86 第四章エピローグ

 アメリアがマルティナに罰を与えた数日後、当のアメリアはエステリア伯爵家が亡命しようとしていたアルティエル王国、その王宮内にいた。

 彼女が今いるのは王宮内にある国王専用の執務室だ。その場所でアメリアは一人の壮年の男性と向かい合う様に座っている。


「此度はご協力頂き、感謝いたします」


 アメリアがそう感謝の言葉を述べた相手、それはアルティエル王国の現国王であるカルード・アルティエルであった。

 何故、彼女がこの国の国王であるカルードの元にいるのか、それはアメリアがエルクート王国から盗み出した国家機密の引き渡しの為であった。

 前払い分は既に協力の対価として事前に引き渡している。残るは協力の礼として渡す後払い分の引き渡しだけであった。


「こちらも、貴女のおかげで有益な情報を多数手に入れる事が出来た。礼には及びませんよ」


 そして、国王である筈のカルードは驚くべき事に、今は何の身分も持たない女性でしかないアメリアの事をほぼ対等の存在として接していた。

 一国の国王であるカルードと今のアメリアでは明らかに立場が違う。片や一国の国王、片や取り潰しにあったユーティス侯爵家の忘れ形見ではあるが、今は何の身分も持たない只の一介の女性、誰がどう見ても立場というものに明確な差がありすぎるだろう。

 しかし、それでもカルードにはアメリアとほぼ対等の存在として接するだけの理由があった。


「こちらが残りの分の機密情報になります」


 アメリアは持参していたエルクート王国の国家機密の数々が記された書類が入った封筒をそっと机の上に置いた。

 カルードはその封筒をおもむろに手に取り、中身を確認していく。そして、その中身を確認し終えた彼は満足げな表情を浮かべた。


「確かに受け取った」


 その後、カルードは一度席を立ちあがり、その封筒を自身の執務机の引き出しへと収納した後、再びアメリアと向かい合う様に座る。


 そして、カルードはその表情を真剣なものへと改めて、真摯にアメリアを見つめながら、おもむろに口を開いた。


「……アメリア・ユーティス殿、貴女に対して一つ提案したい事がある」

「提案、ですか?」

「ええ。……私は貴女をこのアルティエル王国の王太子である私の息子の妃、つまりは将来の王妃として招き入れたいと考えている」


 そう、これこそカルードがアメリアと対等に接している理由であった。アメリアはエルクート王国の王太子に婚約を破棄された。その後、アメリアがどういった経緯を辿って今に至っているのか、その大筋の所も彼は知っている。そんな相手を自国の王太子妃として招き入れたいというのであれば、大前提としてまずはアメリアと対等に接するのが筋だろう。

 少なくとも、カルードはそう考えていたからこそ、彼はアメリアと対等に接してきたのだ。


「無論、貴女が王族という存在にどういった思いがあるのかは知っている。だが、貴女程の逸材、みすみす手放したくはないのだよ。貴女の行っているという復讐、その全てを終えてからでもいい。是非とも一考していただきたい」


 アメリアは曲がりなりにもエルクート王国で王妃教育を受けてきた侯爵令嬢だ。しかも、彼女は幼い頃からヴァイスの婚約者であった為、幼い頃より王妃教育を受け続けている。その為、アメリアは教養や礼儀作法といった類の将来の王妃に必要不可欠とされている様々なスキルを非常に高いレベルで習得しているのだ。

 もし、自国の令嬢の内の誰かに王妃教育を受けさせたとしても、それが実るという保証はどこにもない。

 であるのならば、今のアメリアが使える失われた古代魔術云々を抜きにしても、エルクート王国でしっかりとした王妃教育を受けており、王妃としての素養が極めて高いであろうアメリアを自国の将来の王妃として招き入れたいと思うのも、ある意味では当然の流れであると言えるだろう。

 だが、誘いを受けた当のアメリアは目をそっと閉じて、首を横に振る。


「……ありがたい申し出ですが、そのお話はお断りさせて頂きたいと思います。申し訳ありません」


 その言葉からも分かる通り、今のアメリアの中にはその誘いを受けるつもりは一切なかった。

 この話を持ち出したカルードは、復讐を完全に終えてからでもいいと言っていた。しかし、復讐を終えた後、自分がどうするつもりであるのかなど、当のアメリア自身にも分からない。復讐を終えずして、終えた後の事を考える事など今の彼女にはできなかったのだ。


「そう、か……」


 アメリアの返答を聞いたカルードは残念だと言わんばかりの表情を浮かべるが、それ以上は勧誘を行おうとしなかった。

 彼自身も、彼女を自国の王太子妃として招き入れる事は不可能に近いと分かっていたのだろう。それでも、もし万が一という可能性があった為、勧誘を行っただけであった。

 そして、それから少しばかりの雑談を終えた後、アメリアはおもむろに立ち上がり、カルードの前から立ち去ろうとした。


「では、そろそろ私はお暇させて頂きたいと思います」

「そうか……。では、城の外まで案内させるものを呼ぼう」

「いえ、それには……」


 それには及びません。そう言おうとするアメリアの言葉を遮る様にカルードは手の平をアメリアへと向ける。


「貴女は私の客人だ。誰かに見送りをさせよう」


 そして、カルードは立ち上がり、執務机の前まで行くと、その机の上に置いてある小さなベルを鳴らした。

 すると、それから数分後、執務室の扉がコンコンとノックされた。その直後、扉の向こう側から女性の物と思しき声が聞こえてくる。


「陛下、お呼びでしょうか」

「ああ、入りなさい」

「失礼いたします」


 すると、執務室の扉が開き、メイド服を着た一人の女性が執務室の中へと入って来た。彼女はこの王宮で働く侍女の一人だ。彼女が室内に入ってきた直後、カルードはその女性へと指示を出す。


「客人がお帰りだ。彼女を王宮の外まで案内する様に」

「かしこまりました。では、お客様、ご案内いたします。こちらへどうぞ」


 その後、アメリアは最後にこの国の国王であるカルードに敬意を払う様に、着ているドレスの裾を優雅に持ち上げて、カーテシーをしながら別れの挨拶をした後、この執務室から退出し、侍女に案内されながらこの王宮を進んで行く。


 そして、王宮を進み続ける事数十分後、彼女達は王宮の前にある大きな門の前まで到着していた。そこまで到着したアメリアは侍女の方を向くと、おもむろに口を開く。


「ここまでで結構です。後は一人で大丈夫です」

「かしこまりました」


 すると、その侍女は両手でメイド服の裾を持ち上げながら頭を下げた。そんな侍女に対して、アメリアは一度だけ微笑みを向けると、そのままゆっくりとした足取りで目の前にある門を抜けて、王宮の周囲に広がっているアルティエル王国の王都の街中を進んで行く。


 そして、アメリアは王宮の全体が綺麗に見える位置まで来ると、一度だけ後ろを振り向いてそこに今もある王宮を眺めた。

 王宮を一瞥したアメリアは口元をほんの少しだけ歪めたかと思うと、一度だけ目を伏せた後、再び王宮を背にしてアメリアは歩みを進める。


 王宮を出たアメリアのその目にはもう次なる復讐対象しか目に入っていなかった。復讐すべき相手全てに相応しい罰を与える時までアメリアの復讐は止まらないのだ。


「さぁ、復讐劇の第五幕を開演いたしましょう」


 そして、彼女が指をパチンと鳴らすと、次の瞬間にはアメリアの姿は一瞬にしてこの王都の街中から消え去るのだった。

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