閑話2 取引

「お久しぶりですね。リンド王国国王、アンドルフ・リンド陛下」

「……な、何故お前がここにいるのだ、アメリア・ユーティスよ……」


 アメリアはアンドルフの問いかけには答えず、不敵な笑みを浮かべる。

 彼が驚くのも無理はない。この場所は一国の王城、しかもこの部屋は国王の為の執務室だ。この部屋に立ち入ることが出来るのは、それこそ国王の執務の補佐をしている者か、この国の重鎮ぐらいだろう。


「どうやって、どうやってこの部屋に入ったというのだ!?」


 だからこそ、アメリアがどうしてこの部屋に居るのかが疑問だった。この部屋の扉の前には常に衛兵が警備の為に常駐している。そして、この部屋に入る為にはその扉を使うしかないからだ。


「侵入者だ!! 衛兵、この部屋に侵入者だ!!」


 だが、アンドルフが叫んでも部屋の外に居る筈の衛兵達がこの部屋に駆け込んでくることは無かった。


「そう慌てないでください。この部屋には結界が張ってあります。私が結界を解除するまでは、この部屋の声は外に漏れる事はありませんし、私が許可したもの以外はこの結界から出る事も出来ません」

「なっ……」

「ですが、私には貴方を害そうという意思はありませんよ。私はリンド王国の国王である貴方と取引がしたいのです」

「取引、だと……?」

「ええ、ですのでこの向かいの席へとお座りください」

「…………」


 アメリアの言葉が事実だとすれば、いくら衛兵を呼ぼうとしても無駄だろう。それに、アメリアは取引と言っている。害そうという意思もないとも。だったら、アメリアの取引とやらの内容を聞いてみるのも一興だろう。

 それに、アンドルフはアメリアが態々自分の所に来てまで行いたい取引とやらが純粋に気になった。


 そして、アンドルフはアメリアと対面する様に席に座った。すると、アメリアが早速と言わんばかりに口を開いた。


「さて、単刀直入に言いましょう。私の目的は、貴方達が計画しているエルクート王国への侵攻、その手助けをしたいと思いまして」

「手助け、だと? いや、それ以前に何故エルクート王国への侵攻の計画を知っているのだ?」


 王太子の婚約者であり侯爵令嬢であった頃のアメリアならまだしも、今のアメリアにはエルクート王国での影響力は皆無だ。そんな相手に手助けを持ち掛けられたとしても心が動かされるはずがない。

 そして、アメリアが何故に先程話し合っていたエルクート王国への侵攻の計画を知っているのかを問いただしたが、彼女はそれを「今、重要なのはそこではないでしょう?」と一蹴した。その為、アンドルフも彼女に対してその点は深くは聞くことは無かった。


「まず、貴方達の侵攻計画に有益な物として私が提供できる物、それは私が知るエルクート王国の軍事機密です。それを資料として貴方達に提供いたします」

「軍事機密か……」


 確かに、今から攻め込もうとしている国の軍事機密となれば魅力的だ。十分に交渉の材料となるだろう。


「そして、もう一つ貴方達に提供できるものがあります」


 そして、アメリアは指を鳴らす。すると、その直後に部屋の隅に置かれていた高価な調度品がまるで転移してきたかの様にアメリアの手に収まっていたのだ。

 アンドルフがアメリアの持っている調度品が置かれていた場所を見ると、そこには何も置かれていなかった。それを見て、彼女が何を行ったのかを察したアンドルフの表情は驚愕で染まった。


「それは……、まさか転移魔術だとでもいうのか……?」

「ええ、お察しの通りです」

「……だとするなら、お前は古代魔術を行使できると……?」

「はい、その通りですよ」


 転移魔術は今や失われた古代魔術の一つだ。その為に、転移魔術の存在そのものすら知っている者は殆ど居ないだろう。

 アンドルフもリンド王国に残されていた古代魔術の資料を偶然見る機会があった為、その存在を知っていただけだ。

 そして、アメリアの転移魔術を見たアンドルフはもう一つ納得することがあった。


「そうか……、その転移魔術でこの部屋へと転移してきたという訳か……」

「ええ、その通りです。また、この転移魔術を使って貴国の兵達を王国領内へと転移させる事も出来ます。この転移魔術が私の提供する二つ目の物です」

「…………」


 転移魔術と彼女が知るエルクート王国の軍事機密、その二つは十分魅力的だ。だが、アメリアが求める物を聞かない限りは安易に取引に応じる訳にはいかないだろう。


「……それで、お前の要求は一体なんだ? 取引と言うのだからお前にも求める物があるのだろう?」

「……ええ、三つほど」


 そして、アメリアは三の数字を表す様に指を三本だけ立てた。


「三つ、か……」


 アメリアが提供するのは軍事機密と転移魔術の二つに対して、求めるものは三つときた。数で言えば釣り合ってはいない。しかし、問題は数ではなくその中身だ。


「一つ、侵攻の時期が来た時に、私に兵を一万ほど預けていただきたいのです」

「一万、だと? まさか、お前が一万もの兵を率いるつもりか?」

「いえ、そのつもりはありませんよ。私には兵法の覚えはありませんので」

「……では、一万もの兵を一体何に使うつもりだ?」

「それは……、今は教える事が出来ません。ですが、預かる兵を無駄に死なせたりはさせない事だけはお約束いたします。その一万の兵の内訳ですが、正規兵では無く重刑が課せられた犯罪者や死刑囚でも構いません。いえ、寧ろそちらの方が好ましいですね」


 一万の兵、数で言えばかなりの数だが、国境の砦を超えようとすれば、それだけで一万人以上の損耗もありうる。しかし、一万の兵をアメリアに預けるだけで、砦を超えて王国内へと転移することが出来るのだ。

 しかも、その兵たちは正規兵では無く犯罪者や死刑囚でも構わないという。一万を言う兵は小さくは無いが、それで残りの兵を王国内へ転移させてくれるというのだ。かなりの好条件だろう。


「二つ、貴国の兵達によるエルクート王国の国民達への無益な弾圧を控えるように徹底していただきたいのです」

「その理由は?」

「流石に、無関係の国民達が貴国の兵から弾圧される光景は見たくありませんので」


 ある程度の事故というのなら仕方がないが、リンド王国の兵士がエルクート王国の国民を弾圧するのは見たくはない。

 貴族とは民を守る者、両親に教えられたその思想はアメリアの中で根付いている。復讐に関わる者達には苛烈に当たるが、それ以外の者達に関してアメリアはかなり寛容だった。


「そして三つ目、今から私が名を上げていく者。その者達を見つけても捕えるだけで極力殺さない事を約束していただきたいのです」


 アメリアが提示する三つ目の条件として名前が上げられていく者達は、その殆どがエルクート王国の重鎮だった。その者達は同時にアメリアの復讐対象達でもあった。彼女にしてみれば復讐対象達が自分とは無関係な所で殺されるのは、どうしても避けたかったのだ。


「今お前が名を上げた者達は、お前の……」

「ええ、私が復讐すると決めた者達です」

「……やはり、あの噂は本当だったのか」


 アンドルフは先程耳にした噂が真実であるとこの時知った。同時に、何故アメリアが自分達の侵攻計画に手を貸そうとしているのか、その理由も理解した。


「……おや、私の復讐の話は貴方の耳にも入っていたのですか。……それなら少し条件を変えましょうか。三つ目の条件を、私の復讐の邪魔をしないで欲しい、というものに変更いたします」


 回りくどい言い方よりも、そちらの方が分かり易いだろうとアメリアは判断していた。それに、この条件の方が先程の条件よりも融通が利くだろうからだ。

 

「以上、この三つです。さて、この条件を踏まえて私との取引に応じるか否か、答えをお出しくださいませ」

「……最後に聞かせてほしい。もしこの取引に私が応じる事が無かった場合はどうなる?」

「どうもしません。私にしてみれば、そちらが取引に応じようと、そうでなかろうと、復讐を続けるだけですので。別にこの取引に応じていただけなくても、何もせずにこの場を去る事を約束いたしましょう。ですが、貴方達の行動が私の復讐の邪魔になると判断した時は……」


 私の持てる全てを使って貴方達を排除する、アメリアはそう言葉を続けた。


「そう、か……」


 アメリアから提示されたこの取引はリンド王国側にもかなりのメリットがあった。一万の兵を預ける事に関しては、数としては小さくは無いが、それだけでアメリアが兵をエルクート王国内に転移させてくれるというのだ。十分な程にメリットがあるだろう。しかも、正規兵でなくとも問題は無いという。

 無益な弾圧に関しては、リンド王国側にしてみても何も問題は無い。彼自身にも無関係な国民を弾圧するつもりはないからだ。兵達にもその事を周知徹底しておけば早々モンダは起きないだろう。

 三つ目の条件として提示された、アメリアの復讐の邪魔をしないという条件も問題ない。今から起こそうとしている戦争の目的は条約の撤回だからだ。

 更に言うなら、アメリアは勝利した時に利益の一部を、などと求めている訳では無い。というよりも、一万の兵を出す事を除けば、アメリアは何も求めていないに等しいと言ってもいい。この提案は好条件という他無いだろう。


 逆に、取引に応じなかった場合だが、こちらに関しても何も問題は無い。だが、第三の条件アメリアの復讐の邪魔をしないという部分だけが問題だ。もし、自分達の何気ない行為が、彼女に復讐の邪魔をしたと取られた場合、彼女がどのような報復をしてくるか、全く想像がつかない。

 例えば、侵攻中の兵達を転移魔術で別の場所に飛ばされるだけでも、十分に脅威だ。更に言うなら、アメリアはまだその力の全てを明かしていない。古代魔術を使えるとするなら、もっと苛烈な報復をされてもおかしくは無い。


 そして、アンドルフは考え込む素振りを見せた後、一つの答えを出した。


「よかろう。時期が来た時、お前に一万の兵を預けよう。国民の無益な弾圧も控えるように徹底させる事も約束する。お前の復讐の邪魔をしない事も約束しよう」

「では、取引成立ですね」


 そして、アンドルフは立ち上がりアメリアに向けて手を差し出した。彼女はアンドルフから差し出された手を握り、取引成立の証として握手をする。


「それで、お前にどのような手段で連絡を取ればいいのだ?」

「いえ、連絡の必要はありません。時期が来た時にこちらから参りますので」

「そう、か……」

「後、私が去ると同時に結界は解除されるようになっているのでご安心ください。では、これにて失礼いたします」


 アメリアは最後にアンドルフに向けてカーテシーをすると、指を鳴らして転移魔術を発動させる。次の瞬間には、アメリアの姿は執務室内から消えたのだった。


「……私はもしかしたら悪魔と取引をしたのかもしれんな……」


 アメリアが去り、一人執務室に残されたアンドルフは真剣な表情を浮かべてそう呟くのだった。






「さて、この仕込みが芽を出すのはまだ時間が掛かるでしょう。その前に、次の準備を始めましょうか。あはははっ、あはははははははははは!!」

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