閑話 ある掲示板住人のお話 一人目


「はは、異世界に行ったとか意味わかんねーし。じゃあなんでネット繋がってんだよ」


 暗い部屋で、モニターの明かりに照らされた男が一人呟く。

 日課のネットサーフィンと掲示板チェック。

 その日、男が見つけたのは『【引きニート】10年ぶりに外出したら自宅ごと異世界に来たっぽい【脱却?】』というスレだった。


「さすが引きニート、妄想すげーな、っと」


 カタカタとキーボードに文字を打ち込む男。


「まあ俺も引きニートなんだけどな。……はあ。どうしてこうなった」


 遠藤文也、21才。

 埼玉県在住だが東京よりの新興住宅地ではなく、田んぼが広がる農村エリアに住む男。

 高校を中退した引きニートが、ユージを知った日だった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「ゴブリンとかマジかよ。ってかコイツCGすげーな。プロか? うん? 動画?」


 夜が明け、両親が仕事に出たら食事と風呂。終えたら眠りにつき、夕方前に起き出す。ネットを見て、掲示板で雑談し、時にはネトゲや撮り溜めたアニメを楽しみ、夜が明ける。そんな何の変哲もない生活を送っていた男。

 日課となった異世界にいると言い張るスレを見ていると、どうやら動きがあったようだ。

 各種ゲームやファンタジー小説・映画でおなじみのモンスター、ゴブリン。その画像と動画がアップされていたのだ。


「どれどれ……。おお、やっぱり動画だ。おいおいマジかよ、マジでそれっぽく動いてんじゃねーか。しかも殺る気かよ。武器か……あえて素手、っと」


 カタカタとキーボードを叩き、書き込む男。どうやらコテハンこそないものの、書き込むことは日常になっているようだった。


 おいおい、ゴブリンいなくなったとかマジかよ、くっそつまんねーなおい。男はモニターを前に一人呟く。

 どうやらネットでは強気なタイプのようである。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「おいおいおいおい! マジかよ!」


 ゴブリンの画像と動画がアップされた翌日。さらに衝撃の動画がアップされた。

 コイツ顔バレしてんじゃねーか、ってか青い血ってなんだよ、とパソコンに突っ込む男。


「しっかしクオリティたけえな。うおおおお、この犬かっけー! どう考えてもコタローのおかげ、っと」


 ユージとコタローが初めてモンスターを退治した動画を見た男は、大きな声を上げていた。

 自身は気づいていなかったが、男がここまで感情を動かされたのは数年ぶりであった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 何気なく覗いた掲示板でユージのことを知った男。

 それからというもの、男は掲示板に常駐していた。

 幼女を拾ったと聞いては通報しようか悩み、幼女が義理の妹になったと聞いては血涙を流し、ユージの妹のえげつない本人確認に爆笑し、ユージが金持ちであったと知って嫉妬する日々。


 男はすっかり「本当に異世界かどうか」など気にしなくなっていた。面白いからいいじゃん、というのが男の本音だった。

 気がつけば、異世界に行ったというスレを発見して一年近く。

 煽られることもなく、男はほのぼのとユージの異世界生活を楽しむのであった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「おいおい冒険者とかマジでゲームかよ。どこからつっこんでいいのか、っと。お、スレ加速したな。ってかこのスレこんな人いたのか」


 男がユージのスレを見つけてから一年近く。どうやら掲示板に、というか異世界にいるユージにまた動きがあったようである。ユージの家に、冒険者三人組が来たのだ。

 ってかユージ、マジで危機感なさすぎだろ、と呟く男。危機感がないのは引きニートをしている男も同じである。


「おお、まだ冒険者いるのか。ってここでネタはさんでくんのかよ!」


 すかさず男は、おいこれユージまったく反省してねえぞ、と書き込む。いつの間にか男も熱くなっていた。頼りないユージを目の当たりにして、自分の方がうまくやれる、アドバイスしてやろう、そんな気持ちが生まれていたのである。


「おいおい、このクールなニートってヤツすげえな。なんでコイツこのスレいるんだ? 冒険者に依頼して連れて来させる報酬か……。家にあって異世界で価値があるもの……。宝石、金銀アクセサリー、っと。くっ、当たり前だしおもしろくない!」


 自分で書き込んでおきながら自分に突っ込む男。たしかに書き込んだ内容は普通すぎる。男は、鏡が多いからって『お前んちマジックミラー号?』とかコイツ天才だろ、などと呟いている。ほかの住人の才能に嫉妬しているようだ。だが普通、そんな才能はいらない。


「くっ、眠くなってきた。でも決まったからってあのユージが交渉とか……。ユージひとりでとかムリだろ、っと」


 ある意味で祭りを迎えた掲示板。男は交渉のレクチャーを受けるユージを見守ることにしたようである。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「行商人もクリアしたみたいだし、これでユージもとりあえず安定か。……しっかし、追い詰められると人間やれるもんなんだなあ……。俺も……」


 ふとモニターから目を離し、暗い部屋を見渡す男。

 小学生の頃から使っている勉強机、書棚に並んだ本とマンガ。片隅に立てかけられた高校の参考書が目に入る。


「……あの時。あの時、行動してたら、違ったのかな……」


 ボソッと呟く男。

 その声を聞く者はいなかった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 ゆっくりと、暗い夜道を男が歩く。

 行き先は最寄りのコンビニ。まあ最寄りと言っても男が住む家からコンビニまで片道で30分。埼玉とはいえこの辺りは田舎なのだ。


「外出とか、何年ぶりだろ。さすがに夜は人がいないな……。目指すはプレミアム肉まんだ!」


 街灯がない田舎道。懐中電灯を手に、ジャージ姿の男が大きな声で独り言を発する。

 夜道を一人で歩き、大きな声で独り言。

 自分が不審者なのは男もわかっている。だが、男にとって三年ぶりの外出。独り言でも決意と目標を口にしなければ、心が折れそうなのだ。

 変化がない自分の家。誰にも傷つけられない自分の部屋。

 深夜の田舎道とはいえ、ここは外。

 男にとって、決して優しくない世界だったのだ。


「……あのヘタレユージだって外に出てがんばってんだ。アイツよりはできんだろ、俺」


 どうやらユージのヘタレっぷりは、引きニートに自信を与えたようである。

 いやいやいや、アイツよりは俺の方ができるだろ、それが掲示板に常駐する引きニートたちの思いであった。



 無事にプレミアム肉まんとからあげさん、コンビニのカウンターで淹れるアイスカフェオレを手に自室に帰還した男。それにしてもすごいチョイスである。どうやら数年ぶりのコンビニの実力を確かめるべく、最近の人気商品を購入したようだ。


 往復で徒歩一時間。

 コンビニにいたのは10分にも満たない。

 ユージがいる異世界とは比べ物にならないほど安全な土地。


 それでも、男にとっては、冒険であった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 深夜。

 男は今日も部屋を出る。


 数年ぶりにコンビニに出かけて以来、深夜の散歩は日課になっていた。

 人と会うのは怖い。

 だが、誰もいない深夜の道を歩くのは気分が晴れる。前に進んでいる。男に、そんな感覚を生んでいるのだ。


 二階の自室から階段を降りていく男。玄関に置かれた何かが目に入る。近づき、確かめる。


 真新しいジャージと運動靴。そして、茶封筒に入った一万円札。


 誰が置いたかなど、男にはすぐわかった。


「母ちゃん……。なんだよコレ……。ははは、いまどきノーブランドのジャージと運動靴とかさ……」


 母親は深夜に外出する男に気づいたのか、それとも田舎ならではのご近所ネットワークで知ったのか。


 手紙も何もない。

 それでも、部屋の前に置くご飯と食器の受け渡し以外ではひさしぶりの母親とのコミュニケーション。


 男の目から、静かに涙が落ちていた。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 3月。

 男にとって、大きな転機となるスレが立った。


 『【本スレ】ユージ関連スレ共通オフ会開催part1【検証スレ共通】』


 ユージの妹、サクラの友達の恵美が立てたスレである。

 オフ会の場所は宇都宮。

 男の家からは、乗り換えなしで電車一本。

 ほかの掲示板の住人に比べ、場所的には恵まれている。


 だが。

 深夜、誰にも会わない散歩やコンビニ程度は出かけられるようになった。

 それでも男は、いまだに昼間の外出や、人が多いところには近づけていない。


「行きてえな……。でもさすがに無理だろ……」


 ユージを中心に、掲示板で繋がってきた人々。ヘタレユージにアドバイスを送り、叱責し、背中を押してほぼ二年。男は彼らに仲間意識を感じていた。

 昼に覗いても夜に覗いても似たようなメンツ。引きニートの自分と似たような境遇だろうと思えることも、オフ会参加への抵抗を減らしていた。


「お、おんなじよーなヤツがいる。わかる、俺も行きたい。スレの人たちはいいけど、行くまで怖いのとお金がね……っと。はは、情けねえなあ俺」


 ネットでは強気な発言を繰り返す男。だが、本当に強気なら引きニートなどしていない。


「車、出してくれるのか……。服屋も……なんだコイツら、優しすぎだろ……。おいおい、ユージの分際で金出すとかなんだよ。……くっそ、だったら行ってやるよ!」


 ヤケクソ気味に呟く男。

 フリーメールを開き、晒されたカメラおっさんのアドレスにメールを送る。


 数年ぶりの昼間の外出。他人との会話。


 男に決意させたのは、スレ住人の優しさではなく、ヘタレユージが金を出すという事実だったのかもしれない。

 アイツなんかに負けてられるか。そんな気持ちが男にあったのは確かであった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「はあ。けっこう、楽しかったな、うん」


 キャンプオフを終えた日。


 行きはカメラおっさんの車で宇都宮まで連れていってもらった男。帰りは電車を利用していた。


 サクラの友達の恵美の手配で、服を買えた。髪も切った。ショッピングセンターですれ違う人は、誰も自分に注目しなかった。オフで会った面々からは、俺も洋服組にすればよかったとうらやましがられた。BBQでは同じ洋服組の男とゆっくり語り合う時間を過ごした。


 平日の昼間なら混んでないし、最後にもうひとつチャレンジしたい。

 そう思った男は電車を利用したのだ。もっとも、何人か同じ電車に乗り込んでいたため一人ではなかったが。


 ふう、と大きく息を吐く男。

 誰もいないことはわかっているが、数年ぶりに口にする。


「ただいま」


 昼間、外に出られたこと。

 初対面の相手と会話できたこと。

 服を買い、髪を切り、他人の反応を見て劣等感が薄れたこと。


 人にとっては当たり前のことかもしれない。


 それでも、男にとっては、大冒険であった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 数年ぶりに昼間に外に出て、オフ会に参加してから。

 男は、昼に外出できるようになった。


 少しずつ、男は昼型の生活に修正していった。

 髪を切り、外出用にオフ会で購入した服を着込んだ男と朝のリビングで遭遇した母親は、驚き、うつむいて何も言わずに涙を流した。


 そして一ヶ月前。

 いまだぎこちないながら父親、母親、男が揃って夕食をとっている時。

 おずおずと、母親が男に切り出してきた。


「覚えてるかしらね、文也がむかし懐いていた酒屋の叔父さん。いまコンビニをやっててね、人を募集してるんだって。文也、文也さえよかったらバイトしてみる?」


 ちょっと考えさせてほしい、男は母親にそう答える。


 数日悩み、掲示板に相談し、自分が通っていた深夜のコンビニ店員の働きっぷりを思い出す。


 そして男は、ユージのことを考える。

 ヘタレながら、命を狙う敵性生物がいる世界で懸命に生きるユージ。あの引きニートがいまやモンスターを殺し、森を開拓し、慣れない交渉までやっている。


 過去の自分を考える。

 追い詰められても、行動しなかった。引きこもった。


 経歴も経験も気にしない募集なんて、バイトでもそうそうないことは理解している。やると伝えるだけで採用される今の状況が、考えられないほど恵まれていることも理解している。子供の頃によく遊んでもらった叔父さんのことも覚えている。


 男は、決意した。


「母ちゃん、俺、やってみるよ」


 母親に告げる男。


 ユージなんかに負けてられないもんな、という小さな呟きは、誰にも聞こえなかった。



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 コテハン、洋服組A。


 掲示板を発見して常駐し、引きニートから脱却。

 一回目のキャンプオフに参加。

 これがきっかけとなり、コンビニバイトをはじめてニートからも脱却。

 働きはじめたため、二回目のキャンプオフは異世界行きを望まず不参加。

 三回目のオフはユージ家跡地組ではなく、異世界行きを望まない森林公園キャンプ組に参加。

 以降、親戚がオーナー店長を務めるコンビニにて勤務を続ける。


 ユージが異世界に行ったことをきっかけに、ユージと同じく引きニートをやめた一人の男。

 ある掲示板住人の、ちょっとした物語であった。



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