十七話――変化その2 中編
「久しぶりだな……」
王都。
さすが一国の中心都市というだけあり、そこに渦巻く活気や人口密度は、うちの村の比ではない。
「うぃ、ウィルくん……」
不安げな声。
ぎゅっと、俺の肩に置かれた手に力がこもった。
俺の陰に隠れるようにしているのは、ソフィアだ。
そしてそんな俺たちが何のために二人で王都まで来たかというと、
「大丈夫、かな……」
「……まぁ、ひとまず俺に、任せてみて」
正直に言えば自身は皆無。
だけどやれることはゼロじゃない。
さーて、崇高な貴族さま相手に一般凡人の俺がどこまで抗えるのか。
◯
ふむ、ここがソフィアの通っている学校か……。
見上げる校舎は、まさに圧巻。
想像以上に、巨大で豪奢だ。これと同じような建物が、そこらにあるのだから、末恐ろしい。
さすが、貴族のご子息、ご令嬢さん方が通う学校。
そもそも敷地の広さだけでウチの村以上あるらしい。
ソフィアが通う学校は、日本でいう大学の制度に似ている。
学びたいことを、自ら選んで、もしくは、親が選んで(こちらのパターンがほとんどらしい)学ぶ、みたいな感じのようだ。
ちなみに、学園生との繋がりがあれば、部外者でも意外と簡単に中に入ることができる。
まぁ、今はそんなことどうでもいい。
俺が通うわけじゃないしな。
問題は、あのレーゲン・ブルムたらいう野郎に出会うことだ。
ヤツはソフィアと受ける授業が、かぶることが多いらしい。
「……うん、今日は、私とブルムさんが一緒に受ける授業が昼からある、から……」
つまり、今日ここで、あの野郎に会うことができる。
まぁ、といっても、まだ朝早い。
しかし、ヤツが早めに来ているという可能性もある。
俺はレーゲン・ブルムを探すために、前に一歩を踏み出した。
その後ろを、俺に隠れるようにしながら密着してくるソフィアに気を使いながら。
◯
俺ができること。
ひとまず、レーゲン・ブルムと俺、それぞれの立場の違いを明確にしておこう。
レーゲン・ブルム。
医療都市メディシアという世界的にも注目も受け、甚大なるチカラを有している大都市を主に自領とする領主の一人息子。
さらに付け加えれば、彼の父親は老衰しており、実質的な当主としての権力を持つのは、レーゲン・ブルム自身だ。
対して俺は、一般的な領主フルロさんの一人娘であるソフィアに好かれているらしい凡百村人(7)
さらにさらに、そのフルロさんには、見過ごせないほど大きなカリを、ブルム家につくっている。
これだけを見ると、絶望的。超絶望。
だが、
最たる問題点であるレーゲン・ブルムは、まだ学生の身分で、知識も経験も不十分、加えて俺の予想通りの女たらし馬鹿だとするのならば……。
打つ手がない、とは言えない。
それでは行ってみようか、直談判。
◯
「あっ……」
学校の敷地内をふらふらと歩いてると、不意にソフィアが小さな声を上げた。
辺りを見回してみると、行き交う学生の人混みの一点に、レーゲン・ブルムの姿を発見した。
「よし……ソフィア姉さんは、ここにいて」
「だ、ダメだよウィルくん!」
焦ったようにソフィアが言う。
俺の肩に置かれたソフィアの手に、痛いほどの力がこもった。
「ソフィア姉さん……」
心配してくれているのは、わかる。
でも、それは俺だって同じ気持ちだ。
それに、今回に限っては、俺一人の方が都合がいい。
「大丈夫だよ、ソフィア姉さん。だからお願い、ソフィア姉さんは、ここにいて」
「だ、ダメだって!」
ソフィアが背後から俺の体を包み込むように抱く。
一筋縄では離してくれなさそうな、力強さがある。
「だ、だって、もし、ウィルくんが一人で行って、あの人に危ない目に合わされたりしたら……」
「……うん、そうだね」
むしろ、そうなってくれないと困る。
俺はソフィアに落ち着いて説得を施すが、それでもソフィアは最後の最後まで難色を示した。
早くしないとレーゲン・ブルムを見失ってしまいそうだったので、俺は先日ソフィアに襲われかけたことを楯にソフィアを脅して、それでもほんとんど振り払うようにしながら一人でヤツの元へ向かった。
横目に背後を見ると、ソフィアが泣きそうな顔で俺の跡を追いかけようかどうか迷っていた。
まぁ、なんとか一人は確保できたかな……。
◯
「あの、少しお話しいいですか?」
俺が声をかけると、レーゲン・ブルムは振り返って俺の姿を見つける。
彼は俺の存在を認識するや否や、瞳に分かりやすい敵意を満たして、鋭く睨みつけてきた。
以前出会った時と同じだ。
七歳の子ども相手に大人気ない……。まぁ、今回に限っては、都合のいいことだが。
「あぁ、君はソフィアの……、何か用か」
「いや、今さっき言っただろ。お話があるって。もしかして、聞こえてなかったんですか?」
俺の言い草に、彼はカチンと来たご様子。
「だったら、ゴメンナサイ。謝ります。……それで、お話はよろしいですか?」
「……貴様、自分の立場を分かっているのか? ボクは貴族で、貴様は下賤な平民なんだよ。そもそも話しかけるな。……だいたい、貴様どうやってここに入った」
「いやぁ、ソフィアお姉ちゃんと一緒にいたら簡単に入れてもらえましたよ」
「……チッ。……それで、だったら今ソフィアはどこにいる」
「まぁ、教えてもいいですけどね。あなたが俺の話に付き合ってくれたら」
その瞬間、俺はレーゲン・ブルムに胸ぐらを掴まれる。
ちょっ! 俺ちょっと浮いてるって! まじ苦しい……。
「何度も言わせるな愚民。低年だからと言って、許されることではない。分かったらボクの質問に答えろ」
そして俺は、解放される。
はー……、苦しかったー……。
まさか胸ぐらを掴まれて中に浮く日がくるとはね。
でも、いい傾向だ。
「いやいやいや、身分の違いとか、あぁ、もちろん歳の差とかも関係ないですよ。俺は、あなたと話がしたいんです。そして、あなたにも、俺に対して訊きたいことがある。ここで、俺たちの立場は対等だ。でも、先にその提案をしたのは俺なんですよ? だったら、まずは俺の要件を聞き入れてもらわないと」
滔々と言い述べた俺の言葉に、レーゲン・ブルムの口の端がヒクッと釣り上がる。
見ると、彼の右拳がプルプルと震えているのが分かった。
おっ、殴るのか?
「一度、痛い目をみないと分からないのか、低脳な愚民は……」
思った通りに飛んできた彼の拳を、ギリギリで躱す。
ふー……、あぶねー……。
と思ったら、彼の蹴りが俺の鼻先を撃ち抜いた。
バキッと嫌な音が響く。
結構早かったな……。実際は、もっと煽るつもりだったが。
予想を遥かに超えてこいつは体裁を意識しな大バカだったようだ。
地に転がされた俺を見て、周りの学生たちがざわめく。
その中に、青ざめるソフィアの姿を発見。
まさにこちらに駆け寄ってくるところ。
マズイ。ここで、ソフィアに来られたら……。
「ストップッッ!! お願いだから、絶対に大丈夫だからっ!」
出来る限り声を張り上げる。
一瞬、ソフィアの動きが止まった。
俺はソフィアに鋭い視線を飛ばし、ジェスチャーで何とかその場に押し留める。
今にも泣きそうな顔でオロオロしているソフィアの姿を見て、心を痛めていると、レーゲン・ブルムが俺を見下ろしているのに気付いた。
「何がストップだ……。やはり見苦しいな、愚民は」
お前に言ったんじゃないんだけどな……。
そして、レーゲン・ブルムがもう一度俺を蹴ろうとする。
「ストップっ!」
今度はちゃんと彼に言う。
「こ、こんな人目につくところで、そんなことしちゃっていいんですかね……。まぁ、俺は、全然構わないんですけど」
ていうか鼻いてぇ……。あ、鼻血出てる。
「……チッ」
俺の言葉を黙って聞いていたレーゲン・ブルムは、苛立たしげに舌打ちをすると俺を抱き起こす。
そしてざわめく周囲をちらっと一瞥したのち、俺の鼻に手を当てた。
ぼんやりとした光が俺の鼻を包んだかと思うと、痛みが和らいだ。
なるほど、これが医療魔術か。
こいつ、そんなこと出来るのか。さすがだ。
「……いいだろう、貴様の話に付き合ってやる。……ついて来い」
背を向けて、レーゲン・ブルムが呟いた。
◯
俺がレーゲン・ブルムに連行されたのは、何もないがらんどうの一室だ。
広さは十畳くらいかな?
彼は、部屋に一つしかないトビラに向かってこちゃこちゃと何かをやっていたが、それも終わったようでこちらに寄ってくる。
大方、ロックでもかけていたのだろう。
「……さて、と」
近づきざま、俺は先ほどと同じところを蹴飛ばされる。
わぁお、いきなりきたー……。
マジいてぇ。
数メートルほど転がり、俺は壁にぶち当たる。
「……分かったか? 愚民」
「……分かった分かった。崇高なる貴族様が、脳筋バカだってことがァッっぅぐ!?」
今度は、脇腹に衝撃が走る。
焼けるように痛む。
体の中身を、直接火であぶられてるような感覚。
「さて、……では約束通り貴様の話を聞いてやろう。ありがたく思えよ、愚民」
顔面に靴を載せられ、吐き捨てる様に言われる。
「そ、それでは本題に入り……あの、しゃべりにくいのでその汚い靴どけてくれません?」
頰に衝撃が走る。
首の骨が嫌な音を鳴らし、口の中が歯で傷つき、血が流れる。
本気で蹴られるのって、こんなに痛かったんだな……。
わりとマジで泣きたい。
だから、さっさと早く、終わらせよう。
「あ、……あの、あなたは、ソフィアお姉ちゃんと、結婚するんですか?」
「あぁ、そうだな。君には関係のないことだが」
「でも、それ、おかしいですね……、俺がソフィアお姉ちゃん……いや、ソフィアの父親から、昨日、聞いた話だと、まだ正式に婚約は決まってない、とか」
「だからどうした」
痛む首を無理やり動かすと、尊大に腕を組んで倒れる俺を見下ろすレーゲン・ブルムがいる。
「いやー……おかしいな、だったら、なんで、あなたはソフィアと結婚するのが、さも当然の未来であるように、話すんですかね」
「……なに?」
「いやいや、だっておかしいじゃないですか。まだ、だって確定の話じゃないのに――」
「確定なんだよ」
彼が俺を見下ろす目に、嘲笑が混じる。
「知らないか。ソフィアの父親は、ボクに、いや、正確に言えばボクの父様だが、今となってはボクだ。ソフィアの父親は、このボクに大きな債務がある。そして、その債務は、今すぐにでも完済しないと、大変なことになるんだなー。……低脳な君に、理解できるかい?」
「大変な、こと……?」
「あぁ、そうだな。でも、ソフィアとボクとが結婚すれば、互いの家に繋がりも生まれ、状況はまた変わってくる」
「お前が、そう仕向けたのか……」
俺が言うと、レーゲン・ブルムは驚いたように目を丸くする。
そして、大きな声で笑い始める。
「すごいな、君は。なるほど、ソフィアが言っていた通り、見た目以上に賢いようだ」
今度は、憎々しげにつぶやき、また俺の脇腹に容赦のない蹴りが入る。
あぁ、……今、絶対骨折れたわ……。
内臓が焼ける。
痛い、痛い、痛い。
「そうだよ、ボクがそう仕向けた。なんとしてでもソフィアを手に入れたかったからね。あんなに、美人で早明な子は、他にいない」
レーゲン・ブルムの高笑いが、狭い室内に響く。
「ほんとに、ソフィアと結婚、するためだけに……」
「あぁ、そうだよ? 何かおかしいかい? いや、確かに世間から見たらおかしいと思われるかもしれないな。そこは、認めてやろう。だが、ボクはそれでも全然構わないよ」
彼の言葉に、熱が入る。
「あぁ、好きだよソフィア、可愛い。可愛い。好きだ。好きだ、早く、早くね。……あぁ。あぁ、本当に、なんて偶然だろう!! このボクが初めて! あのように心を打たれた女性の家がまさか! ウチの家にカリを作っていたとはねぇ……。はははっ!」
なるほど、そういうことか。
「神などいままで信じたことなどなかったが。今ここで感謝を捧げようじゃないか! このボクとソフィアに祝福を与えてくれた神に、感謝を! ……あぁ、ソフィア、ソフィア、早く早く早く早く、君に会いたくて仕方がない……。ソフィアをボクだけのモノにして、好きにできるのなら、これ以上の幸福はないのかもしれないな……!」
やはりこいつの目的は、ソフィア一人だけだということか。
そうでなければ、話のつじつまが合わないかと思っていたが、まさか本当だったとは。
「だけど、君が! 貴様が!! そうだ、ソフィアが話すのは、絶対に決まって君のことなんだよ……! 毎回毎回毎回毎回、ボクがどんな話題を持ち出しても、何度も話しかけても、ソフィアが、彼女が話すのは貴様、ウィルロールのことばかりなんだよッ!!」
顔面の中央に全力の蹴りが飛来する。
耳の塞ぎたくなるような不快音。
確実に顔の骨に、ヒビが入った。
口から血が流れ、歯がぐらつく。
痛すぎて、何がなんだから分からない。
人はこんなにも痛みを感じることができるのか。
また、蹴飛ばされる。
痛い、痛い。
もういっそ、死んだほうがマシなんじゃないかと思ってしまうくらい、痛い。イタイ。イタイイタイ。
こいつマジで七歳の俺に容赦ねぇな。マジモンのバカだ。
「ご、ガハッ……。お、おい、れ、れ、レーゲン・ブルム……最後に、いいことを、教えてやる」
「ハハハハっ! なんだ負け惜しみか、言ってみろ愚民」
「俺、昨晩ベッドで寝てたら、ソフィアお姉ちゃんに、抱いてほしい、って言われたわ。おっとウソじゃないぞ? お前は、知ってるよな? なんたって――――」
「――――――ッツ!」
さて、このくらいでいいだろう。
俺はレーゲン・ブルムくんからのお怒りを受けながら、頭上に浮かぶ、
この部屋に入ってからの映像を、現在進行形で保存してもらっている。
レーゲン・ブルムは、俺に意識を集中しているため、そのことには全く気付いていない。
これを楯にして、レーゲン・ブルムを脅す。直談判だ。
問題は、俺たちが話していた会話の内容でない。
もしかしたら、という期待もあったが、彼の話の中に、直接攻め込めるような部分はなかった。
話の中身が証明できるのは、ただ、彼の気が狂っているということだけ。
まぁ、ソフィアが、最高の少女という点に関しては同意だけどね。
実際に、俺が彼を脅すときに使うのは、彼が俺をボコボコに傷つけているという事実。
大都市を統治する領主様が、俺みたいな幼い少年に、見るに堪えなくなるほどの暴力を振るったという事実が明るみに出ればどうなるか。
この世界にも日本の警察と似たような社会秩序の維持組織が存在する、という時点でその答えは明らかである。
本当に、コイツがバカでよかった……。
まんまの俺の挑発にのって……。ザマァみろ。
散々な暴行を受け、凄惨なことになっていると自覚しながらも、俺はレーゲン・ブルムの怒りに身をまかせる。
やがて、彼が疲れを見せ、俺への暴行が収まりを見せる。
肩で息をしながら俺を睨む彼の姿を、朦朧とした意識の端っこで捉える。
やばい、ここで意識を失ったら……。
「この……ッ! 散々に調子に乗りやがって愚民がァッ!!」
大きく蹴り上げられた俺は、地面に叩きつけられ、脳が激しく揺れる。
やばい、ちょっと煽りすぎたかも……。
そんなことを考えた次の瞬間、レーゲン・ブルムの様子を確認した俺の体が、一気に冷えた。
やばいやばいやばいやばい。調子に乗りすぎた。
さっきの段階で、回収しておくべきだったんだ。
「……」
「っ!」
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