半吸血鬼《ダンピール》は闇に潜む

青井かいか

1.最弱の少年


「ちっ」


 小さな舌打ちが鳴り響く。


「……はぁ」


 苛立ちが煮詰まったようなその音に、夜人よるとは思わず軽くため息を吐いてしまった。


「ねぇ、そのイラつく顔、やめてくれないかしら」


 怒りを堪えるような声。

 瞬間、桃色のミディアムヘアーを揺らす少女の腕がブレる。少なくとも、夜人には彼女の腕の残像しか捉えることはできなかった。

 

 カァンッと響く甲高い音。

 彼女が握っていた特殊加工された木剣が、夜人が適当に構えていた木刀を弾き飛ばしたのだ。

 

 ガラス張りの天井から降り注ぐ陽光を浴びるようにして、クルクルと浮かび上がる木刀。それは夜人の背後にカランカランと音を立てながら落下した。


「あー、こりゃ俺の負けだな」


 首だけで背後を見て落ちた木刀を確認すると、夜人は仕方ないという顔で肩をすくめる。


「……だから。そのイラつく顔をやめろと言っているのが聞こえないの?」


 再び彼女の腕が初動を起こす。

 だが、その動きは先程より格段に速い。夜人の目にはそれが、前触れなく腕が消えたと思わせる程に。

  

 木剣が大気を切り裂く音が鳴る。気付いた時には、首に木剣が押し付けられていた。

 夜人は目を見開く。誰だっていきなり武器をこのように向けられては驚くだろう。

 だが夜人はその状況を少しの沈黙を得て理解した後は、大した動揺もせずため息を漏らした。


「また、その諦めたようなため息。本当に気に入らないわ」


 憎々しげな瞳で夜人を睨み、静かに木剣を引くその少女の名前は春風はるかぜりん

 今現在、決闘場にて衆院しゅういん夜人よるとと打ち合いの訓練授業を行っている学園生徒である。


「だって仕方ねぇだろ。俺なんかが何をやっても“女王様”には敵わないんだから」


「その名前で呼ぶのはやめなさい衆印夜人。次にそう呼んだら斬り捨てるわよ」


 そう言って、右腕に着けている独特の文様が刻まれた腕輪に軽く触れる凛。それを見た夜人は、少し焦る。

 この春風凛という生徒なら、この場で魔道武装マギアデバイスを展開させることも厭わないと悟ったからだ。実際に彼女は今年の春に一つの騒動を起こしている。


「わ、悪かったって。俺が悪かったよ、春風さん」


 曖昧で誤魔化すような笑みを浮かべて、両手を上げる。


「気持ち悪い顔しないでくれる? どうせ謝る気なんてないくせに」

 

 凛は吐き捨てるように言った。


(気持ち悪い顔って、そこまでハッキリ言われると流石に傷つくなぁ)


 内心で苦笑する。だがこれ以上凛の機嫌を損なう訳にもいかないので、表情を引き締めて口を開く。


「さて、もうちょっと続ける? まだ時間はあるっぽいけど」


 落ちた木刀を拾い上げながら、周囲を見渡す。

 この広い決闘場に一定の間隔を置いて散っている他の生徒たちは、まだ打ち合いを続けているようであった。カァンカァンと打ち合いの音がそこら中から響いてくる。


 うかがうように凛を見た。凛はそんな夜人を睨み返すと、おおげさに鼻を鳴らした。


「もういいわ。あなたが私に敵わないのは当たり前の話だけれど、そのハナから諦めたようなやる気のない態度が本当に気持ち悪い。せっかくの実習授業なのに、これ以上は時間の無駄よ。本気で・・・やる気がないなら、もう私の視界に入ってこないで」


 淡々とそう述べると、凜は木剣をかついで決闘場の隅に向かった。一体何をやるつもりなのだろうとしばらく眺めていると、彼女はその場で素振りを始めた。その顔は真剣だ。

 夜人と打ち合っているよりも、素振りでもしていた方が有意義だということだろう。

 夜人もそこに異論はなかった。

 だって、夜人はこの学園に置いて最弱のド底辺。

 この学園には中等部と高等部が存在し、そのどちらもが優秀な魔道戦士ブレイバーを育成することを目的としている。

 つまりこの学園に通う生徒たちは、皆が皆、卒業後に魔道戦士ブレイバーになることはないものの、魔道戦士ブレイバーの卵と言える。


 そして、衆印しゅういん夜人よるとというこの少年は高等部の一年生である訳だが、その中等部と高等部を合わせた全ての生徒の中でも、魔道戦士ブレイバーにもっとも必要とされる戦闘技能に置いて、ダントツの最下位だと言い切ることが出来た。

 言い換えれば、彼はこの学園で最も要らない生徒ということである。


 夜人は再び大きなため息を吐きたい気持ちを堪える。


 だって、しょうがないじゃないか。

 夜人とて、好きで“ハズレクジ”をやっている訳じゃない。

 

 この学園の戦闘実技の授業において、このようにペアやグループを組む場合は、ランダムでメンバーが決められることが多い。

 様々な相手に対応できてこその魔道戦士ブレイバーという教育方針だからだ。

 しかし、その相手が度を越した弱さであれば、そもそもの訓練に意味がなくなる。

 だから夜人は、彼を知る生徒の間では『ハズレクジ』と、そう呼ばれていた。


 もちろん夜人もそれを自覚している。

 自分は弱いのだと。どうしようもなく弱いと。


 立派な魔道戦士ブレイバーを目指して努力していたあの頃とは違う。

 彼は自分の治しようのない欠点を認め、いつしか諦めるようになっていた。

 その欠点とは、常にまとわりつく原因不明の気怠さと、日光に対する異常なまでの弱さだ。

 それに加え、まともに魔力を操れず、魔道戦士ブレイバーとしての基礎である身体強化の魔法もろくに扱えなかった。


 ――身体が本来の動きを全うできていないと感じる。

 ――陽の下に出ると、否応もなく逃げ出したくなる。


 そういう今も、ガラス張りの天井から注がれる陽光が彼の体力とやる気を蝕んでいた。


 ついに耐え切れなくなって、夜人はその場に座り込んだ。

 額から大量の汗が滝のように流れ、動悸がだんだんと速くなっていく。

 一刻も早く日陰に戻りたい。こんなにも天気が良い日は、彼にとって最悪の日だ。


 辛い、しんどい、気持ち悪い。――あぁ、もうどうでもいい。


 そう思って、大の字になってその場に寝転がった。焼き付くような日光を塞ぐように腕を瞼の上に乗せる。


 が、その瞬間、腹部に凄まじい衝撃が走った。


「――がっ、ハァ……ッ、……っ!?」


 夜人の身体はゴロゴロと床を擦るようにして転がっていき、数メートル離れた時点で止まった。クスクスと抑えたような笑いが周囲から聞こえる。


「ッ、はぁ……ハァ……っ」


 痛みを堪えて、かすむ視界を上に向けた。そこには、太い眉を吊り上げた担当教師の貴元たかもとがいた。


「おい、誰が休んでいいと言った衆印。それにペアはどうした」


「す、すみませんね先生。ちょっと転んでしまいまして、あと、俺のペアの女王様ならあそこで剣ふってますよ」


 ズキズキと痛む腹部を押さえながら立ち上がって、愛想笑いを浮かべた。


「なるほど、お前のペアは春風か」


 そう言った貴元の口元が歪む。

 次の瞬間、貴元は夜人の腹にめがけて拳を振るう。鈍い音がして、再び腹に痛みが走った。

 だが夜人はそれを無言で堪えて、貴元の顔を見上げる。


「っぅ……ッ。せ、先生、今の暴力の意味を教えてもらってもいいですかね。場合によっちゃ、不当な暴力ってことで罰則ですよ、……先生が」


「なら教えてやろう。せっかく学年トップの春風と打ち合って自分の実力を伸ばせる機会を蔑ろにしたことに対しての罰だ」


「へー、今時の教師はそんな理由で生徒に暴力するんですね。こりゃーしっかり記録とって、みんなに教えないと」


 そう言うと、貴元の眉が吊り上がった。


「どうやらまだ分かってないみたいだな。お前はこの学園で一番必要ない雑魚なんだよ。そんなお前がどうなろうが誰も――」


 貴元が再び夜人を殴りつけようとする。それを悟って、衝撃に備えて身構える。だが、その瞬間、夜人と貴元の間に人影が割り込んできた。


「――貴元先生。わたしも今、授業をさぼりました。殴るなら夜人よるとじゃなくてわたしにしてください」


 少女の透き通るような青い髪が揺らめく。

 真剣な表情で、睨むように貴元を見る彼女の名前は、涼風すずかぜ小夏こなつと言った。


 貴元はいきなり現れた小夏に驚いた顔を見せるが、すぐに表情を引き締めるとキツイ語調で言う。


「涼風、お前には関係のない話だ。すぐに元の場所に戻れ」


「関係なくありませんっ! わたしは夜人の幼馴染です! だ、だから関係なくなんてないです!」


 瞳に少し涙を滲ませながら小夏は言った。


 そんな彼女を背後から見ていた夜人は呆れたような顔になる。そして、苦笑した。


(幼馴染って……。他にもっと言いようあっただろ)


 その時、授業の終わりを知らせる鐘が聞こえてきた。


 その音を聞いて、何某かの緊張が切れたのか、夜人はその場に座り込んだ。彼の体力は既に限界に近かった。


「よ、夜人!?」


 夜人が倒れたと思ったのか、慌てたように振り返って、夜人の服をめくり上げる小夏。


「ちょ、ちょっと……、何してんの……?」


「怪我の確認! あぁ、もう、ちょっと腫れてる。今治してあげるからね」


 気遣うように言って、小夏はそっと夜人の腹部に手を当てる。


「……――《治癒ヒーリング》」


 淡い光が灯り、すぅっと痛みが引いていき、腫れがなくなっていく。

 相変わらず鮮やかな魔法だ。

 治癒系の魔法はそう簡単に会得できるものではない。これだけで、小夏という少女が優秀な生徒であることが分かった。


「ん、ありがとう小夏。もう大丈夫だ」


「うん、よかった」


 安心したように笑う小夏。その笑顔に、申し訳なさを感じながら、立ち上がった。

 その拍子に、夜人の視線と、苛だたしげにしている貴元の視線がかち合う。


「衆印、放課後。職員室の俺のところへ来い。もちろん一人でな」


 一瞬の沈黙のあと、貴元はそう言うと、踵を返して他の生徒たちに今日の授業は終わりだという旨を伝え始める。


「夜人……」


 小夏が心配そうな面持ちで夜人を見つめる。


「なに、気にすんなって。あのクソ教師も人目のある所じゃ大したことなんてできやしねぇよ」


「で、でも……」


「小夏は気にしなくていいんだよ。……俺のことなんか」


 それを聞いて、小夏は傷ついたように目を伏せる。


 この小夏という少女は優しい。そして、とても優秀だ。どうあがいても、夜人とは釣り合わない程に。

 

 夜人は、どうして彼女がここまで自分に固執するのか本気で分からなかった。夜人と小夏の唯一の繋がりは、幼い頃から近くにいる、ただそれだけなのに。


 小夏は頭も悪くないし、剣と魔法の腕も上位に位置している。絶対に夜人よりも彼女に相応しい奴がいるのだ。

 小夏も、腐れ縁の夜人をいつまでも気にかけていたら、せっかくの出会いも逃すだろう。


 優しすぎるのも問題だと思う。こんなどうしようもない奴、さっさと見捨ててくれてかまわないのに。


 いや、むしろ見捨てるべきだと夜人は思った。


「……ていうか、さ」


「え?」


「あのクソ教師の言う通り、小夏には関係ないんだよ。これは俺の問題だ」


 少しキツめの口調でそう言うと、「それじゃあ」と言ってその場から離れる。背後で小夏が茫然としているのが分かった。



(はーあ……、本当にどうしようもないな俺は……。とにかく身体がだるいから木陰で休もう)


 次は昼休み。昼飯などどうでもいいから、少しでも長く日の当たらないところで眠りたいと夜人は思うのだった。

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