第30話 涙
「さぁ、今日はこれぐらいしといてあげますわ」
「おふぅ! あ、ありがとうございます~。お嬢様~」ビクンビクン。
あれからフレデリカと共に部屋に戻ったローズは、日課となっているフレデリカに対するご褒美とお仕置きを一通り済ませる。
フレデリカは、まだ少し物欲しそうな顔をしていたが、その焦らしもまた愉悦とばかりにすぐにご満悦の顔となった。
えげつない声をフレデリカは上げていたが、別にご褒美もお仕置きも18禁や暴力描写とは一切関係無い行為ばかりなので安心して頂きたい。
◇◆◇
「……そう言えばお嬢様? 以前『エレナと言う使用人は居るか』とお聞きになられましたが、あの新人が来る事をご存じだったのですか?」
「ブフゥッ!」
日課が一息ついて午後のティータイムの一時を楽しんでいると、フレデリカが転生初日に尋ねた事を、今更ほじ繰り返して聞いてきたので、ローズは噴き出してしまった。
「大丈夫ですかお嬢様」
「ゲホッ! ゴホッ! だ、大丈夫大丈夫。ちょっと紅茶が気管に入っただけだから」
ローズは慌てて駆け寄って来たフレデリカにそう答えながらハンカチーフで、噴き出した紅茶で汚れた口元を拭く。
あの時はまだ状況が把握していなかったから仕方無いとは言え、無防備にも
『あちゃ~、やってしまったわ~。言っていないなんて誤魔化しても、記憶力が凄いフレデリカには通用しないし、変に不信感を募らせるだけね。知っているが、詳しくは知らないって感じで逃げるしかないわ』
野江 水流としての意識が目覚める前のローズは、使用人の名前なんか覚えようともしない、仮に憶えていたとしても、顔と一致なんてしない人物だった。
これに関しては大貴族になればなる程、その子女達はその傾向が強いのだが、それにしてもローズは酷かった。
唯一一致しているのはお付きのフレデリカぐらい。
執事長でさえ、名前は知らず執事服を着ていなかったらすれ違っても気付かない。
そんな困ったちゃんであったので、『知っているが、知らない』と言う言い訳はかなりの効果を発揮し、そして『それに付いて教えて欲しい』と言うと、皆過去を反省して学ぼうとしていると勝手に良い様に解釈されるのである。
「それがねぇ、何処で聞いたか定かじゃないんだけど、近い内にエレナって子が来るってのを聞いていた気がするのよねぇ? お父様に聞いたのかしら? フレデリカは記憶に無い?」
ローズは言い訳に少しスパイスを混ぜた。
膨大な読書量を誇り、またそれを事細かに覚えているフレデリカ。
さすがは『メイデン・ラバー』のお助けキャラだとローズはいつも感心している。
そして、そんな記憶力には絶対の自信を持っている彼女に対して、『記憶に無い?』と聞くと脳内検索の為に暫し固まる癖が有るのだった。
記憶力に自信のある彼女だが、知らない物を知ったかぶりする事は無い。
また知識の探究者でもないので知らない事をとことん追求する事も無かった。
なので、少し逃げ道を与えるだけで簡単に納得してくれる。
例えば、こんな感じに。
「もしかしたら、カナンちゃんか、それとも他の方達との会話で出て来た使用人の事かも知れないわ。あの日ってお母様の夢を見た後だったから気が動転してたのかも……」
「あぁ、なるほど。そうかもしれません。カナン様ならテオドール様からの手紙に彼女を派遣する事が書かれていてもおかしくないでしょうし、何よりエレナと言う名前はこの国じゃ有り触れています。私がプライベートに所属しておりますメイドコミュニティでも数人居ますね」
と言う様に自分の知り得ぬ情報源を指し示すだけで、勝手に解釈してくれる。
何しろイケメン達との集会にフレデリカが同席し出したのは、最近になってからなので、それ以前の集会の会話を知る由も無いのをローズは知っていた。
ゲーム中、エレナとの会話で『お嬢様から解放されるこの時間が一番の安らぎだわ~』とローズの事を愚痴りながら幸せそうな顔をしている彼女の事を思い出す。
それなのに最近は、イケメン達の集会どころかどんなところにも付いてくる。
これが隠しルートによるゲームの強制力の所為なのか、それとも仲良くする為の努力が実った結果なのか、それはこのゲームの登場人物となった自分には分からない。
だけど、だからこそ言える事があるとローズは思った。
これがゲームだったとしても関係無い。
いや、逆に言えばゲームだからこそ仲良くする為の努力の結果で懐いてくれたのだろうと。
なんてったって、これは恋愛ゲームなのだ。
交友イベントを繰り返して行けば友好度が上がり仲良くなるのはシステム的に決まっている。
そりゃあ、選択肢によって友好度が下がる事もあるだろう。
そんな事は現実だって同じだ。
『そうよ、同じ事だわ。高校の時、あんなに仲が良かった先輩と同級生は、それぞれが選択を間違った所為で悲しい結末を迎えてしまった。私だって色々と間違えてきた事はあるわ。だけど、それ以上に仲良くなる事だって出来るのよ』
ローズは、元の世界で今まで仲間達と気付いてきた絆の事を思い出し、少し寂しくなった。
元の世界に戻れるなら戻りたい。
けど、戻る手段も分からなければ、どうしてここに来たのか、死んでからどれだけ経ったのか、そもそも何故死んだのかさえも分からない。
白馬の王子とはいかないまでも、イケメン貴族達が慕ってくれるこの世界。
目を開けたらそんな世界に居た。
あまりにも現実離れしていた出来事なので、深くは考えないようにしていた。
最初の内は、これはやっぱり夢で、明くる日には元の自分に戻っているなんて事も考えていたが、一日二日三日、幾ら経っても覚めやしない。
四日目を越えた辺りからこれは覚めない夢。
違う、これは現実なんだと思い知る。
もう会えない人達の事を意識したのは先日、久々に剣道の稽古で皆と剣を合わせた際の事、懐かしさと供に心の中に過ぎってきた。
その時は戦いの興奮で寂しさなんて吹き飛んでいたが、その日の夜ベッドの中で、ふともう会えない人達の事を思うと涙が止まらない。
この世界に来て初めて寂しさから泣いてしまった。
あの時からローズはより一層、この世界の人達との絆を意識する様になった。
イケメン達との恋愛や、没落して路頭に迷うの避ける為なんて理由とは違う。
一人ぼっちのこの世界で寂しくないように。
ただそれだけ。
ローズのその目にきらりと光る涙が浮かんだ。
「お、お嬢様? 泣いておられるのですか? どこか痛むのですか? ハッ! もしや今朝の稽古で、どこか怪我でもされたのですか? あいつらっ! 私のお嬢様になんて事を!!」
元の世界を
あぁ、人前で見せちゃったな、とローズは少し反省した。
でも、この子にだったらそれも良いか、とも思う。
「違う違う! 怪我なんてしてないって。ちょっと色々と思い出しちゃったの。あなたとお茶をすると、なんだかとっても安心するから」
ゲームの中のフレデリカは、エレナの友達であり良き理解者、そしてローズと戦う同士だった。
プレイ中このゲームのクソゲー具合に何度心が折れそうになったかと述懐する。
けど、折れないままプレイ出来たのは、こんな二人っきりのお茶の時間、互いに愚痴を言い合う親しき存在が居たから。
たかがゲーム、けどこの不条理な現在はもうゲームなんかじゃない。
自身の中で、元の世界とこの世界を繋ぐ存在であるのは目の前のメイドにおいて他ならない。
今は自身がローズとなった野江 水流だが、フレデリカとのこの時間は、右も左も分からない寂しさに押しつぶされそうなこの世界において、自身が野江 水流であった時の記憶を確かにしてくれる。
後悔は沢山有れど、それでも精一杯頑張って生きて来たと胸を張って言える、そしてこれからも歩いていけると立ち上がれる。
そう言う気持ちになれるのだった。
「お嬢様……、そのお言葉とても嬉しいです……」
フレデリカはローズの言葉に感動して頬を上気させている。
こんな表情はゲームの中では見た事無いわね、とローズは呟いた。
そして、この顔はゲームの演出じゃ有りませんようにと天に祈った。
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