第5話 飴と鞭

「フレデリカ? あなたは私の味方? それとも敵かしら?」


 ローズは先程から怪しい言葉を節々に散りばめて頬を上気させているメイドに、不意打ち同然にそう尋ねた。

 まだゲームが始まっていない。

 と言う事は、現状フレデリカの立場は不確定。

 観測して初めて存在が確立される。

 それは量子力学の概念の話だが、人間関係においてもそこまで外れた話でもない。

 あえて立場の是非を問い、意識付けを行う事は大事である。

 そりゃ嘘や裏切りは有るだろうが、人間不意に問われた質問には本音が出る物だ。

 特にフレデリカの場合は分かり易いと、ローズは自身の高校時代の事を思い出しながらそう思った。


 フレデリカに似たタイプの知り合いがいたのだ。

 ローズは高校で生徒会長をしていたのだが、頼りになる一つ上の先輩とコンビを組んで、学校の様々な問題に取り組んでいた。

 その先輩には一人の厄介なストーカーが付き纏っていたのだ。

 因みに先輩は女性で、ストーカーも女性。

 要するに百合って事なのだが、そのストーカーは先輩の気を引く為に、わざと怒られる様な真似をして構って貰う事に快感を得ている様な困った輩だった。

 フレデリカから同じ匂いがプンプンする。

 この手の輩に対する対応の仕方は、間近で幾度も見て来たし嫌がる先輩の代わりにローズ自ら上手にあしらった事さえ有るので学習済みであった。

 

 『まっ、あの子は行きつくとこまで行きついちゃったから、先輩に嫌われちゃったけどね。あれは先輩も悪かったのよね。適当に相手してあげてたら良かったのに』


 その先輩は、同性愛と言う物に理解が無かった為、女性からの熱烈なアプローチに対して一方的に拒絶してしまった事が拗れた原因だった。


 『百合れ、とは言わないまでも緩い友達関係を維持していたら、あんな悲しい事にもならなかったのにね。二人とも不器用だったから』


 二人の不幸な結末にローズは心の中でため息をついた。


「わ、私は……」


 フレデリカの方はと言うと、突然の質問にその意図が分かり兼ねておらず、どう回答しようかとしどろもどろになっていた。


 『ふむふむ、答えられないか。まっ、逆にここで即答していたら信用出来なかったけどね。あなたの立ち位置をあたしが決定してあげるわ』


 ローズは尊大な態度を取り、不敵な笑みを浮かべながらフレデリカの眼前に右手の人差し指を突き付けた。


「いい事? フレデリカ。良くお聞きなさい。あなたは私の物よ?」


「はひぃっ! わ、私がお嬢様の物!」


「そうよ! あなたは私の犬、いえ、今は躾のなっていない駄犬って所かしらね?」


 わざと性悪お嬢様風の口調でフレデリカを罵る言葉を吐いた。

 フレデリカは罵られているのにも関わらず、だんだんと頬が赤く染まり、はぁはぁと息が荒くなってくる。

 心なしか口元にはうっすらと愉悦の表情が見て取れた。

 時折、身体をビクンと震わせている。


「これからしっかりとあなたの事を私の犬として躾……、ふっ、調教してさしあげますわ。覚悟しなさい?」


「はいぃぃぃぃ! おねがいいたしますぅぅぅ! お嬢様ぁぁぁ!」ビクンビクン。


 調教と言う言葉を聞いた途端、フレデリカの顔面は崩壊レベルで破顔し、絶叫と共にその場でひれ伏した。

 ローズは無言でひれ伏しているフレデリカの眼前に右足を差し出す。

 すると、それに気付いたフレデリカは、すぐさま差し出された足をペロペロと舐めだした。


 『う~ん、悪役令嬢ってこんな感じと思ってやってみたけど、さすがにこの子ちょっときもいわね。なんか先輩の気持ちが分かった気がするわ』


 ローズはフレデリカの嬉しそうに足を舐めている姿に引きながらも、『これでいい』と心の中で呟いた。


 『ゲームの中のローズはフレデリカに対して一方的な嗜虐しかしなかった。そしてフレデリカの望む事は一切しなかった。主従の関係は『飴と鞭』よ。その所為でフレデリカは自身の欲求の捌け口として主人公に協力してたんだわ。だからあたしはその捌け口をフレデリカが望む事を『飴』して与えてやるの。あたしから離れられないようにする為にね』


 説明書には出て来ないフレデリカの設定を、ローズはしっかりと読み取っていた。

 それには心当たりが有ったからだ。

 ゲーム終盤、没落して悪役令嬢としての覇気も尊大な態度も鳴りを潜め出した頃、フレデリカの態度が一変する。

 それまでは、どんなに辛く当たろうともローズの世話を甲斐甲斐しく行っていたフレデリカだが、気弱になったローズがフレデリカに優しく接し出した途端、冷たい態度を取りだした。


 『あれは沈む船から逃げ出すネズミと言う演出なのかと思ったら、こう言う事真性M気質だったのね。兎に角これで問題の一つはクリアだわ。これでゲームが開始してエレナと会ったとしてもゲームの様にはいかないでしょう。スパイとして操ってやるわ』


 いまだペロペロと足を舐めているフレデリカを見下ろしながら満足げに頷く。

 若干心の中に何やら怪しげな感情が芽生えかけているのにローズは気付いていなかった。


「フレデリカ。あなたの唾液でいつまであたしの足を汚しているつもり? 本当に駄犬ね。あとでお仕置きしてあげるわ。それより早く準備をしなさい。お父様が待っているのでしょう?」


「はっ、はいぃっ! 喜んでお受けしますっ」


 お仕置きと言う言葉に反応してフレデリカは足を舐めるのを止めて顔を上げた。

 『準備をしなさい』と言う言葉に関しては何も言わなかったが、ちゃんと聞こえていたらしくローズの着替えの続きを始めだした。


 『さて次はどうしましょう。他の使用人達も味方に引き込まなくてはいけないわね。それにイケメン達にもちゃんと首に鎖を掛けないといけないし……。ん? あれ……? 何か、大事な事を忘れているわ?』


 フレデリカがせっせと着替えや髪のセットをしているのを、部屋に飾られている大きな姿見鏡に映る姿を眺めながら今後の事を考えると、何かが引っかかった。


 『え~と、ローズの家が没落した事が切っ掛けで、このゲームの主人公であるエレナがイケメンをゲットするのよね? 没落するのは伯爵が死んだから……。伯爵はなんで死んじゃうんだったっけ? え~と……あっ!』


「ねぇ、フレデリカ? お父様は今日国境に向けて四か月間視察するって事になっているのよね?」


「はい、そう伺っております。どうかなされましたか?」


 普段のメイドモードに戻っているフレデリカは、そう答えた。


 『やっぱりそうなのね。ゲームでは、三か月後の赤草の月、九月の終わり頃に伯爵は隠れていた敵兵の矢によって左胸を射られ、それが原因で死んじゃうだったわ。と言う事は、この視察の途中で死んじゃうって事か。じゃあ死ななければ? そうすれば没落しないんじゃないの?』


「フレデリカ? お父様の視察を延期させる事は出来ないかしら?」


「延期ですか……? 恐らくそれは無理だと思います。国王からの直々の任務ですし」


 メイドモードのフレデリカは優秀である。

 主人からの質問を問い返す事も無く、それに付いての回答を冷静に返す。

 そこに一切の疑念も自らの感情も挟まない。

 

 『まっ、そうよね。無理に取りやめたら、その所為で国王の怒りを買ってこの家が没落しかねないわ。じゃあ死なない様にすれば良いのよね……』



「お嬢様。準備が整いました」


 伯爵が死なない方法をあれこれ考えていると、フレデリカがそう告げた。

 姿見鏡を見ると、そこにはゲーム画面で見た普段着ドレスを来たローズが映っている。

 少しばかりその性格同様性悪な目付きはしている物の、この国でも絶世の美女と噂される程のローズだ。

 現ローズの中の人である野江 水流は思わず見惚れてしまった。


 『う~ん、元のあたしとじゃ月とすっぽんね。この美貌、それに幸せ。絶対に主人公なんかに奪わせないわ』


「あの、お嬢様? どういたしました?」


「なんでもないわ。さぁ、行くわよ!」


 そう言うと、ローズは扉に向かって歩き出した。

 何の因果か、誰かの意図かは知らないが、幸運にも手に入れた、新しくも輝かしいこの人生を守る計画を実行する為に。

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