第82話『出航初日』



 無音で空を飛ぶ浮遊船〝ひたち〟の窓を須川は無言で眺める。


 飛行機にしろ船にしろ、元来乗り物は絶対的に揺れるものだ。


 なのにまるで窓が実はモニターで、今いる場所は大地に立つ建物の中にいるかのように静かで振動もない。



 まるで視界は動いているのに体は動かないVR体験している気分だ。


 飛行機より低くて遅くとも、航空力学を無視した空を飛ぶ乗り物には驚愕の一言しかない。


 フィクションでしか存在しない宙に浮く乗り物に、いま須川は乗っているのだ。


 八ヶ月前は死を望み、この八ヶ月間は人以下の行動を余儀なくされ、いまは日本人のほぼ全員が乗れていない異地の乗り物に乗っている。



 不幸と幸運は釣り合うと言うが、果たして今までの不幸を取り消す幸福なるのか甚だ疑問だ。


 少なくとも須川にとって日本を出国することもイルリハランに行くことも興味はなかった。


 ただ拒否のできない命令を受けたから名前すら知らなかった男と結婚させられ、偽りの妻として行きたくも興味もない異星国家観光ツアーに参加する。


 なぜ当人ではなく須川が行くように工作させたのか、その理由はまだ聞かされていない。現地に着いた日の夜に、任務の内容が書かれた手紙を要むように言われているが碌なことではないのは確かだろう。



 しかし須川に拒否権はない。何もせずに帰国をすれば、帳消しにしてくれた借金が復活する上に裏社会の人間により悲惨な目にあわされる。


 体が商品だから傷つけることはしなくても、精神を病ませることはしそうだ。


 今までも体の疲労はともかく心の疲労が凄まじく、もう考えることをやめてしまった。


 終わりの見えない先に絶望して、ただ一寸先のことをする。先を悩んだところで絶望しかないのだ。考えるだけ落ち込むなら考えないだけ気が楽と言える。


 窓の外では動物が移動しているのが見えた。〝ひたち〟の高度は六千メートルらしいから見える大きさからして恐竜より大きい巨大動物だろう。



 地球では間違いなく史上最大の動物もこの星では象レベルの認識で、日本的に言えば怪獣と言えてその概念が馴染ませる時間を短縮させた。


 日本人全員とは言わないが、大半は三つの元号を跨いで活動していた怪獣王を知っている。


 巨大動物の一種が日本映画の怪獣に酷似している事には驚くも、やはり慣れた。



「……あの怪獣、日本を襲わないかな」



 怪獣映画みたいに日本中をめちゃくちゃに破壊して、全てをリセットにしてゼロにする。


 そうすれば今の境遇も無くなり、混乱を利用してゼロからスタートができる。


 さすがに日本と異地との戦争までは望まない。そうしたら戦後日本より悲惨になるし、最悪全滅させられてしまう。


 または地震でも起きないかとも考え、転移以来有感地震が起きていないことを思い出した。地球のように地震を起こす四枚からなるプレートに日本列島はないから地震は起きないのだ。


 などとネガティブのみの思考を巡らせていると、部屋のドアの鍵が開く音がした。



「イヤー、何もかモが新鮮で素晴らシいデスねー。感激デシタよ」



 入るなり少々日本語のイントネーションが外国人訛りで話しかけてきて、須川はその方へと顔を向けた。


 部屋に入って来たのは夫のトム・K・サージャンだ。


 歳は五十歳を超えているのか白髪と髭が目立つダンディーな男性で、年齢とは裏腹に鍛えているのか筋肉質な体格をしている。


 トムと初めて出会ったのは年末で、会ったその日に婚姻届けを書いて役所に提出した。改名の申請はしていないから名前はそのままで、二度目に会ったのは三日前だ。


 会話らしい会話はほとんどしておらず、須川はトムのことをアークの代表くらいしか知らない。


 おそらくトムも須川のことは知らないだろう。


 ほぼどころか完全な赤の他人同士の夫婦。実際に結婚をしたから詐欺にしてはないにしろ、何らかの策謀のためにしたのだから結婚詐欺も良い所だ。



「須川サン、お茶デモ飲みませんか? 異地産のお茶ですヨ?」


「いえ、大丈夫です。トムさん飲んでください」


「東京デハ色々と異地の食材ガ出回ってマスからね。貴重というほどではないですけど、異星の茶ですよ?」


「異地の食べ物を食べたくないわけではなくて、ただ飲みたくないんです」


「そうですカ。では私だけ」



 イルリハラン王国が建造した浮遊船は、何ヶ月も掛けて日本人仕様に改修をしていて見た目は地球の客船と同じ様相だ。


 知られてる情報では扉は空に飛ぶため壁の中央にあるはずが、空を飛べない日本人のために全て低く取り付けられている。家具も全て宙に浮いて壁から生えるように固定されているのだが、これも合わせて全て床に置かれている。それ以前に家具は日本から運んだもののようだ。


 製造国として中国の名前がある。


 トムは電気ポットのスイッチを入れ、Tカップにティーバッグを入れた。



「それ、日本の紅茶じゃないんですか?」


 手順がそのまま紅茶であり、須川はそう呟いた。


「いえいえ、イルリハラン産の紅茶ですよ。ほら」


 そう言いながらトムはティーバッグを一つ須川に手渡した。


 見てみると確かに日本語でも英語でもない文字で何かが書かれている。


「いや本当に感激ダヨ。異星の紅茶が飲めるんだかラね」


「……それでトムさん、食堂でなんの話をしていたんですか?」



 出航して二時間が過ぎた頃、説明することがあるため食堂に集まるようアナウンスがあったのだ。須川は体調がすぐれないとして欠席していて、代わりにトム一人で行ってきてもらったのだった。


「異地側の挨拶と注意事項ダヨ。基本的にこの〝ひたち〟の中の移動は自由デ、立ち入り禁止のとこロモ乗員に声を掛けたらイイみたいだネ」


「立ち入り禁止の場所も話したら入っていいの?」


「なにせ乗務員全員がイルリハラン兵だからネ。工作をしようにもバレて捕まっちゃうよ」



 異地側にとって公式に招待する異星人だ。通訳と警護を両立させるならラッサロン基地で日本と接していた兵士が適任だ。


 ポットから水が湧いた音が鳴り、トムはポットの湯をTカップへと注ぐ。


 流れ落ちた湯はティーバッグを浸からせ、中にある感想の茶葉の栄養素が抽出される。


 日本で知る紅茶は茶色から紅色をしているが、異地の紅茶は透明だった。



「トムさん、それお茶出てるの?」


「だと思うんだけどネ」



 さすがに色が付かなければお茶とは言い切れない。トムも半信半疑なまなざしで異地産の紅茶を口に啜った。


「おお、ちゃんと味がアリますよ。んー、ちょっと地球産とは違いまスけど、お茶なノは確かですね」


 透明ながら茶の味がするとは異星のお茶と言ったところか。天然物だから人工甘味料を使って透明でも味を出している飲料水とは違う。



「これは中々おいシいですね。もうちょっと甘みガアる方が好みかなー」


「透明な紅茶。日本で売ったら人気出るんじゃないですか?」


「タピオカみたいにブームにはなりそうですね。代わりに異地でもブームに出来ル日本の物もありますケど」


「異星人が作り出した物ならなんでも人気が出ると思いますけどね」


「そこは市場調査をしっかりとしてですよ。単なる異星産で売れるのは一時期だけ。長期間売るにハしっかりと調査をしませんとネ」


「トムさんは本職はなにをしているんです?」


「輸入品の販売ですヨ」


「じゃあ日本産の品物を異地で売るつもりなんですか?」


「異地への経済活動が本格化すればしタいですね。今回のことで少しでも人脈が作れれバうれしいです」



 トムは喜々として自分の未来のことを話す。


 一応妻だから連動して自分にも来るが、たった一枚の書類で繋がっている関係だ。須川から見てトムは他人としか認識していないから、同様な喜々とした未来が来るとは考えていない。


 この旅行が終わったところですぐに離婚して、またあの男のいいように使われる日々が来るのだ。



「……トムさんは私と結婚したことに思うことはないんですか?」


「ペアを組むならまだしも結婚とは驚きはしましたねー。でもアークをもう一つ先に進めるのにあなたが必要とノアが豪語するのでね。妥協しました」


 妥協。分かってはいても胸にくる言葉だ。


「トムさん、結婚はしていなかったんですか?」


「してまシた。子供もいました」


 過去形と言うことはもう次にいうことは決まっている。


「すみません」


「知らないコトを聞いて謝ることはないでスよ」


 トムは達観した表情で語り、異地産の紅茶を飲み干した。


「レヴィアン問題の騒動による事故でね。可能ならレヴィアンの直撃で死にたかったデスけど、運悪く生き延びてしまいマした。自殺をする度胸もなく生き続けて、せめて同胞だけでも助けようと今をしてます」



 聞くだけで自分が恥ずかしくなっていく。


 この過酷な状況なのにトムは自分のためではなく百万人といる人々のために動き、須川は自分のためだけに動いている。


 つくづく小さい人間だ。



「見ず知らずの女と結婚偽装してまでしたいアークのしたいことはなんです?」


「各国籍ごとに自治区の設置の容認だよ」


「自分の国を作るつもりなの?」


「いやいや、独立をするには土地も住民も主権もなイよ。いまここデ日本と対立シテもいいことないシネ。国と言うよりは文化を残したインだよ」



 いくら日本が好きで残っても、自分の文化を忘れることは出来ない。自分のアイデンティティを残すためにも自治レベルでも同胞を集めたいのがアークの目的か。


「……それくらい日本政府の嘆願書を送れば考えてくれるんじゃありません? 百万人の署名とかあればいくらなんでも……」


「土地にするなラ割譲された日本領のユーストルなるでしョうね。けど利権だらけの国家事業になるのに百万人程度の署名ジャ割り込めませんよ」



 日本の海全周を囲う新領土。開拓次第では良くも悪くもなる以上、真意が読めない外国人団体に与えることが出来ないのは当然の判断だ。


「だからこそノアの計略に乗っていルンですよ。詳しいことは聞いてませんケど、あなたを妻としてこの旅行ニ参加することで、可能性が高まルトなれば乗ってみる価値はありマす」


「私も詳しいことは何も聞いていないのだけれど……」



 ノアはおそらく須川をこき使っている男と同一人物か、極度に繋がっているだろう。


 だから本来なら会うはずのない二人が夫婦をしている。


 しかし須川は男から何も聞かされてはいない。何か工作をさせるためなのだろうが、何一つ知らないからトムがノアの案に乗るのにはかなり弱い。


 何かしらの信用がなければ乗りはしないだろう。


 ノアと男が同一人物なら資金と権力を考えれば不可能とは言い切れないかもしれない。



「琴乃さん、少し船内を散策しマせんか? せっかく異星の乗り物、地球風に改修さレた部屋に閉じこもってもツマラないですよ?」


「いえ、ここで異地のテレビでも見てます。何言ってるのか分からないけど」



 客船だけあって客室には三十二インチ程度の液晶テレビが備え付けられている。ただし映るのは異地の番組で、衛星放送は受信しないから飛行機と同じように決まった番組を選択してみる方式だ。



「君は消極的だね。そんなに異地に興味ないの?」


「会いたくない人がいるの」



 食堂への招集を断ったのもそれが理由だ。


 元カレの羽熊である。


 須川が参加していることを羽熊が知っているかは分からないが、須川は参加していることを知っている。だから鉢会ってしまいたくなく、客室からも出たくないのだ。


 羽熊のことだ。須川が旅行に参加していることを知ると勘繰って監視させる恐れがある。



「分かったヨ。じゃあ私だけ行こう」



 互いに事情があってここに来ている。トムはこれ以上詮索も誘いも良くないと察して、須川を一人置いて再び客室を出て行った。


 須川は再び移動をし続ける殺風景な異星の大地を見始めた。


 地球よりも何百倍も大きく、地球物理学的にはあり得ない木星規模の地球型惑星。


 日本では絶対に見ることができない超広い平原と青空が窓の外にあるのに、人はあまりにも矮小で、心はもっと極小だ。


 いつか果てしない窓の外の空間のように、極小にまで縮まった心は広がるのだろうか。


 希望を考えるのも嫌気がさす。


 どれだけ望もうとも絶望が希望に転化することはない。


 マイナスにマイナスを掛ければプラスになろうと、絶望に絶望を掛けても希望にはならない。



 須川は無音で進む窓の外を悲劇のヒロインのように見続けた。



      *



「なんかムズかゆいですね。揺れないのに揺れると思い込んでると」


「分かりやすく言えばVR体験かな。映像では動いているのに体は動いていないから、脳がそのギャップを受け入れきれてないんだよ。大丈夫、一晩も寝れば慣れるよ」



 羽熊を含め、日本人はほぼ例外なく異地の乗り物に乗るとそうしたリアクションを取る。


 異地への通過儀礼の一つのようなものだ。


 その通過儀礼を経験した羽熊からすれば、初めて乗って困惑する姿は愉快に感じる。それは愉悦感なのか経験者の余裕なのかは分からない。



「あれですね、この窓は実はモニターと思えばいいかも」


「『世界の船窓から』か」


「うまい」


「なら座布団」


「……そこまではうまくないかも」


 と逃げて窓の外を鍬田は見る。



「私、なんかここ数ヶ月で一生分の運を使い果たしちゃったんじゃないかなって思っちゃいます。もう良い事ばかりしか起きてなくて怖いくらいです」


「それを言うなら日本国民全員が相当な運を使ったさ。滅亡を回避したんだから」


「ああ、そっか」


「まあそれでも鍬田さんは運を使いすぎだろうけどね。幸運と不運は釣り合うって言うけど、その反動がどれくらいなものかな?」


「フラグ立てるのやめてくださいよ。ここまで良いこと尽くめだと大けがじゃ済みませんよきっと」


「そうね……ひょっとしたら旅行先で重大な事件に巻き込まれるかもしれないわね。鍬田さんだけ特別だから」


 そう羽熊と鍬田の話に参加するようにルィルが呟いた。



「最悪拉致されるかも」


「ルィルさん怖いこと言わないでください!」


「いえ、真面目な話、鍬田さんは正規参加者じゃないから名簿にも載っていないの。もし拉致されて知っている人もいなくなれば、鍬田さんを助ける手立てはなくなるわ」


「拉致ってありえるんですか?」


「イルリハランとして日本人は身近な存在になっているけど、生物学的や裏市場的には希少中の希少だからね。噂でしか聞かないけど億単位の値がつけられているとか」



 老若男女に関係なく、異星人の一括りでその値がついているそうだ。


 史上初の異星人であればそうした動きは自然だが、国として認可され人権も保障された今では全て犯罪だ。


 イルリハランとしても自分らで招いて拉致事件など起こされては沽券に関わるし、話が来た時から考えられていた事でもある。


 少なくとも大衆の注目下にある中で事件を起こそうとその前に食い止められるだろう。


 そしてその手の対策は羽熊や鍬田を始め日本人全員が施している。



「まあ仮に他国の工作員が入り込もうとしたらその前に止めるけどね」


「それとルィルさんが専属で護衛をしてくれますしね」



 結局のところ鍬田はエミリルの尽力によってイルリハラン首都観光ツアーの一〇一人目として加わることとなった。


 王室としての力かコーディネーターの肩書きかは分からないが、日イともに迷惑な話である。


 エミリルの自費で滞在するとしても問題はそこではない。公式で百人丁度なのに恣意的に増やしてしまうと国が嘘をついたと言うことになり、日本としても抽選に外れた人間を王室の一人に気に入られたから参加できたとなっては他の外れた人達が許さない。


 非公式の人間を同行するのはリスク以外にないのだ。



 なのに許可が下りたのだから頭を抱えた。かと言って拉致や事件の可能性をなくす意味でも単独行動は認められず、かと言って堂々とツアーに参加させるわけにもいかない。


 よってツアーにメインで参加はせず付き添う形で参加し、集合写真などには参加しない形をとることにしたのだ。


 護衛もイルフォルン警察に任せるのではなく、事情を知るルィルが特別に一時的な警察権を付与されて専属護衛をすることとなった。


 少なくともこれで集合写真を撮って数が合わない問題と、人知れず消える問題を避ける。


 リーアンに変装すればもっといいが身体的特徴からそれは出来ない。


 だから正規ツアーに付かず離れずでかかわる事となったのだ。



「要人警護なんて軍人がする仕事ではないけれどね」


「ごめんなさい」


「鍬田さんが謝ることはないわ。あなたも巻き込まれた側なんだから」


「それでもです。あのルィルさんのお手を煩わせるんですから」


「あのって、私ってそこまで偉い人じゃないわよ?」


「いやいや、日本でルィルを知らない人はいませんよ。ねぇ羽熊さん。あ、羽熊さんもですよね」


「……まあね」



 そもそも日本で浸透しているイルリハラン人の名前は五人もいない。その中で一番と言えばルィルしかいないのだ。


 公式な歴史の上でファーストコンダクターとなれば、必然的に注目度は一番高くなる。


 ゆえに羽熊も確認は避けてもタレント並みかそれ以上に認知度がある。



「まあ話を戻して、鍬田さんの身の安全は全力で守りますので、安心してイルフォルンを堪能してください」


「ルィルさん、イルフォルンにはどんな施設があるんですか?」


「東京にある物は……多分全部あるわね。政府宗教娯楽に買い物。イルフォルンは建造してからまだ四十年だから、数百年と経っている歴史的な建物はさすがにないわ」


「地球の船も数十年で廃船ですからね。さすがに人口の空飛ぶ島じゃ長持ちはしないか」


「浮遊都市の耐用年数は大きさに比例していて、一軒家クラスで百年。首都級で五百年としているわ。未整備ならどれも数十年と持たないけどね」



 破壊と再生のサイクルが成立するのは自然だけだ。人工物は一つの例外もなく劣化への一方通行で、勝手に回復することはない。日本の最新技術で作られたビル群も三百年も経てば崩れて土へと返る。スカイツリーも同様だ。


 浮遊島も燃料こそ追加していっても、いずれは全システムが劣化して地面へと落ちるだろう。



「そもそもこの世界で地球のように何年も前からある建造物なんてないわ。浮遊島なんてここ数百年で出来始めたし、それ以前はグイボラのせいで巨木に住むしか出来なかったしね」


「本当にグイボラに支配されていたんですね」


「ええ、奇しくも私たちの社会はグイボラに下地を作らされてるのよ。絶滅させられて百年経ってもいまだに克服できてない」


「イルフォルンにはグイボラの博物館とかあるんですか?」


「ええ、自然史博物館はあるわ。グイボラに関しては資料はそう多くないわね」


「……客観的な証拠はないってことですか?」


「全くないわけではないけれど、技術の発達はここ数十年なのよ。映像や写真のほとんどが劣化したりしてまともに見えるものは少ないの。ただ駆除した骨は大量にあって骨格から復元したのはあるわ」


「そうですか。ひょっとしてグイボラは本当は存在しないで、世界を騙すために作ったモノとか思っちゃいました」



 漫画とかにある陰謀論だ。鍬田は色々と創作物を見ているから、そう考えてみたのだろう。



「それはないわ。確かに資料は少ないけどグイボラが実在した証拠は大量にあるから、それを偽装して嘘の歴史を作ることはできないし、グイボラを隠れ蓑にして真の歴史を隠すほど、ここの歴史はそう複雑でもないのよ」


「とりあえず自然史博物館は見てみたいですね。あと本屋とか」


「そうね……四日間のツアー計画だと自然史博物館はないけど、近くは通るから行けなくはないわね」


「そして拉致られる。映画じゃそれが当たり前だから単独行動はやめたほうが良いよ」



 二人がどんどん危険な方へと歩を進めるため、すかさず羽熊が牽制を入れた。


 創作物と現実を同一視してはいけないことは分かっている。創作物はしょせん創作物だ。現実ではなく、必ず起きることではない。


 だが現在がフィクションそのものである以上、それは起こりうるとして行動するべきだ。


 多少損はしても拉致に遭わなければそれでいい。


 少なくとも日本は全力でそれを避けたことで、いまを迎えている。



「わがままは言いませんよ。本来なら行くことは出来なかったんですから。イルフォルンを見れるだけで満足です」


「私としてもおとなしくしてくれる方がありがたいわ。好き勝手に動かれる方が警護はしにくいし、穴ができる。気づいたらいないってこともありえそう」


「おとなしくしてます」


「その代わり私は日本に戻るまでずっと一緒にいるわ。聞きたいことがあったら可能な限り答えてあげる」


「うれしいです。博士から色々と聞いてはいましたけど、異星人本人からはまだ聞けていなかったので。それを十日間フルで話せるのは幸せ以外ないです」


「私も若い同性と話すことはなかったからうれしいの。いないわけじゃなかったけど、軍や政府関係者以外はなかったからね」



 いたとしても国防軍と外交官くらいしかいなかった。鍬田みたいに学生身分の人は少ないからルィルからすれば新鮮なのだ。



「じゃあ私もルィル姉さんが知りたいこと全部話すよ。と言っても何でも知ってるわけじゃないけどね」


「それは私も同じことよ」


「……それじゃ俺は一服でもしてくるよ。あとはお二人でごゆっくり」



 ちなみになぜ羽熊と鍬田が一緒の部屋にいるのかと言えば、話し相手が限られているため一時的に入っていたに過ぎなかった。交際中や夫婦ならともかく、それ以前の関係ではさすがに同室で夜を過ごすことは許されない。


 鍬田にとっては既成事実を作るチャンスと思っているかもしれないが、羽熊からすれば社会的地位を考えても避けなければならなかった。


 護衛としてルィルも鍬田と同室で過ごすから、何かトラブルになる心配もないだろう。


 そうして未開封のタバコをもって部屋を後にして、〝ひたち〟にいくつか設置されている喫煙所へと向かった。



「……これも通過儀礼の一つだよな」



 通路を歩きながら羽熊は呟いた。


 出航して二時間ほどが過ぎると、多少は慣れて来たのか通路を歩く観光者の人が見られる。


 一生涯出会うはずがなかった異星の乗り物だ。参加応募をする時点で興味がないはずがなく、日本人仕様に改修したとはいえ元はリーアン用の客船だ。


 その全てを記録に収めようと、全員と言えるほどの人がただの通路を映像や写真に収めたりしている。


 さらには乗務員をしているイルリハラン兵たちにも集まって話をしていて、そこだけ大阪万博のようだった。


 異星人でありながら日本語が堪能なら、挨拶だけや他愛ない話でもしたくもなろう。


 そんな全体を通して好奇心溢れる異星人種間交流を流し見しながら、十人は入れそうな縦にやはり長い喫煙所へと入った。



「こんにちは」


 中には一人先客がいた。


「こんにチは。オヤ? あなたはひょっとして羽熊博士でスか?」


「ええ、そういうあなたは『アーク』代表のトムさんですね」


「はい」


 会うのは初めてであるが、顔だけは何度も見て知っている。



「一隻の船に乗っていルのですから会うとは思っていまシタが、こうしテ有名な博士に会えルとは光栄ですヨ」


「私も、日本に残った外国人の方々を束ねる方に会えて光栄です」


「いえいえ、博士の功績から比べたら吹いて消える程度のことですよ」


「百万人の人々を纏めるのは並大抵のことではありませんよ」


「国を守った人と比べたらわずかなことですよ」



 と互いに謙遜しあっては話が進まず、羽熊の方が先に折れることにした。


 トム代表の隣に座り、タバコを一本手にして口に咥えた。


「ドウゾ」


 そう言いながらトムはライターの火を灯して差し出す。


「ああ、これはありがとうございます」


 タバコの先端に火を点け、一息吸って吐き出した。



「博士は結構タバコを吸うンですか?」


「二日か三日でひと箱程度ですけどね」


「異地産のタバコはどんナ味がするんでショうね」


「まだ私も異地産のタバコは吸ったことはないですね。吸っていい許可が降りなくて」


 ひょっとしたら地球人に対して麻薬的な効能があるかもしれず、許可が下りるまでは吸うことができないのだ。



「oh、それは残念でスね」


「タバコに健康上問題なしとは言えないですけど、吸って問題ないと言われたら吸いたいですね」


「私もぜひ吸っテみたいです。お酒は大丈夫なんデスカ?」


「多分夕食で出ると思いますよ。呑んだことありますけどおいしいです」


「それは良い知らせでス。夕食が楽しみになりマシた」


「イルフォルン観光も楽しみでなりませんよ」


「今回の旅が日本にとッて良いことになると良いですね。でハ私は先に失礼しまス」


「ええ」



 トム代表は半分ほど吸ったタバコを灰皿に押し付けて捨て、会釈をして喫煙所を後にしていった。


「……話す限りじゃ普通の人だよな」


 元々事を荒げない善良な団体であることは知ってはいても、実際に代表に会ったのは今回が初めてだ。人の奥底に持つ善悪を見定める目は持ち合わせていないものの、印象としてはそう悪い気持ちはしなかった。


 ふぅ、とタバコの煙を体外に吐き出した。



〝ひたち〟は順調にイルフォルンへと向かう。

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