです。そうしましたら、過去においてそんな事実はないと仰っていました」


「なっ! なん……ですって……?」


 フレデリカの言葉にシャルロッテが言葉を失う。

 少しカタカタと震えているようだ。

 周囲の使用人も「あぁ」と頭に手を当てて溜息を吐いた。


「あぁ、そうそう。クリスティーネ様から伝言が有ります。『娘を私の部屋に連れて来て下さるかしら? その事についてちょっとお話がありますの』との事です。早く向かわれてはどうでしょうか? ご案内いたします」


 フレデリカは止めとばかりに勝ち誇った顔でそうシャルロッテに伝えた。

 それを聞いたシャルロッテは顔が真っ青になったかと思うと、がっくりと肩を落としてローズの手を放しトボトボとフレデリカの元へ歩き出す。

 何の事か分からないローズはただキョトンとした顔でその様子を見る事しか出来ない。


 シャルロッテの突然の挙動。

 これは仕方がない事だった。

 二大悪女の一人として悪名を馳せていたシャルロッテだが、一人だけその悪役令嬢振りが演技である事を知っている人物がいた。

 それはシャルロッテの母であるクリスティーネその人である。


 幼き頃、強いの意味を履き違えて誰にも媚びず誰にも涙など見せないと心に決めたローズは、友達など要らぬと仲が良かった令嬢達を突き放すようになるのだが、それによって絶望の淵に落とされたシャルロッテは母クリスティーネに泣きついた。

 クリスティーネは家柄はその夫であるカールと同じ伯爵家の息女ではあったが、現実世界で言う所のステゴロ上等な元ヤンであり、その当時はヤンママでもあった。

 そんなヤンキーだったクリスティーネと、力も弱く少々陰キャなカールが見事結婚に至る経緯については、その学生時代とても刺激的でハラハラする様な恋愛劇が繰り広げられたのだが、それは今語るべき時ではないので省略させて頂こう。

 勿論結婚してからは過去の態度が嘘のようにお淑やかに振舞ってはいるが、中身はそう変わるものではない。

 泣きついてきたシャルロッテにクリスティーネはこう言ったのだ。


「ガツンと言い返さんかいっ! 目には目を! 歯には歯を! だ!」と―――。


 そう、実はこれが『ベルナルド派閥の二大悪女』誕生の瞬間である。

 クリスティーネ的には良い事を言ったつもりであったが、その言葉の意味を勘違いしたシャルロッテは、ローズに負けじと悪役令嬢の道へとひた走る。

 またある意味その行為が、ローズも強さの本当の意味に気付く事なくただの意地悪な悪役令嬢へと落ちていく一端を担っていたと言えるだろう。

 この事は夫であり王国屈指の慧眼の持ち主であるカールでさえ知り得なかった事実。


 勿論、どんどんと悪役令嬢として立派に育っていく二人に関して、クリスティーネは責任を感じ心を痛めていた。

 『いつかとんでもない事になる』と思い、何度も娘に止めるように言おうとしたことか。

 だが、母の前でだけ元の気弱な泣き虫の顔を露にするシャルロッテは、ローズと喧嘩する度にクリスティーネに泣きついた。

 そのウジウジした態度を見ると、どうしても昔の血が騒いでしまうクリスティーネ。

 ついつい泣いているシャルロッテに思わずハッパを掛けてしまう始末。

 それも元ヤン本領発揮の貴族らしからぬ口調で。


 こうした悪循環の元、泥沼の日々は続いていった。

 しかし、そんな二人の悪女の噂は王都だけに留まらず、国中……いや周辺諸国にまで広がり出していく。

 噂では司法庁がとうとう重い腰を上げたとの事だ。

 さすがに焦ったクリスティーネは、先月初めのある日シャルロッテを部屋に呼び寄せ「いい加減にせんかいっ! このままふざけた事続けやがると、貴女は捕まるってぇーの! もうローズと会うのは止めやがれっ!」と叱りつけたのだった。


 この突然の母からの辛辣な言葉にシャルロッテは混乱した。

 それは無理もない事だ。

 今まで母の言葉通りに動いて来たと思っていたのだから。

 それ以降矛盾した母の言葉に大いに苦しみ、しかし母の言い付けを破れもせず一人食事もせず部屋に籠る日々が続く。

 やがて心労から病に倒れ、若くしてその命を落とす事になるシャルロッテ。

 この時になって漸くカールは、クリスティーネが娘を悪女に仕立て上げた所業の数々を知る事となった。

 それに激怒したカールはクリスティーネに三行半を叩き付け屋敷から追い出す。

 それだけに止まらず、カール自身も知らなかったとは言え娘の悪行によってベルナルド派閥、延いては王国の名誉を傷付けたことを自ら告白した後、服毒自殺を図りその生涯を終える。

 こうして王国の建国から続く古参の貴族家の一つ誇り高きビスマルク家は断絶し、王国の歴史からその姿を消す事となった。



 これが『メイデン・ラバー』通常ルートにてシャルロッテが登場しない理由である。

 しかしながら、野江 水流の魂が転生し、ローズとして生まれ出でたこの世界。

 本来起こり得なかったローズの心変わりと、そのお披露目目的の舞踏会の噂を聞き付けたシャルロッテは、母クリスティーネに対して『絶対ローズと仲直りする』と言う決意表明をし舞踏会に臨んだのであった。

 とは言え、長年培ってきた心の有り様はそうそう覆せるものではない。

 素直になれない気持ちも有ったのであろう。

 それだけじゃない、夢にまで見た優しい瞳、それに太陽の様に眩しい笑顔。

 自分以外の相手に対してその姿を見せているローズが許せなかったと言う気持ちが大きかった。

 ふつふつと悪役令嬢として口撃戦争を繰り広げた日々が脳裏を支配する。

 仲直りの事など忘れ、とうとう『なんで自分を置き去りにして、勝手に良い子になっているのよ!』と言う嫉妬心が勝ってしまった。

 だからあの騒動の発端となった一言、悪意を誘導する「どうしてその新作ドレスをローズ様がお召しになっているのですか?」と言う言葉を放ってしまったのだ。

 『そんなつもりじゃなかった』と思ってももう遅い。

 動き出した悪意は止める術はなかった。

 怖くなったシャルロッテは会場から逃げ出しトイレの用具入れに隠れて一人泣いたのだ。

 

 しかし、そんな悪意の渦もローズの力によって浄化された。

 そして神の奇跡とも言える巡り合わせにより仲直りする事が出来たのだ。

 今まで抑えて来た想いが爆発しても誰が責める事が出来ようか。


 勿論クリスティーネもこの出来事には大いに喜んだ。

 しかし、それ以上に深く反省もした。

 夫であるカールにも今までの全てを懺悔した。

 『こんな不出来な母であり妻である自分など、どうか捨てて欲しい』

 そうカールに泣きながら申し出たのだ。


 しかし、カールは済んだ事と優しく許した。

 過去の過ちは仕方がない、しかし未来は明るいのだと。

 このカールの言葉は舞踏会場においてのローズの聖女の如き優しさに感化された事に他ならない。

 その夫の言葉に『あぁ! やっぱりこの人を好きになって良かった! 大好きっ!!』と感極まったクリスティーネの心と身体は、激しく燃え上がり十月十日後にビスマルク家待望の長男を産む事になるのだが、それはまた別のお話。



 以上の事が、母であるクリスティーネの言葉にシャルロッテが怯え、素直に言う事を聞いている理由である。

 シャルロッテは幼い頃から頭の上がらない母のこの突然の呼び出しに、再び『ローズに会うな』と言われる事に怯えているのだ。


 しかしながら、そんな理由があるとは知らないローズが首を捻るのも無理もない事。

 歓談や晩餐会の際に何処となく自分と近い香りをクリスティーネに感じていたローズではあったが、長年心を痛めていた娘とローズの改心と惚れ直した夫との幸せな日々によってすっかり毒気が抜けたクリスティーネの裏の顔など分かるはずもない。

 優しそうなお母さんと言う印象しかないので、なぜシャルロッテがそこまで怯えているのか疑問に思っても不思議ではないだろう。



「まぁ、なんにしろ助かったわ。フレデリカありがとう~。ふんふふ~ん。久し振りに温泉に入れるなんて嬉しいわ~」


 九死に一生を得た気分のローズは、フレデリカに感謝しつつウキウキとスキップしながら浴場に向かうのだった。



 と言う事で時間は現在に戻るのだが、クリスティーネに呼ばれて行った筈のシャルロッテの出現に焦るローズ。

 ローズの「なんで居るのよ!」の問い掛けにシャルロッテはふふんと得意気に鼻を鳴らす。


「お母様にきちんと説明いたしましたら分かって頂けましたわ。そして『しっかり詫びを入れてこい』と送り出していただけましたの」


 そうドヤ顔で言ってのけるシャルロッテ。

 『んん? 今のセリフは意訳なの? なんだか貴族が使う言葉と似付かわしくない様な気がするんだけど……?』と思うのだが、それ以上に何を説明したらそんな了承が貰えたのか、そちらの方が怖くてそれどころじゃなかった。


「い、いや詫びだなんて、そんな事気にする必要はないのよ? ね?」


 にっこりと良い笑顔でじわじわ近寄ってくるシャルロッテに対して、ローズはじりじりと後退る。

 そう言えばフレデリカは何処に行ったんだろう? と、周囲を見回したが姿が見えない。


「フレデリカはどこかしら?」


「あぁ、先生ならお父様に足止めをお願い……ゲフンゲフン。いえ、私の教育方針についてご相談させて頂いておりますの」


「ひぃぃぃぃーーー」


 唯一の希望だったフレデリカの動きまで封じているその手際の良さに、退路を断たれたローズは思わず悲鳴を上げた。

 今度こそ本当に万事休すと思ったその時……。


「もう! ローズちゃんたら何か勘違いしてませんこと?」


 突然シャルロッテが少し頬を膨らませながらそう言って来た。


「へ? 勘違い?」


「そうよ。さっきからローズちゃんってば、まるで私が取って食おうとしているみたいに怯えるんだから。それにそんなに怖がられるとなんだか私が悪い事してるみたいじゃない」


 『え? 確実に取って食おうとしてませんでしたか? それにマジで怖いんですが?』と、口からそんなツッコミが飛び出しそうになったが何とか押し止めた。

 言ってしまったら逆上して本当に取って食われそうだったから。


「私はただローズちゃんとの仲直りの記念にお背中を流したい……そう思っただけよ?」


「え? いや、け、けど貴族として同性でも他人と一緒に入るのは、とてもはしたない事だって……」


 元の世界に居る時はそんな事は微塵も思った事はなかったが、郷に入れば郷に従えと言う言葉に則り、極力この世界のルールを守ってきたローズ。

 シャルロッテのこのさも当然と言う風に『背中を流したい』と言って来たので、その認識の違いに混乱してしまった。


「今はそう言う風潮ですけど、先の大戦前までは同性同士でお風呂に入るのはそんなに不思議な事ではなかったのよ? なんでも戦争中に浴室に集まり謀反を企む輩達が居た所為で禁止になったって聞いたわ」


「え? あ……あぁあぁっ! なるほどなるほど~。そんな事が有ったのね。じゃあ、私達は大丈夫だわ。謀反なんて事を企てたりしないもの」


 シャルロッテから貴族が家族以外の者とお風呂に入る事が禁止された理由を聞いてローズはホッと胸を撫で下ろした。

 自分達は謀反を企てるなんて事をする訳がない。

 ならば、一緒に入っても問題が無いじゃないか。

 そう考えるに至ったローズは、元の世界に居た頃の友達と一緒にお風呂を入っていた時の楽しかった記憶を思い出してシャルロッテに対する警戒心を解いた。


「そうそう、私達はそんな大それたお話なんていたしませんもの。ほら一緒にお風呂入りましょ。お背中をお流し致しますわ」


「えぇ、じゃあ私もその後流してあげるね」


 すっかり安心したローズはとても楽しそうにシャルロッテと風呂場の奥に進んでいく。



 ……もう少し。


 そう、もう少しだけ冷静であったら気付いていただろう。

 教えられていた貴族ルールとそれを否定する言葉による混乱、それに蘇って来た元の世界での楽しい思い出。

 その二つがローズの考える力を奪ってしまったのだ。


 確かに同性でも家族以外の者と一緒に入浴する事が忌避されているのは、戦中の謀反事件が発端となっている。

 それ以前はこの様な裸の付き合いに関して、それ程おかしいとは認識されてなかったし、そもそもビスマルク家とは言えないにしても、大なり小なり貴族の屋敷に複数人が一堂に入れる程の浴場が存在する事自体がそれの証左と言えるだろう。


 しかしながら、それらの事柄には全て『大戦前は』と言う前提が付く。

 平和になった現在において、禁止になった理由は姿を変え『はしたないから』とされている事には変わらない。

 

 本当にもう少し冷静であったらローズはその事に気付いていた筈だ。

 久し振りの温泉でハイになったローズには、シャルロッテの詭弁にすっかり騙された事に気付かない。

 既にその考えに至るまでの道は閉ざされているのだった。

 

 

 後年、二人の事が『王国の二大聖女』として語られる時代。

 本日の混浴事件から色々と妄想を発展させた者達によって、数多の百合百合しい創作物語が紡がれる事になる。

 やがれそれは書籍として出版され、一部の信者達にバカ売れする事になるのだが、それもまた別のお話である。



        ◇◆◇



「ふぅ~、本当にこのお風呂のお湯は気持ちいわね~。生き返るわ~」


 シャルロッテとの洗い合いっこを終えたローズは湯船につかりながら感嘆の声を上げる。

 若干乳白色のお湯は、その匂いそして肌触りから確かに温泉であるようだ。

 ローズはこの世界では諦めていた温泉を堪能する事が出来て幸せだった。

 それと同時にシャルロッテと親友になれて本当に良かったと心から思う。


「お嬢様。聞いた所によりますと、このお湯は美容に大変よろしいようですよ。他にも関節痛や血行促進などの効能が有るそうです」


 と、いつの間にかカールの元から抜け出してきたフレデリカも一緒に湯船に浸かりながら何処からか仕入れた情報を披露している。


「ローズちゃん。また一緒に入りましょうね」


「えぇ。約束よ」


 シャルロッテの言葉にローズは頷いた。

 それと同時に、ローズの脳裏に見送りの際に寂しそうにしていたエレナの顔が過る。

 彼女の中の人もプレイヤーなのだから自分と同じ国の出身の筈だろう。

 ならば、温泉が好きなんじゃないだろうか?


 『今度来る時はエレナも誘ってあげようかな? きっと喜ぶ筈よ』


 ローズはそんな事を思いながら、ゆっくりと温泉に身を沈めるのだった。


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