第37話『世界的大変革数時間前』

「『日本』……これで『にほん』と『ニホン』、もう一つの呼び方で、『にっぽん』と『ニッポン』と読むのね。日本語ってすごい複雑」



 ルィルはノートに書いた『日本』と読み方を見ながら、思ったことを呟いた。


 場所はラッサロン浮遊基地の自室で、ルィルは日本から提供された教本を元に自習として日本語を覚えていた。


 喋ることは驚異的な早さで出来たルィルも、文字を覚えるとなると難航した。



 日本語は『ひらがな』と『カタカナ』と『漢字』によって成り立っている。


 マルターニ語は三十三文字であるのに対して、ひらがなが通常使う文字で四六文字。同数のカタカナと二千文字を超す漢字とある。



 はっきり言って覚える数が多く、その三種が組み合わせるため複雑に感じられた。



 いっそのこと全部ひらがなでいいのではないかと思うのだが、それはそれで不便らしい。


 羽熊は色々と説明してくれたが、全部ひらがなだと伝えたいことが伝わらないようだ。


 言葉にすると全く同じでも、文字に起こすと漢字が混ざっていないとその意図が伝わらない。



 例を挙げると、


 今日、ルィルは羽熊達と一緒に日本語の勉強をした。


 きょう、るぃるははぐまたちといっしょににほんごのべんきょうをした。



 ただ喋るなら伝わる言葉も、文章にすると漢字が混ぜないとひらがなのどこの部分がどういう意味で伝えたいのか瞬時に分からなくなる。


 ひらがなを基礎にカタカナや漢字があることで、そこが強調されて意味を伝えることが出来るらしい。



 まだ日本語を学んでいる途中であるルィルはピンとこないが、日本人は潜在的にそれを理解しているのだろう。だから三種類も言葉を使い分けている。


 ただ、厄介なことに日本国内では日本語の他に地球の国際共通語で、英語と言う言語も使われている。


 今後日本国内で移動や、日本文化圏の浮遊島が建造されるなら、英語も覚えないとならない。


 そういう意味では、三十三文字のマルターニ語を覚えるだけでいい日本が羨ましく思う。



「なんで日本は二通りも呼び方があるのかしら。国の呼び方が二通りあるなんて……」



 国によって相手の国の呼び方が異なることはある。しかし自分の国で二通り呼ぶところは聞いたこともない。


 自分で日本語を話しているからなんとなく分かってきたが、日本語は文脈によって同じ言葉でも違う意味を持つ。



 例えば『大丈夫』という単語。


 肯定を意味する言葉も、文脈によっては否定する意味にもなる。


 普段の交流でもそうした使い方をされるから、肯定否定どちらかなのか分からなくなって聞き返すことが多々ある。


 これも国民性から来る使い方なのだろう。羽熊を始め多くの日本人はうまく聞き分けて会話を成立させている。



「これも二千年を超える歴史の結果なのかしらね」


 愚痴ったところで日本語が簡単になるわけではない。


 地道に小学校低学年レベルの日本語から覚えていくしかないのだ。



 昨日の協議で信捧式と調印式が来月の十五日と本決まりし、完璧ではなくとも早急な両国の言葉の読み書きが必要となった。


 短期間での国際条約の調印だけあって、書状は後に更新すると言う形で手を打った。


 そのため、両国共通の意思として宣言を録音する。


 これによって読み書きができないから不利な一文を設けられる危惧がなくなり、意図せずあったとしても更新することで解消出来るわけだ。


 だとしても出来ることに損はないから、こうして自主的に勉強をして読み書きを出来るようにしていたのだった。



「さすがに二千年の歴史をすぐに覚えるのは難しいわね」


 少なくとも年単位で考える必要があるだろう。幸い文法に関しては日本語と類似しているから、喋ることも読み書きもそう苦労はしない。


 問題は覚える量だ。



「とにかく書き取りを続けないと」


 言葉を覚えるには書き取りが唯一にして正解の勉学方だ。


 絶対的記憶力を持つ人なら見て聞いただけで覚えられても、普通の人はとにかく書き取りを続けて頭の中に刻み込むほかない。



「羽熊さんも同じく書き取りをしているのかしら」


 日本でも漢字や英語を覚えるのには書き取りが一番らしく、きっと同じく何度も書いて頭に刻み込んでいるのだろう。


「……いやダメダメ。そんなことを言ったら変に勘違いさせちゃうわ」


 はたから聞けば思いをはせているように聞こえなくもない。


 あくまで同じ悩みを抱えているからこその呟きであって、羽熊に対して特別なにか思いを持っているわけではないのだ。



「なにがー?」


「ひゃうっ!」



 突然の声掛けに、ルィルは驚いて一メートルほど声とは逆方向に浮く。


「ハミュ、驚かせないで」


「驚いたのはこっちだよー。ただ声を掛けただけなのにそんなに逃げてさー」


 いつもなにかルィルの隣にいて声をかけて来たのは、ルームメイトで基地内勤務するハミュ曹長だ。



「ニホン語の勉強? 仕事が終わった後なのに頑張るねー」


 ハミュは勤務中はさすがにしないが、プライベートだと少し語尾を伸ばす喋り方をする。そのくせ顔つきはおっとりしているので、ルィルとは別の意味で男性から好まれているらしい。


 気になる彼氏は会社員がいて、すでに婚約をしていると聞いた。結婚を機に退役して軍人をやめる予定だったらしいが、日本が転移したことで取りやめて勤務を続けている。



「本当、仕事を恋人にする人は違うねー」


 言いつつハミュは菓子を食べる。日本の文字を記した箱から手に取って。


「ハミュ、そのお菓子どうしたの?」


「ニホン大使館で直売してたから買ったのー。もうすごい賑わいだったよ。何人集まったか分からないくらい集まったから抽選になってさー。多分数十倍の倍率だったと思うよー」


「直売? 直売なんてしてたの?」


「うん。ニホンのことを知ってもらうために、今日から三日に一度の頻度でするんだってー」


「ハミュ、よく手に入れたわね」



 ルィル自身、日本製品の人気の高さは知っているから、購入希望者が多いことに驚きはしなかった。


「うん。外れてもまあいいかなーって気持ちでしたら当たっちゃってさー」


「それでどう? 異星国家のお菓子は」


「おいしいよー。サクサクで甘くて。お水が欲しくなっちゃうけどねー」



 食べているお菓子は棒状の物で、指で掴む部分以外にはチョコレートと言う黒いのがコーティングされている。うまく口にくわえるとポキっと良い音を鳴らして折れて、失敗すると指のところが折れて掴むところがなくなってしまう。


 ルィルも日本旅行に行った時に食べたことがあるから知っていた。



「これ原材料なんだろー」


「コムギって言うコメと同じでコクモツの仲間の一つだって。この星じゃ自生してない植物で、日本じゃほぼ全員食べない日はないみたい」


「へー、そうなんだー。そんな食べられる物なのに、似たようなのは自生してないんだねー」



「種類によっては数ヶ月の間三十℃近い気温がないと無理みたいなのよ」


「じゃあニホンでも育たないんじゃないのー?」


「私もそう思って聞いてみたら、隕石が落ちたら気温が確実に下がるから、世界規模で穀物の品種改良をしていたんだって。さすがに0℃前後で育つのは出来なかったみたいだけど、ユーストルの平均気温で育つのは出来ていたみたい」


「じゃあコメとかこれとかニホンは作れるんだねー」


「日本の特産品として売れるかもしれないわね。まあ向こうの生産量次第でしょうけど」


「あ、もうなくなっちゃったー」



 喋りつつも食べ続ければそらなくなる。ハミュは残念そうに日本製の菓子の入った箱を見た。


「頑張って三日後の抽選で当てることね」


「ルィルは食べたくないのー?」


「食べようと思えば交流の時にいつでも食べれるもの」


「ああー、職権乱用」



「人一倍苦労しているんだからそれくらいの贅沢させてよ。リィア大尉もエルマ大使も食べてるし」


「いいなー。私も今からそっちにいけないかなー」


「じゃあ日本語を覚えて。文法はマルターニ語とほとんど同じだけど、四十六文字と数百以上の単語を覚えないとならないけどね」


「ルィル~、がんばってねー」



 と笑顔を見せながら後ろへと下がっていく。


「私なんて本当に0から日本語を覚えているんだから、軽々しく言わないように」



 日本転移以前の言語学習だったら、揃いに揃った教員や教本、リスニングによって覚えていた。世界中の言語の教本化が今の時代済んでいるから、『学ぶ』ことは苦労しないだろう。


 しかし日本語はフィリア社会が初めて出会った言語だ。


 正真正銘情報が何一つない中で理解していかないとならないのだから、ルィルの苦労は今から学ぶ人の比ではない。


 もちろん偵察隊七〇三のメンバーも全員が独学で学ばないとならないから、後発のユリアーティ偵察隊の面々には少々複雑な感情を持つ。



 ルィルたちは独学なのに、後発はルィルたちが作った資料を手にして日本語に接するのだ。なのに苦労に対する対価がないのだから、上からの命令だからといって個人的感情まで消すことは出来ない。


 だから日本の菓子などを優先的に食べれても罰は当たらないはずだ。



「はーい。あ、そうそうルィルゥ、噂で聞いたんだけど、今夜ハウアー国王がフォロン結晶石の事を発表するの知ってたぁ?」


「もちろん、今日エルマ大使から聞いたわ。この発表で世界は否が応でも変わるわね」



 なぜ発見からたったの二日で公表に至ったのかルィルは知らない。世界の意識を大きく変えるほどの重大な公表だから、十分に協議をしてリスクを算出するはずだが、急ぐと言うことはそれなりの理由があるのだろう。


 レーゲンに翻弄されたことがあるから、ひょっとしたらアルタランで良くない考えが出たのかもしれない。



「また戦闘が始まるのかなー?」


「だとしても国のために戦うだけよ」


 そこに扉のノックが部屋に響き渡った。


「誰だろー」


「緊急招集かしら」


 今夜の事を考えるとあり得る話だ。ルィルは席を立って扉へと向かう。



「ルィル曹長、自由時間中失礼します」


 そう言って勤務中である女性兵が敬礼をする。


「なにかしら」


「至急通信室にお越し願います。ルィル曹長のご両親より映像通信の要請が来ております」


「両親から?」


「ルィル曹長がご両親と連絡を取らないことは存じていますが、ご両親がメディアに監禁されていると訴えているようでして、すみませんがお話をしていただけないでしょうか」



 軍の規則で、軍人が基地外の親族や友人と連絡を取る場合、自前の通信機器か通信室を利用する。自由時間で予約をしていればいつでも使え、その逆に家族の方から通信要請が来る。


 ルィルは両親と話をする気がないので、携帯電話は両親の番号と未登録、非通知は着信拒否をし、通信室にも断るようにしていた。


 特にルィルは日本のことで重大な事を知っているから、情報流出を防ぐ意味も兼ねて外部との連絡は遮断していたのだが。



「軍がメディアに脅されていいの?」


「これが一般兵でしたら本人の意思として終わるのですが、曹長はなにせ世界的有名人なので本人の意思としても様々な憶測が出てしまいまして……」



 もしイルリハラン王国が絶対王政であれば、命令一つで黙らせることが出来た。しかし勅命を民間の判断に委ねるくらい民主制を採用しているイルリハラン王国では、世論の声はかなり大きい。



「親としての立場と、知名度を逆に利用したってことね。はぁ、分かったわ。すぐに行く」


 娘の連絡を取りたくても取れないんです、の一言でメディアは飛びつく。


 政治と軍は陰謀を考えるには定番の組織だし、世界的に知名度を持ったルィルと連絡が取れないとなれば、存在しない陰謀論をメディアは利用するだろう。


 ルィルの両親はそれを利用したのだ。



 自分の親ながら小賢しすぎて怒りを通り越して呆れた。


 勘当を言い渡したのはそっちなのに、連絡が取れないからとメディアを利用して迷惑を掛ける。もしそれだけをする要件が無ければ思いっきり罵倒してやろう。


 ルィルはそう考えて女性兵と共に通信室へと向かった。


 通信室は女子寮と男子寮の間にある。通信室と言っても課業用とプライベート用の二種類に分かれていて、ルィルが向かったのは当然プライベート用だ。


 プライベート用通信室は長方形をしている部屋に作られている。簡易的な仕切りによって二十に区分けされていて、その区域の中には壁にモニターが用意され、備え付けの端末で操作して相手側と接続をする。


 通信室に入るともう一人の勤務中の兵士がいて、ある区画にルィルを案内した。



「ご両親とはもう繋がっています」


 そう兵士は言って離れ、小声で「すみません」と言った。


「謝るのは私の方よ。迷惑かけてごめんなさい」



 ルィルは出来る限りの微笑みで面倒を掛けた兵士に見せ、振り向きながら表情を強張らせた。


 目の前のモニターには二人の五十代の男女が映っている。


 ルィルの両親だ。


 父は商社の会社員で、母は専業主婦。家は持ち家で規模は平均並み。


 言ってしまえば普通の家庭だ。


 ルィルは今こうして世界的に有名な立場にいても、両親の地位や血を引いているからと言うわけではない。様々な要因があってルィルは有名になっただけで、両親は極々普通の人だ。


 普通の人だから、愛娘が軍属になることを嫌がる。


 それを押し切って入隊すれば、そら裏切られたとして勘当をする。



「ひさしぶり。お父さん、お母さん」


 分かっていても、長年の夢を諦めて別の人生を進むのだけは出来ない。


 自分の人生は自分の物だ。


『元気そうねぇ、ルィル』


 席に座ると母が話しかけて来た。



「色々と話すことがあると思うけど、まずこれだけ言わせて。連絡をしたいからってメディアを使って圧力なんて掛けないで」


『お前が着信拒否して話をしようとしないからだろ』


 答える父に、ルィルは握り拳を作る。


「軍に入隊するなら親子の縁を切るって言って勘当したくせに、よくもまあ連絡しようとするわね」



 親に対する口の利き方ではないことは分かっている。けれど言わずにはおけなかった。


『ルィル! 親に向かってなんて口の利き方だ!』


「そんなの分かって言ってるの。ほら時間が無いから要件を言ってよ。圧力を掛けてまで連絡を取ったんだから大事な話なんでしょうね?」



 決して口には出さないが、今夜から世界の意識が変わるのだ。こんな小さなことを引きずりたくなく、さっさと終わらせようと強気で押す。



『お前、聞くところによるとエルマ殿下と親しいようだな』


「…………は?」


 数秒間、父が何を言っているのか理解できなかった。


 なぜそこでエルマが出てくる。



『写真見たわよ。恋人とか結婚とかしないって言っていたのに、やっぱり行くところにはいくのね』


「何の話? さっぱり分からないんだけど」


 これは本当に意味が分からなかった。恋や結婚はしないとは言ってはいるが、そこでなぜエルマが出てくる。


 なのでそう聞き返すと、母はタブレット端末を見せてきた。


 写っているのは肩が触れ合うくらいに寄り添っているルィルとエルマの写真だ。



『これ、いい雰囲気じゃない。ルィル、エルマ殿下と付き合っているの?』


「……それ、資料が一式しかないから一緒に見ているだけよ?」


『またまたー、こんな肩を寄せ合って何もないわけないでしょ。家族なんだから教えてもいいじゃない』



 ルィルは本気で怪訝な表情で首を傾げた。


 確かに外務省が途中経過を公表したいからと写真を撮らせてほしいと聞かれ、日本が提供してくれた教本を読んでいる時に撮影されたことはある。その時のことはよく覚えているが、良い雰囲気もなにもない。どちらとも日本語を覚えることで必死で隣を意識している余裕なんてなかった。


「もしかして……その画像を見たからわざわざ連絡をしてきたわけ?」


『そりゃそうだろ。お前が王室のエルマ殿下と親しくなってるんだぞ。親としてうれしい以外ないだろ』


『そうよ。軍隊に入ったのは大反対だけど、これならまだね』



 もしいま二人と対面していたら、あらん限りの暴力を振るっていた。


 今まではまだ感動を言い渡されても、二十年以上育ててくれた親だから情が残っていた。


 でも今のでなくなった。



「……そりゃそうよね。平凡だったティレナー家から王室に嫁ぎが出たら、親としてはうれしいんでしょうね。でもエルマ殿下からしたら、そんな妻の親を義理でも親として見るなんてさぞ嫌でしょうね」


 エルマに王位継承権はなくとも王室で、ルィルと結婚すれば確かにティレナー家から王室に入ったとして誇りとなろう。


 しかしそんな品位のない醜い感情で誇られたくはない。



『ルィル、これは名誉な事なんだぞ。チャンスは掴め』


「いやよ。エルマ殿下は素晴らしい人でもお付き合いするつもりないし、結婚して二人が喜ぶ顔なんてもっと見たくない」


『おい、これは大変名誉な事なんだぞ!』


「エルマ殿下にとっては不名誉でしょ」


『ルィル!』



「いい加減にして! 私はあんたたちを満足するために生きてないし、結婚もするつもりもない! 第一、何度も言ってるけど親子の縁を切るって言ったのはそっちよ!? それがなにさ、その写真一枚でよろこんで、軍に迷惑かけて無理やり連絡してきて。迷惑なのよ! 私はこの国のためにがんばってるの。恋愛なんてのに構ってるヒマなんてないの! 私の事を調べてるならわかってるでしょ! いま私の立場がどれだけ大事なところにあるのか、私の事を思うならほっといて!」



 周りに人がいようがお構いなしに思いを解き放つ。


「本当、法的に親子の縁が切れるなら是非ともそうしたいわ。そんなくだらないことで世の中を動かしてさ、忙しく働いているのに基地の人に迷惑を掛けて……二人の娘でいることが心の底から恥ずかしく思うわ。恥を知りなさい恥を」


『お前、実の親に向かって……』


「親を名乗るなら親らしいことをして。多分、このことを知ったら全員が全員、間違ってるのは二人って断言するわ。少しは頭を冷やして、何をしたのか見つめなおしてみることね」



 親なら娘の恋愛を気にしないことはない。それは分かっている。


 だが方法と言うものがあるだろう。



「次に同じようなことをしたら威力業務妨害で警察を向かわせるから。二度と私に連絡をとろうとしないで」


『待ちなさいルィル。私たちはお前の幸せをだな』


「二人の考えてる幸せと、私の幸せは違うのよ」


 二人は黙り込み、ルィルの中で別の感情が生まれた。



「……どうして分かってくれないのよ。私は命の危険も、訓練の辛さも覚悟して入隊して、頑張って頑張って今こうしているの。エルマ殿下と知り合ったのも日本が転移してからよ。日本が転移して、手探りで交流をして、それで知り合っただけ。表面しか見てないのに勝手なことを言わないで」


 一瞬の沸騰から、急激に頭が冷えて今度は落胆から悲しみが湧きだしてくる。


「私は家柄が良くなるのを誇りにするより、仕事を誇りにしたいの。今の人生に誇りを持って仕事をしているの。親なら、子供から誇りを奪わないで」



 これでも両親にはあまり伝わらないだろう。娘の幸せと言う一般論に固執しているから、しかしやでもと考えているのかもしれない。


「私のことを受け入れてとは言わない。ただ邪魔をしないで。二人にとっては普通の社会人として生きて、一般人と結婚して子供を産んで育てるのが幸せなのかもしれないけど、私、今が幸せなの。だから静かにしてて」


 ルィルは二人の返事を待たずに端末を操作して通信を切った。



「……はぁ」


 暗くなったモニターに反射する自分を見て、ルィルはため息を漏らした。


 親不孝な娘であることは承知している。女の身でありながら、危険を隣り合わせの軍に所属して、異星国家との交流の最前線にいるのだ。


 詳細を聞かされない親からすれば、気が気じゃないことくらい分かっている。



 それでもルィルは心の底から今が幸せだと実感している。


 幸せは価値観。人それぞれで捉え方が違う。


 今のルィルの生活が苦痛しかないと思う人がいれば、一般的な幸せを幸せと感じない人もいる。


 ただ、両親とルィルの価値観が違うだけだ。


 と、鏡になっているモニターの隅に、見知った人が映っていることに気づいた。



「……人のプライベート通信を盗み聞きするなんて最低ですよ、リィア大尉」


 振り返ると腕を組んで佇んでいるリィア大尉がいた。


 プライベート用通信室は個室はなく、立ち入りも自由だから聞かれても仕方ないのだが、なぜかリィア大尉には聞かれたくはなかった。



「すまんな。ハミュから連絡が来て来させてもらったよ。一応お前の家の事情は知っているから、内容次第じゃ上司として出て行こうと思ってた」


「プライベートなことです。上司でもそれは干渉のし過ぎでは?」


「部下のメンタルケアも上司の仕事の一つだ。そこは嫌と言おうと関わらせてもらう」



「そうですか。別に構いませんけど」


 しなくてもいいのに不機嫌が続いて、口調に怒気がこもる。


「一番分かってほしい人に分かってもらえないのは誰だって嫌なことさ。知り合い百人が喜んでも、家族が喜ばなかったら満足には程遠いだろ?」


 チクリと胸の中が痛む。



「お前は気が強いから今までは何とかなったのかもしれない。けど今夜から世界は変わるんだ。心残りなく軍人としているなら、その心残りを何とかするべきじゃないか?」


「そうしたくとも向こうが受け入れないんです。どうしろっていうんですか」


「そうかな? 聞いてるとご両親、お前の言葉を聞こうとしてたぞ? エルマ大使のあれはちょっと期待しすぎだったかもしれないけどな」


「話をしたところでまた売り言葉に買い言葉ですよ」



「日本の言葉で『後悔先に立たず』ってのがある。あの時ああしておけばを悔やんでも遅い例えだな。この先、親と決別したままで絶対に後悔しないならいいけど、もし今日和解しておけばとしてもその時に思っても遅い。少しでもしたほうが良いと思うなら、意固地にならずに話をしたほうが良い」


「……なんだか経験があるような説得ですね」


「さすがに死別はないが、あの時ああしておけばと悔やむことはたくさんあるさ。お前だって二十七年も生きてりゃ経験あるだろ?」


 リィア大尉の言う通り、ルィルも軽重と経験はある。



「お前の人生だからどっぷりと入り込むつもりはないが、悔いのない生き方を選ぶんだな」


「そうは言っても、向こうが折れるしかないじゃないですか。私が折れたら意味ありませんよ」


「軍人を続ける代わりに結婚をしない気持ちを緩めるとか、妥協案は色々とあるだろ。その意思を見せながら、今は催促があり過ぎて誰も選べないと言い訳もできる」


「詐欺に近いですね」


「でも納得出来る一つの方法だ。俺は選択肢を出すだけで、どう選択をするかはお前次第だ。さっき言ったみたいに今夜から世界は変わる。最悪イルリハランとニホン対全世界もありえるんだ。時間はないが後悔しない選択をするんだな」


 そう言うとリィア大尉は消えていった。


「言うだけ言って出ていくなんて、まったく」


 本当に嫌いな親であれば、死別したところで和解しなくても後悔はしない。


 しかしルィルの場合は軍人になる事を反対されているだけで、それ以外は嫌いと言うわけではなかった。


 ひょっとしたらこれからこれが最後の会話になるかもしれない。


 日本転移以前なら、小競り合いはあっても本格的な戦闘はなかったから命の危険性は少なく、両親と一切会話をしなくても気にしなかった。


 先日の国際部隊艦隊との戦闘も、日本問題の最前線で関わっていなかったから待機だったが、一つ違えば参加していたかもしれないし、レーゲン分隊の奇襲で死んでいたかもしれない。


 今夜のハウアー国王の発表で、世界を相手に戦争が起きる可能性もある。


 今後死の間際、両親と和解しておけばよかったと思わないとは、つい数分前と違って思えなくなっている。



「……はぁ。なんだかリィア大尉に操られてる気がする」


 ルィルはリィア大尉がいないことを確認して、端末を操作した。



      *



『全く違う惑星で生まれ、発展した国家である『ニホン』が転移してくると言う空前絶後の現象から、早二ヶ月が過ぎた』



 エルテミア暦二一〇年、十月二十三日、午後七時。


 ハウアー国王は国民と、全世界に向け重大発表としてメッセージを放送した。


 これは国内ではローカルを含め全チャンネルで放送し、ネットでも動画サイトで生放送として異例の他の動画は見せない仕様をとった。


 ニホンが転移した後のメッセージでは特にそんな強制視聴はさせなかったのに、今回はラジオも含めてさせることから、国土転移を超える情報を出すのではないかと多くの人が察した。



『ニホンとの交流は邂逅の時以来、平和的に続いている。暴力を伴うような事態は二ヶ国間では一度も起こらず、来月十一月十五日には我が国にとって、全世界にとって史上初となる異星国家間条約調印式と全権大使信任状捧呈式を行う予定にまで至った。



 突然の異星国家の転移に、世間はまだ受け入れられないと言う声は聞いている。表向きは友好的な態度を見せ、その裏では何かしらの策略を講じているかもしれない。異星の国家であればそう疑って当然であろう。



 しかし二ヶ月間の交流で、不安感はニホンを異星国家と言う偏見から来ているに過ぎず、客観的には諸外国と大差がないことを確信した。



 それ故にイルリハラン政府は昨日の協議で、現状のみなし国交を解消するべく異星国家間条約の調印を決定した次第だ』



 ハウアー国王はここで数秒間を置く。



『ニホンの国土転移は当然ながら我々リーアンが遭遇した空前絶後の事象である。しかし、今夜、私の口から発表することは、国土転移と同等かそれ以上のことになるかもしれない。



 先日十月二十一日に我が国とニホンは共同でユーストルの地質調査を行った。


 これは様々な仮説を実証する目的と、ニホンの大地に対する技術的検証を兼ねての事だ。


 ニホンは転移当初より、己の有能性を理解して交流中でもそれを度々主張している。


 その有能性とは、資源採掘を始めとする大地に関わる技術だ。



 グイボラと言う魔獣によって数十万年間苦しまれた記憶は本能に強く刻まれ、絶滅させてから一世紀経とうと消えることはない。それゆえに我々は大地に居住を構えることが出来ず、巨木に居住か浮遊島を建造しなければならなかった。



 ニホンはその逆に大地に立たなければ生活が出来ないため、必然的に大地に関わる技術は我々より高くなる。


 その技術の高さを検証するため、ユーストルの地質調査を行った。



 その結果、ユーストルにはフォロン結晶石が埋蔵している学術的実証を得た。



 地質調査は十月二十三日時点で一ヵ所であるため、埋蔵量は出せないが現在の流通量ははるかに超す結晶石があることが確実であることが分かった。一ヵ所だけで分かる埋蔵量は数百万トン。それは現在流通している量の数十万年分である。



 これはニホンが転移し、ニホンが己の有能性を主張しなければ分からなかった事実である。


 この発見により、世界は大きな変革が訪れるだろう。


 ニホンが転移してきただけでは局地的な変化に留めることが出来るが、フォロン結晶石は留めることは出来ない。フォロン結晶石は全世界が求めるものであり、一ヶ国二ヶ国が独占するべき代物ではないからだ。



 しかし、地質調査を初めてから今日で三日目である。


 埋蔵量、採掘量、世界経済への影響などを考え、発見したからとしてすぐに採掘は行わない。採掘の目途が立てば改めてお知らせしよう。


 さて、この発表によりユーストルの価値はニホンを含めて莫大なものになり、おそらくはこの星でもっとも価値ある地域となろう。



 この場を借りて宣言させてもらう。



 世界的にも稀有な直径四千キロにもなるクレーター、円形山脈は我がイルリハラン王国の領土である。


 ある国が国教の聖地として領有権を主張しているが、建国以来固有の領土であり、聖地として主張してきたのは七十年ほど前だ。四百年の歴史を持つイルリハランとは比べるまでもなく、領有権を譲り渡すことは決してありえない。



 ユーストルに関わる全ての権利と責任は我が国、イルリハラン王国にある。


 そのため国民と世界各国は、いましばらくイルリハラン政府を信頼して、静観してほしい』



 ハウアー国王からのメッセージは終了した。



 この放送をもって世界は、『フォロン結晶石は希少』と言う常識の変革を余儀なくされた。

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