第四話 決意! くたびれた冒険者は諦めていた夢を追う


「おおおおおらあああああああッ!」


 モンスターを怯ませて冒険者志望の四人を勇気付ける雄叫びに、少年は顔を上げた。

 なだらかな丘の下の道を、革鎧の男が長剣を振りかざして駆けていく。

 車が走るかのような高速で、生身の人間が走っていく。


「な、なんだあの速さ、ありえない、じゃあほんとにここは異世界、それかゲームのなか、そんな、俺は学校から帰る途中だったはずで」


 地面にヒザをついた少年が混乱しているうちに、マントをはためかせた男が戦場にたどりついた。

 ざざざっと靴底を滑らせて、走ってきた勢いのまま長剣を横薙ぎに振るう。

 ギャンッと悲鳴をあげて三匹のグレイウルフが空中に吹っ飛び、周囲に血を撒き散らした。


「あなたはっ!?」


「通りすがりの冒険者だ。よくがんばったな坊主ども」


 言いながら、男は長剣を振っていく。

 グレイウルフもその上にまたがったゴブリンライダーも次々に斬り飛ばされる。

 四人の少年少女が必死で抗っていたのが嘘のように、あっという間にモンスターが倒れていく。


 スラックスにブレザーでリュックを背負い、ヒザをついて震えていた少年は、ただ男の勇姿を見つめるだけだった。


 男が長剣を振るうたびに、モンスターは斬り殺された。

 逃げようとしたゴブリンライダーとグレイウルフは男が投擲したナイフで倒れる。


 冒険者志望の四人が何をすることもなく、戦いはすぐに終わった。


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


「なに、これぐらい気にすんな」


「あ、あの! ポーションを持ってませんか? 仲間、友達の血が止まらないんです!」


「あるぞ。コレを使え」


「で、でも僕たちお金がなくて、なんとかして払いますから!」


「ははっ、だから気にすんなって。まあアレだ、坊主たちの勇気に免じてセンパイ冒険者の奢りってことでな」


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


 小さな瓶を受け取った少年が、青い顔で倒れている射手に瓶の中の液体を飲ませる。

 みるみるうちに血は止まり、射手は目を開けた。


「そっちの嬢ちゃんは? ケガはねえみたいだが」


「あっはい、無理して魔法を使ったから魔力切れで気を失っただけで」


「ほう、魔法使いか。んで、中のちっこい嬢ちゃんとべっぴんさんはっと」


「おか、おかーさん、おかーさん!」


「……こりゃ気絶してるだけだな。安心しな、ちっこい嬢ちゃん」


 危うく死ぬところだった七人は、一人の冒険者のおかげで命を拾った。

 ひょっとしたら七人だけではなく、丘の上の少年の命も。


 モンスターを倒して「ポーション」を提供した冒険者は、無事だった少年たちから事情を聞く。

 少年いわく、馬車は近くの街に向かう乗合馬車で、冒険者志望の四人はただの乗客だったらしい。

 御者と六人の乗客のほかに、護衛の冒険者もいたそうだ。

 ゴブリンライダー率いるグレイウルフの群れに囲まれた際、護衛の冒険者はその場に残って群れの多くを引きつけ、馬車を逃したのだと。

 護衛を助けに行ってくれないかと持ちかける少年に、冒険者は首を振った。


「いや。俺は冒険者として、そいつらが受けた護衛依頼を引き継ごう。街まで送る」


「えっ、そんな、あの人たちを見殺しにするんですか!?」


「俺がそっちに行ったあと、またモンスターの襲撃があったらどうする。坊主どもじゃ守りきれねえだろ」


 冒険者の言葉に、少年少女は口をつぐむ。

 悔しそうにうつむいて、唇を噛んで。


「こんなはずじゃ、俺たちは村じゃ強い方で、だから冒険者になって英雄になるって、俺たちを主人公にした英雄譚が村に届くぐらいって」


「英雄? 主人公? 力がなきゃなれねえよ。まあせいぜい才能があることを祈れ。驕らず努力しろ。主人公や英雄になれるかわからねえけど、じゃねえと冒険者はすぐ死んじまうからな」


 人を襲うモンスターを倒し、七人の命を救った英雄ヒーローは、そう言って皮肉げに口を歪めた。


「俺たち、がんばります。センパイみたいに強い冒険者になれるように!」


「やめとけやめとけ、俺はDランクだ。上級に手が届かねえ、英雄でも主人公でもねえ普通の冒険者だよ」


「えっ? この強さで、Dランク……」


「上には上がいるってこった。まあ死なねえようにがんばるんだな。死んだら英雄も主人公もねえからよ」


 横転した馬車を調べていた冒険者は「これなら問題ねえな」と、一人で馬車を起こした。

 冒険者志望の少年たちが目を見張り、母親が無事だとわかって泣き止んだ幼女がはしゃぎ、丘の上で見ていた少年は目を丸くする。


 続けて冒険者は倒れた御者にポーションを飲ませ、「一頭は無事か」と言って馬車に繋ぎ直した。

 こんなことは慣れているとばかりに、テキパキと。


 冒険者はすぐに御者を起こして、事情説明もそこそこに馬車を出発させた。

 血の匂いに惹かれたモンスターを警戒しての行動だろう。


「よし、んじゃ行くぞ。御者さんは馬車が壊れねえようにゆっくり走らせてくれ。荷を軽くするために、歩けるヤツは馬車から下りて歩くぞ。遅れんなよ」


 言いながら、冒険者はちらりと丘の上に目を向けた。


 まるで、そこにいる誰かにも伝えているかのように。



   * * * * *



「あれから、俺が動けなかった時から二十二年か」


 もたれかけていた体を起こすと、ぎしっと椅子が鳴った。

 鎧戸の隙間から、月に照らされた不死の山の稜線をぼんやりと眺める。


 二十二年前。

 けっきょくカケルは一団に姿を見せず、遠目で馬車を追いかけてこの街にやってきた。

 とつぜん異世界に飛ばされて混乱したのか、命のやり取りを見たことに怯えたのか、それとも、いざという時が来たのに動けなかった自分を恥じたのか。


「気絶した女将を心配して泣いてた幼女のポピーナちゃんは、もうすぐ結婚する。ほんと、あの時助かってよかった。……俺は動けなかったけどな」


 二十二年も泊まり続けたのに、カケルは宿の女将にも看板娘にも「自分もあの時あの場所にいた」と伝えていない。

 街で生活をはじめたあと、冒険者志望だった四人を冒険者ギルドで見かけても、偶然通りかかった先輩冒険者と話をした時も、伝えていない。


「センパイ。主人公でも英雄でもないけど、俺はまだ生きてます。あの時は動けなかったけどいまなら……どうかなあ」


 シワが目立つようになった顔を歪めて、カケルは半笑いを浮かべる。

 自嘲するような笑みがクセになったのはいつの頃からか。

 冒険者になってすぐは「飲み込みが早い」と言われていたのにその後に伸び悩んでからか、一緒に依頼を受けた冒険者が死んでひとり生き残った時からか、Dランクへの昇級試験に何度も落ちて己の限界を知った時か。


 あるいは、「いざとなったら自分はこう動く」と、英雄ヒーローのような活躍を妄想してきたのに、動けなかった二十二年前のあの時からか。


「生きてきた。勝てないモンスターから逃げて、難しい依頼は受けないで、不死の樹海は『異界に繋がる』って噂があるのに死ぬ気で挑戦しないで、生きてきた。生き延びれば強くなるレベル制の世界でもねえのに」


 己の手を顔の前にかざしてブツブツと呟く。

 十八歳の頃と違って、シワが刻まれ汚れが染みて節くれだった、己の手を。


「二十二年。もう四十歳だ。四十にして不惑、だったっけ。ははっ、惑いまくりだな」


 ポタポタと、テーブルに水滴が落ちる。

 変わった己の手を下ろして、カケルは鎧戸の向こうを見た。

 月明かりが、変わらない不死の山を照らしている。


「ああ。親父と母ちゃんは元気かなあ。妹はいまごろポピーナと同じ26歳か。美人になってんだろうなあ」


 カケルは遠く不死の山を見て、記憶の中の富士山を見た。

 普通の高校生だった頃の家族を思う。

 二十二年も前の記憶はぼんやりとして、父親も母親も、年の離れた妹の姿ももううっすらとしか思い出せない。

 写真はスマホの中にしかなく、二十二年前に電池は切れた。


「ああ。帰りてえなあ」


 テーブルにヒジをついて、カケルは両手で頭を抱えた。

 異世界転移する前が特別に幸せだったわけではない。

 カケルは当時から主人公でも英雄ヒーローでもなく、普通の高校生だった。

 時が経てば大学生になって会社員になって、大禍なく人生を過ごしていったことだろう。

 いまのカケルとは違う経験を重ねて四十を迎えて、あるいは不惑だったかもしれない。惑わず、心乱れることのない、文字通りの。


「体は思うように動かなくなってきた。疲れは早いし回復は遅い。同年代のヤツらは死ぬか引退した。俺も、そろそろだ」


 冒険者として長く生き残ってきたカケルには、知識とそれなりの技術はある。

 それでもEランク。一般的な冒険者程度で、ついぞ上級冒険者には、主人公や英雄にはなれなかった。

 そこそこだった戦闘能力はピークを超えて衰えはじめている。


 カケルは頭から手を離して、両の手に拳を作った。


「最後だ。最後に、本気でダンジョン『不死の樹海』に潜る」


 己に言い聞かせるように力を込めて、自分を勇気付けるように強く握る。


「『異界に繋がる』のが本当で帰れるなら良し。帰れなかったら、これで引退する」


 決意を口に出す。

 シワが目立つ顔を、節くれだった手を月明かりが照らす。


 すべてを諦めたかのような、死んだ魚のような淀んだ目に、ひさしぶりに光が灯っていた。


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