35 幸せな夢の残酷さ

 デニスが目を覚ますと、そこは執務室の様な場所だった。しかも、彼は何故か自分の体に妙な違和感を感じていた。そして分かったのが自分の体が鎖の様な物で縛られている事だった。


「ここは……、何処だ……? 何故、私はこんな鎖で縛られているのだ……? 私は夢を見ているのか……?」


 彼の記憶では確か、明日は貴族の会合の予定があるからと早めに寝室に入り就寝した筈だ。断じて、こんな所で訳の分からない場所で寝る筈がない。しかも、自分の体が鎖で縛られている筈も無いだろう。更に言うなら、デニスにはこの場所は見覚えが無かった。

 一体ここは何処だと疑っていた時、一人の女性がまるで転移してきたかのように突如としてこの執務室に現れた。その女性はデニスの元まで歩み寄ると、口元に歪な笑みを浮かべる。


「おはようございます、伯父様、夢の世界はどうでしたか?」

「夢……?」


 その女性が一体、何者か今のデニスには分からない。だが、その声と容姿に彼は妙に既視感を覚えた。それは、デニスの記憶を妙に刺激していた。


 その女性の声と容姿、そして彼女が発した『夢の世界』という言葉で、デニスは今まで忘れていた記憶が徐々に蘇ってくる事を感じていた。

 そして、全てを思い出した瞬間、デニスは呆然とした表情を浮かべる。


「あ、ああ……、思い出した。思い出したぞ……」

「ふふふっ、思い出していただけた様ですね」

「アメリア、全てお前の仕業、か……?」

「ええ、その通りです」

「は、はは、という事はあれが、あれが全て夢だと……?」


 デニスは呆然とした表情でそう呟いた。だが、デニスの夢の世界には至る所にこの世界が夢であるというヒントはあったのだ。いや、アメリアがあえてヒントを残していたというべきか。

 ともかく、デニスの夢の中には至る所にあの世界が夢であるというヒントを残していた。もし、彼が少しでもあの世界を疑っていたならば、簡単に夢だと見破ることが出来ただろう。実際、アメリアはもしデニスが夢だと見破る事が出来たなら、あの世界が崩壊し、すぐに目を覚ます様にも仕掛けていた程だ。


 しかし、あの世界がただの夢でしかなかった事をどうしても受け入れることが出来ないデニスはまるで駄々をこねる子供の様に現実を受け入れようとしない。


「違う!! 私は!! 私は全てを手に入れはずなのだ!! 私は夢を見ているのだ!! こんな記憶が本当の筈がない!!」

「何度言わせるつもりですか? あれはただの夢、貴方は何も手に入れていないのです」


 アメリアはデニスに諭すように言い聞かせようとするが、彼はそれを聞き入れることは無い。

 だが、それも仕方がないだろう。夢幻の類といっても、彼が体験したのは体感時間で言うならそれこそ何十年にも及ぶ。彼の中にある夢の世界での何十年にも及ぶ膨大な記憶は、あの世界が現実だと言う彼の主張の唯一の根拠になっていた。


「嘘だっ!! そんなはずはないっ!! これは夢だ、夢に決まっている!!」

「流石にそろそろ見苦しいですよ。いい加減認めましょう? あれは全て夢だったと」

「違う!! あれが夢の筈が!! 嘘だ!! 嘘、だ!! 嘘、だ……、嘘に決まって……」


 だが、その叫び声も次第に勢いが落ちていく。何故なら、デニスの記憶に残っていた先程まで見ていた夢の記憶が、まるで本当の夢の記憶の様におぼろげな物へと変わっているのだ。その代わりに、デニスの本来の記憶がまるで封印が解けたかのように次々と浮かび上がってくる。

 それは、デニスを本当の意味で夢から覚ますには十分すぎた。もう、彼には先程までの夢の出来事の記憶、その大半を思い出すことが出来なくなっていた。

 そんなデニスの内心を知ってか知らずか、アメリアはその表情に嘲笑が大いに混じった笑みを浮かべる。


「ねぇ、今どんな気分ですか? あの光景が全てが偽りだとやっと思い知った今の気分はどうですか?」

「はは……。夢……? あの世界こそが夢だと言うのか……? 本当に……? 本当に夢だったのか……? あ、ああ……、あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 アメリアのその言葉でこの世界こそが現実なのだと否応なしに思い知らされたデニスは彼女の問いかけにも答える事無く、ただただ悲嘆にくれるように大声で叫び続けた。今迄見ていた全てが叶った理想の夢、それは所詮『夢』に過ぎなかった。全てが叶った夢の世界など、所詮は夢の世界でしかなかっただと否応なしに思い知らされたデニスの心が急速に絶望に染まっていく。


 そして、彼の叫び声が止まったと思うと、デニスはまるで体の力が抜けてしまったかのように頭をガクンと落とす。その直後、デニスは諦めが混じった笑い声を出した。


「……そんなに、そんなに夢に溺れる私の無様な様子が楽しかったか……?」

「……ええ。ええ、ええ、とても凄く楽しかったですよ!!!! 全てが偽りだと知らず、あの夢幻に溺れ続けるあの時の貴方の姿は、滑稽な事この上ありませんでした!!!! あははは、あはははははははははは!!!!」


 折角のヒントがありながら、それを見て見ぬ振りをし、自分に都合がいいからと夢の世界に溺れ続けたデニスにとってみれば、彼女の言葉はこの上ない程の屈辱だった。そうして絶望する彼の姿はアメリアを満足させるのには十分すぎた。

 そして、わざわざ先程までの世界が夢だというヒントまで与えてあげたのに、そんな偽りすら見破れないのかとアメリアは滑稽に嗤う。


「……にが目的だ……?」

「はい?」

「何が、何が目的だと聞いているのだ!! あんな夢を見せておいてお前は何がしたいのだ!?」

「目的……、目的ですか……。あくまでこれは前座、準備段階です」

「前座、だと……?」

「ええ」


 そして、アメリアは不敵な笑みを浮かべる。その笑みを見たデニスは何故だか嫌な予感を覚えた。


「全てが自分に都合がいい夢、それは麻薬の様だと思いませんか? 夢を見ている内はまるで全能感すら感じられますが、その夢が覚めれば途端に絶望しあの時の幸せな夢を、と求めるのです。本当に質の悪い麻薬の様ですよね」

「……お前は一体何を言いたいのだ……?」


 何故か、急に何を言いたいのかよく分からない話をするアメリアにデニスは戸惑いを見せるが、彼女はそれを気にした様子も見せず、話を続けていく。


「いずれ嫌という程、分かりますよ。それよりも伯父様も夢から覚めたのでもう一人の演者を呼ぶことにしましょうか」


 アメリアが指をパチンと鳴らすと地面に魔法陣が現れた。そして、その魔法陣が光り出し、次の瞬間には鎖で縛られたルナリアが現れていた。彼女は気を失っている様で、体の力が抜けており、項垂れている。


「無事かっ、ルナリアッ」


 デニスはルナリアにそう声を掛けるが、彼女は目を覚ますことは無い。ルナリアのそんな姿を見たデニスは気力を少し取り戻した様で、アメリアの事を敵意が多大に混じった視線で睨みつける。

 だが、当のアメリアはそれを意に介する様子は全くない。


「前座はこれで終わりました。今こそ、私の復讐の第二幕を始めましょう!!」


 そして、今回の復讐劇に必要な演者が出揃った。ここにアメリアの復讐の第二幕が始まるのだった。

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