34 幸せで幸せで幸せで残酷な夢
「……うえ、……にうえ、……兄上!!」
「っ!!」
「兄上っ!!」
「っ、ああ、ディーンか、すまない」
「どうしたのですか? 急にボーっとして」
「だ、大丈夫だ。少し考え事をしていただけだ」
「……これから父上に会うというのに本当に大丈夫ですか?」
「あ、ああ、本当に大丈夫だ」
(そうだ……、確か父上から用があるからと呼び出されたのだった……)
そう、今は父から用があるからと弟のディーンと二人で来るようにと呼び出されて、父の元へと向かっている最中だった事をデニスは思い出した。
今彼等がいるのは父の執務室の扉の前だ。ディーンは執務室の扉をノックする。その直後、執務室の中から彼等の父の声が聞こえてきた。
「ディーンです。兄上と共に参りました」
「入れ」
「では失礼します」
そして、ディーンは執務室の中へと入っていく。デニスもそれに続くように執務室の中へと入っていった。
「父上、どういったご用件でしょうか」
「ああ、急に呼んで済まんな。今日はお前達に言っておきたい事があったんだ。この年だ、いつ死ぬかもわからんからな」
二人の父は齢五十を超えている。この国での平均年齢を超えているのだ。だからこそ、死ぬ前に予め言っておきたいことがあったらしい。
そして、彼等の父は一瞬だけ間を置いたかと思うと次の瞬間、口を開いた。
「ここで改めてお前達二人の前でちゃんと宣言しておく。……ユーティス侯爵家を継ぐのはデニス、お前だ」
父のその言葉でデニスは一瞬呆然とした表情を浮かべた。
「私が、ですか……? 弟のディーンでは無く?」
「そうだ、何か問題があるか?」
「い、いえ、何でもありません」
「兄上、おめでとうございます」
「あ、ああ、ありがとう」
ディーンはまるでデニスの事を祝うように何度も拍手をする。だが、デニスはこの光景に何処か大きな違和感を覚えていた。
(なんだ……? 何かがおかしい……?)
彼はどうしても自分が侯爵家を継ぐのは自分だという父の言葉を信じることが出来なかった。何故だか、彼には侯爵家を継ぐのは弟のディーンだという気がしていたのだ。その為、デニスは父に、本当に私が侯爵家を継ぐのか、という確認しようとした。
だが、それを確認しようとしたその直前、執務室の扉が数度ノックされる音が聞こえてきた。
「旦那様、お客様がお見えです」
「おお、予想よりも早かったな。お前達、済まないな、これから人に会う約束があるんだ」
「そうですか。では、お邪魔にならない様に私達はこれで失礼いたします。兄上、戻りましょう」
「……っ、ああ、そうだな。では父上、これにて失礼いたします。」
そして、デニスはその違和感を抱えながらも、結局父に確認する事は出来ず、ディーンと共に父に頭を下げて執務室から退出するのだった。
デニスは執務室から出た後、ディーンと共に屋敷の廊下を歩いていた。だが、デニスの表情は優れないものだった。
それは何故か。デニスの頭の中には妙な記憶が残っていたからだ。その記憶とは、侯爵家を継ぐのはディーンで、初恋の相手であるユリアーナもディーンに取られ、アメリアとルナリアという二人の娘が出来るという内容のものだった。
しかし、そこまで鮮明に覚えている訳では無い。○○だったような気がする、程度にしか記憶に残っていない。
更に言うなら、彼にとってもこの記憶が真実という保証はどこにもない。明らかに未来の出来事だろうと断言できる事柄まで記憶にある。しかも、父は先程自分に侯爵家を継がせると言ったばかりだ。もうこの時点で記憶とは大きな差異がある。この記憶が幻の類だと断言しても何もおかしなことは無い。だが、どうしても彼にはこの記憶が偽りだとは思えなかった。
「兄上、表情が優れない様ですがどうなさったのですか?」
「……なぁ、少し相談があるのだが、少し時間を貰えないか?」
「はい、いいですよ」
そして、意を決したデニスはディーンにこの記憶の事を少々の脚色を交えて相談した。
侯爵家を継ぐのは自分では無くディーンだと父に言われた気がする事、ユリアーナもディーンと結婚する様な気がする事、等々だ。
だが、その話を聞いたディーンはデニスの話を一蹴した。
「……兄上、何を馬鹿な事を言っているんですか? そんな馬鹿な話があるわけがないですよ。先程、父上から兄上が爵位を継ぐようにと言われたばかりではないですか」
「そう、だよな……」
「それにユリアーナも私が娶るという話もあり得ないですよ。彼女はユーティス侯爵の当主に嫁ぐ事になっているのですから。それではまるで私が爵位を継ぐ事になっている様ではないですか」
「……ああ、そうだな。自分でもおかしいとは思っているのだが……」
「……兄上、もしかしてお疲れではないのですか? 或いは、何処かで白昼夢や幻覚を見て、それが本当の事だと信じ込んでいるのかもしれません。やはり、部屋で休息を取った方が良いのでは?」
「そう、だな……」
実際にデニスは、先程自分の父から爵位を継ぐのは自分だと言われたのだ。ディーンもそれは確かだと言っている。だというのに、それとは正反対の記憶が頭にあるのだ。
それこそ、デニスの話は白昼夢か幻覚を見ていて、それが記憶に残っているのかもしれないと言われてもおかしくは無いだろう。
もし、自分のこの妙な記憶が正しい現実だとするなら、この現実の方が『夢』ではないか。そんな馬鹿らしい話があってたまるか。
結局、そんな事を考えていたデニスは自分の中にある違和感を大きく疑問視することは無かった。そして、時間が経つにつれてその違和感も何処かへ消え去るのだった。
あれから、数年の歳月が経過していた。デニスは父の死後、遺言通りにユーティス侯爵家を継いでいた。またディーンは他家に婿入りし、既に家を出ている。
そして、婚約者として初めて会った時に一目惚れをしたユリアーナも無事に娶ることが出来た。
更に、第一子である娘も先日無事生まれ、今は妻と共にその娘の名前を考えている最中だった。
「……ルナリア、という名前はどうだろうか?」
妻と名前を考えている時、何故かその名前がデニスの口から出ていた。咄嗟にその名前が出てきたとしか言えなかったが、その名前が彼の中では一番しっくり来ていたのだ。
「ルナリア、ですか。良い名前だと思いますよ」
「そうか、そうだな。ならルナリアで行こう」
妻も納得している。自分でもしっくり来ている名前なのだが、咄嗟にルナリアという名前が出てきたのか、彼には分からなかった。
(何故なんだ? 何故、ルナリアと名付けようと思った?)
一瞬だけ浮かんだその疑問にデニスは首を傾げたが、今はそんな事はどうでもいいだろう。今は娘の名前が決まった事を祝福するときだ。デニスはその疑問を忘却して、まるでこの『夢』のような今の幸せに浸り続けるのだった。
そこから更に時は流れ十数年後、デニスは持ち前の手腕で、成長した自分の娘のルナリアを王太子の婚約者に据える事に成功していた。
そして、それが起きたのは娘達の婚約期間もある程度を経ており、結婚も間近という、とある日の出来事だった。
その日、自分の屋敷にある執務室で毎日の執務をしているデニスの元に一人の部下が慌てた様子で現れた。その部下は手に報告書の様な紙の束を持っている。
「なんだ!? そんなに慌てて一体どうしたというのだ!?」
「急報があります!! 旦那様の仰っていた通りの場所、金山が発見されました!!」
「っ、そうか!!」
部下の報告にデニスは喜びの声を上げる。部下の報告とは、デニスが目を付けた場所で金山が発見されたという報告だったのだ。だが、同時に彼の心の中には不可解だという思いもあった。
(しかし、何故私はあの場所に金山があると確信していたんだ……?)
そう、デニスはある日、何故か自領内のとある場所に金山があるという確信を突如として抱いたのだ。だが、何故そんな確信を持ったのか、その理由だけが全く分からない。だが、彼の中には金山が絶対に存在するという確信だけがあった。その為、部下に金山の事を調査させていたのだ。
金山が発見されたという報告を受けた今でも、何故金山が自領にあるという確信を抱いたのかという理由は分からない。だが、今はそんな事はどうでもいいだろう。そんな事よりも重要な事が目の前にあるのだから。
「こちらが詳細を記した報告書になります」
部下はその言葉と同時に手に持った報告書をデニスに手渡した。
その直後、デニスは部下の持って来た報告書を読んでいく。だが、彼は報告書の推定埋蔵量の項目を読んだ瞬間、突如として「なっ!!」という驚き声を上げた。
彼が驚くのも無理はない。この報告書に記されている金の埋蔵量はこの国でも最大といってもいいほど膨大な物だったのだ。
「この事を国に報告しなくてはならん。お前は急いで本格的な調査チームの編成をしろ」
「はっ!!」
デニスの指示を受けた部下は執務室から退出していった。一人執務室に残ったデニスの口からはもう我慢できないと言わんばかりに笑いが零れ出る。
「……く、くく、くくくく、金山から供給される膨大な富、愛しい妻と娘、権力、私は全てを手に入れたのだ!! まるで今のこの瞬間が『夢』の様だ!! はははは、あはははははははは!!!!」
そして、デニスはこの全てが叶った『夢』のような現実に只々溺れるのだった。
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