閑話 ある掲示板住人のお話 四人目
「おっすー、ひさしぶりー。あ、ラーメンひとつね!」
「いらっしゃい、って明くんか! ひさしぶりー」
熊本市から車で北に一時間弱の郊外。
一軒のラーメン屋に男がやって来る。
帰ってくるたびに、男はここのラーメンを食べに来ているのだ。
ちなみにこのお店、いわゆる「熊本ラーメン」の店ではない。濃厚な豚骨スープと中細麺のご当地ラーメンとして売り出しているが、まだまだマイナー。しかも郊外という立地にも関わらず、店は繁盛しているようだった。
「ああー、やっぱりここのラーメンは美味いわ。背脂で黄金色に光る濃いスープがクセになるんだよなあ。あ、おっちゃん、替え玉ひとつ!」
「あいよー。明くん、今回はどこ行ってたんだい?」
「ほら、冬だったしさ。北海道のリゾートで働いてた!」
独り言ではない。
カウンターの向こうにいる店主と話しているのだ。
「あいかわらず自由でうらやましいな! それで、しばらくこっちにいるのか? ほれ、替え玉!」
「お金も溜まったし、たぶんね!」
ずいぶん適当な男である。
しかもこの男、これで30才を超えているのだ。
独身バツなしとはいえ、自由すぎる。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「ただいまー」
「おお、明か! おかえりー」
念願のラーメンを食い終わった男は、さらに移動して数ヶ月ぶりの自宅に帰る。
かつては日本一のすいかの産地としてそこそこ知られ、いまでは熊本市となった町である。
それにしても、四ヶ月ぶりの帰還の挨拶なのに軽い。本人も家族も軽い。
陽気で純粋で、でも一度自分で決めたら誰に何を言われようと譲らず、頑固な個人主義者たち。
さすが肥後もっこすである。
もはや家族も男に何か言うのは諦めていた。けっきょく、家族もみんな個人主義者なのだ。
「おっし、ひさしぶりにパソコン開くかー」
自室に帰ってきた男は、荷解きも早々にパソコンデスクに向かう。
そこに深い理由はない。
ただなんとなく、そんな気になっただけ。
「メールは……まあ向こうでも見てたしな。じゃあヒマつぶしにっと」
さっそくネットサーフィンをはじめる男。
つくづく自由人である。三十路がコレでいいのか。
まあ本人はまったく気にしていないようだが。
「ひさしぶりの掲示板……ん? やべ、おもしろそうなの見つけた!」
自室で独り言なのになぜか明るい。ある意味ユージやほかの引きニートたちよりも危ない男である。
そして男は、自分の人生を変える出会いを果たす。
その日、男が見つけたスレ。
それは『【引きニート】10年ぶりに外出したら自宅ごと異世界に来たっぽい【脱却?】』というスレだった。
「お、俺もニート違うし、っと。働いてるしね! 短期バイトだけどね!」
深迫 明、30才。
いまでは熊本市となった実家に住民票を置いているが、旅に出たりリゾートバイトをしたりと、自由に生きる男。
本人いわく、夢追い人。
職業不詳の自由人、いや、ただのフリーターがユージを知った日だった。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
熊本市街、雑居ビルの地下に男の姿があった。
爆音の中、ジーマ片手に男は歩く。
顔見知りでも見つけたのだろうか。
握手し、肘を曲げて握った手を組み直し、たがいの胸元に引きつける。距離が縮まったところで言葉を交わす。
「おお、帰ってきたんか明!」
「おう、ひさしぶり! しばらくこっちにいるつもり!」
クラブで交わされる握手からの一連のアクションは、かっこつけているだけではない。
音がうるさすぎて、普通の距離では会話が聞き取れないのだ。
叫ぶように言葉を交わす男。
「そうか! じゃあ今度イベントに参戦してや!」
「おう、連絡くれ! いつでも歌ってやる!」
どうやらこの男、地元のイベントに呼ばれる程度には歌唄いであるようだった。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「やっべえ、あいかわらずおもしろいぜユージィ!」
掲示板のチェックは男の日課になっていた。
自室のパソコンで、スマホで。
異世界で奮闘するユージを見ては賑やかしを書き込む。
まあ本人には、賑やかしという感覚はないのだが。
それでも場を壊さないのは、流れるように短期バイトをこなし、旅に出て、いろいろな場所でさまざまな人に関わってきたからか。
歌を歌い、旅をして、金がなくなったらどこかリゾートに行ってバイトする。
友達は多いが彼女はいない。
モテないわけではない。
むしろ、いくらでも彼女ができておかしくない行動パターンである。
だが、男に彼女はいなかった。
いや、彼女がいたことはなかった。
30才を超えていまだ童貞の立派な魔法使いである。
友達は多いが、深い付き合いの親友もいない。
その理由はたったひとつ。
男にカミングアウトする気はなかった。
人と違うことは受け入れたが、それを明かす気はなかったのだ。
だからこそ。
恋愛がままならないから、せめて自由に生きて、人生を楽しんで、一人で死ぬ。
他人からどう言われようとそれでいい。
それが男の決意だったのだ。
深迫 明、または名無しのミート、30才、童貞。
体は男、心も男だが、恋愛対象は男。
カミングアウトせず、誰にも明かさずに生きることを決めた一人の男であった。
秘密を明かすつもりはないのに、明、というのも皮肉な名前である。
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異世界に行ったと言い張るユージをネタにした掲示板。
男はそれを楽しんでいた。
地元の熊本で、夏に沖縄のリゾートで、冬に本州のスキー場で。
アップされる画像も動画も、何もない日の書き込みも。
それは、誰にも秘密を明かさないと決めた男にとって、ひとつの逃避だったのかもしれない。
異世界の情報が上がるたびにはしゃぎ、掲示板住人のノリに楽しむ。
たとえバレても、掲示板に書き込まなきゃいいんだし。それにコイツらなら、ひょっとしたら。
気軽な関係が、社会からはみ出した者たちのゆるい集まりが、男には心地よかったのかもしれない。
そして。
男が掲示板でユージを知ってから2年弱。
3月。
男にとって大きな転機となるスレが立った。
『【本スレ】ユージ関連スレ共通オフ開催part1【検証スレ共通】』
ユージの妹、サクラの友達の恵美が立てたスレである。
オフ会の場所は宇都宮。
男が働いていたのは国内有数の冬のリゾート地・苗場。
ほかの掲示板住人たちと比べたら、宇都宮はわりと近い方だ。距離だけでいえば。
「よし、行くか! バイトも終わってるしな!」
軽い。
もともとフットワークが軽い男なのだ。
カミングアウトしようと思わなければこんなものである。
ちなみに。
リゾートバイトで稼ぎ、フットワークは軽い男だが、入ってはいけない場所には入らない。
開かずの間は、別にリゾートバイトに付き物ではないのだ。
まあいわくつきの部屋や場所は腐るほどあるのだが。
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「いやー、楽しかった! 餃子もうまかったし、BBQもよかったし、みんないいヤツだったし! メイドは……う、うん、一昨日はたまたまだ!」
キャンプオフからの帰路。
男は、東京駅八重洲口にいた。
バスを待っているのだ。東京から博多まで、およそ15時間かかる夜行バスを。
なぜリゾートバイトして金を稼いだのにその選択肢をとるのか。
ちょっと奮発しよっと、などと言いつつ、コンセント付き三列独立シートのバスをセレクトしていた。
アホである。
ちなみにキャンプオフ後、男はなぜか宇都宮から北上。
鬼怒川温泉で一泊して温泉を堪能したのちにこの場にいる。
自由な男である。
いや、ひょっとしたらBBQや自分の匂いを気にしたのかもしれないが。
「お、バス来たか! おおおおお、豪華じゃねーか! ひゃっほう!」
アホである。
この後、男は滅茶苦茶後悔した。
いかに環境が整っていようと、10時間を超える夜行バスは苦行なことに変わりはないのだ。
しかも、男が地元の熊本にたどり着くには、福岡からまた移動することになるのだ。
男はこの後、ケツの肉がとれる夢を見るかもしれない。
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スネーク班として参加し、キャンプファイヤーで歌を披露した第三回キャンプオフ。
その後、男は宇都宮をうろうろしていた。
男がわりと普通に外に出て、しかも短期バイトで食いつなぐフリーターをしていると聞いて、クールなニートから声をかけられたのだ。
株式会社セリシールか、NPOのどっちかでちょっとバイトしてみないか、と。
悪魔の誘惑である。
いや、誘われた頃はそれほどヒドくはなかったのだが。
そこで男は、ユージが大金が手に入りそうだと言っていたその中身を知る。
ユージの話が、映画化する。それもハリウッドで。
「マジかよユージィ! え? それ絡みの雑用とキャンプオフのお手伝い? やるやる、おもしろそう!」
そう言って、男は宇都宮で働きはじめるのだった。
メンバーは郡司、郡司と同じ弁護士、クールなニート、物知りなニート、元敏腕営業マン、洋服組B、郡司が手配した事務員が数名。
男の仕事は電話番や簡単な入力、雑用、書類のやり取りが必要になった際の使いっ走りである。
「なんか……すげえラクなんだけど。俺、事務仕事の才能があったのかも!」
気のせいである。
だが、NPOが本格的に動き出したとき、男のこれまでの経験が役に立つことになる。
クールなニートが企画したキャンプは、もはやキャンプというより小さなイベントだったのだ。
大型モニター、音響設備、照明、発電機、設置&撤収する人員。
ステージこそないが、必要な設備はもはやただのイベントである。
そして、会社でもNPOでも、野外イベントに行ったことがあるのは男だけだったのだ。
さすがインドア極まったメンツである。
ちなみに、地元の小規模なものだが、男は出演者側で野外イベントに参加したこともある。
NPOが主催する、引きニートやニートが動き出すきっかけになれば、というゆるいキャンプオフ。
いつの間にか、男はその準備の担当になっていた。
機材の手配、派遣会社への人員確保、交通手段の検討、告知。
まあ出演者がいない分、仕事量としてはたいしたこともなかったのだが。
そして。
株式会社セリシールとNPOに、ひとつの連絡が届く。
ユージの妹、サクラからの電話とメールであった。
以降、宇都宮の事務所は増員をかけ、郡司やクールなニート、元敏腕営業マンといった面々は忙しそうにしている。
「あっちは大変そうだなー。まあ俺はとりあえずキャンプの準備だな! おし、大型モニター確保! じゃあクールなニートに言って、日付確定で告知してもらうかー」
自由な男は、一人楽しみながら粛々と準備を進めるのであった。
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コテハン、名無しのミート。
短期のリゾートバイトで金を稼ぎ、旅行に、音楽にと自由に生きるフリーター。
友達は多いが、たがいを深く知る親友はおらず、作る気もない男。
体も心も男だが、恋愛対象は男。
カミングアウトしないと決め、それ以外は自由に生きると決意した男。
陽気で、しかも場を壊さない男の気性は、掲示板の賑やかしとなっていた。
一回目のキャンプオフに参加。
以降、キャンプオフには毎回参加する。
三回目のキャンプオフ以降は、株式会社セリシールとNPOのスタッフとしてバイトをはじめる。
NPOが主催する以降のキャンプオフは、男が手配した機材や話をつけた派遣会社がベースに。
ユージが異世界に行ったことをきっかけに、社会からはみだしている自分と同じ仲間を見つけた男。
ある掲示板住人の、ちょっとした物語であった。
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