第31話 スパイ
「お嬢様? 何か仰られました?」
ポロリとローズの口から零れた呟きをフレデリカが聞き返して来る。
声は聞こえたが何を言ったのかまでは聞こえていない様だ。
なんだろうと首を捻っている。
そんなフレデリカをローズは少し笑顔で見詰めた。
急に見詰められた事にフレデリカは恥ずかしそうに頬を染める。
ローズは一つの計画を立てていた。
それを口に出すのはとても怖かったが、そう言う訳にもいかないのは承知している。
「ううん、なんでもないの。それより、そのエレナの事なんだけど……」
そう、今自分の心の支えであるフレデリカだが、本来はエレナのお助けキャラであった。
エレナが登場した以上、その役割は果たす必要があるだろう。
『少なくとも、エレナが私と同じ転生者だとしたら、フレデリカの行動によって私の事が怪しいと思う筈。もし気付かれでもしたら、自由に行動しだす可能性が有るわ。ゲームの楔から外れた無敵の主人公に勝てる道理は無いに等しい。だから……』
フレデリカにはエレナのお助けキャラとして、彼女に近付いて貰う。
勿論自分のスパイとして。
本当はそんな事をして貰いたくはないと、ローズは断腸の思いだった。
フレデリカをエレナにあげるみたいで癪なのと、それ以上にゲームシステムとしてフレデリカがエレナ側に付いてしまう事を恐れている為だ。
けど、それでも短い期間だが築いたこの絆に掛けたいと思い、ローズは心を決めスパイのお願いをする為に口を開こうとした。
「あぁ、お嬢様も怪しいと思っていましたか。彼女は胡散臭いですよね」
「え?」
スパイのお願いをしようとしたローズを遮る様に、フレデリカが先に口を開いた。
少しドヤ顔チックにうんうんと頷いている。
「お嬢様はお優しいから、それでも仲良くされようと思ってらっしゃるようですが、考えても見てください。旦那様が居なくなったタイミングで
「えぇ、そ、そうね」
なんだか思っても見ない方向に話がズレて行っている事にローズは戸惑い、ただ同意の言葉を返す事しか出来ない。
「執事長の態度も、何か言いたくても言えない様な態度でしたし、これは何か裏が有りますね」
「そ、そうかしら? まぁ、ちょっと話を誤魔化していた様にも取れたけど……」
「そうですよ。あれは多分アレですね。エレナは、そう……スパイですよ。スパイ」
「えぇっ! スパイってそんな」
「はい、色々と噂を聞いていらっしゃるでしょ? 旦那様とテオドール様の事……」
その噂の殆どはあなたからだけど、と心の中で思いながらコクリと頷いた。
猜疑心と虚栄心の塊の様なテオドールは、兄に対して激しいコンプレックスを持っているとの話をあれこれとフレデリカから聞いていた。
現に両者は絶縁状態で、使者の行き来も殆ど行われていない。
と言ってもテオドールからの一方的絶縁であるらしいのだが。
決定的だったのはバルモアとアンネリーゼとの婚姻だったと言う。
この国の貴族なら誰でもアンネリーゼを狙っていた。
テオドールも御多分に洩れず、色々と手を尽くして狙っていたそうだ。
それなのにその心を射止めたのが、目の上のタンコブと言うべき兄だったのだから、コンプレックスが憎しみに変わったとしてもおかしくないだろう。
実はカナンがこの屋敷に来る事は本来テオドールからは禁止されており、内緒の事だと先日それとなくカナンに聞いた際に笑いながらそう言っていた。
使用人達も父親に似ないカナンの天使のような可愛らしさに、テオドールの耳に届かない様にと屋敷に遊びに来ている事は秘密にしているとの事。
この事実がローズの中で、カナンが旦那様候補から一歩下がった理由でもあった。
それでも、『愛し合っちゃえばそんな障害乗り越えてやるんだから』とローズは思っている。
「まぁ、叔父様がお父様と仲がお悪いのは知っていますが……」
「そうです! それなのに、使用人をいきなり送り付けて来たのです。何か意図が有る筈。いきなりお嬢様に危害を加えようとした事からも、その意図は良くない事でしょう」
『それはゲームシナリオの強制力よ』と言えないローズは、これに関してはそんな疑いを掛けられたエレナに少し同情する。
なんたって自分もこの世界に来るまで三桁回数飛ばせないオープニングで同じ事をしたのだから。
「あれは、私が勝手に助けただけよ? あなたの言う通り避けてたら下手すりゃ彼女は死んでただろうし、考え過ぎじゃない?」
「まぁ、それはそうですが、それは結果論。お嬢様に危機が迫ったのは確かです。他の使用人達もそれが許せなかったのでしょう」
フレデリカはそこまで言うと、しまったと言う顔で口を噤む。
お嬢様は自分だけのモノ、他の使用人達もお嬢様の事が好きになっている事は、まだまだ内緒にしておきたい。
心変わりしてからのお嬢様の優しさ、貴族令嬢として特級品の立ち振る舞い、自分だけに見せてくれる素の表情、そして自らの欲望を理解してお仕置きもご褒美もくれる。
そんな素晴らしいローズを今は独り占めしたいと思っていたからだ。
「本当に驚いたわ。皆が私の為にあんなに怒ってくれるなんて本当に嬉しかった。仲良くしようと頑張った成果が少しは出て来たのかしら?」
ローズは嬉しそうにそう言った。
隠しルートの影響かもしれない。
だけど、仲良くしようと努力した結果だと思いたかった。
「まぁ、そうですね。ま、そんな事よりエレナへの今後の対応です」
フレデリカは皆の好意に嬉しそうにしているローズに嫉妬して少しぶっきらぼうに返しながら話を変える。
皆がローズの事を自分と同じ様に好きになっている事に気付かれたくない為だ。
昔からお嬢様は自身に対する好意に鈍く、周囲からの好意を反転する写し鏡のように相手に悪意で返してしまう。
早くに母を亡くし、父親に甘やかされて来た為だろうと皆は分かっていたが、それにしても度が過ぎる。
だから性悪令嬢として、その悪名を積み上げてしまったのだ。
しかし、今は心を入れ替えたお嬢様だが、周囲の好意に対しては未だに鈍いまま。
そんなお嬢様が、今日の皆の態度でそれに気付いてしまうかもしれない。
そんな事になったら、お嬢様を独占出来なくなってしまうかもしれない。
だから、早く話を変えなければ! とフレデリカは思ったのだった。
「そ、そんな事って……。う~ん、だけど、どうするの?」
「スパイにはスパイです。私がエレナに近付いて、それとなく奴の思惑を調べて参りますわ」
「え? えぇーー!」
自分から提案しようと思っていた事を違う形で、フレデリカが提案して来た事にローズは驚きの声を上げた。
「お優しいお嬢様はそんな事心苦しいと思うでしょうが大丈夫。それにお嬢様はそのままエレナと仲良くしようとして構いませんよ」
『そうすればお嬢様の優しさに改心して、味方になるかもしれませんしね』とフレデリカは心の中で、少しの確信と共にそう呟いた。
その生き証人は自分であり、使用人達であり、遊びに来る貴族子息達なのだからと、その確信の根拠を心の中で言葉にする。
「そ、そんな。もし本当に叔父様にそんな意図が有ったら危険じゃないの?」
自分もスパイをお願いしようとしていたのだが、それはあくまでゲームシステムの役目を担って貰う為の事。
ゲーム中にフレデリカに危機が及んだ事は無い。
最悪システムに取り込まれて敵に回ったとしても、フレデリカはのほほんとメイド生活を満喫するのをローズは知っていた。
何しろエンディングの中には、そのままエレナ付きのメイドとなり幸せな姿を披露するルートさえ存在するのだ。
だからこそ、安心してスパイを頼もうとしていたのに、テオドールの陰謀を暴く為と言う理由なら話は違ってくる。
そう言う訳はないだろうと分かっていても、もしゲームのキャラがシナリオから大きく逸脱して動いた場合、無事でいられるのだろうかとローズは心配した。
それともこれも隠しルートの影響だろうか? ローズのそんな疑問に答えてくれる者は存在しない。
「ありがとうございますお嬢様。そんなに私の事を心配して頂けてとても嬉しいです。けど大丈夫ですよ。何が有ったとしてもお嬢様を悲しませる様な事はさせません。……え~と、他の使用人達も同じ気持ちでしょうし、今日の様にお嬢様の事を守ろうとするでしょう」
ローズの心配を受け取ったフレデリカは、感激に顔を綻ばせる。
そして、自身の決意と、言いたくはないが他の使用人達の想いも告げた。
お嬢様を安心させる為にはそれも仕方無い、とフレデリカは思ったのだ。
「そう言ってくれて本当にうれしいわ。じゃあ、フレデリカ。スパイ任務をお願いするわね。けど、危ない事はしない。もし少しでも危険と判断したら逃げる事。いいわね?」
「はい! 私にドンとお任せ下さい」
お互いにその言葉の裏に有る考えは違えど、その願いは一緒である。
お互いに相手を守りたい、とそれだけを思っていた。
「じゃあ、取りあえずは友好的に接して欲しいの。特に来たばっかりの今は右も左も分からない状況だもん。もし仮に何か企んでいたとしても動く事は無いと思うわ。だから分からない事は親切に教えてあげてね。そして、そのまま何も無ければ良いのだけど……」
『何も無ければ』とはあくまでフレデリカの推理の事である。
問題は転生者の場合。
隠しルートと勘違いしてくれている間は、多少の性格や関係性の逸脱はそう言う物として解釈されるだろう。
それに逸脱が存在する事によって、エレナも慎重になる筈だ。
なんたって、一つの選択ミスが後々の展開に係わって、それがバッドエンドに結び付くと言うこのゲーム。
いくら最速攻略した者だからと言って、初回クリアは慎重になるだろう事が予想される。
特にゲーム序盤は攻略フラグに直接影響の無いイベントを自発的に発生させ、その反応を伺うのではないだろうかとローズは考えていた。
主人公の裏をかき、バッドエンドに叩き込む『アタシ幸せ計画』も、フレデリカの提案により最後のピースが填められ後は開始を待つだけである。
それがゲームシステムの強制力による物かどうかなんて言っていられない、準備もこれで十分だとは思わない、まだまだしないといけない事は有っただろう。
しかし、泣いても笑っても、本番は青草の月が始まる一週間後。
もう後戻りは出来ないと覚悟を決めた。
「スパイかも知れない相手にも気を遣うなんて本当におやさしい。ふっふっふっ、任せて下さい。先輩として分からない事はビシビシと鍛えてあげますわ」
「あ、あのお手柔らかにね?」
まるでこの世界で目覚めたすぐの自分の様に、主人公に対して啖呵を切るフレデリカ。
ローズは、その迫力に戸惑いながらも、そのセリフによって心の中に浮かんで来た言葉に笑うのだった。
『悪役令嬢のメイドに生まれましたので、主人公をビシバシ鍛えてあげますわ。なんて、ぷぷぷ』
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