第123話『用意周到』



 念願叶い、ついに訪れた隠し部屋。

 そこは上階の居住スペースと違い、まるでソフト開発室のような様相の部屋だった。

 壁際には隙間なくサーバーが設置され、部屋の中央には六枚にもなるモニターが三列二段で設置した机が浮遊し、床は周囲の壁から延びるケーブルで埋め尽くされている。

 同時に、上階とは比べ物にならない圧迫感と閉塞感、不安感がここを埋め尽くす。

 一言で言えば怖いだ。

 地上と地下、先入観以外何もないと言うのに、本能というのはこうも明確に精神に影響を与えるらしい。

 だがそんな弱音を言っている暇はなく、目の前の情報収集に励む。


「サーバールームってところだな」

「ウィスラーはここで何かを監視していたのかしら」

「またはサーバーの演算力を使って何かを開発していたかですね」

「机が浮遊してるってことは電源が通ってるのか?」

「机を浮かすだけなら小型バッテリーでも数ヶ月と出来ますからね。太陽光で発電して蓄電すれば浮かし続けることは出来ます」

「上の家具が降りていたのは、ここに待機電力を送るための節電だったのね」

「おまけに上とは別に発電機もあるから、インフラ区画が破壊されてもここだけは独立して可動させる設計だな」

「元々セーフティルームですからね。外部と完全に隔絶しても生き残れるようになってます」

「これだけの機材を用意して、ウィスラーは何をしようとしたのかしら」

「こればかりは電源を入れないと分かりませんね。発電機を動かしましょう」


 エルマはそう言うと部屋の片隅に置かれている大型の発電機へと向かった。駆逐艦に使われるような大型のもので、入口よりはるかに大きいものだがどうやって搬入したのだろう。

 恐らく分解してこの部屋で組み立てたのだ。この部屋にあるサーバーを動かすために、これだけの大きさが必要だった。

 防音と節電対策としてサーバーや発電機にはレヴィニウムカバーが取り付けられ、各機械が生み出す熱を電気に変換。変電して再び各機械に流すことで節電と冷却を同時に行っている。


「燃料は満タン。予備タンクもあり。なんだかウィスラーの予想通りに事が進んでる気がしてならないですね」

「発電機を動かして用意したデータを見ろって言ってるわね」

「では動かしますね」

 エルマが発電機の起動操作をしようとした瞬間、異変が起きた。

 半開きの入り口の方から破壊音が響いたのだ。


「ドアを閉めろ!」

 ルィルとリィアが反射的に動き、体当たりするようにしてドアに体を当てて一気に扉を閉めた。同時に鍵が閉まる音も響き、一秒後に扉にぶつかる音が静かに聞こえた。

「くそっ! やはり来やがったか!」

「通話を傍受されたのかしら……固有名詞は出していないから、日本ともイルリハランとも知られてはいないはずだけれど」

「だとしてもかなりまずいな。逃げ場がない」

 セーフティルームはテロや強盗などから被害者が身を守るために逃げ込むための部屋だ。その逆の加害者側が逃げ込んでは完全に詰んでしまっている。

「扉の向こう側にいる連中も、こうなることを見越して入るのを待っていたんだろうな」

「袋の鼠ね」


 まんまと罠にかかってしまった。

 そうなる覚悟はしてきたが、実際にそうなると冷静ではいられない。

 今はまだ命が守られても、食料が無ければ飢餓か脱水で死ぬ。生きるために扉を開けても捕虜として二度と母国に帰れないの二択だ。

 リィアは扉に耳を当てる。


「防音もしっかりしていてよく聞こえないが、五人以上はいそうだな」

「出たら即死ね。捕虜にされる可能性はないかも」

「レーゲンの捜査機関ならまだしも、バーニアンなら真相を知ってるだけあって生かす意味はないからな」

 部屋に明かりがともった。

「っ!」

 大きな変化に、肩から下げている小銃に手が伸びる。


「落ち着け、アルファが電気を付けたんだ」

「アルファ、こんな時に……」

「電波を受けて来たにしろ、この部屋に入るまで遠巻きから見張っていたにしろ、周囲は完全に包囲されているでしょう。強行で脱出が出来ないなら今この部屋で出来ることをと思って」

「生きて出られなきゃ、テロの真相も冥途の土産になっちまうがな」

「……脱出を考えるにしても真相を知ってからでも遅くはない、か」


 セーフティルームにいる限り命の心配はない。室内に発電機があれば空調機を止められることはないだろうし、燻して追い出すこともまた出来ないはずだ。

 時間が経てば経つほど脱出は困難になる。しかし、この状況では一分も一時間も変わりはしないだろう。

 なら真相を知ってから考えるようにして、部屋の中央に浮かぶ机へと向かった。

 発電機が動いたことでサーバーたちも稼働を始める。

 こうしたサーバーやシステムは立ち上げに時間が掛かるものだが、机に置かれたパソコンを操作するとものの数秒で画面が灯った。


「……どうやらウィスラーは私たちが来る事を予測していたみたいですね」

 画面には一つのフォルダがあった。

 そのタイトルは『真実を知りたい者へ』。

「真実って意味が、テロかバーニアンかで別れるな」

「バーニアンか両方でしょ」

「あ、このフォルダにもパスワードが設定されてますね。しかも三回の制限付き」

 エルマがそのフォルダを開こうとしたらパスワード要求画面が表示された。フォームの下には残り三回とも表示され、失敗すれば二度と開くことはないだろう。


「なるほど。無理やりこの部屋に入っても、ここのパスワードで二重で止めるわけか」

「パソコン自体に設定しないことから、このフォルダ以外価値はなさそうですね。コピペもパスワードを解かなければ出来そうにないですし」


 たった三回と先ほどより難易度が上がるが、三人はすでに答えを知っていた。

 入力フォームに『リーアン』と打ち込むと、パスワード画面は消えてフォルダの中身が表示された。

 それだけでこのフォルダの中身にはバーニアンの真相が入っていると確信できた。

 例え入り口を道具を使って突破しても、パソコンでそれを食い止める。逆にウィスラーの正体を知った前提で来た者には手に入るようしていたのだ。

 まさに真実を知りたい者へのデータである。

 フォルダの中には十以上の動画ファイルが保存されていた。動画ファイルだけでなく文章ファイルも複数あり、中にはメガ単位なのもあった。

 他にもテラクラスのファイルも見られる。


「とりあえずあいさつってタイトルのファイルを開いてみよう」

「はい」

 動画ファイルは分かりやすくタイトルがつけられており、カーソルを移動して『01あいさつ』のファイルをクリックする。すると動画ソフトが開き、全画面モードでウィスラーのバストアップショットが映し出された。


『……私はウィスラー。この動画を見ていると言うことは私の正体を知る者であろう。そして、私を始め私の正体を知る多くの者が亡くなったことであろう。この映像は、私を含め重大な事変が起きた時のために残したものだ』

「おお、こりゃガチだな」

「しっ」


『この動画を見る者達は、有事を起こした犯人側ではなく正義を遂行する者達であることを切に願う。おめでとう。このデータには犯人に関するありとあらゆる情報が収められている。有効的に使えば解決にいけることだろう。逆に、今見ている者たちが犯人であればそれもまたおめでとう。このファイルを葬ればお前たちの天下だ』

 撮影時のウィスラーからすれば、死後に誰が見るのか分からないのだから双方に向けて語り掛ける。

『犯人側が見ているのならばこれ以上語ることはない。よって、ここから先は正義を遂行する者達に語り掛ける。この動画を見るために合法か非合法かは分からぬが、隠し部屋を見つけ尚且つパスワードを見抜いた者たちならば、犯人の大よその見当はついているだろう。そう、世界最大の民間軍事企業チャリオス。その幹部が有事の犯人だ』


 ついに可能性の枠にしか収まらなかった容疑者が確定の枠に収まった。

 ルィル達の途方もない捜査は間違いなかったことが、いま証明された。


『そしてその幹部は全員、私と同じリーアンと地球人のハーフでもある』


 この証言はチャリオスと明言した以上に衝撃的であった。

 すでに複数のバーニアンがこの世に生まれ、暗躍してあのテロを起こしてバーニアンを知る者たちを葬った。

 自分たちの目的の邪魔をさせないために。

 そして、この扉の外ではそのバーニアンが突入しようと画策している。


『私自身、他に同族がいたことを知ったのは四年前だ』

 初めてチャリオスと接触した年だ。そこからウィスラーの孤独で秘匿な戦いが始まったのだろう。

『奴らの目的を知った私は、データを隠した屋敷と隠し部屋を私財を投じて建築し、公務と対抗策の作成に勤しんだ。奴らの目的や対抗策など詳しいことは他の動画ファイルにある。後に視聴をしてほしい。ではこの動画はこれで終わりだ。それと、捜査や証拠に必要なデータは全て外付け記憶メディアに保管してあり、隠し部屋にはバックアップは一切ない。くれぐれも壊さぬよう注意をしてくれ。最後に、正義を遂行する者達に言いたい。君たちの努力に感謝する。この先困難な状況が必ず訪れるだろう。立場上孤軍奮闘も余儀なくされることだろうが、心を折らず進んでもらいたい。そして、私が遺したデータは必ず役に立つ。がんばってくれ』

 動画が終わる。


「……チャリオスが犯人と分かったのは嬉しいですが、まさかバーニアンが複数人が幹部としていたとは……」

「だがチャリオスの幹部は全員毛髪はあったし発光もしてたぞ。替え玉か?」

「もしくは医学的に育毛したかね」

「天才集団ならありえないとは言えないですね」

「さて、念願の情報を手に入れたのはいいが、どうやって脱出する?」

 セーフティルームの扉は頑丈で、ドアを閉めてから今までの十分と経っても突破される気配はない。爆薬を使った音がしないからまだだろうが、さすがに爆弾を防ぐことは出来ないだろう。


「アルファ、このセーフティルームって爆薬にも有効なの?」

「有効って聞いてるな。元々金持ちや国の要人の避難先用に作られたって話だ。テロに巻き込まれても警察や軍が来るまで耐える設計だから、この巨木を吹き飛ばす規模でようやくじゃないか?」

「それだけの威力なら衝撃波で私たちは死んでしまいますね」

「爆薬を使わなくてもこのままじゃ餓死で死んでしまうわ」

「このままじゃ事件解決の証拠を手に入れても、国に持って帰らなきゃ冥途への土産になっちまう」

「この部屋を探してみましょう。ひょっとしたらここに通じる部屋の他に隠し通路があるかも」

「……いえ、その必要はないかもしれませんよ」

 パソコンを見続けるエルマが、緩んだ顔を見せながらルィル達に振り向きながら言った。


「ウィスラーはこの事態も見越していたようですね」

 言ってエルマは画面に映し出されている一つの動画ファイルを指さした。

 そのタイトルは『脱出』である。

「どこまで用意周到なんだ、あのおっさん」

「文字通りここからの脱出ならいいんだけど」

「再生します」

 画面に最初の動画と同じ構図のウィスラーが映し出される。


『この動画を再生していると言うことは、今まさに危機的状況ということだな。保険の意味を掛けて撮影したのだが正解であった』

 あらかじめ撮影したものだと言うのに、まるで今まさに通話をしているかのような話をウィスラーはする。これがバーニアンの力の一つか。

『もし安全なところで見ているのであれば、この動画は無意味なものなので削除して構わない』

 五秒ほど間を開け。

『脱出しなければならないと言うことだな。前提として、今見ている場所がこのデータがあった隠し部屋であることだ。違う場所での危機的状況なら同じように無意味だから見る必要はない。さて、隠し部屋からの脱出経路だが、ちゃんと用意はしてある』


「おお、さすがだな」

「もちろん包囲されても逃げられるんでしょうね」


『入口正面から見て右奥隅のサーバーのラックはダミーだ。それらしく発光するだけでサーバーとしての役目は果たしてはおらん。それは手動で動かせてその下に脱出通路がある』

「地下のまた地下!?」

「しっ! 敵に聞こえます」


 つい声を荒げてしまい、ルィルは自分で自分の口をふさいだ。

 ただでさえ恐怖に満たされる地下隠し部屋の、さらに地下なのだ。通路ともなればここ以上に狭いだろう。本能的に周囲二メートル以上は無ければ反射的に逃げるには足らないため、地下で閉所は激戦地に無防備で行けと言うのと同義だ。軍人ならばそれが自殺行為なのはよく分かる。


『距離は六キロ。方角は北だ。籠城の原因がハーフにしろ我が国の警察にしろ、その包囲網は精々三キロ前後。六キロも離れていればまず心配はない。地下通路であれば熱探知もないから安心してくれ』

「六キロも地下を移動しろってか」

 リィアが引きつく。エルマも表情に出さないが同じだろう。

 日本人ならともかく、リーアンにとっては生涯得ることのない苦行だ。

「情報を持ち帰らずに今死ぬか、苦行を制して情報を持ち帰るかで選択する必要ありますか?」

「ねぇな」


『ここのサーバー群は、この動画を撮影したときには役目を終えている。ありとあらゆるデータは完全に消去しているため安全だが、必要なら破壊しても構わない。発電機の燃料を撒いて火を点ければ追っても焼死したとわずかながらでも思うだろう。では健闘を祈る』

 動画が終わり、エルマはパソコンのシャットダウンの作業に入った。

「ベータ、チャーリー、脱出経路の確認と発電機の燃料を取り出して巻いてください」

「了解」

「チャーリー、俺が燃料を撒くから逃げ道があるか確認してくれ」


 ウィスラーの情報を信じて入り口から見て右隅奥のサーバーへと向かった。

 他のサーバーと同じように稼働を示す光の点滅が随時行われ、隣との違いがみられない。

 それでも信じてサーバーが乗るラックを握って引っ張ると、タイヤでもついているのか抵抗なく横にスライドした。

 本当に動いたことに驚きつつ、その下の床を調べようと手を伸ばす。

 すると、地下室の床に触れるからか指や腕が振るえることに気付いた。

 すでに絶滅した生物への恐怖感よりも、目の前に迫る拘束と死の方が脅威だと言うのに本能というのは常に正常運転をする。

 この震えはどれだけ自身に言い聞かせても止まることはないから、震えを止める努力はせず床を調べる方に力を込めた。

 と、背中にずらしたはずのラックがあたって来た。


「……これ、元に戻る仕掛けなのね」

 床に角度かタイヤにゼンマイ仕掛けでもあるのだろう。サーバーの乗ったラックは元の一にゆっくりと戻ろうとする。

 これなら地下通路に隠れてもラックの位置は元に戻るから敵にバレるのは遅らせられる。

 床は三十センチ四方タイルが敷き詰められたものだが、ウィスラーの言ったタイルには指が入れられるだけの窪みがあった。その窪みに指を入れて引き上げると、三十センチ四方のタイルが縦横三枚ずつ計九枚が一枚のタイルとして持ち上がった。

 すぐさま安全装置を解除した小銃の銃口を持ち上げたタイルの下に向ける。

 タイルの下は空洞になっており、明かりがなく暗いが人影は確認できない。


「通路確認。敵影なし」

「記憶メディアを確保しました」

「予備の燃料タンクの中身を撒いたらすぐに火をつけるぞ」

「アルファが先に通路に」

 いま最優先すべきことは命や火傷よりも記憶メディアを守ることだ。

 発電機の燃料は軽油だからガソリンよりも燃焼の激しさは弱いものの、激しく燃える可燃物には違いない。不測の事態に備えてもエルマを先に避難させる。

「避難経路の安全確認します」

 小銃を握るエルマは、小銃に備わっているライトを点灯して通路を照らしながら入っていった。

「ベータ、いつでも大丈夫よ」

「それじゃあ行くぞ」


 ルィルの合図で予備の燃料タンクを持ったリィアは、部屋に均一になるように撒き、装備品の一つである焼夷手りゅう弾を取り出した。

 ルィルのいる避難口まで近づくと、入り口に向けピンを抜いた手りゅう弾を入り口方面へと投げたのだった。


「行け」


 ルィルは落ちるように通路に潜り、リィアも続いて床のタイルを戻す。

 ここからはもう自身の目で確認は出来ないが、タイルが戻ったことでサーバーの乗ったラックは元の位置に戻り、焼夷手りゅう弾によって燃焼が始まって軽油に引火。証拠を渡さぬよう焼身自殺を図ったと相手は思うだろう。

 しかし、相手がバーニアンであれば脱出しているとも考えるだろうから、イルリハランに戻るまでは一秒と安心は出来ない。

 通路は一メートル四方の正方形をしている。隠し部屋から三メートル降りると垂直から水平に曲がり、ライトを照らしても周囲の壁しか照らせず奥は暗闇となっていた。

 脚から降りた三人は少々狭いながらも縦から横への曲がり角と対角線を利用して脚と頭の位置を入れ替える。


「お二人とも大丈夫ですか?」

 先に降りたエルマは、銃口を通路の先に向けつつ後続の二人を気遣う。

「俺たちは大丈夫だ」

「火も付いたから、可能性は低いけど焼身自殺をしたと思って警戒を緩めるかもね」

「期待はしないようにしましょう。なにせ死体を残せてないんですから。バーニアンなら尚更死体を見るまでは警戒は解かないでしょう」

「ウィスラーと同族なら、隠し通路を用意してると考えて自然だろうからな」

「もしかしたら地下振動探知機なるものを用意してるかもしれません。地上から十五メートルと地下ですけど、壁には触れないようにしましょう」


 さすがに地中に対して熱探知は出来なくても振動は感知できるかもしれない。敵に不要な情報を与えるわけにはいかず、三人は静かに悪夢の通路を進む。

 時速は推定で十五キロほどだろうか。距離が六キロであれば二十分から二十五分は掛かる。

 日本と深く関わったことで地上近くでの活動は比較的苦労はしなくなっても、地中だけはそもそも経験がない。日本には地下道や地下鉄など地下を利用した移動法があれど、この星では地下資源採掘など限られた分野しかない。

 その上、通路の狭さと暗さから相まって冷や汗や動機が時間を追うごとに激しくなるのが自覚できた。

 息遣いが荒くなり、小銃を携える腕の震えも止まずカチャカチャと中からパーツの接触音が通路に響く。

 しかしそれはルィルだけでなく、エルマもリィアも同じだ。


「……し、しかし、情報あってよかったな」

 気を紛らわすためかリィアがぼやく。

「そう、ですね。これでようやくバーニアンとイーブンってところですが」

「イーブンって、証拠があれば一気に逮捕に行けるでしょ?」

「いえ、そう簡単にはいかないでしょう」

「? それってどういうこと?」

「法的な証拠能力が弱い事と、どうやってバーニアンを隠しながら幹部を逮捕するかですね」

「そっか、証拠を開示したらバーニアンであることも広まる……」

「バーニアンを隠蔽しつつ、犯人を逮捕する手はずを整えなければなりません」

「向こうからしても知られない確信があるし、捕まるならやけくそでバラすこともありえる」

「なので証拠を手に入れたからと言って安心は出来ません。むしろここがスタートラインです」

「完全にスタートする前に外にいた連中に捕まってフライングで終わらないようにしないとな」

「例えがよく分からないわ」

「うっせ」

「ベータ、後ろはどうです? 地下室の底は抜けてませんか?」

「……いや、暗いままだ」


 通路は一直線で緩やかな曲線もしていない。もし底が抜けて炎が落ちれば分かるから、光らなければ大丈夫だろう。

「メーラン二一〇は耐火性にも優れてますからね。熱程度では扉は壊れないのですぐには入りこまないでしょう」

 しかし警戒は怠れず、三人は気を紛らわす会話をしながら悪夢にして希望の道を進んだ。

 移動を始めて三十分ほど進むと、正面を向くライトがようやく何かを捉え始めた。


「前方、壁を視認。敵影なし」

「後方クリア」

 ようやく無限にも思える苦しみが終わる。

 冷や汗は出し尽くして軍服が肌に張り付いて気持ち悪く、水分補給をしていないから喉はカラカラだ。早い所浮遊艇へと戻って水を飲みたい。

「……上もクリア。偽装として蓋がされているようで取っ手が見える」

「俺が先行する。アルファは真ん中だ」

「了解」

 エルマを守るのではなく、データを守る意味でリィアが先行し、エルマ、ルィルが後方を見る陣形を取る。

 リィアは蓋に近づくとトラップが仕掛けられてないか縁を調べた。


「ブービートラップなし。開けるぞ」

 ここで怖いのが蓋の近くに敵が陣取っていることだ。蓋自体にトラップは無くても、開けた瞬間に銃弾にしろ手りゅう弾が投げられることは戦術上ありえる。

「……クリア」

 蓋が音もなく開き、リィアは小銃を周囲に向けて敵性勢力がいないことを確認する。

 リィアが完全に地上に抜け、続いてエルマ、ルィルと脱出通路を出て三点防御陣形を取った。


「クリア」

「クリア」

「クリア」


 三人それぞれ向く方向が安全であることを報告する。

 時間は日の出を過ぎていた。巨木林の中に燦燦と光が注ぐことはないものの、暗視ゴーグルはなくても周囲を見渡すくらいの明るさは確保されていた。

「浮遊艇は……ここから三キロの位置だ」

 リィアが手早く端末で現在位置と浮遊艇の位置の距離を測定する。

 三キロとは今の状況ではとてつもなく遠いが、正反対の位置に出なかっただけ幸いと見るべきだ。

「地表スレスレで低速で行くぞ」

「了解」


 最初にウィスラーの別邸に行くのと同じ陣形で進む。

 さすがに六キロと離れ、地下十メートルで起きた火災となると視認は出来ない。巨木林上空からなら見えるだろうが、ルィルたちが見ることはないだろう。

 地下通路と打って変わって平音となった心音を聞きながら、静寂な敵地を進む。

「……敵影なし。どうやら浮遊艇の位置までは知られては無いようだな」

 泳がされているのか、はたまた本当に位置を捕捉されているのかは分からない。分からないものの、三人は無事に浮遊艇に戻ることが出来た。

 浮遊艇は最初に停めた位置のまま草木は動くことなくそこにあり、三人はこれまたトラップが仕掛けられていないかドアは開けずに車体チェックを行う。


「……異常はないな」

「車内にもワイヤー系の不審物なし」

「車体周囲もですね」

「では……開けるぞ」

 これだけ調べても開けたら爆発するのではないかと考えるのは職業病とも言える。しかし、抱える情報の重さを考えれば軽い方だ。

 リィアはゆっくりとドアを開ける。

 爆発はしなかった。

「少し浮上させる。真下にトラップがないか確認してくれ」

 車の周囲にはなくても目視出来ないましたにはあるかもしれない。リィアはそれを懸念して指示し、エンジンを掛けると十センチほど浮遊させるた。

「……クリア」

 ライトを照らして入念に車体下をルィルは覗くも爆発物は見られない。


「よし、なら長居は無用だ。ユーストルに戻るぞ」

 待ち伏せの可能性は捨てきれなくても、刺客だらけの巨木林では考えるだけ無駄だ。

 ならば最高速度で脱出するに限り、ルィルとエルマは乗り込むとリィアの運転でユーストル方向へ浮遊艇を加速させた。

 ただし、目的地となる駐日大使館からは少しズレた方向での移動である。


「アルファ、一直線に戻りたいところだが少し迂回するぞ」

「どうしてです?」

「ウィスラーの別邸からユーストルの直線航路にある巨木林が終わるところで待ち伏せがあるかもしれないからだ」

「そうか。バーニアンを知ってるのは私たちだけですから、同じバーニアンからしても来るのはユーストルと考えるのが自然ですね」

「レーゲンの捜査機関なら待ち伏せしてるか分からないがな」

「未来なんてわからないんですから、どっちの後悔を取るならやった方が良かった方を取りましょう」

「相手も迂回する方を予想していて、迂回した方が後悔になるかもね」

「お前な、余計なことを言うなよ」

「可能性なんて言い出せばキリがないって言っただけよ」


 テロが起きてから今まで無数の可能性があった。

 その無数の可能性と言う糸から正解の糸をつかみ取って今に来た。

 そして最後の選択の糸が、再び垂れ下がっている。

 迂回する糸か、直進する糸か。


「……迂回する」


 リィアは決断し、大使館までの直線距離上での巨木林の出口から五キロほど離れた北側へと進路を取る。

 高さ二百メートルを超す巨木林の地表は薄暗く、太陽が昇って明るくなろうと決して積乱雲レベルの真下ほどの暗さを脱することはない。

 加えて巨木林がレーダー波を妨害するので、最初から目視による追尾をされない限り捕捉されることはないだろう。

 問題は巨木林を出た直後だ。

 遮蔽物がないから衛星やレーダーに見つかりやすく、短距離ミサイルでも撃たれては防御の仕様がない。

 仮にユーストルまで無事だとしても、ユーストル内のイ日の防御網に入る前に撃ち落とされることもありえた。

 要は、捜査本部に着くまで安心できないということだ。


「チャーリー、後ろに不審な動きはないか?」

「右後方、目視による異変は確認できず」

「左後方も確認はありません」


 周囲警戒は常時行い、僅かな違和感も見逃さない。

 あらゆるレーダーが使えないのだから、頼れるのは生まれ持った両目のみだ。

 浮遊艇は静かに、しかし確実に進む。

 薄暗い巨木林が次第に明るくなる。


「……あと百メートルで巨木林を出る。覚悟はいいか?」

「いつでも」

「さっさと家に帰りましょう」


 ステルス仕様でも速度を上げれば生物ではないと判断されて動かれる。動物と同じ速度で行くほかなく、リィアは五十キロ程度で巨木林を出た。

 襲撃は、ない。

 目の前に見えるのは円形山脈の入り口となる標高五千メートルの山肌。左右には巨木林の縁が延々と続いている。が、人工物は何一つ見られなかった。

 三人は何も言わず、各々の出来ることをする。

 闇夜の盾もなく、自衛手段も監視網の拡大もない。陽光によって遠目でも姿は露わとなり、ほぼ生身で敵地をいる緊張感は地下空間にいる時と同じだ。

 生唾を飲み込み、異様な喉の渇きを覚える。

 だが飲む気持ちにはなれず、とにかく周囲警戒を厳とする。

 そしてついに浮遊艇は標高五千メートルのクレーター山頂を越えてユーストルへと入った。

 心情的にはここで安堵したいところだが、地球社会のように海が天然の壁になることはなく、例え自国に入ったところで侵入は容易いしミサイル攻撃も簡単だ。

 レーゲン警察はさすがに国境は越えずとも、バーニアンなら情報隠滅のため攻撃はしてもおかしくはない。

 画面の地図上では円形山脈は画面の端へと行き、ついには見えなくなる。

 レーゲンから刻々と遠ざかるも、どこで緊張を解くかは判断が難しい。

 短距離でも数百キロは飛ぶし、中距離は千キロを軽く超すからだ。


「ベータ、ここまで来たら加速をしてしまっては?」

「いや、今や俺たちはイルリハラン側でも不法入国してるから、速度を上げてレーダーに捕捉される方が厄介だ」

 エルマの提案をリィアが合理的な判断で返す。


「この浮遊艇を調達したときの嘘で誤魔化せても、レーゲン側を移動していた事実が知られるのも厄介だ。俺たちは終始存在しない立場としていなきゃいけないんだからな」

「……けど、ウィスラーの別邸で色々と使ったわ。焼夷手りゅう弾を使ったりもしたし、鍵を壊すのに銃も撃った。それらから探られないかしら」

「焼夷手りゅう弾のほうは痕跡が残らないくらいに溶けるから大丈夫だろ。銃弾も隠し部屋に行く時に回収しといたからまず心配ないな」

「銃弾回収してたんですか? さすがですね」

「ついでに薬きょうもな。硝煙に関してはどうにもできないけど、さすがにそこから探るのはできないだろ」

 言ってリィアは胸ポケットから潰れた弾丸と空の薬きょうを取り出して見せる。


「完璧かはバーニアンやレーゲンの捜査機関の程度によるが、俺の中じゃ落ち度はないはずだ」

「だからこそイルリハランの方にも痕跡は残せない」

「そう言うこと。ここまでできる限り秘密裏に来たんだ。最後まで――」

「ベータそこまで。それ以上言うと死亡フラグですよ」

「死亡フラグ?」

「日本で有名な、言ったら必ず死ぬ迷信の一つですよ。迷信ではあっても侮れないので、あとは着くまで黙って厳戒態勢で行きましょう」


 エルマはルィルに次いで日本通だからそうした迷信的なことも知っていた。

「……了解」

 死亡フラグを知らないリィアは少し納得しないながらも答え、それ以上は何も言わずに低速低高度で移動を続ける。

 果たして浮遊艇は危惧された敵からの攻撃はなく、無事に有効的な防衛圏内である日本本島から千キロ内側へと入ったのだった。

 

      *


 優先すべきは情報の保全だ。

 前日からの働き詰めだとしても持ち帰って来た情報の保護が何より優先され、まずは別動隊捜査本部へと直行する。

 リィアは浮遊艇と装備をラッサロンに返却しに動いてもらい、エルマとルィルは本部へと戻った。


「あ、お帰りなさい!」

 戻る時間すら知らせなかったため、本部にいた別動隊の面々はルィル達に気付くと一斉に駆け寄って来た。

「夕方には戻ると思ってましたのに朝帰りとは中々な日帰り旅行だったみたいですね」

「連絡できずにごめんなさい。その代わり特大の情報を持って帰って来たから」

 別動隊本部に伝えていたのは「情報屋に話を聞きに行く」だったから、遅くても夕方に戻ってくる中での朝方の帰宅だ。皮肉を込めてそうした言葉が出るのも無理はない。

 皮肉であり冗談なのはすぐに分かるし、疲れと焦りから反応する時間も惜しく淡々と返して話を進めた。


「すぐにこの記憶メディアのコピーを取ってください。容量は三テラで、コピーを取ったらすぐに金庫に入れて封印を」

 エルマはバッグから外部電源で稼働する、世界一重要な情報が入った記憶メディアを取り出して机の上へと置いた。

「特大の情報はチャリオスの容疑を固める物ですか?」

「その証言ですよ」

 決定的な情報を持ち帰ってきたことで、歓喜や驚きと言った様々な声がメンバーから上がる。

「空の記憶メディアを持って来ました。あとクローン装置です」

 記憶メディアそのものと、記憶メディアのクローンをつくるデバイスをメンバーが持って来てすぐにコピーを開始する。


「厳命しますが、コピーがあることは断じて話さないでください。例えソレイ王の命令だとしてもです。もし明け渡すよう言われたらオリジナルを提出します。このコピーは今すぐ忘れてください」

 コピーは万が一紛失や破壊、提出された場合のバックアップだ。

 テロ究明に直結するデータであるがために、存在が知られれば敵味方問わず争奪が行われるだろう。

 だからこそバックアップは必須だ。


「ラッサロンに行っているリィアさんも直に戻るでしょうから、コピーが終わり次第このメンバー全員で情報を共有します」

「前もって言っておくけどチャリオスの幹部全員がバーニアンらしいわ」

 ネタバレとなるが、前情報として知っている情報をルィルはメンバー全員に伝える。

「え、バーニアンはウィスラーだけでなく、チャリオスの幹部全員?」

「もう子孫が増えてたってこと?」

「しかも世界的企業の幹部かよ」

「確か幹部って永世役員で創設者メンバーだけって話だぞ。しかも表舞台にはほとんど出ないし。ってかそれだと五十年近く前から子孫かレーゲンの研究施設から逃げ出した奴らか」

「じゃあチャリオスの幹部にバーニアンがなったわけじゃなくて、バーニアンがチャリオスを創設して世界的企業にのし上がったってこと?」

「創設からこのテロまで全部計画に沿ってってことか」

「しかも世界の軍事力の後方の一端を握ってるから、分かってはいたけど敵に回すと厄介ね」

「なる早でチャリオスと距離を取るように防務省に進言した方がいいんじゃないか?」

「アホ、それしたら気づきましたって言ってるようなもんだぞ。まだ知られたことに気付かれてないなら大きなアドバンテージだ」

 などとバーニアンがチャリオスの幹部と知ったことで各々の意見が行きかう。


「皆さん落ち着いてください! 私たちもチャリオスの幹部がバーニアンであること以外まだ見てないですし、一連の出来事の全容が入ってますので見てから意見を言い合いましょう!」

 確定情報が目の前にあるのに憶測で話を膨らませることに意味はない。エルマは興奮する空気を静まらせようと大声を出す。

「それにしてもよく見つけましたね。情報屋から手に入れたんですか?」

 エルマはどうせリィアが戻ってくるのと記憶メディアのコピーが終わるまでは進まないから、フィルミの名前は明かさずにどのような経緯でメディアを手に入れたのか話すことにした。

 果たして、リィアが戻って来た頃に三テラに及ぶ記憶メディアのコピーは終わり、コピーは隠されてオリジナルの記憶メディアがネットへの接続能力を排除したノートパソコンへと接続された。


「さ、ここから巻き返しますよ」

「再生します」

 まずは『あいさつ』の動画ファイルをクリックした。

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