閑話3 悪夢

 アメリアがリンド王国に向かい、国王に取引を持ち掛けた数日後、エルクート王国の王太子であるヴァイス・エルクートは自らの部下からある事件に関する報告を受けていた。

 その事件とは、先日カストル伯爵が突如行方不明になった事件の事である。宰相であるファーンス公爵が行方不明となった時よりも規模が小さいとはいえ、それでもある程度の領地を治める伯爵位を持つ者がいなくなったとなれば大きな事件だ。王太子であるヴァイスの耳に入れない訳にはいかないのだ。


「以上が、現状判明しているカストル伯爵領で起きたで御座います」


 そして、ヴァイスにカストル伯爵領で起きた事件の事を報告しているのは、ヨハン・アルトリードという男だった。彼はアルトリード侯爵家の当主であり、エルクート王国騎士団の第一隊長でもある。更に言うなら、彼は国でも随一の強さを持つ程の手練れの騎士であった。


「更には、カストル伯爵領での事件の前後数日の内にアメリア・ユーティスの姿を見たと証言している者もいます。恐らく、今回の事件にもあの女が関わっているかと思われます」

「くそっ!! またあの女か!!」


 ヨハンの口から出たアメリアの事を聞いた瞬間、怒りからヴァイスは叫びを上げ、執務机を殴りつける様に叩いた。

 彼等も一応はアメリアへの対処法を色々とは考えている。何人もの貴族や令嬢の行方不明に関わっていると目されるアメリアを捕まえなければ、王国騎士団の名は地に堕ちる一方だからだ。だが、神出鬼没のアメリアを捕まえる事はエルクート王国が誇る騎士団が総力を結集しても、容易ではなかった。


「申し訳ありません。我々があの時に、あの女を捕えていれば……」

「今は終わった事を言っても仕方がない。一刻も早くあの女を見つけ、俺の前に持ってこい。生死は問わん!!」

「はっ」


 ヨハンはヴァイスの命令に力強く頷いた。そんな時、ヨハンの顔を見たヴァイスは訝しげな表情を浮かべた。彼の目の下に酷い隈が出来ているのが、目に入ったからだ。


「……お前、その目の下の隈はどうしたのだ?」

「……実はここ数日、酷い悪夢に魘されているのです」

「悪夢?」

「ええ、夢故にその詳細な内容は覚えていないのですが、断片的に記憶に残っている夢の内容は、自分が酷い拷問に掛けられ、その拷問の光景を見て高笑いをする女がいたというものなのです。更には、不思議な事なのですが、夢の筈なのにその拷問で痛みを感じるのです。そのせいで中々ゆっくりと寝ることが出来ず……」

「それは……、また……」


 ヴァイスは言葉に詰まった。拷問に掛けられる夢を見て、更にはその夢の中では、何故か痛みまで感じるというのだ。しかも、そんな光景を見て笑う女がいるなど、まさしく悪夢その物だ。

 悪夢のせいで彼は少々不眠症に陥っていた。今は、まだ表立った影響は出ていないが、このまま悪夢や不眠症が続けば、日々の仕事や鍛錬にも影響が出かねないだろう。


「昨日も、酷い拷問に掛けられる夢を見てしまい、殆ど眠ることが出来ず……」

「そうか……。ゆっくりと休め、お前には一刻も早くあの女を捕えて貰わなくてはならないのだからな」

「はっ!! では殿下、この後は会議がありますので、これにて失礼いたします」


 ヨハンはヴァイスに頭を下げると、執務室から退室していく。


「悪夢、か……、ヨハンが見た悪夢とやらもあの女の仕業、か? いや、まさかな……」


 執務室に一人残ったヴァイスはそんな事を呟くのだった。




 そして、ヴァイスがヨハンから悪夢の話を聞いた日の夜、寝室で寝ていたはずの彼は気が付けば見知らぬ場所にいた。


「ここは……、どこだ……? 俺は寝ていた筈では……?」


 ヴァイスが辺りを見回すと、雑草が生い茂っていた為に彼はこの場所が何処かの草原だという事が分かった。

 その時、自分の手足に巻き付いている鎖に気が付いた。


「っ、何だこれは!! くそっ、動けんっ!! 何だというのだ、この鎖は!? くそっ、くそっ、くそっ!! 体の後ろの十字架といい、これではまるで磔にされている様ではないか!!」


 そう、ヴァイスの体は彼の後ろにある、木で出来た十字架に磔にされて、鎖で拘束されているのだ。今のヴァイスの姿は傍から見れば、あの時のデニスとルナリアの姿にそっくりであった。

 そんな時、ヴァイスの耳に女性が発したと思われる声が聞こえてきた。


「さて、殿下。今宵は私の悪夢のショーに来ていただき感謝いたします」

「誰だ……? お前は……?」


 ヴァイスがその声のした方を向くと、そこには一人の女が立っているのが見えた。だが、不思議な事にその女の顔は何故だか不鮮明であった。ヴァイスは彼女の姿を何処かで見た覚えがある気がしていた。彼女の声にも何処かで聞き覚えがある筈なのに、彼にはその持ち主がどうしても思い出せない。


「っ、これは貴様の仕業か!? 早くこの鎖を外せ!!」


 だが、自分の体を縛り付けている鎖を仕掛けたのが目の前の女だという事は容易に想像がついた。その為、目の前の女に向かって鎖を外せとヴァイスは必死に叫ぶが、その女がそれを聞き入れることは無かった。それどころか、女はヴァイスの叫びを無視してショーを進行させていく。


「さて、今宵の演目を発表いたしましょう。今宵の演目は火炙りの刑となります!! ぜひ最後までお楽しみくださいませ!!」

「火炙りだと!? ま、まさか!?」


 その女の言葉で思い出すのはヨハンに言われた悪夢の記憶だ。ヨハン曰く、悪夢では拷問に掛けられる夢を見るという。そして、ヨハンの言っていた悪夢の話と火炙りの刑という言葉と合わせた事で、ヴァイスは火炙りの刑を受けるのが自分だという答えに辿り着いてしまった。


「やめっ、やめろっ、やめろっ!!」

「ふふふふっ、安心してくださいな。所詮は夢、現実ではありません。現実の殿下の体には一切影響はありませんよ。では、始めましょうか」


 その女が指を鳴らした瞬間、ヴァイスの全身は一気に燃え上がった。


「熱いっ!! あついあついあついっ!! がああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「あははははっ、あはははははははははは!!!!」


 そして、火炙りの刑の名の通りにヴァイスの全身が炎に包まれる。同時に彼の体には、まるで全身が焼けるような激しい痛みが走った。拷問にも等しい痛みだというのにこの悪夢が覚めることは無い。それが、ヴァイスを更に苦しめる。


(これが、これが夢だというのなら早く、早く覚めてくれ……)


 やがて、彼は全身が燃え続ける痛みに次第に耐え切れなくなり、意識を失うのだった。




「……はっ!!」


 先程まで見ていた悪夢の中で意識を失った直後、ヴァイスは現実で意識を取り戻した。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 そして、悪夢から覚めたヴァイスは横になっていた体を起こして、自らの額に流れ出ていた汗を拭う。

 窓の外は既に明るい。どうやら、朝を迎えていた様だ。


「何故こんな夢を……、ヨハンが悪夢の話をしていたせいか……?」


 先程見た悪夢の記憶を振り払おうと、ヴァイスは首を数回ほど横に振り、頭を抱えた。だが、彼の記憶にはあの火炙りの刑を受けた時の痛みが確かに残っている。そして、彼は自分の横で眠るアンナの姿を見て心を落ち着かせた。


 その時、二人の眠る寝室の扉が二度ほどノックされた。王宮に勤める使用人が、ヴァイスを起こしに来たのだ。


「殿下、朝の支度のお時間です」

「あ、ああ、そうか……。アンナ、そろそろ起きようか」

「んっ、んっ……、ヴァイス様ぁ、もうそんな時間なのですかぁ……?」

「ああ」

「分かりましたぁ……」


 結局、そのまま横に眠るアンナを起こし、二人揃って朝の支度を始めたヴァイスは悪夢の事を何とか忘れて、何時も通りの日々を過ごしていく。

 しかし、ヴァイスの悪夢は一日度終わることは無く、暫くの間は毎晩悪夢に魘される事になるのだが、そんな事をこの時の彼は全く想像していなかったのだった。

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