第15話

年が明けて駅のそばの、市内の1番大きな神社で初詣をした。愛華の家からは自転車で20分かかり、こんなところまで初詣に来るのは初めてだった。例年なら家族とともに、近所の小さな神社に行く。区長たちが、ドラム缶に角材を突っ込み、それに火をつけて暖をとりながら日本酒をあおっているだけの光景だ。馬鹿な酔っ払いが愛華にも酒をつごうとして、親もこの日ばかりはまあ飲めるなら飲めば? みたいな顔をする。浮かれ気分の大人を見るのがしんどくなり、去年は行かなかった。

朝8時に鳥居の前に集合とのことなので、6時に目が覚めた愛華は、全員寝静まって誰もいない居間のコタツのコンセントを突っ込み、火力のツマミを最大まで回し、そこに両手両足を突っ込んで何もしないでいたが、やがてファンヒーターのスイッチを入れた。間があって送風口からごおという音が漏れる。

明かりはつけていない。灰色のカーテンがいくらかの光を通し、愛華の周りは、かろうじて暗闇を逃れている。なんだか神聖な気分がした。

特に意識しなくても、結局は時計ばかり見てしまう。着替えをして髪をとかし、7時半に家を出た。少し遠回りをして行けば、ちょうどいい時間に着くだろう。新品の靴下をおろした。家族は誰も起きてこなかったが、初詣のことは伝えてあった。誰と? とかそういうことを聞く親ではなかった。受験生だから初詣くらい行くのだと思われたのだろう。

鳥居の前で1人で待っていると、今井さんと芳賀くんが現れる。鳥居は東側にあったので、2人は逆光に照らされ、判別がままならなかったが、2人の絶妙な身長差ですぐにわかった。今井さんは学校の時とは違うコートを着て、違うピンで髪を留めていた。手袋は同じだ。芳賀くんはだいたいいつも通りだ。細かい部分でどこか違うのかもしれないが、ぱっと見で、いつも通り、と決めつけ安心した。

じゃあ行こうか、と鳥居をくぐろうとすると「ちょっと待てよ」と芳賀くんが愛華の左肩を押さえた。芳賀くんも古風なところがあって、改まった挨拶でもしたいのかと振り返り、深々とお辞儀をすると、芳賀くんと今井さんは笑いながらそれに応じてくれた。何か引っかかる笑い方だった。昨日の紅白の話題でも振って、様子見をしてみようかと思ったところで

「お待たせしましたあ」

と現れたのは、チカちゃんだった。たまたま偶然通りかかったのではないことは、芳賀くんたちからの迎えられ方ですぐにわかった。チカちゃんとは昨日の夕方にメールをしたのが最後だったが、愛華は初詣に行く、とまでは言ったが、時間までは教えていない。

何か嫌な感じがして、顔に出てしまいそうなのをなんとか抑えてニコニコしていたら、芳賀くんとチカちゃんが付き合い出したことを知らされた。

芳賀くんよりも今井さんを責めたい気分で、実際家に帰ってから「どゆこと?」と速攻で今井さんにメールをしたら「私だって知らない。昨日から付き合い出したらしい」とどこか怒り口調で返ってきた。ひょっとしたら、今井さんもやっぱり芳賀くんが好きだったのかもしれない。

このまま理不尽に怒りをぶつけ、友情もクラッシュさせてもよかったが、とりあえず先にチカちゃんの罪について考えようかと思った。が、人の彼氏を誘惑しやがってと言いたくても、芳賀くんは愛華の彼氏ではなかったし、考えてみると、愛華はチカちゃんに芳賀くんが好きだと言ったことはなかった。態度でバレバレだから、言う必要もないと思っていただけだ。大量のメールを順番に読み返してみると「芳賀先輩と愛華ちゃんてお似合いですね」のチカちゃんのメールの後には「そんなことないよ~(困りながらもにこにこしている絵文字)」と返信している。そんなことないのなら、取られても仕方がない。もしかしたら、チカちゃんは愛華にずっと遠慮していて、何度も2人の関係を確認し、特に進展もなく年も明けたことだし、思い切って告白だけでもしておこうと告白してみたら、思いもよらずうまく行ってしまっただけの話かもしれない。だとしたらチカちゃんはなかなか周りに気配りのできる、できた子だ。冬休みの前、チカちゃんが生徒会長に立候補して当選して芳賀くんと3人で大喜びしたのを思い出す。芳賀くんと2人で大きな声で応援した。チカちゃんは泣きながら「2人のおかげです」なんて言ってたが、よくよく思い出すと、その時芳賀くんのことを、いやらしい目で見ていた。泣いたのもきっと嘘泣きだ。

とりあえず芳賀くんのアドレスを消すことにする。アドレスが消えるとメールも消した。一仕事終えるとコートを着たままベッドに突っ伏した。しばらくするとお母さんに「お雑煮できたよ」と呼ばれた。

無視してもよかったが、餓死しても仕方ないので、朝、足を突っ込んだコタツに再び足を入れると「お餅いくつ?」と台所から声だけで聞かれた。ひとつ、と答えると餅がひとつ入ったお雑煮がやってきた。正面では父親が鼾をかいている。朝から飲んでいたことがわかる。そういえば今は一体何時なのだろう。テレビはついているが、正月の番組のせいで時間が読めない。時計を見上げようとするが、口の中の大根が熱くてそれどころじゃなくなってしまう。時計を見て時間も確認できないなんて、わたしは本当にかわいそうな子だ、と、愛華は思い、泣きたい気持ちになる。

その時タヤマ先生の笑い声が聞こえた。ぎょっとして顔を上げると、時計は6時15分を指している。もうとっくに日は暮れている。どうしてこんな所でタヤマ先生が? と思い、 部屋を見回すが、寝ている父親しか部屋にはいない。空耳だ。愛華は箸を置いてため息をついた。

確かに愛華の今の状況を見たら、タヤマ先生は笑うだろう。正月のテレビの前で雑煮をすすりながら、世界で1番不幸な女を気取るなんて、ギャグでしかない。もしこの場に先生がいたら、芳賀くんとチカちゃんの悪口をひたすら言うに決まっている。チカちゃんには一度煮え湯を飲まされているから、悪口は5倍増しである。

久しぶりにメールでもしてみるか、と思いたった愛華は、部屋に引っ込み、枕の下に埋もれた携帯を取り出した。念のためにセンターに受信メールを問い合わせたら、誰からもメールをは届いておらず、そのことを意外に感じながら、いよいよ孤独になっちゃったなあ4日からの冬季講習はどんな顔して行けばいいのかとか思いを馳せながら「先生、明けましておめでとう。ところでわたし、振られちゃいました」という文面をひと息で打った。ところが、宛先にタヤマ先生のアドレスを貼り付けようとしたら、不思議なことにアドレスが見つからない。タヤマ先生の、タ行のところを下にずれて行ったが、そもそもタ行には田村という塾の同じクラスで、大して仲良くしたくもないが弾みでアドレス交換した子しかいない。よくやるミスで、タヤマ先生をアドレス登録する時に、読み仮名を入れ忘れ、アドレスの最後の「♯」の項に入り込んでまうことがある、そこに画面を遷移させるが、誰の名前もなかった。仕方なくア行から順番に見たが見つからず、ワ行から遡っても結果は変わらない。芳賀くんを消した時に、一緒に消してしまったのかもしれない。だとしたら馬鹿だ。芳賀くんに関しては、もしアドレスを消したことを後悔したとしても、今井さんに聞けばいつでも復活できることを、愛華はわかっていた。対してタヤマ先生の場合は、そういう保険的なものは一切ない。本人に聞くしかないが、押しかけるべき先生の家の場所を知らない。

新学期までまだ1週間もあることに苛立ちをおぼえた愛華は、携帯をドアに向かって投げつけた。携帯は、ばきっとそれっぽい音を立てて床に落ち、愛華は慌てて被害を確認すると、側面に傷がついただけで、液晶は問題なく21時4分と表示されていたので安心した。

そこまできてようやく気づいたが、愛華はそもそもタヤマ先生のアドレスを知らなかった。先生が携帯を持っているかどうかも知らない。以前袋から取り出して見せてくれたのはどこかの生徒から取り上げたものだった。


始業式の後、まるで何事もなかったかのように今井さんが鞄を下げて愛華の席までやってきた。廊下のところでは、首にグレーのマフラーを巻いた芳賀くんが、一緒に帰るつもりでスタンバっていたので、愛華は呆れた。この人たちは、どれほど無神経なのだろう。そう思ったが、よく考えると、勝手に気まずがっているのは愛華だけだった。今井さんは、とりあえず自分から話題に触れるのは避け、愛華から持ちかけたら慰めようと思っている。芳賀くんはチカちゃんと恋人同士でも、友情は友情として大切にするフェアな男なのだ。

愛華は無言で立ち上がり、今井さんの手を引っ張って廊下に出た。

「今日はタヤマ先生のところに寄るから。先に帰って」

芳賀くんの前までくると2人にそう伝えた。何の前触れもない、タヤマ先生という単語に、2人の顔に「?」が広がる。芳賀くんはそのままだったが、今井さんの表情は徐々に険しくなる。きっとかつて音楽室で恥をかかされ、泣かされたことを思い出しているのだろう。

なんと言葉をかけていいのかわからない2人を残し、音楽室へ向かう。このままチカちゃんと鉢合わせしたら厄介だと思っていたらチカちゃんが前からやってきたので無視した。チカちゃんが怪訝な顔をしながら、愛華に道を譲った。

放課後、こうして音楽室へ来るのは本当に久しぶりなので、愛華は緊張していた。校舎の1番端にある音楽室のドア付近は、光があまり届かないために薄暗く、冷んやりしていて寒くなってくる。先生は中にいるのだろうか。

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