25 『鋼牙』

 デニスがルナリアの為に最後の手段を使うと決めた日の深夜、彼は貧民街にいた。

 彼の周りには護衛らしきものの姿は一切ない。何故なら、今回の目的の者達に会う為の条件の一つが、護衛の類を一切つけずに、一人で出向く事だからだ。デニスは自分の事を極力誰かに見られない為に、ボロ外套を深く着て貧民街を進んで行く。

 そして、彼は貧民街のある一角に到着すると、近くにあった建物の扉を三度ノックした。すると、扉の先から小さな声が聞こえてくる。


「『鋼の牙は?』」

「『標的の喉を静かに掻き切る』」

「……どうぞ、お入りください」


 合言葉の確認が終わると、彼の前の扉が静かに開かれた。デニスは躊躇する事無く、建物の内部へと入っていく。慣れた様子で建物内を進み、その中にある一室へと入っていった。


「久しぶりだな、『鋼牙』の長よ」


 部屋の中にいたのは初老を迎えたであろう一人の男性だった。デニスは彼の事を知っている様で親し気に声を掛けていた。


「これはこれは、デニス様、ようこそいらっしゃいました」


 部屋の中にいた初老の男も、デニスの挨拶に親し気に返事を返す。

 デニスが接触した男、それは『鋼牙』と呼ばれる裏社会でも名の通った組織の長だった。


 『鋼牙』、それはこの国の裏社会では知らない者がいない程の名高き暗殺者組織の名前だった。『鋼牙』は、元は東方にある国で暗殺を請け負っていた一族、という触れ込みで売り出していた。彼等の暗殺の腕前は確かで、『鋼牙』がこの国で活動し始めると、一気に裏社会で名を上げていった。

 そして、『鋼牙』が有名なもう一つの理由がある。それは、要求する報酬の多さだ。『鋼牙』は暗殺の報酬に多大な報酬を要求する。更に、交渉には一切応じず、最初に提示した条件でのみ暗殺を請け負うのだ。


「デニス様、お変わりが無さそうで安心しました」

「お前達も、な」


 なぜ、デニスが『鋼牙』のアジトを知っており、尚且つ合言葉まで知っているのか、それには理由があった。

 昔、デニスにはどうしても排除したい政敵がいた。だが、その政敵は厄介な事にかなり手強く、デニスは只々手をこまねいていた。そんな時、最後の手段としてデニスは当時ですらこの国の裏社会で名高かった『鋼牙』に接触したのだ。デニスは『鋼牙』にその政敵の暗殺を依頼した。その政敵は軍の出身で戦闘技術も高く、自身が命を狙われる事を知っていた為、暗殺対策の警護の為に数多の護衛を雇っていた。だというのに、『鋼牙』は政敵の暗殺を呆気なく成功させたのだ。


 そして、彼等は暗殺の報酬の一環としてデニスとある盟約を結んだ。その盟約とは、デニスが自領に『鋼牙』拠点を融通し、彼等の事を黙認する。代わりに、『鋼牙』はデニスの依頼を最優先で引き受ける、という物だった。

 実際、デニスはその盟約が結ばれた後も何度か『鋼牙』に暗殺を依頼している。そして、その成功率は百パーセント、今まで一度たりとも依頼を失敗した事が無かった。


「我々の元に来たという事は、暗殺の依頼ですか?」

「……その通りだ。今回、お前達へ頼みたい依頼は……」

「噂のユーティス侯爵の忘れ形見、アメリアの暗殺ですね?」

「……よく分かったな」


 デニスがここに来た理由、それは『鋼牙』にアメリアの暗殺を依頼する為だ。だが、それを『鋼牙』の長に言い当てられるとは思ってもいなかった様で、驚きを隠すことが出来なかった。


「ええ。情報は我々にとって命綱も同然ですので。最近、広まりを見せているアメリア・ユーティスの復讐の噂。そして、デニス様のした事を考えれば、貴方もアメリア・ユーティスの復讐の対象に入っている可能性は十分あります。それらを考えれば、自ずと今回の依頼が見えてくるというものです」

「そうか……。なら、改めて言おう。お前達、『鋼牙』にアメリアの暗殺を依頼したい」

「……分かりました。その為の準備も既に整えてあります。……おい、アレを持ってきなさい」

「はっ!!」


 そして、何処からか現れた傍仕えの者がデニスに一枚の紙を手渡した。


「これは?」

「今回の暗殺計画です。デニス様の依頼が我々に来る確率が高いと判断し、予め作成しておきました」


 デニスは『鋼牙』のあまりの周到さに思わず舌を巻いた。だが、彼は紙に書かれた暗殺の計画を読んでいく内に、その内心には怒りが募っていく。


「なんだ、この内容は!?」

「やはり、問題がありますでしょうか?」

「当たり前だ!! ふざけるな!!」


 デニスにとってみれば、この紙に書かれた計画は無茶苦茶であり、受け入れがたいものだった。『鋼牙』の長もそれを分かっているのか、デニスを宥めようとする。だが、『鋼牙』の長はこの方法でしかアメリアの暗殺は成功しないと踏んでいた。


「こんなもの、受け入れられるか!!」

「……ですが、これが我々に考えうる最良の手段なのです」


 今のアメリアは神出鬼没だ。『鋼牙』の情報網を以ってしてもどこにいるのか、全く分からない。更には、転移の魔術すら単独で使用できる存在という噂もある。そうなってくると、彼等ではアメリアの居場所を特定する事は不可能に近い。


 暗殺というものは相手が何処にいるのかが確定している事がある意味、一番の大前提なのだ。何処にいるのか、行方が全く分からない者を暗殺するなど。どう足掻いても不可能だ。だから、この方法しか無いのだと、『鋼牙』の長はデニスを説得していく。デニスも『鋼牙』の長が説得を続けていく内に、少しずづだが態度を軟化させていった。


「………………仕方あるまい。お前達が、これ以外の方法が無いというのならこれが最適なのだろう。これで構わん」

「ご納得いただけて何よりです。では続いて報酬の話に移りましょうか」


 すると、先程暗殺の計画を記した紙を手渡してきた傍仕えの者が、再び現れデニスに今回の報酬が書かれた紙を手渡した。

 そして、デニスは手渡された紙を一瞥していく。その内容を見た彼は思わずため息をついた。


(くそっ、これだからこの連中は……)


 そう、これこそデニスが『鋼牙』をあまり使いたくない理由だった。『鋼牙』の厄介な所は、報酬は金銭だけに留まらない所だ。『鋼牙』が運営している商会等に便宜を図ったり、公共事業の請け負いを便宜させる事を要求してくるのだ。

 しかも、『鋼牙』は自分が支払えるギリギリを要求してくる為、尚更に質が悪い。更には、最初の要求から一切譲歩をしない事が質の悪さに拍車を掛けていた。

 

 デニスが持つ紙に書かれた報酬リストを見る限り彼が支払えない報酬ではない。案の定、彼が支払えるギリギリを要求している。だが、この紙に書かれた通りの報酬を支払うとなれば、各所に根回しが必要になるだろう。その面倒さを考えると頭が痛くなりそうだったが、そんな事言っていられる場合でない。今回は彼自身の命がかかっているのだ。この要求を突っぱねて、長の機嫌を損なう様な真似はしない。


「いいだろう。報酬はこのリストに書かれている事で構わない。条件を全て飲もう。だが、いつも通り報酬は成功時だけだ。問題は無いだろう?」

「ええ、勿論、問題ありません」


 『鋼牙』は報酬を前払いでは一切要求しない。依頼を成功させた時のみ報酬を受け取る。 その二つはかなり有名だ。それは暗に、自分達の暗殺の技量が優れている、暗殺は必ず成功させるのだという事を誇示しているに他ならない。


「では、その依頼の方を受理いたしましょう」

「ふん……」


 膨大な報酬を支払わなければならないのは癪だが、それでもデニスは過去の例から『鋼牙』の腕は信用していた。だが、今回の依頼は彼自身の命に関わりかねない、『鋼牙』が暗殺に失敗すれば間違いなくデニスは命を落とす、故にデニスは『鋼牙』に釘を刺すのを忘れない。


「これだけの報酬を支払うのだ。失敗は許されない、分かっているな?」

「ええ、分かっております。我々も大口のお客様である貴方を失いたくないので、我々『鋼牙』の全力を持ってその依頼を達成して見せますよ」

「ならいい。期待しているぞ」

「はい、ご安心ください。我々に全てお任せを」


 そして、デニスは『鋼牙』の長と握手をする。デニスは全ての話が終わると自分の屋敷に戻る為、『鋼牙』のアジトから立ち去った。


(『鋼牙』の連中に任せておけば、安心だろう。奴らは必ず暗殺を成功させる。アメリア、これでお前は終わりだ。我が弟ディーンよ。お前の忘れ形見、この世から葬り去ってやろう)


 『鋼牙』のアジトから自分の屋敷に戻る道中、アメリアの死を確信したデニスは心の中で高笑いをするのだった。

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