第四話 苦闘! ヒーローは逃げず死線に踊る
ズンっと重い足音を前に、カケルはヒザの震えを無視して駆け出した。
呼応するように後ろの二人が動き出したことを背中で感じる。
『スピードには乗らせねえ!』
(
カケルと黒い鱗のドラゴン——邪龍マルムドラゴ——との距離がぐんぐん縮まる。
ドラゴンの体高——地面から背中の最も高い場所——は、およそ5メートルほど。
足元にたどり着いた時には、カケルの視界いっぱいにドラゴンが映っていた。
サイのように鼻面を前面にして駆け出そうとしたドラゴンの前脚に蹴りを入れる。
カケルのブーツに、黒い鱗の硬い感触が返る。
もしも
ドラゴンにダメージはないようだが、足は止めた。
『衝撃イコール重さ×速さってヤツだからな。こんなデケえのが走り出したら止められねえし』
黒い鱗に守られた脚に拳や蹴りを叩き込んでも、ダメージを与えた手応えは感じられない。
鱗が割れることも鱗に守られた分厚い筋肉に届いた感触もないが、ドラゴンは鬱陶しそうにカケルを狙う。何度も脚を踏み下ろす。
(運動エネルギーは重さ×速さの二乗×1/2です)
無表情なアルカのツッコミを頭の片隅で聞きながら、カケルは前脚への攻撃を止めない。
時おり、下を覗き込んでくるドラゴンの顔を張り飛ばす。
カケルを狙う牙をかわして、振るわれた爪は前に踏み込んで手のひらを殴る。
『爪は武器になるほど硬くても、ここはそうでもねえだろ!』
突進させないために前脚を狙い、爪を避けて手を弾き、目の前をうろちょろする。
ダメージを与えられなくとも、カケルは攻撃を阻害するように立ちまわっていた。
ドラゴンはカケルを相手して、周囲への警戒がおろそかになった。
カケルの、カケルたちの作戦通りに。
「はあッ!」
裂帛の気合が響く。
カケルの攻撃ではない。
『そうだ。普通、背中より腹の方が柔らかい。鱗がある生き物ってそういうもんだろ?』
(そうとは限りません)
『いいんだよ、取っ掛かりになれば。ダメならダメで別の場所を試せばいいから』
(吸収した魔力の解析を続けます)
顔まで
ニヤリと歪めた口元も、外には見えない。
ドラゴンを攻撃したのは、Sランク冒険者『鉄壁の戦乙女』アイギスだった。
カケルに注意がいっているドラゴンの脇腹に、体重をかけた突きを叩き込んだのだ。
だが、ドラゴンに傷一つつけることはなかった。
ドラゴンはグオオオンッと小さな唸り声をあげる。
いい攻撃だ、とばかりにどこか喜色が混じっていると感じるのはカケルの気のせいだろうか。
あるいは
『ちっ、次だ次! くそ、これが全開かよアルカ! 超古代文明のマジックアイテムなんだろ!』
Eランク冒険者なのに、強大な敵を相手にまだ生き残っているのは「
素のカケルであればすでに数十回は死んでいる。
それでもカケルは、ドラゴンにダメージを与えられないことが不満なようだ。
いつまでも戦えるわけはなく、一撃でももらえば状況はひっくり返るのだから。
ドラゴンはカケルを狙いながらアイギスにも注意を払うようになったことを考えると、同じようなチャンスはもうないかもしれない。
だが、この場にいるのは二人だけではない。
「〈
カケルが眼前をうろつき、アイギスがドラゴンの周囲で隙をうかがう。
ドラゴンの気を引く二人の狙いは、三人目の魔法だった。
領主にして女男爵にして街一番の魔法使い、ユーナ・フェルーラの魔法がドラゴンの体に当たる。
氷の槍は、ドラゴンの鱗に弾かれた。
『氷魔法もダメか。変温動物のクセに冷気ダメージもねえのかよ!』
(変化は見られません。氷属性は弱点ではないようです。また、真龍は変温動物ではありません)
『ちっ、これだから異世界は。氷はダメっと。次はどうすっかなあ』
思考を続けながらも、カケルの足は止まらない。
氷魔法がダメージを与えなくても、三人とも絶望した様子はなく、次なる一手を考えている。
(真龍相手に見事な連携です。いつ作戦を立てたのですか?)
『はっ、作戦なんて立ててねえよ』
(ですが、互いにやることを理解している動きです。そういえば師匠と呼ばれていましたね。あの二人は弟子なのですか?)
『聞こえてたのかよアルカ。一時期教えてたことはあるけど、弟子ってほど立派なもんじゃねえ』
カケルが撹乱して、状況に応じてアイギスが攻撃と防御を切り替え、ユーナが属性を変えながら何度も魔法を発動して弱点を探る。
打ち合わせる時間はなかったのに、三人はきっちり役割分担ができていた。
かつて、カケルが教えたように。
『アイギスは「冒険者として稼ぎたいけど死ぬわけにはいかない」って俺に教わりに来たな。なにしろ俺は死地でも生き延びて恥を晒す「生き恥」だから』
(人間にとって死は”終わり”です。死を避けるのは当然でしょう)
『ユーナはなあ。館から抜け出す「おてんば娘」の護衛に、ほかの冒険者よりは野蛮じゃねえって理由で俺が選ばれてな』
(カケルが……野蛮ではない……?)
『なんで驚いてんだよ。ぜったい人格生まれてんだろアルカ。無表情なのに目が丸くなってんぞ』
(私はアルカです)
『俺はその頃から「生き恥」って呼ばれてたし、その歳でEランクだったしな。二人が離れる時には三十六だったか? 「俺が師匠だってことは黙っとけよ、会っても声かけてくんな」って約束させて』
(カケルは馬鹿なのですね。理解しました)
『は? おいおいどういう——』
「いきます! 〈
カケルがドラゴンからわずかに距離を取った瞬間に、ユーナの杖から紫電が走った。
雷鳴を響かせてドラゴンに直撃する。
『くくっ、どうした? これが奥の手か? ならばそろそろ本気を出そう』
雷魔法を受けても、邪龍マルムドラゴにダメージはないようだ。
心話で三人を煽り、鋭い牙を見せつけて笑う。
『火も水も風もダメ、ユーナのとっておきの雷魔法も効かねえのか』
(警告。真龍の魔力が循環しています。アレはおそらく
いつもより早口なアルカの警告をカケルが理解する前に、ドラゴンが動いた。
先ほどまでと比べ物にならないほどのスピードでアイギスに迫り、龍の爪を振り下ろす。
咄嗟に盾を合わせられたのはさすがSランク冒険者だが、ドラゴンの「本気」の攻撃を正面で受けて、人間が止められるわけがない。
『鉄壁の戦乙女』がかざした盾は切り裂かれ、鮮血が舞って、紙切れのように吹っ飛ぶ。
「アイギス!」
外部に叫びを響かせてカケルが走る。
意識はあるのか、血を流しながらも、アイギスは立ち上がろうとしていた。
背後のユーナを、避難を進める街の住人たちを守るために。
体を起こしたアイギスに、ドラゴンがふたたび爪を振るう。
「〈
龍の爪は、半透明の壁に遮られた。
ユーナの魔法による防御に気づいたドラゴンは、ぐっと爪を押し込む。
(いけません。あの方法では——)
魔法障壁は込められた魔力量とタイプによって強度が上下する。
ユーナが使ったのは、防ぐ攻撃によって魔力を消費する持続型のタイプだった。
重いダメージを受けたアイギスを守るための選択だろう。
ドラゴンの攻撃を防いで、ユーナの魔力がどんどん減っていく。
「アイギス、ユーナ! くそ、間に合え!」
半透明の壁と空中でせめぎ合うドラゴンの爪の根元に、カケルが飛び蹴りを放つ。
爪はズレて、アイギスの横の地面に突き立った。
目の前の死は免れた。
だが、代償は重い。
「アイギス、高位ポーションはあるな? 飲んだらユーナを抱えて逃げろ!」
「待ってください、
言葉とは裏腹に、ユーナはふらりと地面に倒れた。
魔力欠乏の症状である。
持続型の魔法障壁で、ドラゴンの攻撃を防ぐ。
動けないアイギスを守る選択としては正しかったかもしれないが、消費した魔力は莫大だった。
街一番の魔法使いの魔力が枯渇するほどに。
邪龍マルムドラゴが「そろそろ本気を出す」と言ってから、わずかな間でこの惨状だ。
カケルはぎりっと歯を食いしばった。
体を張って二人を逃して、なんとか自分も逃げる。
カケルはまだ、そんな甘いことを考えていた。
『ほう、これはちょうどいい。さあ、二発目はどうする?』
ドラゴンが、牙の隙間から覗く口内に、黒い闇を溜め込んでいるのを見るまでは。
いま、カケルとアイギスとユーナは直線上に並んでいる。
アイギスは傷ついた体を動かしてポーションを取り出して、ユーナは倒れたままだ。
二人は、動けない。
『くそ、ここでブレスかよ!』
カケルが悪態をついた。
射線は街からズレているため、街に被害が出なさそうなのは救いだろうか。
『アルカは「ドラゴンのブレスを防げるように」設計されたって言ってたな!』
(龍のブレスならば防げます。ですが真龍のブレスは防げません)
『俺の魔力でもなんでも使って防いでみせろ! さすがになあ、目の前で教え子二人を死なせるわけにはいかねえんだよ!』
(……了解しました。
アイギスとユーナの前で、カケルが両腕を交差する。
アルカの「魔導障壁」だろう、カケルの前に半透明な壁が展開されて————
ドラゴンがブレスを放つ。
稲妻混じりの黒い奔流が、カケルの視界を塗りつぶした。
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