20話――ドラゴン
ひゅうと吹きゆく風に合わせて、草木がザワザワと音を鳴らす。
そんな自然の音色が肌に感じられるほど、場は静寂に包まれていた。
静けさが耳に痛いようだ。
風と草木が奏でる音が、俺を嘲笑っているように思えて仕方がない。
唖然と口を開けて佇む俺の前には、感情の読めない面持ちで俺と、意識のない彼女たちを見やっている父ルーカスがいた。
「……それで、どうするつもりだ?」
「……」
俺は何も答えない。というか答えられません。
本当にどうすりゃいいんだよ、これ。
俺は遠くに離れた彼女たちを見やる。
ちょうどエレナに目を向けたところで、彼女は「う〜ん」と寝返りを打った。
ビクリと俺の肩が跳ね上がる。
あかん、めっちゃビビってる、俺。
よく見ると手と足と腰が震えていた。
「情けねぇ……」
嘆くようにルーカスが呟く。
こいつ……。人の気も知らないで。
今度は無意識に固めた右拳が、ルーカスを殴りたいとプルプル震え始めた。
が、今ここでそんなことをしても何の意味もない。
俺は気を取り直して、アリア、ソフィア、エレナを順番に見やる。
眠っている彼女たちは、ただただ純粋で、可愛らしい。俺が好きになった少女たちだ。
彼女たちが、本当はどこまでも優しい女の子であることを、俺は知っている。
……知っていた、はずだった。
もしかしたらそれは、俺の勘違いだったのだろうか。
俺がふとそんなことを考えた時だ。
「――ッ!」
ルーカスがビクと肩を揺らし、周囲に警戒の色を見せた。
「……何かくるぞ、気をつけろ」
「……なにか?」
「静かにしろ……ッ」
バキバキと草木を踏み潰す音が静寂を破る。
目を向けると、そこには全長五メートルは越えようかという巨体があった。
緑色のざらついた肌、大きく発達した脚。鋭い牙が、赤い口腔とともに覗く。
「チッ……! こんな時に限って、竜種かよ。保険をとって深部に転移したのが仇だったか……」
ルーカスが焦燥を滲ませながら呟いた。
竜種。聞いたことがある。
人間の外敵である魔物の中でも、最上位に位置するものだ。
その名の通り、ドラゴン。
俺の目の前に現れたソレは、まさにそう称するのに相応しかった。
翼はあるのだが身体に対してかなり小さく、空を飛ぶということはなさそうだが、だからといってなんの気休めにもならない。
先程までとはまた別種の、純粋な死への恐怖が俺を襲った。
「グルゥ……っ」
ドラゴンは低い唸り声を上げながら俺とルーカスを睨みつけたあと、狙いを俺の右手にいるソフィアに定めた。
地面に倒れて意識をなくしているソフィアに、だ。
ゾワリと全身の毛が逆立つ。
いてもたってもいられなくなった。
気付いた時には動いていた。
「……やめろ」
俺の掌から放たれた、小さな炎弾がドラゴンの顔に命中する。
炎はぶつかると一瞬で鎮火したが、ドラゴンの注意を引きつけるには十分過ぎた。
ドラゴンの双眸がギロリと俺に向けられる。
――時が止まったような錯覚を覚えた。
「ギャアァァァァゥウッッツ!!」
耳をつんざく咆哮が森を覆う。
気付けば、視界を覆い尽くす高魔濃度の
「バカやろう!!」
死を認識しかけたその時、隣にいたルーカスが俺を突き飛ばし、同時に防護結界を正面に張る。
結界がブレスと衝突。ほんの僅かにだけ拮抗したあと結界は砕け散り、ルーカスが背後に吹き飛んだ。
「……っゥ」
バキと嫌な音が聞こえる。
見ると、ルーカスは背中から大木に叩きつけられて、気を失っていた。
「っ!」
ひりつく空気を感じ、俺は慌ててその場から飛び退く。
すると、俺が元いた場所をドラゴンのブレスが通り過ぎていった。
空気自体が灼き焦げる。凄まじい威力だ。まるで次元が違う。
「グルァァァァアアアアッッ!」
なおもドラゴンは俺を狙いにして、今度は先程よりも大きなブレスを吐き、それと同時に直接距離を詰めようとしてきた。
その刹那――――、
突如、俺の正面に張られた防護結界がブレスから俺を防ぐ。ピシリとヒビが入ったが、結界が砕けることはなかった。
そして、ドラゴンがいた所から爆発音が響いた。
防護結界がブレスを防いだ時の余波で体勢を崩しつつも、俺はドラゴンの足元から爆炎が上がっているのを視界に収めた。
ドラゴンは意識の外から足元を崩されて、地面に倒れるようになっていた。
そして、
「――っ」
それを見た瞬間、俺は固まって動けなくなる。
俺の前方には、アリア、ソフィア、エレナの三人がいて、ドラゴンを睨みつけていた。
――どういうことだ。
彼女たちは気を失ったんじゃなかったのか。
さっきのドラゴンの咆哮で起きたのか?
ルーカスが魔法を使って眠らせたというのに、それだけで眼が覚めるのだろうか。
それに眼が覚めたとして、こんなに一瞬で状況を把握して、俺を守って、こんな俺を――、
「なん、で……」
疑念にあふれた言葉が、口から零れ落ちた。
すると、彼女たちが俺の方に振り向く。彼女らは、自分の隣にいるそれぞれを見て一瞬だけ嫌そうに顔をしかめた。
しかし、またすぐに俺に視線を向けると、
『今度はこっちが助ける番だね』と――、
三人同時に小さく呟いたので、あまりよく聞き取れなかった。
が、そんなような言葉だったと思う。
彼女たちはドラゴンの方を見て、手の平を掲げる。
ちょうど地面に倒れていたドラゴンが態勢を戻して、こちらの方に怒りに染まった瞳を差し向けていた。
魔物最強の種の、空気の揺れと錯覚するほどの殺気に、俺は思わずよろめいて後ずさった。
「ガァァァアアアッッ!!」
ドラゴンが脚を地面に叩きつけて、飛びかかってきたその時だった。
その場に白い光が数筋走り抜いて、ドラゴンに殺到した。カッと光が爆発して、空間を占める。
「っ!」
あまりの眩しさに俺は目を閉じた。
「……」
閉じた瞼の向こうで光が消えたのを知覚してから、俺はゆっくりと薄目を開ける。
そこには黒焦げになって、地面に倒れ伏しているドラゴンがいた。
「――――」
俺は唖然と口を開けたまま、何も言えなくなる。
どう考えても、ドラゴンの丸焼きの原因はあの三人だ。
そんな一瞬で、倒せるものなのか、ドラゴンなんて……。
色々な混乱が折り重なって処理し切れず、頭を抑える俺に、アリア、ソフィア、エレナの三人が俺の方に歩み寄ってきた。
俺の肩がビクンと跳ね上がる。
彼女たちは、俺の目の前で立ち止まった。
瞬間的に、俺と彼女らの視線が重なり合う。様々な色合いの感情が行き交って、そのほんのわずかな時間は、とても長く思えた。
「――――っ!」
「う、わっ」
気付いた時、俺は彼女たち三人に同時に抱きつかれていた。
「……っ!」
「え、ちょ、え、は?」
訳がわからなかった。
ぎゅうと二度と離さないのではないか、というくらい強く抱きしめれた。
「ごめんね……」
「は?」
アリア、ソフィア、エレナの顔が俺の視界を覆うようにして間近にあった。
彼女らが再度口を開きかけたその時、俺の中に衝撃が走った。
「っ!」
彼女らの背後。わずかな隙間から俺の目にそれは飛び込んで来た。
先ほど、黒焦げになって地面に倒れたドラゴン。てっきり絶命したと思っていたソイツが、瀕死に近い様子ながらも、ゆっくりと身体を動かしていた。
瞬間、ギロリと殺意が突き立てられた。
ドラゴンの赤い口腔が開く。
視界がやけにゆっくりと動いていた。
「させ、るか、……よ!」
俺はアリアとソフィア、エレナを突き飛ばして、大きく一歩前に出る。
俺がありったけの魔力を振り絞って拙い防護結界を張るのと、ドラゴンの死に際の一撃(ブレス)が俺に直撃するのほとんど同時だったように思う。
身が吹き飛ばされる衝撃。全身が燃えつくように痛い。
視界がクルクルと回り、白っぽい靄がかかり始める。
「――――ッ!!」
俺の名前を叫ぶが耳元で何度も聞こえる中、俺の意識はだんだんと遠のいて行く。
霞む視界の端っこで、『その三人』が無事であることを確認して、安堵した。
その次の瞬間には、俺の意識は失われていた。
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