第44話 周到な作戦
「エ、エレナ……?」
突然の激しい豹変振りにローズは、エレナの名前を呼ぶ事しか出来なかった。
異様な空気が部屋に充満する。
とても息苦しい。
これは今まで数々の修羅場をくぐって来たローズでも味わった事が無いものだった。
そんなに私に優しくされるのが嫌だったのだろうか?
やはり主人公とその敵である
ローズの頭の中では様々な思いがぐるぐると混ざり合い、思考が定まらなかった。
エレナはハァハァと肩で大きく息をしたままそれ以上何も喋らず黙っている。
とても重い沈黙が続く。
暫く絶った後、とうとうその重圧に耐え切れなくなったローズが何か声を出そうとしたその瞬間、エレナの様子が突然変わった。
時間と共に少し冷静になったのだろう。
いまだ前髪の隙間から見えるその目が我に返ったのが分かった。
「も、申し訳ありません! お嬢様っ!!」
エレナは先程に負けないくらいの大声を上げて謝りながら頭を下げて来た。
そしてそのままプルプルと体を震わしている。
それは先程の様な怒りによるものではなく、純粋に怯えている様子。
先程の声を荒げるその態度は、使用人はのみならず一般人ですら貴族にしていいものではない。
伯爵家の者へとなれば、追放ならまだマシで下手したら縛り首になってもおかしくない行為だ。
折角潜り込んだこのゲームの舞台から追い出される事に恐怖したのかと、その怯えようを見てローズは思った。
「あ、あの、今のはどう言う事……なの?」
ローズは主人公を追い出すチャンスだと一瞬考えたが、口から出たのは別の言葉だった。
どこまでが演技かは分からない。
けど、少なくともあの瞬間の憎悪に染まった目は演技じゃ無いと思えた。
ローズはこの言葉に、自分でも悪い癖が出たと思っている。
生来の面倒見が良い性格から来る悩んでいる人を見ると放っておけない癖だ。
あれ程の憎しみを生んだ理由をどうしても知りたくなったのだ。
そして、それを一緒に解決出来るのなら……。
「本当に申し訳ありません! お嬢様に対して許されざる態度でした!」
「い、いや、だからね、なぜそう言ったのか教えて……?」
「申し訳ありません!」
しかし、エレナは謝るばかりで理由を喋ってはくれない。
主人公として喋る事が出来ない何らかの事情が有るのだろうか?
確かに、意識が目覚めてからこの方、プレイヤーでは知り得なかったローズの裏事情の数々が有った事を自分でも思い知っている。
やはり、エレナ側にもプレイヤーが知り得ない裏事情が有ったのかもしれない。
それも、ここまで怒る要因となる事が……。
『……ん? いやいや、ちょっと。ちょっと待って? もしかして、これって全然理不尽な怒りをぶつけて来ないローズに対してのマッチポンプ作戦って事はないわよ……ね?』
何度声を掛けても、ただ謝るだけで何も喋ってくれないエレナの態度に、少し疑問が湧いて来たローズはその理由を別の角度から考えた。
いや、今の態度はエレナが責められるべきで、ローズには何の落ち度もない。
しかしながら、それを見たものはいないではないか。
ただ、声だけは部屋の外に漏れ聞こえているだろう。
エレナがローズに対して激しく謝罪する声が。
その声は野江 水流がローズとして目覚める前、この屋敷の中では日常茶飯事の物であった。
ゲーム中も、エレナが『またどこかで使用人の謝る声が木霊しているわ』とモノローグで語っていたのを覚えている。
状況を知らない者達にとって、この声は悪夢の再来を知らせる予兆の鐘の如く聞こえただろう。
事情を説明しようにも可憐な主人公と悪役令嬢。
使用人達はどちらの言葉を信用するだろうか?
ローズが怒らないのなら、自らが謝る状況を作る。
しかも、物理的な被害が無いのだから証拠も残らない、誰も見ていないが声だけは外に響いているだろうこの二人切りの密室で……。
なんと言う周到な作戦なのだ。
エレナの策だと思わずにまんまとそれに乗っかって素直に感動してしまった自分が腹立たしい。
『何とかしないと! でも何をしたら良いの?』
良い案など浮かんで来ない。
やはり所詮、自分は悪役なのだ。
主人公に勝てる訳がなかった。
ローズは絶望にも似た混乱で涙が滲み泣き出しそうになったその時――。
「お嬢様っ!! 大丈夫ですか!!」
と言う声と共に部屋の扉が勢いよく開かれた。
突然の事にローズのみならずエレナも驚いてその声の主に目を向ける。
聞こえて来た声は一人だったが、そこに立っていたのは一人ではなく複数の人影がだった。
涙で滲んだ視界に映ったその者達。
誰だろう? と、目を凝らすと滲んだ像が何とか形を浮かび上がらせる事が出来た。
まずは声の主であるフレデリカ。
それに執事長と最近何とか話せるようになって来たとある若いメイドと執事の姿。
この者達に今の状況を目撃されてしまった。
主人公が発した謝罪する声に、折角積み重ねて来た皆の信頼を再び悪役令嬢で上書きされてしまったのだ。
ローズは絶望の渦に飲み込まれ目の前が真っ暗になった。
「フレデリカ……」
ローズの口からまるで何かを懇願する様なか細い声が頬を伝う涙と共に零れ落ちる。
フレデリカはこの状況を見てどう反応するだろうか?
やはりローズは悪役令嬢だったと自分の事を蔑むだろうか?
祈る気持ちでフレデリカの様子を伺うと顔を赤くして怒っているようにも見える。
そうか、『お前はやっぱり悪役令嬢か! 騙したな!』とでも思っているのか。
終わった……・
ローズは絶望に染まった心の中で諦めの言葉を呟く。
「き、き、貴様ぁっ! お嬢様に何をしたっ!!」
しかし、フレデリカの口からは思わぬ言葉が飛び出してきた。
『貴様』とは誰に言ったの? それは私? いや、その後『お嬢様に』と言ったじゃない。
ローズは混乱する思考の中で、ゆっくりだが状況を反芻して確認する。
フレデリカの目線は、私に向けられてる? いえ、私を見ていないわ。それに皆もそう。
誰も私を見ていない? じゃあ、誰を見ているの? そんな険しい目を誰に向けているの?
ローズはその目線を追う。
その先に居たのはエレナだった。
「お嬢様、遅れて申し訳有りません」
フレデリカはそう言うとローズとエレナの間に立ち、ローズを庇う形でエレナの方を向いて立つ。
メイドと執事の二人もローズの側に来て護るように取り囲む。
執事長だけは少し険しい顔をして扉の側に立ったままだった。
それにしても目線はエレナに向けたまま。
「フ、フレデリカ?」
皆の行動の意味が分からず、フレデリカに声を掛けた。
フレデリカはちらとこちらを見てにっこりと笑いすぐにエレナの方に顔を戻す。
「ダニアンからの伝言をユナが伝えて来たのです。お嬢様の部屋からエレナの叫び声が聞こえると。ダニアンはエレナがお嬢様の部屋に入ったっ切り出て来ないから不審に思って見張っていたようです」
ダニアンは現在ローズの側に立っている執事だ。
そしてユナは同じく側に立っているメイド。
ちなみにこのユナは、ローズが初めての貴族の食事を堪能した際に『美味しかったわ』と声を掛けた食堂付きのモブメイドでもある。
若い使用人達とはまだまだ溝が有ると思っているローズだが、覚醒初日の『形見の食器』をバルモアに贈ったシーンをその目で目撃した食堂付きの使用人達とは笑顔で挨拶を交わせているし、その中でも特にこの二人は特別だった。
ローズの中の人である野江 水流の本領発揮とでも言うべきか。
それは先週末の事、食堂付きのメイドであるユナの目線が、同じく食堂付き執事のダニアンの姿を追っている事にローズの恋愛レーダーが反応した。
ユナの想いに気付いたローズは『恋愛マスター』の面目躍如とばかりに、密かに恋愛のアドバイスをして二人の仲を取り持ったのだった。
それ以降二人とは仲が良い。
フレデリカ以外の若い使用人達で一番最初の仲間と言える二人だ。
……余談だが、この二人を切っ掛けとして、後にこの世界においても『恋愛マスター』の称号をローズは授かる事になるのだが、それは今語るべき話ではない。
「お嬢様大丈夫ですか?」
「申し訳有りません。私がもう少し早く動いていれば」
「ありがとう。ユナ、それにダニアン」
二人が声を掛けてくれたお陰で、ローズはやっと冷静になる事が出来た。
どうやら、フレデリカを初めこの三人はエレナの謝罪の声を聞いていたにも拘らず、自分の事を心配してくれているようだ。
執事長もだろうか?
自分の側には来てくれていないが、警戒の矛先はエレナに向けられているようなので、自分に敵意を抱いている様子は無い。
もしかしたら、エレナが逃げ出さないように部屋の入り口で見張っているのだろうか?
少なくともこの場に居る皆は自分を味方してくれている。
護ろうとしてくれている。
この事実にローズはまた涙が零れそうになった。
先程までの恐怖や悲しみの涙ではなく、今度は歓喜の涙。
だけどまだ早い。
まだ敵は目の前に居るのだ。
ローズは嬉しさと共に溢れそうになる涙を何とか堪えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます