第六章

 栄るサミットの翌日、煉獄シンドロームの緊急会議が開催された。場所はカズさんのアパートのリビングだ。

 僕は昨日の夜から爆睡していて、昼近くに空腹で目が覚めた。食べるものがなくて、仕方なく戸棚の奥にあった某粉の素でホットケーキを焼こうとしていると、法事を終えた順さんと陽くんがやってきた。順さんは来るなり、カズさんに掴みかかっている。

「お前さ、ああいうの本当やめてくんない? 俺の寿命を何年縮めれば気が済むんだよ」

「えー、怒んないでよ」

 カズさんは両手を挙げて、降参のポーズをしている。

「リーダー、怒られるの分かってて言ったんすから、ここは諦めて怒られましょ?」

 陽くんが笑いながら、それを見ている。僕は何が起こっているのかが分からず、焼く前のホットケーキの生地をただ掻き回していた。

「まぁ、そうだな。分かった。怒ってくれていいからさ、琵琶湖フェスにエントリーしてみようぜ。順だって、琵琶湖フェス出てみたいだろ?」

「そりゃ、チャレンジはしたいさ。大きなフェスだし、若手バンドの登竜門的な存在だしな。でも、俺が怒ってるのは、先に言えってことだよ。いっつも後手に回って、尻ぬぐいさせやがって……もう、あたふたさられるの嫌なんだよ」

 順さんがかなり真剣に怒っている。いつもは仕方ないな、という雰囲気があるのだが、今日は本気モードで怒っているようだ。

「なんだよ、そこまで怒ることないじゃん。これくらい、いつものことだろ。どうしてそんなに怒ってるんだよ」

「栄るサミットみたいな、飛び入り参加は仕方ないと諦めも付く。けど、配信で言ったことは、俺に先に言えることだろ。最近のお前って何か焦ってない? もしかして、玲子のバンドと比べてんのか?」

 順さんの言葉に、カズさんは沈黙してしまった。つまり、図星だったということだろう。

「あー、二人とも、ちょっと落ち着いて。クールダウンっすよ」

 陽くんがまぁまぁと、なだめに入った。

「俺、お茶入れるっすから、リーダーも順兄も座って座って。陸兄、手伝ってもらっていいっすか?」

 陽くんに促されて、僕はキッチンへ向かう。

「あ、あの、陽くん。あの二人、大丈夫かな」

 僕は心配で、ちらちらとリビングの方を見る。

「大丈夫っすよ。あれくらいは通常運転っす。法事でバンドのこと言われたから、順兄の機嫌もちょっと悪くて、タイミングが良くなかったっすね」

「もしかして……陽くん達の家族は、バンド活動を良く思ってないの?」

 聞いて良いのか迷いつつも、僕は聞いてしまった。

「んー、そうっすね。しぶしぶ黙認ってかんじっす。ただ、順兄は二十三歳だし、周りは普通に働きだしてるから風当たりが強くて。俺はもっと勉強しろって言われるんすけどね」

 陽くんは、あははと笑った。

 僕はなんと言ったらいいのか分からなくて、ホットケーキの生地をぐちゃぐちゃと混ぜる。

「陸兄。それ、そのまま持ってても仕方ないから、もう焼いちゃいましょ」

 陽くんは勝手知ったる場所とばかりに、シンク下からフライパンを取り出した。

「でも、二人をほっといていいの?」

「大丈夫っすよ。お互い言い過ぎたって思ってるはずだから、逆に俺や陸兄がいない方が、素直に話せるってもんっす」

 そういうもんなのか、と僕は思った。友達がいなかったから、喧嘩もしたことがないのだ。

 コンロの火をつけて、フライパンを熱する。薄くサラダ油をひき、一回濡れ布巾の上にフライパンを置く。

「陸兄、濡れ布巾の上に置くとか、何かプロみたいっすね」

 陽くんの言葉に、僕は首を傾げる。

「だって、袋の裏にそう書いてあるから」

 僕はほとんど料理などしないから、書いてある通りにしているだけだ。

「え、そんなこと書いてあるんすか? 俺、こういう説明書きとか読まずに、適当に作るから知らなかったっす」

 陽くんが袋裏の説明書きを読んで、しきりに感心している。僕はフライパンをコンロに戻し、ホットケーキの生地を、お玉でひとすくい垂らした。僕と陽くんは、上からホットケーキの様子をじーっとのぞき込む。だんだんと表面がぷつぷつとしてきた。

「そろそろひっくり返せるかな」

「俺、やってみたいっす!」

「いいよ。あ、フライ返しってどこ?」

慌てて探していると、ふと視線を感じて僕は振り返った。

 後ろには、カズさんと順さんがいた。

「十七歳コンビが可愛すぎるぅ……」

 カズさんは何故か両手で顔を覆っている。

「カズ、お前のブラコンはどうにかならないのかよ」

「ブラコンいうな」

「んじゃショタコン?」

「こいつらショタって歳じゃないだろ。ていうか、俺の地雷を簡単に踏み抜くとは、喧嘩の第二ラウンド行くか?」

 カズさんがふて腐れたように、腕組みをした。

「第二ラウンドには行かないから。ごめん、ちょっと口が滑った」

「別にいいよ。昨日、玲子にもちょっと言われたし。それもあってさ、何か焦っちゃった感はあるかもなぁ」

 カズさんは気まずそうに、頭を掻いている。

 陽くんが僕にだけ見えるように、ウインクをした。それを受けて、僕も小さく頷く。

 陽くんが言ったように、二人は大丈夫だった。安心していると、陽くんが再びウインクしてきた。え、何、そういう意味のウインクじゃないの?

 僕が困惑していると、焦げた臭いが漂ってきた。

「陸兄、だから焦げてるっす」

「そっち? ホットケーキのことだったの?」

 僕は慌ててフライ返しを探す。

「ホットケーキ以外に、何があるんすか?」

 真顔で陽くんに返され、僕は返答に詰まる。

「いや、えっと……なんでもないです」

 僕は恥ずかしくて、顔が熱くなった。

 結局、少し焦げたホットケーキが焼き上がった。でも、二枚目以降はコツをつかんで、綺麗に焼き上がっている。合計四枚、僕とカズさんが二枚ずつと思ってこの量にしたのだが、陽くんがよだれを垂らして見ているので、僕の分を一枚あげた。焼くのを手伝ってくれたご褒美だ。そして、カズさんも順さんに一枚あげようとしたが拒否られていた。そして、めげずに切り分けたホットケーキを「あーん」と差し出して、順さんに殴られている。

 そして、ホットケーキを食べながら、琵琶湖フェスに向けての話し合いになった。僕は、琵琶湖フェスそのものを知らなかったので、まずはそこの説明からしてもらう。

 琵琶湖フェスは、その名の通り琵琶湖のほとりで九月に行われている音楽フェスだそうだ。毎年有名なアーティストが出演し注目度が高いそうで、話を聞いているだけで凄いフェスなのだと分かる。ただ、これはメインステージの話であり、煉獄シンドロームが狙っているのはサブステージの方らしい。メインステージはチケットを持った人しか入れないけれど、サブステージは入場無料エリアにあり、誰でも見ることが出来る。そのサブステージに出場するバンドを、公募しているとのことだった。このサブステージから、数年後にメインステージに出世したアーティストが何組もいるため、今では若手の登竜門的な意味合いもあるそうだ。

「カズ、これ締め切りが六月中って……一週間ないんだけど」

 順さんが公募の詳細をスマホで確認し、青ざめている。

「そ、急がないと間に合わないんだよ」

 あっけらかんというカズさんに、順さんは頭を抱えた。

「くっそ、もう一発殴りたい」

「殴っても良いから、エントリーやっといてよ。俺、こういう小難しいこと苦手だからさ」

 カズさんが顔の前で手を合わせる。

「ふう、落ち着け俺。平常心だ俺――わかった。手配はする。その代わり、一次選考が通った後の、二次選考は任せるからな」

 順さんは深呼吸を繰り返し、何とか興奮を収めていた。

「二次選考って、何するんすか?」

 陽くんがホットケーキを頬張りながら、質問する。すると、カズさんが得意げに話し出した。

「一次通過バンドは、ライブハウスで新曲を披露すんだよ。んで、評価の良かったバンドが、フェスに参加できるってわけ」

 なるほどと、僕は思う。煉獄シンドロームの曲は、カズさんと順さんが主に作っている。順さん的には諸雑務で手一杯だから、曲作りはカズさんに任せるということらしい。

 順さんと陽くんが帰った後、さっそくカズさんはアコースティックギターを取り出してきた。リビングのソファーに座り、ポロロンと爪弾いている。僕はリビングの端の床からそれを眺めていた。

「なぁ、陸はどんな感じで曲作りすんの? 俺はもっぱら、ギターで適当に音鳴らしてるうちに、メロディーが浮かんでくるんだけど」

 カズさんに聞かれ、僕は考える。作ろうと思って作ったことがないのだ。だって、作らなきゃいけない状況なんて一度もなかった。引きこもりで、じいちゃん以外の人とセッションすることもなかったのだから。

 だから、僕が曲を作るときは、ふと音が降ってきたときだ。降ってきた音を、忘れないうちに形に残して、アレンジしてリズム付けて一曲に仕上げていた。

「僕は、あまり意識して曲を作ったことがないので……改めて聞かれると、その、答えられないっていうか」

 僕が困ったように言うと、カズさんは少し笑った。

「じゃあ、墓地で弾いてたあの曲は?」

「あの曲は、じいちゃんが死んじゃって、ひたすら泣いてたときに、ふとメロディーが降ってきたんです」

 僕とカズさんを結びつけてくれた曲だ。

今となっては、じいちゃんが僕を心配して、カズさんをあの場所へ呼び寄せたのではないかと思えてくる。

「その割には、明るい曲だったと思うけど」

「んーと、じいちゃんがいなくなって辛いのは確かなんですけど……そこじゃなくて、じいちゃんが僕に与えてくれたものを表現したというか」

 じいちゃんが僕に与えてくれたのは、暖かい居場所、優しいぬくもり、心焦がれる音楽。じいちゃんは僕にとって、恵みをくれる太陽みたいな人だったから。だから、あの曲はとても華やかな旋律になった。

「なるほど、いいね。じいちゃんも落ち込んだ曲より、そっちの方が嬉しいと思うよ」

「そうだと、いいんですけどね」

 僕は、じいちゃんに与えてもらってばかりだった。けれど、何も返せないまま、僕の前から消えてしまった。だから、せめてもの贈り物と思って、丁寧に心を込めて仕上げたのがあの曲だ。

「どんな曲にしよっかな。野外フェスだし、ノリの良い疾走感のあるやつが良いよな」

 カズさんは、コードを鳴らしながら、ハミングしている。

「あの、一次が通ったとして、二次はいつなんですか?」

「二次のライブ選考自体は七月末。でも、フェスの実行委員会には、事前にどんな曲をやるのか提出しなきゃなんないんだよね。もちろん選考そのものはライブパフォーマンスだけど」

 おそらく時間配分やバンドの特徴などを、事前に知っておきたいのだろう。

「じゃあ、一次の結果が出たら、すぐに二次用の曲を提出ってことですか?」

「そーゆーこと。だから、多分エントリーする奴らは、既に新曲を用意してるんだろうなぁ」

 平然と言うカズさんを見て、僕は唖然とした。つまり、かなり出遅れているということではないか。見切り発車もいいところだ。

「えっと、カズさんはこのフェスに参加したかったんですよね。なら、前から準備しておけば焦らずに済んだのでは?」

 僕は恐る恐る指摘してみる。

「んー、今となっちゃその通りなんだけどさぁ」

 カズさんはポロロンと弦を鳴らすと、苦笑いを浮かべた。

「そもそも俺ら、ちょっと前までメンバー探してたんだよ?」

「あ……」

 僕はそのことを失念していた。だからこそ、僕は煉獄シンドロームのベースに迎え入れられたのに。

「つまり、バンドとしてまともに活動すら出来ない状況で、フェス参加なんて考えられなかったわけよ」

 そこまで言うと、カズさんはCのコードを効果音のように鳴らした。

「だけど、今は陸がいる」

 次はFのコードを鳴らす。

「メンバーが揃ったんだ。最高のメンバーだ」

 そして、カズさんはニヤリと笑うとG7を鳴らした。

「そしたらさ、次に進みたくなるだろ?」

 僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

 カズさんは結論が来るとばかりに、Cのコードに戻る。

「つまり、陸に出会えたから、エントリーしようって思ったんだよ」

 カズさんが真っ直ぐに僕を見た。その眼差しに、僕は体が熱くなる。カズさんの無謀とも思える行動にも、ちゃんと理由があったのだ。

 昨日のステージで、玲子さんの実力は肌で思い知った。僕は、玲子さんにはまだまだ敵わない。だけど、僕のベースでフェスへ挑戦出来ると、カズさんに思ってもらえたことがすごく嬉しい。

 だからこそ、僕は聞きたくなってしまった。今まで気になってはいても、立ち入っていいのか分からなかったこと。

 でも、聞いたらやっぱり嫌かな、変な空気になるかな、となかなか踏ん切りがつかない。僕はどう切り出そうか、そもそも聞くのをやめようかと、落ち着きなく視線を動かしたり手汗を拭ったりしてしまう。

「りーくー、何そわそわしてんだよ。聞きたいことがあるなら言いな?」

 カズさんは笑っている。そんなに僕の態度は分かりやすかっただろうか。

「あ、あの……無理に聞きたいとかじゃなくて、言いたくないなら全然言わなくていいんですけど……その……」

 せっかくカズさんが切り出すチャンスをくれたのに、なかなか本題を言えない。

「いーよ、気にしないで言いなって」

「じゃ、じゃあ……えっと、玲子さんの……脱退理由を、その、聞いてもいいですか?」

「あぁ、だから聞きづらそうにしてたのか。玲子本人にも会ってるし、そこ気になるよなぁ」

 僕は小さく頷く。

「話せば長い……ようで、結論だけ言えば考え方の違い、だな。なんつーか、俺らさ、メジャーデビューのチャンスがあったんだ。でも俺が出された条件を飲めなくて、話は流れた。そんな時に、玲子に『ベラトリックス』から引き抜きの話があってさ。あそこはメジャーデビュー目指してやってる、モチベーションの高いバンドなんだ。だから、玲子は俺に見切りを付けて出て行ったよ」

 カズさんは大きくため息をつくと、遠い目をして話し続けた。

「俺だって、メジャーデビューしたかったよ。今でももちろん、それを目指してやってる。でもなぁ……あの条件だけは飲めなかったんだ」

「そ、そんなに酷い条件なんですか?」

「ん? いや、多分そんなに悪くないと思う。俺が頷きさえすれば、みんなでデビュー出来たわけだし」

 僕は黙って、カズさんが続きを話し出すのを待った。

「レコード会社が示してきた条件な、新しいボーカルを入れるってことだったんだ。俺はボーカルを譲って、順とツインギターを組めってさ」

 僕はあまりのことに、息がとまる。

 カズさんは、ライブ中は歌うことにパフォーマンスの重点を置いているから、あまりギターを弾かない。けれど、カズさんのギターは華やかで人目をひく。偉い人が目をつけるのも分かる。けれど、カズさん自身は、自分は歌があってこそだと思っている人だ。

「新しいボーカルは大物アーティストの次男坊で、歌はちゃんと上手かったよ。話題性もあるから、デビューして注目されるのは必至だった。断るのはバカだって玲子に言われたよ。曲が良くても、聞いてもらえなければ売れない。でも、煉獄シンドロームの曲は、聞いてもらえれば絶対に良さは伝わる。だから、最初から注目して聞いてもらえるこの条件は、悪いものじゃないって」

 カズさんは下を向いたまま、ギターを抱きかかえるようにソファーで丸くなった。

「玲子の意見は最もなんだよ。そんな簡単にチャンスなんて来ないことも分かってる。だけど、俺は煉獄シンドロームのボーカルは、絶対に譲りたくなかったんだ」

 僕は、すごいショックだった。いろんな感情がぐるぐると渦巻いて、目が回りそうだ。

 だって、カズさんが歌わないなんて、考えられない。でも一歩間違えば、カズさんは煉獄シンドロームのボーカルではなくなっていたのだ。恐ろしくてゾッとした。

 そして、玲子さんに対する不信感が、綿菓子のようにモコモコと膨れ上がっていく。玲子さんが、カズさんにボーカルを譲れと言ったことが信じられない。

「玲子はさ、大人だったんだろうなぁ。そんで、俺らがガキだったんだ。順は俺の意見に同意してくれた。だから、玲子が一人悪者みたいな雰囲気になっちゃって……そりゃ、もうベースなんて弾いてくれるわけないだろ」

 カズさんは、自分こそが悪者だと思っているみたいに見えた。でも、自分がボーカルとして、そしてリーダーとして引っ張ってきたのだ。そんな大切なバンドのど真ん中を、他人に譲れなんて言われて、すんなり受け入れられるわけがない。カズさんは決して悪くない。

「陸、お前がそんな顔すんなって」

 顔を上げたカズさんは、笑っていた。

 そんな顔って、僕はどんな顔をしていたのだろう。ただ、カズさんのように無理した笑顔は作れそうになかった。

 そこからの数日、カズさんはバイトの合間に曲作りをし、僕はアパートの掃除をしたりバイトを探したりして過ごしていた。僕が料理アプリを見ながら作った拙い料理を、カズさんと桜さんが笑いながら食べる。兄と姉がいたら、こんな風なのかなと、くすぐったい気分になった。

 そんな日常がすごく心地良くて、僕はそれが泡沫だったなんて気が付かなかったのだ。

 ある日、カズさんは風邪ひいたかもと言って、バイトの後に病院に寄ると言い残して出掛けた。僕はマスク姿のカズさんに、お大事にと思いながらも特に声をかけることはなかった。どうして僕は何も言わなかったんだろう。あそこでちゃんと会話をしていれば、何か異変に気付けたかもしれないのに。

 それ以来、カズさんは行方不明になった。



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