第六話 ユージ、行商人ケビンから知識のリクエストを聞く

「ひゃくまん……いえ、金貨1枚分ですか……」


「ええ、そうですよ。ですがユージさんの知識にあるものを作れるようになれば、すぐ取り返せると思ってますから。もちろんユージさんと山分けした上で、ね」


「は、はあ……そうですか……」


 行商人ケビンの思いに気圧され気味のユージ。社会に出たことがない人間にとって、仕方のないことかもしれない。銀行口座には金貨1枚分を上回る金額が残っているのだが。


「少し緊張させてしまったようですし、この世界のことはまた明日以降にお話するとして、欲しい知識の話をしましょうか。たいしたことないと思えばユージさんも安心できるでしょうし」


「わ、わかりました……」


 むしろよけいに固くなるユージ。


 物資やこの世界の情報の代わりに、ユージの知識を渡す。

 それをケビンが作れるようになれば、利益の配分を決めて売り出す。


 つまり、これからケビンに聞かれることがどんなレベルで、何を教えられるかが今後のユージの運命を左右すると言っても過言ではない。

 緊張するのも当然である。


「ユージさん、そんなに固くならなくても大丈夫ですよ。チャンスではありますが、最初から大きなことは求めていません。ひとまず気楽な気持ちで聞いてください」


 はあ、と生返事だけを口にするユージ。緊張はとけないようである。


「ユージさん。これは私が行商をしていて欲しかったもの、村々をまわって売れるのに、と思ったことなんです。……保存食。その作り方を知りませんか?」


「保存食、ですか? この前の堅いパンとか、干し肉みたいな?」


「ええ、そうです。持ち歩けるものが一番ですが、長期保存できるのであれば持ち歩けなくてもかまいません。私のような行商人や彼らのような冒険者に売りたいですが、冬の農村にも売りたいですしね」


 構えていたわりに思いのほか身近な知識を求められたことで、少し気が抜けるユージ。


「保存食……。いくつか思い浮かびますけど……」


「おお! おお! そうですか!」


 その言葉を聞いて、満面の笑みを浮かべるケビン。さらに言葉を続ける。


「いやー、行商を生業なりわいにしていると、当然保存食を食べることが多いわけで。もう飽き飽きしていたんですよ。おっとそうでした、先にプルミエの街やまわりの村で買える保存食をユージさんにお教えしますね! 少しずつですがお渡ししますから、ユージさんが知っている他のものを教えてください! あ、そうそう、紙とペンとインクも差し上げますから、ご存知ならこう作り方なんかも書いていただけるとありがたいです」


 勢い込んで話すケビンに驚きながら、まず差し出された粗い植物紙とペン、インクを受け取るユージ。

 手渡したケビンは、さっそくとばかりに地面に敷物を広げ、その上に保存食を置いて説明をはじめる。


「まずはこの前ユージさんにもお渡しした、堅く焼き締めたパンですね。これが行商や旅の主食です。とにかくこれが堅いんです。一食二食ならいいんですけどね、これが三日も続けばアゴにくるんですよ。行商人が引退を決める一番の理由は、だいたい歯が弱くなってこの堅いパンが食べられなくなるからですね」


 ニコニコと笑いながら、目つきだけは憎々しげに、手に取った堅いパンを睨みつけるケビン。器用な男である。


「へえ、それが行商人の引退の理由なんですか……」


「いえ、冗談ですけどね」


 ポカンと間抜け面をさらすユージ。まさかこのタイミングでケビンが冗談を言うとは思わなかったようである。


「それから干し肉。これもまた堅いししょっぱい。水場があれば鍋で煮てスープにするんですが、それにしたって美味しくはない。水場がなければそんな贅沢もできませんしね。これは長く保存できるようにするほど堅くなります」


 そう言って、前回訪れた際にユージも味わった干し肉を手に取るケビン。あいかわらず目は手にした干し肉を睨みつけ、今にも地面に叩き付けんばかりである。


「そ、そうですか……」


 ケビンの剣幕にちょっとビビるユージ。こんな人物だっただろうか、と疑問が浮かぶ。だが食欲は三大欲求なのだ。行商に生きる者として、保存食の不味さはどこまでも付きまとう呪いのような宿命なのである。


「ここからはユージさんもご覧になるのは初めてでしょうか。お渡ししますから、あとでちゃんと味見してくださいね。これが魚の干物。遠く離れた海から仕入れてくるので、カチカチに干されたものだけが手に入ります。海に近いと半生で美味しいそうですけどね。それから同じ海の産物で、干し貝柱。これを使うと美味しいスープができるのですが、水場がないと役に立ちません。あと高いです。水場が近くにある場所を行くなら、どちらも当たりな保存食なんですがね……」


 は、はあと、弱々しい声をあげるユージ。もはやユージは相づちマシーンである。


「それから、野菜の塩漬け、酢漬けですね。干し肉と同じように、長く保存できるようにすればするほどしょっぱく、酸っぱくなります。水場がないところでは? 最悪です。ずっと口に塩気や酸っぱさが残り続けます。味が薄いものや初期のものはいいんですけどね。そうすると保存性が薄れる訳で。最悪です」


 ケビンはどんどん勢いに乗ってきたようである。実体験とはかくも恐ろしいのか。


「それから、これは当たりの品々ですね。各種の木の実、それから果物の果汁を煮詰めたジャム、あとハチミツです。このあたりは味は美味しかったり悪くなかったりするのですが、腹は膨れない。それにジャムや蜂蜜は、虫がたかって大変です。通常、小さな土瓶に入れて木製のフタをして運ぶんですがね、以前商品として運んでいた際、割れましてね……。大惨事でした……」


 遠い目をして過去の失敗まで語り出すケビン。


「最後に……。ユージさん、鼻をつまんでおいてください。少し下がって。はい、それぐらいで大丈夫でしょう。いきますよ……」


 小さな木樽を地面に置いたケビンが、真剣な顔でユージに注意を促す。言われるがままに鼻をつまみ、下がるユージ。


 その小さな木樽からできるだけ距離を置き、めいっぱいに手を伸ばし、蓋へ木槌を振り下ろすケビン。


ブシュッ!


 小気味いい音と裏腹に、辺りに異臭が立ちこめる。


ワンワンワンッ!


 異臭を嗅ぎ付けたのか、犬用の扉をくぐってコタローが家から飛び出してきた。が、玄関の前に立ったままいっこうに近づいて来ない。

 なにこれなんなの、すっごいくさいわ、とワンワン吠え立てるばかりである。


 強烈な臭気に涙目になりながら、ユージが小さな木樽に目を向ける。

 かすかに、液体に浸かった魚が見える。


「ケビンさん、なんですかこれ……。すっごい臭いんですけど……」


「これも保存食です。魚の塩漬けですね。臭いんです。ただひたすら臭いんです。この辺りで手に入る保存食は、だいたいこれぐらいですね。ユージさん、わかりますか、この行商人の苦しみが。でもね、私たちはそれでも行商するんですよ。美味しくない食事をとりながら。生活のためでもありますが、私たちがいなかったら村人はやっていけない。特にこの辺境の村々なんてあっという間になくなるでしょう。誇りを持って行商していますよ。でも、でもですね……でもちょっとぐらい美味しいご飯があってもいいじゃないですか! それぐらい望んだっていいじゃないですか!」


「は、はあ……」


 鼻をつまみ、それどころか口も押さえ、涙目でケビンに相づちを打つユージ。ケビンの言うこともわからなくはない、だが今はさっさとその樽を処分してほしい、ユージの頭の中はそんな思いでいっぱいであった。


「まず保存食としたのはですね、そんな私の思いもある訳ですが……。新しい商品を売り出しても、商会も行商人も敵にまわらないからですよ。むしろ味方してくれるでしょう。まあ作り方を調べるべく手は尽くしてくるでしょうがね。あとは誰にどこで作らせるか、どれぐらい作るか、いくらで売るかを考えれば今の保存食を作っている人たちも敵にまわらないでしょう。新しい商品を作ってもらうか、量を抑えて高級保存食として売ればいい。その辺も考えた選択ですよ」


「あ……はい……。ところで、そろそろ、その……」


 臭気にやられたユージの頭に、ケビンの言葉はほとんど入ってこなかった。そして、勇気を振り絞ってケビンに木樽の処分をお願いしようとしたユージの耳に、絶望の言葉が入ってくる。


「あ、ユージさん。これも味見してくださいね」



 ケビンから告げられた死刑宣告に固まるユージ。


 辺りには、ワンワンワンワンッ! と、コタローの鳴き声だけが響き渡る。


 この世界にはない保存食の知識をケビンに伝える。


 最初にケビンに渡す知識が決まるとともに、絶望の夕食も決まるのであった。


 もちろん、ユージ限定で。


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