十話――変態的な嗜好に目覚めた話
太陽が、中天に差しかかろとしていたそんな頃。
まずいな。緊急事態発生だ。
俺は我慢するにしても、アリアは……、
「ねぇ、なんでまほうで作ったお水はのんじゃいけないの?」
先ほどからアリアがしきりにそう訊ねてくる。
どうやら喉が渇いたらしい。非常にまずい。
そりゃアリアからすれば、魔法で生成した水が飲めないというのは不思議で仕方ないだろう。
あんなに綺麗な水なんだから。
だがしかし、俺は魔法で作った水を飲んだ場合、酷く腹を壊すという旨をソフィアから聞いている。
初めは俺も疑問だったが、よく考えたら納得できる理由を見つけ出せた。
要するに、綺麗すぎるのだろう。
魔法により創り出した水は精製水。つまり完全に純粋な水で、そのような水を体内に入れると体に悪影響を及ぼすというのは、前世で得た知識だ。
中学生の頃、理科の授業で習った覚えがある。
しかし、それをアリアに納得しろというのも酷だろう。
実際にその水を飲んで体を壊したわけでもないし、見た目は綺麗なのだから。
あまつさえ今の季節は冬。乾燥が強い。
アリアが脱水症状を起こす可能性は十分にある。
この緊急時に、我慢ができないほど子供ではないアリアが何度もそう訴えるのだ。
きっと俺の想像以上に、喉が渇いているのだろう。
「アリアごめん、ちょっといい……?」
「えっ? え、ウィルっ!? あわわわ……ん? んぅっ……」
アリアの頰に左手を添えて、右手を彼女の口内に突っ込む。頰の裏の粘膜に指を触れさせてみるが、
やっぱり相当渇いてるな……。このままだと、危ないかもしれない。
「……あれ、ウィル……あれぇ?」
……元はと言えば俺のせいだしな。
俺が何とかしないと。
多少の痛みくらいは我慢しろ。
たしか、人の血は水分として摂取できるはず。
そう決心して、俺は左手を自分の口元へ持っていくと、親指の肉を薄く噛み切った。
「ってぇ……」
「いやぁッ! うぃ、ウィルっ! なにやって――むぅぅ……んーっ!」
いってぇ……。思った以上に痛かった。自分で自分の指を噛み切るとか、よく考えたら正気の沙汰じゃねぇな。
「んーっ! んぅー!」
「ごめんアリア、気持ち悪いと思うけど我慢して飲み込んで。アリアのためなんだ、喉、乾いてるんでしょ? お願いだ」
「……ん?」
俺がやったのは、傷を負った指からじわじわと流れ出る血液を、アリアの口に指ごとねじ込むというもの。
けして変なプレイではないし、俺の趣味でもない。
アリアを脱水させないためだ。こんなところで脱水症状なんて起こされたら、俺にはどうしようもできない。
初めの方は抵抗していたアリアも、俺が何をしようとしているのか理解できたのか、戸惑いつつもその行為を存外あっさり受けれてくれた。
つまり、それだけ喉が渇いていたということだろう。
アリアの小さな舌が、指の傷跡を何度も舐めているのが分かる。
気恥ずかしかったのか、目を閉じるアリアは俺の左手を両手で包んで、血の流れる親指を遠慮がちに吸う。
……な、なんかエロいな。
さっきは俺の趣味じゃないとか言ったけど、今ので目覚めてしまったかもしれない。
すげぇ俺、びっくりするほど気持ち悪い。
傷ついた指を女の子に吸わせることが性癖って、新しいな。
新ジャンル開拓。
なんてことを考えている間にも、俺の指から血液が流れ出ていくのが感じられる。
俺の指を吸ってるアリアがうっとりした表情を浮かべているように見えるのは、多分俺の勘違い。
自分の煩悩がここまで酷くなっているとは思っていなかったぜ。
しばらくして、アリアが俺の指から離れる。
まだ親指からはうっすらと血が滲み出ていた。
「……ごめんね、ウィル。アリアがわがまま言ったから。ありがとね? ゆび、だいじょうぶ?」
「いや、このくらい平気だよ、気にしないで、アリアが苦しんでるのは見たくないから」
ちょっと、くさかったかな?
と俺が自らのセリフを顧みていると、アリアが嬉しそうに頰を染めているのが見えた。
アリアはくちびるに付いたわずかな血を舐めとると、
「ありがと、ウィルっ。すごく美味しかったっ!」
「…………あ、うん……うん? ……そ、それはよかった」
美味しかった……? 血が?
何だか少しズレた感想のような気もするけど、アリアが元気になってくれたならそれでいいや。まさか俺の幼馴染は吸血鬼とかじゃないだろうな。
と思った時、またアリアに左手を取られる。
「あっ、こぼれちゃう……」
見ると、親指のは先から血が滴り落ちそうになっていた。その指は、アリアの手によって彼女の口内に運ばれる。
くちゅ、と粘性のある水音が聞こえた。
アリアの新雪の如く白い喉元が、こくりと脈打つように動く。いやに艶かしい。四歳児がやる仕草じゃない。
「……んぅ」
うっとりしているように見えるのは、ほんとに気のせいですよね……?
アリアに親指を吸われるさなか、変な考えへと走って行きそうな俺のどうしようもない思考を必死に押しとどめる。
「うん、これでだいじょうぶ」
えへへ、とアリアが俺に笑いかけた。
とてもかわいい。かわいいんだけど、なにか……。うん、なんだろ、この気持ち。
「アリア、ウィルのことすき」
「……へ?」
なんだその突然の告白は……。
いや待て、早とちりするな。
幼子の「好き」なんて、信用ならん。
小さい子がお父さんに、「大きくなったらパパとけっこんするーっ!」って言う例のやつ、あれと同じだ。
いやでも、もしかするとこれは、俺の悲願たるハーレムに、一歩近づいたことになる……のか?
どうなんだろ。
俺が色々と煩悩を悩ませていると、明るい笑顔に少しだけ照れを混じえて、アリアが後手を組む。
「ウィルは、アリアがすごくあぶなくて、すごくこわいときに、助けにきてくれたし。アリアが、すごいしんどくて、すごいくるしいときにも助けてくれたの。ウィルもいたいのに、アリアのためにしてくれた」
突然始まった俺よいしょに、たじろぐ。
ほんと小さい子ってマイペースよね。
俺は若干、平静を乱しつつも、「あ……うん、ありがと」と返す。
なんで俺は四歳児相手にドギマギしてんだよ! 童貞舐めんなこら! 何を言ってるんだ俺は。
「だから、アリアはウィルのことだいすきっ!」
両手をぱっと広げて弾むように宣言し、アリアは一歩俺に近寄る。
異様な雰囲気を無意識下で感じ取った。
俺は一歩後ろに下がる。
……なんで俺は今逃げたんだ?
まさか四歳児の幼女相手に押されているのか? この精神年齢が十八歳にも達しているはずの俺が?
アリアが一歩近寄り、俺はまた一歩下がる。
あっ、でも俺、異性経験の年齢で言えば、アリアとほとんど変わらない気がする!
「あの、ね。ウィル……」
「……う、うん」
いつの間にか俺は大木を背に、アリアに追い詰められていた。たすけて。
アリアは頰を赤らめて、どことなく熱っぽい視線を俺に向けた。
「アリアね、ウィルとちゅーするの……、ほんとは、いやじゃないよ?」
言って、アリアは顔を俺に近づけてくる。
鼻先、鼻先が触れ合う距離にまで来たところで、アリアが止まった。アリアの両手は、俺を囲むようにして、大木に置かれている。
ゆっくりと目を閉じられる。
心なしアリアの息が荒い。
おいどういう意味だそれは。待って、ほんとに待って。待って待って。童貞にそれはきつい。
あとこれは三歳児と四歳児の間に起きていいアクションじゃない気がする!
まだ早いって! まだ早い。色々と早い!
誰か助けてぇっ!
そんな俺の切実な思いが通じたのか、そうでないのか、
「ウィルくーんっ!! どこーっ? ウィルくん――ッ! アリアちゃんも一緒なのーっ!?」
「……ソフィア姉さん?」
比較的近い所から、反響するように聞こえてくるよく聞き慣れた声。
それは、ソフィアが俺とアリアを呼ぶ声だった。
……なんでだ? 俺たちが遭難しているのを知っていたのか?
それならどうやってこの場所を突き止めたんだろう。
まぁ今はそれよりも、助けが来たことを素直に受け止めないと。いろんな意味で。
「ソフィアお姉ちゃーんっ!! ここだよーっ!!」
声を張り上げて、居場所を知らせる。その瞬間だった。
場に、一陣の風が駆け抜ける。
突風に思わず目をつむり、再びを目を開けた時、そこには肩を上下させて怖い顔をしているソファがいた。
俺は瞬時に悟る。やばい、怒られる、と。
俺は突然の出来事に目を開き固まっているアリアの拘束を丁寧にほどき、彼女の佇まいを正すと同時に、自らの佇まいも正す。
そしてから、俺はソフィアを見上げた。
準備は整いましたぜ、姉御。色々と感謝してます。
「……」
ソフィアは息を整えて、俺とアリアを睨みつけると……、
「森の奥には勝手に入っちゃダメだって! お姉ちゃん何度も言ったでしょッ!!」
ソフィアお姉ちゃんの大雷が轟いた。
また、「ウィルのおおばかぁッ!」という身に刺さる言葉と共に、俺の頰に赤いもみじが刻まれたのは別のお話である。
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