第三話 ユージ、初めての異世界の街に向けて出発する
「こんにちはユージさん! お待たせしましたか?」
春。
桜の花びらが散り、ユージが後始末に追われていた頃。
ついに行商人ケビンがユージの家に到着した。
「ケビンさん! いえいえ、そんなことないですよ。畑仕事したり旅の準備をしていて、気がついたらって感じです」
笑顔で挨拶するユージ。
実際、異世界のトイレ事情を犬人族の奴隷マルセルに確認して使用後に使う布を用意したり、少しでも防衛が楽になるよう柵を補強するなど忙しい日々を送っていた。というかこの世界において外では葉っぱやコケ、街中はその他にボロ布やワラ、不浄の左手で拭くケースもあるようであった。日本のトイレの偉大さよ。
「ケビンおじちゃん、こんにちは!」
元気よく挨拶するアリスの横で、コタローがワンワンと吠えている。こんにちは、まちまでよろしくね、と挨拶しているようだ。
「こんにちはアリスちゃん、コタローさん。それにしても一冬見ない間に農地も柵も立派になりましたねえ。ビックリしましたよ」
「ええ、マルセルもニナもマルク君もよく働いてくれましたから。一家を連れてきてくれてありがとうございます。やっぱり一人の時とは段違いでしたよ。あ、ケビンさん、ニナに保存食のアドバイスをしたり食料をやり取りしたので、あとで清算を手伝ってもらっていいですか?」
ユージの依頼を、当然ですよ、扱いはウチの従業員ですからと軽く請け負うケビン。感謝の言葉を告げるユージに、いえいえそんな当たり前ですから、いえいえありがとうございますなどと日本人的な会話を交わす二人。
ワンワンッと鳴き声でコタローがさえぎる。もう、はやくはなしをすすめなさいよ、と言いたいようだ。
「それでユージさん、準備はどうですか? ひとまず今日は荷物を下ろして、ユージさんに街に行った際の注意点などをお話しするとして。あとはユージさんたちさえ良ければ、明日の朝にさっそく出発しようかと思っているんですが」
ニコニコと話しかけるケビン。後ろでは、すでに三人の冒険者たちと二人の専属護衛が持ってきた荷物を下ろしている。
「ケビンさん、相談がありまして……。ここに来るまで、モンスターに会いませんでしたか? このところ見かけることが多くて、留守番をどうするか迷ってるんですよね……。畑や鶏の世話もありますけど、人を残してモンスターに襲われるのも不安ですし……」
掲示板の住人たちの忠告通り、誰を連れて行くかという悩みを相談するユージ。すると、あっさり答えが返ってくる。
「なるほど……。じゃああの冒険者三人組を残しましょうか。彼らは農村出身ですから多少の手伝いもできるでしょうし、モンスターに襲われてもオーク2匹とゴブリン程度なら撃退できますしね。獣人一家はどうしますか?」
「え……? いいんですか? 戦力が残るなら、一家は留守番してもらうかなあ」
「まあ街までは専属護衛の二人がいますし、道中も大丈夫でしょう。いざとなれば私も自分の身ぐらいは守れますから。ジョス、エクトル、イレーヌ!」
そう言って三人の冒険者を呼び出すケビン。ユージも犬獣人のマルセルに声をかける。
「わかりました。我らは農村育ちですし、防衛だけではなく簡単な畑仕事なら手伝えますよ。ただ、野営用のテントは柵の内側に張ってもよいですか? それと柵の前あたりに鳴子を仕掛けたいのですが、よろしいでしょうかユージ殿?」
この場に残ることを快諾する大柄な冒険者の男、ジョス。
派手な鎧を着込んだエクトルと弓士の女性イレーヌは一歩ひいた場所に立ち、会話に参加しなかった。
ケビンと契約して以来、専属護衛も含めたお話でしっかり教育されているようだ。
「ええ、いいですよ。ただ変わらず入れないと思いますが、家の敷地には踏み入らないでくださいね。いま庭で飼っている鶏は出発前に外に出しておきますから。それから、北に積んである丸太はたき火でも柵にでも自由に使ってもらってかまいません。まあ迷ったらマルセルに聞いてください」
行商人のケビンと二人の専属護衛。
そして、ユージとアリス、コタロー。
こうして街へ向かうメンバーが決まるのだった。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「アリス、疲れたら言うんだぞー。アリスの特等席もあるからな!」
「はーい、ユージ兄!」
右手を上げて返事をするアリスの元気な声が森に響く。
行商人のケビンがユージの家に到着した翌日。一行は、さっそく朝から街に向けて出発し、森を南下していた。
一行の先頭はケビンの専属護衛の一人とコタロー。次にケビン、アリス、ユージと続き、最後尾はもう一人の専属護衛が守る5人と1匹の行進である。ユージがコタローの索敵力を伝えた結果の隊列だった。
「旅慣れた大人の足だと三日ですが、ユージさんもアリスちゃんも初めての道ですし、四日目の陽が出ているうちに街に着くよう余裕を持って考えてます。だからアリスちゃん、無理しないようにね」
ユージに簡単に説明し、最後はアリスに呼びかけるケビン。
途中で拾ったのだろうか、細い木の枝をブンブン振り回しながら、はーい、とアリスは元気よく返事をしていた。まだまだ余裕そうである。
ユージの背には、アリスが座れるように改造した背負子があった。荷物はケビンが提供した大きな布の袋に詰め、肩掛けしている。
ちなみにアリスは手ぶらである。お気に入りの小さなリュックは、この世界では明らかに異質だったのだ。同じようにユージの手にも、森を歩く時にいつも持っていたトレッキングポールはない。
「そういえばケビンさんも来る途中にモンスターに襲われたそうですけど……。やっぱり最近増えているんじゃないかと」
「オークやゴブリン程度なら護衛の二人はまったく問題ないのですが、私も増えているように感じますね。ユージさんが開拓民と開拓地の申請をする際、一緒に相談しようかと思っています」
足を止めずにそんな会話を交わすユージとケビン。やはり経験豊富な行商人の目から見ても、モンスターは増えているようである。
「そうですか……。ところで一緒に相談するって、開拓民の申請とそういったモンスターなんかの出現を報告するところって同じ場所なんですか? 窓口とか違いそうな気がするんですけど……」
経験は少ないながらも、なんとなく日本のお役所仕事を想像してケビンに問いかけるユージ。だが返ってきた答えに、ユージは街に着くまでにまだ時間があるいま聞いたことを後悔する。いまから申請が終わるまで、ずっと不安を抱え続けることになるのだ。
「本来は違うんですが……。いずれ開拓地には徴税官が来ます。変な人間をよこさないよう、稀人であることを隠しても上の方に話を通しておいた方がいいと思いまして、冬に王都まで行って私が修行した大店の会頭に紹介状を書いてもらったんですが……」
なにやら言いづらそうにしているケビン。ユージの頭に不安がよぎる。
「思った以上に紹介状が効果を発揮しまして……。領主夫人と代官にお会いすることになったんですよねえ」
ケビンの言葉を聞き、立ち止まるユージ。
引きニート時代からあわせておよそ14年ぶりの街への訪問。
どうやら封建制の社会で貴族に会うことになるようだ。
どう考えても難易度ヘルモードである。
「え、あ、あの……」
大丈夫です、責任を持って私も同行してすべて私が話しますし、基本的な礼儀なんかも行く前にお教えしますから、それにこの地の領主と夫人、代官は話が分かる方だと聞いていますし……すいませんユージさん……。そんなケビンのフォローがユージの耳に届くことはなかった。
アリスがどーしたのユージ兄と揺さぶるまで、ユージは立ち尽くすのであった。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「はあ……しょうがないんだけど……不安だなあ」
初日の野営地。
木々が拓けた場所にターフを張り、体を休める一行。
穴を掘り、小さな横穴を開けて空気を通し、その中でたき火を燃やしている。暖をとりつつまわりから火が見えないようにする野営の知恵である。
手伝いますよ、というユージの声かけもあり、最初の見張りはユージの担当だった。
たき火の前に座ってあぐらをかくユージの横では、コタローが丸くなっている。最初の見張りはユージの担当、というよりコタローの担当であるようだ。たった一日だけだが、コタローの索敵能力はすでに信頼を勝ち得ていた。できる女である。犬だけど。
「ん、んん、ユージにぃ」
目をこすりながら、アリスが起き出してユージの下へやってくる。どうやら眠れないようだ。
「どうしたアリス?」
アリスは何も言わず、あぐらをかいたユージの足の中に腰を下ろし、ユージにしがみついて胸に頭をくっつける。
「ユージ兄はどこにも行かないよね? 大丈夫だよね?」
顔を伏せながら小さな声でユージに問いかけるアリス。小刻みに震えているのは、決して寒いからではないだろう。
ユージが森でアリスを見つけてからおよそ2年半。
アリスが外で眠るのは、住む村が盗賊に襲われ、森に逃げ込みさまよって以来のことである。
しっかりしているとはいえまだ8才。不安を感じ、甘えても仕方がないことだろう。
ユージの右足にコタローがよじのぼり、アリスにそっと体を寄せる。わたしもついてるわよ、と言わんばかりの行動だ。
「うん、俺はアリスと一緒にいるよ」
そういってアリスの小さな体を抱きしめるユージ。
そうだな、アリスもいるんだ、俺がしっかりしなきゃ。
そんな決意を小さく呟き、ユージは
見張りとはいかに。
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