第44話『異星国家間国交条約調印式(前篇)』



 異星国家間メディア関係者交流会、妨害あれ成功。



 両異星国家全権大使信任状捧呈式、両方共に成功。



 そして大本命の異星国家間正規国交条約調印式が、今日執り行われる。



 すでに両国に全権大使が赴任されたことで、両国のパイプは軍レベルから政府レベルで繋がり、最低限の国交は可能な状態となった。


 だがまだ法的な繋がりにはなっていない。今の段階でも十分国交は可能だが、今回の条約レベルでの調印でしっかりとした繋がりとなる。



 今日調印される国交条約には、異星と言う枠を越えて平等に官民共々接することを保証すること、人権を平等に扱うことを保証することがある。


 さらに経済は自由貿易協定と経済連携協定も別途で調印する予定だ。


 ただ、ある意味最重要であろう安全保障条約は見送られた。



 これは日本の願望とアルタランの農奴政策を考えての事だ。


 元々日本は国交と貿易をこの世界で積極的にしたく、逆に軍事では消極的な発言をしている。


 だからここで安全保障条約を結ぶとアルタランを始め周辺諸国が騒ぎかねず、一連の行事が全て成功しようと安全保障を理由に動く恐れがあった。



 それに今の状態で安保条約を結ぶと、かつての日米関係、日米安保条約のようにイルリハランに日本を守ってもらうことになりかねない。


 日本としてはそれだけは避けたくて、優先されるべき安全保障条約は見送ったのだった。


 見送られたからと言っても現状何かが変わることはなく、ラッサロンはユーストル全域を守り、日本は日本を守る構図はそのままである。



「……ふぅ。ホント、人生どうなるか分からないな」



 問題は山積でも一応の二国間のことでは一段落だからか、羽熊は転移してから今日までの三ヶ月間を考えてしまう。


 レヴィアンによって死が確定していたのに、国土転移と言う超常現象で滅亡を逃れ、一言語学者だったはずが史上初となる異星人との邂逅を果たし、異地の第一人者となって目まぐるしく働き、気づけば異星国家間国交樹立の日を迎えた。



 レヴィアン落下が無ければ、どう転ぼうと羽熊はここにはいない。


 首相官邸の執務室なんぞに。


 自分は通訳なのだから、わざわざ執務室に客として案内される必要はないのだが、総理直々の指名だから受けるしかない。


 時間まであと五分。緊張しながら待つとその何倍も長く感じる。



「タバコ吸いたいな」



 こういう場所は喫煙可と思ったが、灰皿がないから禁煙なのだろう。ひょっとしたら佐々木総理が吸わないから置いてないかもしれない。


 と、ドアノブを回す音が聞こえ、羽熊は反射的に立ち上がった。



「やぁ、羽熊博士」



 入って来たのは史上最大の国難に対処している、日本国総理大臣の佐々木源五郎。


 直に会うのは一昨日のエルマの信任状捧呈式に昼食の時に会った以来だ。あの時はエルマの通訳に徹底していたから、個人的なあいさつや会話は何一つしていない。


 以前にネット経由で話はしているが、直に話をするのは今回が初めてだ。



「どうぞお座りください」



 羽熊より倍近い歳を取り、羽熊以上に厳しい生活を強いられているのに総理は柔和な笑みで座ることを促す。


「失礼します」


 言われて座ると総理も向かい合うように腰を下ろす。



「えっと……今日は官邸にお招きいただきありがとうございます」


 ついつい私なんかと言いかけるが、もうそんな言葉を言う身分ではないから言わない。


「いえ、こちらこそありがとうございます。非常に多忙な中、通訳として同行していただいて」


「イルリハラン側もハウアー国王の通訳にはルィルさんが就くことになっています。国の最高レベルの行事なので、確実性を考えれば当然の采配だと思います」



 国家の重要レベルで中途半端な人材を入れるわけにはいかない。程度に合わせた人材が必要で、国の人間ではなくても羽熊が選ばれるのは当然と言える。


 これは自慢ではなく事実だ。もし羽熊並に話せる人がいれば、羽熊はすぐに代わる気持ちがあった。



「羽熊博士、あなたの活動のおかげで今、日本は平穏に過ごせています。国を代表して感謝の意を表します」


 総理はそう言って頭を深々と下げた。



「私は通訳をしているだけです。おかげと言うのでしたらそれは全員でしょう。きっと一人でも欠けたりバカなことをしなかったからこそ、今があるんだと思います」


「それでも言葉の壁を突破した、あなたとルィルさんのおかげです。そうでなければ、今も交流をしていました」


「ありがとうございます」



「今は難しいですが、然るべき時に何かしらの褒章を考えています」


「褒章……紫綬褒章とかでしょうか?」


「旭日重光章を考えています」


「……はい?」



 予想の斜め上行く考えに、総理に失礼ながら目が点になった。



「旭日章は国または公共に対し勲績ある者に授与される勲章の一つです。羽熊博士、あなたは特に日本の安全保障に対して多大な貢献をして下さりました。三十二歳と言う若さではありますが、十分に授与できる資格があるとしています」



 そう佐々木総理は説明してくれるが、はっきり言って羽熊はあっけにとられていた。


 名前だけは聞いたことがある旭日重光章。受章資格は分からないが、明らかに簡単には手に入らないだろう勲章を、受章するだけの功績をしたとは到底思えなかったからだ。羽熊は自分に出来る仕事をしたに過ぎず、いくら日本の安全保障に貢献したからと受け取っていいのか疑問に思えた。


 まだ国民栄誉賞のほうが民間人である羽熊は受け入れやすいと言うものだ。



「総理、そんな勲章私には過ぎたものではありませんか?」


「そんなことありませんよ。もちろんルィルさんも同章を受賞してもらうつもりです」



 日イの関係を語る上で、この二人を外すわけにはいかない。


 総理は暗にそう示唆する。


 羽熊は別段鈍感ではない。今の自分の立ち位置くらい把握していて、自分の立場がどれだけ影響するか分かっていた。


 分かっていても、自分的には自分なりの仕事をしていただけだから、そんな話をされてもやはりあっけにとられてしまう。



「まあ近々の話ではないので、そういう話があるとだけ覚えてください」


「はぁ……」



 ちなみにこの旭日重光章、三十二歳での受章は歴代の中でぶっちぎりの最年少らしい。


 大体が七十歳以上の方々が受章するのに、その半分以下では異例中の異例と言えるだろう。


 この旭日章が果たして後に何を意味するのか、今の羽熊には知りようない。



「失礼します。総理、羽熊博士、そろそろお時間です」


 ノックが来ると同時に扉が開き、職員がお辞儀をして声を掛けて来た。


「分かった、すぐに行く。では羽熊博士、参りましょうか」


「はい」



 調印式会場のラッサロンへは首相官邸からヘリに乗って直接向かう手はずになっている。


 どの道ヘリを使わなければラッサロンに日本人は行くことは出来ないから、時間の節約から接続地域より直接行く方が早い。


 部屋を出ると、政府職員とは雰囲気が異なる体格が立派な人が待ち構えていた。


 総理大臣を護衛するSPだ。耳にはインカムが付けられて特徴的ならせん状のコードがスーツに伸びていて、常に総理の前を歩いている。



 首相官邸の屋上にはヘリポートが備えられ、陸上自衛隊航空科第一ヘリコプター団所属のEC-225LPヘリコプターが着陸して待機している。


 この青、赤、白と塗装されているヘリコプターは皇室や総理、国賓等を乗せる特別機らしく、例にもれずこの機体でラッサロン天空基地へと向かうのだ。


 羽熊も当然共に搭乗し、誘導された席へと座る。



「羽熊博士」


 座ってシートベルトを付けていると、反対側窓際の席から声を掛けられた。


「あ、はい」


「初めまして、佐々木源五郎の妻の佐々木美穂です」



 総理夫人だ。史上初となる異星国家間首脳の会談に、テロの危険があるとはいえ夫人が行かないのはどうかと言うこと、ハウアー国王も妃を連れて来ると言うことで随行することとなったのだ。



「初めまして。本日通訳として同行します羽熊洋一です」


「本日はよろしくお願いします」


「このような素晴らしい機会に参加できて光栄です。精一杯頑張らせていただきます」


「離陸します」



 と機長の声のあと、機体が宙に浮く感覚が来た。


 窓の外ではオスプレイよりはゆっくりだがビル群が一気に下になっていく。


 考えてみれば、もう幾度となく空を飛んでいる羽熊も、都会の上を飛ぶのは転移してからは初だ。


 テレビの空撮映像は良く見ても、生で見る世界最大の都市である東京は圧巻だ。


 円形山脈内は台風が過ぎ去った直後のように空気が澄んでいるから、地平線の彼方まではっきりと見える。突出している新宿や六本木のビル群に加え、東京タワーにスカイツリーも鮮明に見えた。



 子供のように無邪気に窓に張り付くのは控えようとしても、あまり見ないがゆえについつい窓の外を見てしまう。


 霞が関ではスーツを着た人々が路上を歩き、車種様々な車が半年以上前に戻ったかように移動をしている。電車も動き、新幹線も動き出すのが見えた。



 一瞬、平和な東京の風景が、幾多の攻撃で崩壊して火と煙が無数に立ち上る光景に見えた。


 一つでも何かが違ったら訪れたかもしれないもう一つの現実、今後起きるかもしれない未来。


 ここ最近ずっとそんな考えをしていたからか、無意識にそう妄想してしまった。


 目を一度強く閉じて開くと、変わらない風景に戻った。



 皇居の脇を通り、千葉県方面へと移動する。


 何としてもアルタランでもレーゲンでも戦闘も戦争も防いで、一億二千万人と共にこの星で生き延びる。


 羽熊はそう強く決意して、外を眺め続けた。



      *



 途中、総理搭乗ヘリの護衛として須田駐屯地からAH‐64アパッチ三機が合流し、四機の編隊飛行で総理としては初となるユーストル上空を飛んだ。


 そして二十数分と飛行すると、ラッサロン天空基地が眼下に広がっていく。



「いやはや、まさに天空の城だ」


 日本では国民的アニメ映画として、隔年で天空の城を放送していた。それゆえに日本人にとって空飛ぶ巨大建造物は『天空の城』としてイメージしやすく、受け入れやすかった。


 もしかしたら当時の映画製作スタッフが初めてラッサロンを見た時、盛大に歓喜したかもしれない。



「そうですね。もし天空島でメディア文化センター的なのを作るのとしたら、まずアレになりますね」


 その可能性は低いが、もし設計することになってデザインが役所的なものであれば、間違いなく日本全国不満の声が上がるに違いない。


 著作権的なことを考えても、国民感情や内政などを考えると、ちょうど保護期間が終了する頃に建設が出来るようになるはずだ。


 羽熊はちょうどそれを子供の頃に見ていたから、実現できるなら何歳になろうと空飛ぶアレをぜひとも見てみたいと思う。



「……三十七年後の政権に任せましょう」


 場を和ませるつもりで言ったのだが、総理は真に受けたのかやや苦笑しながらそう返した。


 それでも緊張を和らげることには成功したと思う。


 このヘリを中心に展開するアパッチ三機は基地に近づくにつれて離れ、単機となった総理搭乗ヘリはラッサロン天空基地甲板の日本機専用ヘリポートへと降下して行く。


 すでに甲板には総理を出迎えようとイルリハラン軍兵が整然として並んでおり、人による道がまっすぐ建物まで続いていた。


 そしてヘリはヘリポートへと着陸をする。



「到着しました」


 パイロットがそう報告すると、搭乗していた政府職員たちがヘッドセットやシートベルトを外して起立し始め、羽熊も流れに乗って外しにかかる。


「分かってはいても、人がワイヤーや機械を使わずに空を飛ぶのは信じられんな」


 皆が皆リーアンを見ると同じ反応をする。


 それが当然と言えば当然なのだが、機械ならまだ超技術で飛べると納得させられても、生身で羽ばたきもせずに飛ぶ姿を見るとそんな反応をする。


 今まで何十人と初めて異地入りする政府職員や国防軍幹部を案内したが、例外なく同じ反応をするから感性は同じなんだなと羽熊は総理の反応を見てそう思った。



「では総理、総理夫人お願いします」


 外で出迎えるのは魚川を始め日本大使館職員と、ラッサロン基地司令官であるホルスター大将を始め軍高官達だ。


 佐々木総理と夫人が手を握り合ってヘリの搭乗口へと向かい、数百から千人はいるだろう兵士たちに軽く手を振る。



 異星人自体はもう見慣れても、一国の首相が来るとなれば対応も変わる。窓から見ると多くの兵士たちがカメラを掲げて写真や映像を撮っている。


 総理はヘリから降りると、まず最初に出迎えた魚川大使と握手をして一言二言声を掛けた。


 その後、ホルサー司令官が地面すれすれまで降りて手を差し伸べ、しっかりと握手を交わす。


 テロ対策でメディア関係者を完全シャットアウトにしているため、これらの光景も昨日一昨日同様に著作権を放棄したネット生配信と言う形で公開している。


 日本はまだ贈与されたイルリハラン製のPCの解析途中だから、向こうのネットは見れていない。しかしきっと千万か億単位で見られている事だろう。



「羽熊博士、お願いします」


 呼ばれて羽熊は席を立ち、搭乗口へと向かって外へと出る。


 さすがに見慣れた人物だからか、総理と比べて向けられるカメラの数は少ない。


 寂しいような良かったような、複雑と言うほどではないか妙な感覚だ。


 羽熊が総理の近くに立つと、ホルスター司令官は合わせて総理に声を掛けた。



「ササキ首相、首相夫人、お待ちしておりました。ラッサロン浮遊基地司令官、ホルサー・ム・バルスターです。基地を代表し、あなたの来訪を歓迎いたします」


 総理はマルターニ語は挨拶程度しか知らないので、羽熊が背後から通訳する。


「熱烈な歓迎うれしく思います。日本国総理大臣、佐々木源五郎です。先の多国籍軍との戦闘に加え、転移当初からによる対話による交流を徹底してくれたこと、司令官を始め基地に所属する方々には感謝してもしきれません。こうして握手を交わせること自体、我々からすれば奇跡と言えます」



「お褒めに預かり恐縮です。ではこちらに、調印式の時間までお待ちいただくニホン大使館にご案内します」


 ホルサー司令官は基地入口の方を示して移動を始め、佐々木総理と夫人は周囲の兵士たちに手を振りながら移動をする。


 基地の入り口には昨日と同じく手すりのない取っ手だけがついた台があった。



 コンテナなどは自身にレヴィロン機関を備えているからこういった物はいらないが、両手で持てる程度の箱にはコストの問題からさすがにない。よってそれらだけを運ぶためのカーゴがあり、それを利用して日本人を運ぶのだが、空に飛ぶ人種ゆえに手すりの概念がない。


 手すりとは歩行時の安定性を確保するための物なので、空を自在に飛ぶリーアンにはまず思い付くことではなかった。


 カーゴも基本は箱の運搬に使うし、常に水平を保つので囲いも必要ない。


 よって取っ手だけを付ける形となったのだ。



「これにお乗りください。大使館までこれで移動します」


「これ、にですか?」


 さすがの乗り物に佐々木夫人は顔を引きつらせながら尋ねた。すかさず羽熊が説明する。


「リーアンはランニング感覚で時速四十キロと出せるので、基地内で乗り物は使わないんです。それに地面に立つ人用の乗り物がないので、向こうなりに我々を考えるとこんな形になったみたいです」



 五キロもある基地なら日本人だと乗り物移動をするが、リーアンからすれば不要なのだ。


 佐々木総理と夫人は羽熊の説明を聞き入れて、台に乗ると取っ手を両手でつかんだ。


「不格好ですが今は我慢してください」


 総理夫妻と羽熊、SPが乗った台は総理大臣とその夫人ともあってか、十五センチほどしか浮かずにゆっくりと移動を始める。



「これで浮いているのか。上下の揺れは全くないんだな」


 レヴィロン機関の真骨頂はその固定性にある。この固定性は任意の指定が出来て、縦軸横軸で固定させることができるらしい。


 いま羽熊達が乗っている台は、上下への移動を固定しているので、横への移動は自由だが上下の移動は出来ない。逆に横移動を固定して縦移動のみ出来るようにも出来る。


 だから感覚としては大地に立っているのと変わらないのだ。


 ただ、この固定性はレヴィロン機関の出力に比例する。いくら固定していても、その出力以上の力が加わると動いてしまう。とはいえトンクラスの力が掛からないと最小でも動かないから、羽熊達が乗るくらいではビクともしない。



 しばらく長年の時間を掛けて発展し研究し、一般化した軍用天空島の通路を移動して、昨日来たばかりの日本大使館前へと着く。


 総理たちが降りるに合わせて待っていた正装の兵士が両扉を開け、ホルサー司令官の案内で中へと入る。


「これよりハウアー国王が挨拶に参ります。一時間ほど会談を行い、その後大講堂にで会見し、国交条約調印式を執り行います」



 ホルサー司令官はそう予定を告げ、日本式のお辞儀をすると大使館を出て行った。


 出て行っても広報とマルターニ語で書いたワッペンを身に着け、カメラを持った兵士は残って遠巻きで日本人の動向を撮影し続ける。


 これも事前の取り決め通りの行動だ。


 普通はこうした裏側は公開しないが、事が事だけに裏も表も可能な限り公開する。


 そうすることで、日本は悪行をしないと言う文句も言えない証明となりえる。


 少なくとも今日以降、日本とハウアー国王が接触する予定はない。今日さえ乗り越えれば、国家元首を殺害すると言う国家に対する最大の攻撃は出来ようがなくなるため、徹底的に監視してもらう。



 全世界が承認ともなれば、どんなバカでも言えなくなる。


 なのでそれに合わせて、握手を含め日本人はハウアー国王とは肉体的接触はしない。握手を含め、一メートル以内には近づかないこととしていた。


 触れれば毒を盛ると疑われてしまい、一メートルも吹き矢的なもので出来ることを認めさせないためだ。


 少なくとも何らかの手で工作員が国王に手を下しても、日本がしたと言う証拠は一切出ない。


 それは向こうにとってもする必要性がなくなり、結果安全に行事が終わる。


 ただ、物事と言うのはどれだけ準備をしても「まさか」と言う抜け道がある。


 今のところ日イの協議でその抜け道は見つけ出せていない。


 単に見つかってないか、それとももうないのか。何にせよもうすぐ答えが出る。


 全世界不特定多数のリーアンに見られながら待っていると、ノックの音が聞こえて正装した兵士がドアを開けた。



「これよりハウアー国王が来られます」


 羽熊は素早くソファーに座っていた総理夫妻に説明すると、素早く立ち上がってドアの正面に立つ。


 そして両扉が開き、羽熊は昨日に、総理含む政府職員は資料で知っているハウアー国王が入って来た。


 ハウアー国王の右側には、右腕に腕を絡みつかせる女性がいて、彼女は初対面だがミアラ王妃であることはすぐにわかった。


 史上初だらけであるが、異星国家の首脳が初めて対峙した、正真正銘歴史的な場面だ。



「日本国、総理大臣、佐々木源五郎です」



 ハウアー国王の背後にはルィルがいて、小声で佐々木総理の言葉を通訳する。



「イルリハラン王国国王、ハウアー・フ・イルリハランです」



 打ち合わせの通り、二組の夫妻は一メートルほどで止まって近寄らず、代わりに会釈と左肩に右手を当てる挨拶をする。


 この場合は握手が一般的であるので、事情を知らなければ無礼と非難するだろうが、両国合意のことなので特に問題はない。


 それに異星人と言う肩書きを使えば妥協もさせられる。


 異星人だから仕方ない、と。


 多少日本の評価を下げようと、万が一を考えれば安い代償だ。


 なにより異地のネットが使えない日本からすれば知りようがない。知らぬが仏である。



「本日は歴史的な行事を行えること、嬉しくあり、誇らしくもあります。突然現れた我が国を、武力ではなく対話で接していただけたこと、日本を代表して感謝の意を述べさせていただきます」


「それは我が国も同じことです。史上初となる異星人との遭遇、武力ではなく対話により平和的に行えたことはこの上ない僥倖と言えるでしょう。そして今までは見向きもしていなかったこの地に、全世界を揺るがすフォロン結晶石が眠っている事実を、転移からわずか三ヶ月で発見してくれた。ニホンの出現によって、混乱を起こしてもそれを補うに余りある返しもしてくれた。パラダイムシフトとはまさにこのことと言えます。これからもニホンが、我々が思う野蛮で暴力的な異星人ではないことを願います」


「我々を侵略を目的とした異星人かどうかは、昔も今もこれからも、行動で示していきます。その行動で判断してください」



 いくら異星人が「侵略しないよー」と笑顔で言っても信用は出来ない。信用には時間を必要とし、その時間内の行動の積み重ねが結果が信用となる。


 日本は自分で安全だなんだとは言わない。周りが勝手に評価しろと言うだけだ。


 積もる話はあれ、時間は有限だ。


 日イ首脳による会談と共同会見を行い、その後に調印式を行う。



 可能であれば順序を逆にしたいのだが、初めて会ってすぐに調印式では段取りとして相応しくなく、首脳の言葉なしで執り行うのも国民世論の反感を買いやすい。


 話す内容は例の如くすでに決まっているので、一時間程度の会談で終わる。


 よく地球でもサミットを開くと簡単に結論を出してしまうが、これはすでに閣僚らで議論をしつくして答えを決まっているから出せるのだ。パフォーマンスと言いようがないが、もし一から議論をすれば数日では絶対に決まらない。


 よって『各国首脳が一同に会する』画を用意するのがサミットの狙いなので、多少端折っているところはあるが半日で終わらせることは出来る。


 それでも形式は必要なので、佐々木総理とハウアー国王、佐々木夫人とミアラ王妃による会談がラッサロンが用意した一室で執り行われた。



 もちろん男性側は羽熊、女性側はルィルが通訳を務める。


 三メートルと宙に浮いた椅子に座り、佐々木総理とハウアー国王は会談を行う。通訳としての羽熊はその間だ。さすがに一メートル以内に近づかないわけにはいかないので、手がはっきりと見える位置に置いて通訳をする。


 ただ、この日イ首脳会談、全面公開をするため話す内容は基本的な事ばかりだ。


 アルタランの農奴政策は会見時に言うつもりだし、バスタトリア砲や核兵器など機密情報も言うわけにはいかない。


 ほとんど公になっている事実の気持ちと、両国の文化について話すだけである。


 会談と言うよりは談話と言う方が正しいか。


 それでも首脳同士による国土転移から今日までの経緯の談話は意味がある。


 あの時、自分はどうしたのか。ここはこうしたらよかったのではないか。ここの本質はどうなっているのか。


 軍、閣僚と段階的に引き上げられた交流は、ついに首脳レベルでも達せられた。



「ゴホッ!」


 そろそろ会談と言う名の談話が終了する頃、ハウアー国王は一つ大きな咳をした。


 咳払いのようなのではなく、風邪などで出す咳だ。


 羽熊はもちろん、部屋にいる全員が脳裏にまさかと思っただろう。だが日本側は誰一人と国王には近づいてはいない。それは定点カメラを通して全世界が証明している。



「いや失敬。疲労から来る軽い風邪だそうで伝染性はありません。薬も飲んでいるので心配なさらずに」


 ひょっとしたらその薬に――と思う羽熊だが、国王であればまず毒味をさせているはずだ。食事はもちろん薬なら尚更で、主治医か付き人に飲ませているだろう。


 まじめに国王の魔の手が掛かる可能性を考えれば、今まではしなかったとしてもしなければ安全は確保できない。


 毒味の事を聞くのはさすがに無理なので、総理は「お大事に」に留めた。



「そろそろお時間です」


 イルリハラン側政府職員が腕時計を見て、予定の時間になったことで会談を止めさせた。


「えー、今より二十分ほど休憩を挟みまして、大講堂で国交条約調印式を執り行います。ニホン政府の皆さま、二十分後にお迎えに上がりますので、それまではお休みください」


「ササキ首相、大変有意義な会談であった。次回あるならば、より長くお話がしたい」


「ハウアー国王、私も同じです。今日と言う日は永久に忘れない事でしょう。時期が来ましたら是非にでも」



 ここで握手と行きたいところだが、それは駄目なので再び会釈で挨拶を終わる。


 ハウアー国王は椅子より立ちあがって空に浮くが、佐々木総理は出来ないので座ったままだ。


 もう一度小さな咳をするとミアラの元へと向かい、手を取って佐々木夫人に挨拶。ルィルとも共に入口へと向かって行って大使館を後にした。


 ここで一時配信は終わり、イルリハラン側広報官はカメラを下ろすと大使館を出て行った。


 残ったイルリハラン兵も佐々木夫妻の乗る椅子を床まで降ろした後出て行き、大使館には日本人だけが残った。



「ふぅ」



 約一時間と通訳に羽熊を挟んだとはいえ、エルマに続いて二人目が国王では緊張の度合いはルィルや他の兵士の相手にする以上だろう。羽熊自身、決して通訳を間違えてはと意識しすぎて汗を掻きすぎた。


 いったい何度ラッサロン提供の水を貰ったことか。その光景を世界中が見るのだから、ネットで何と書かれるのか考えるだけで億劫だ。


 なので国王を相手に一時間一度も水を飲まなかった佐々木総理は凄いと言わざるを得ない。さすがは総理大臣か。ちなみにハウアー国王も水を飲んでいない。



「言葉を選んで話すことは慣れても、相手が異星人の国の王ではより選んでしまうな」


 佐々木夫人から日本産のお茶入りペットボトルを渡され、一口飲んで感想を述べる。


「お疲れ様です」


「羽熊博士、通訳ありがとうございます。正直言ってあなたがいなければうまく喋れませんでした」


「いえ、堂々としていました。それを言うなら私も間違えずに訳せたかどうか、びくびくしながらしゃべっていましたよ」


「美穂、お前はどうだい?」


「お優しい方でした。王妃と言うだけありましてまさに淑女のような方でしたね。だからかあまり緊張しないで話せました。ルィルさんもお優しい方でしたし」



 三ヶ月間木宮を含め色々な日本人女性と接触した成果だろう。日本語の勉強だけしかしなかった人ならああは行くまい。


「あとは共同会見と調印式です」


「余計なことはせず、予定通り粛々と済ませよう」


 ここまで上手く行ってもこれからもと言う保証はない。


 せっかく事前の打ち合わせ通りに進めて来たのだから、向こうが何か考えていても予定通り進めていくだけだ。


「羽熊博士、時間まで休んでください」


 そう佐々木総理に言われ、羽熊は気を楽にして壁際へと向かう。


 タバコを吸いたいところだがそこは我慢だ。



 と、ノックが来た。



「失礼します。羽熊さん、休憩中のところすみません、この後の会見で最終打ち合わせをしたいのですがよろしいですか?」


 ノックをして、大使館に入って来たのはルィルだった。


「あ、はい。今行きます」


 呼ばれ、一歩進んだところで内心ホッとしている自分に気づく。


 このホッとは、彼女と話せることではなく気が楽になるホッとだ。


 総理たち政府職員と同じ部屋にいるより、ルィルと話をする方が気が休まる。その事実を実感して、顔こそ全力で平静を保ったが心は転げまわるほどに悶えた。


 違う。こんなの違う。


 少なくともルィルとは仕事仲間で接しているだけであって、友人でも友人以上にでもなるつもりはない。ないのだ。


 恋心だけは違うと断言できる反面、油断はできない。何がきっかけで化けるのか分からないのが人の心だ。


 羽熊はドアまでの間で、この思いを必死に別のことで塗りつぶす。



 そう、まだ昨日のフラグ折りのために抱き着いた弁明をしていなかった。


 丁度いい機会だから今のうちにしてしまおう。


 扉を越え、リーアンたちが行き来する通路の端で会見と調印式の打ち合わせを行う。


 昨日の事があってか、普段より微妙に距離がある。昨日よりは近いがそれでもだ。


「調印式そのものは言葉を交わすことがないのと、画的にもあれなので同行はしません。共同会見に関しては、基本は羽熊さんが通訳をして間違った意訳の場合私が訂正します」


「流れこそ決めても細かい所はご自身に任せているのでそうなりますね。会見前にそのことは話しておきましょう」


「それとアルタランにしろレーゲンにしろ、何かしら手を出してくる可能性があります。お二人に一番近いのは私達ですので、最悪の場合は盾になります」



「……はい」


 SPでよくある自己犠牲による盾。ただ、どちらかと言えばハウアー国王が狙われるので、羽熊が盾になることはない。空にいる以上、盾になることも出来ない。


「ルィルさん、一ついいですか?」


「はい、なんでしょう」


 昨日のが効いているのか、声に抑揚がない。


「昨日のことなんですが、あれは決してルィルさんに抱き着きたかったわけではなく、どうしても黙らせたかったからです」


 友人かそれ以上の関係かはともかく、仕事をする以上で気持ちが離れてはやりにくくなる。まだまだルィルとは仕事相手としてすることがあるから、ここで誤解を解く。


 時間が迫っているため、羽熊は簡潔に死亡フラグの考えを説明して、昨日言いかけたのがまさにそれだったことを伝えた。



「――なら、もし昨日言いきっていたら、その逆の事が現実に起きていたかもしれないと?」


「あくまでフィクション上でのジンクスです。でも今の状況がまさにフィクションの中のような状況なので、意味のないことだとしても防げるなら防げればと……」


「そうだったんですか。びっくりしました。いきなり抱き着くんですから」


「すみません。本当は早く説明したかったんですけど……」


 理由を説明して、羽熊は深く頭を下げた。周囲には他のリーアンがいたが気にしない。


「……考えてみればそう言った理由じゃないと抱き付くような女好きではないですね」


 クスッとルィルは笑みをこぼす。



「ルィルさんは綺麗な人ですけど、だからと言って抱き付いたりしませんよ」


 出会って三ヶ月間、ほぼ毎日会っていたからこそルィルは羽熊の人柄を知っている。よって誤解もあっさりと解けた。


「そうですね。でも次はすぐに理由を説明してください。すぐに説明してくれなかったから、一晩ずっとどうしようと悩んだんですよ?」


「約束します」


 そして二人は笑い合う。


「ルィル曹長、羽熊博士、もうすぐ移動時間です。準備をお願いします」


 タイミングよく共同会見に向けて兵士が呼びに来て、二人は頷いた。



 日本とイルリハランの関係が盤石になるまで、あと二つ。

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