第五話 ラスタは一匹のゴブリンと一緒に旅をする


「ゲギャギャッ!」


「無理ムリ、逃げるよゴブりん!」


 立ち向かおうとするゴブりんの腰布を引っ張る。

 はらりとはだけて丸出しになるけれど、いまはそれどころじゃない。


「スライムは魔法か火がないと倒せないって!」


 ゴブりんの手を引っ張って走る。


「グギャギャ!」


「〈くれ〉っていま裸なことを気にしてる場合じゃないから! 羞恥心はいいから!」


 というかゴブリンに羞恥心があるんだ!

 いやゴブりんが特別なだけだろう。


 川原を歩いていた僕たちを襲ったのは、スライムだ。

 不定形の粘体で、魔法による攻撃か火じゃないと倒せない。

 ゴブりんが棍棒で攻撃しようとしたけどムダだ。


「ほら急いで!」


 地面を滑るように移動するスライムは思ったより速くて追いつかれそうになる。

 ゴブりんはようやく自分で走り出した。

 腰布はほどけて僕の手の中にあるから、全裸で。


 スライムの奇襲で服がボロボロになった僕、全裸のゴブリン。

 まるで変態みたいだ。

 なにものにも縛られない自由を堪能しているみたいだ。


 ……こんな自由はいらないけど。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「はあ、ヒドい目にあった」


「グギャ」


 スライムから逃げ出した僕たちは、川の近くの草原で休憩していた。


 ゴブりんと出会ってから四日。

 僕たちは、あいかわらず一緒に行動している。

 王都まで続く道の横に走る川を、ちょっと離れてたどっているのも一緒だ。


 木の実や草や根っこを採取して食べ、ここまで歩いてきた。

 ゴブりんに教えられて、僕もだいぶ食べられるものを覚えてきた。

 ときどき街道ぞいの村や小さな街を見かけたけど、僕たちは立ち寄ることなく大回りしている。

 ゴブりんが見つかったら殺されるだろうし、そもそも僕は街に入るのに必要なお金を持っていない。

 だから、入ることもできないんだけど。


「うん? ゴブりん、どうしたの?」


「ギッ」


 口の前で指を立てて小さな声で言うゴブりん。

 僕がする「静かに」の動作を覚えたらしい。

 やっぱり、ゴブりんは馬鹿な魔物の代名詞の「ゴブリン」とは違うと思う。

 ここまで賢ければ、人間から馬鹿だと侮られないはずだ。


 ゴブりんは足音を立てないようそろそろと近づき、草原の小さな穴に腕を突っ込んだ。

 鳴き声が聞こえる。


「ゲギャギャッ!」


 高らかに声をあげて、ゴブりんが腕を引き抜く。


 その手にはウサギが掴まれていた。


「おお! すごい、すごいよゴブりん!」


 言葉は通じなくても、僕が褒めているのはわかったんだろう。

 ゴブりんは得意気に鼻をふくらませて胸を張る。

 首を掴まれたウサギはじたばた暴れているけれど、逃れられそうにない。


 ゴブりんは首をひねってウサギの息の根を止めた。

 手にしたウサギを僕に差し出してくる。


「グギャ!」


 ……この鳴き声の意味を、僕は知っている。


「いつぶりかわからないお肉だし、うれしいんだけど……人間は、肉を生では食べないんだ」


 首を振って受け取らない。

 ゴブりんは目を見張って、悲しそうに肩を落とした。

 ごちそうなのに、いらないのか、とでも言いたいのだろうか。


「ずっと教わってばっかりだったし、今度は僕が教えるよ! 肉の食べ方を!」


 そう言うけど、ゴブりんに伝わるわけがない。

 首を傾げるゴブりんからウサギを受け取る。


「火種も火打石もないけど、木をこすれば火をつけられるから……」


 手順を考えながら歩き出すと、ゴブりんはいつものようについてきた。

 僕が受け取ったウサギから、じっと目を離さずに。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「はあ、なんとかなった……ほらゴブりん、食べてみなよ」


 昼に準備をはじめて、夜。

 ここまで、大変だった……。


 ウサギの解体の仕方は知っていた。

 端肉をゴミに出す肉屋は貧民の間では有名で、僕も中を覗いていたことがあったから。

 火の付け方も知っていた。

 冬の貧民街で、火打石を使わずに火をおこしているのを見たことがあったから。


 でも、自分でやったのは初めてだ。

 やっと焼き上がったウサギのもも肉をゴブりんに渡す。


 おそるおそる受け取るゴブりん。

 焼けたもも肉をまじまじと見つめている。

 どうするのかと見ていると、いきなりかぶりついた。


「あっ!」


「ゲギャグギャッ!」


 ウサギ肉から手を離してごろごろ転がるゴブりん。

 熱かったらしい。


「ごめん、食べ方わからないよね! 僕が見せるべきだった!」


 口を抑えてのたうちまわるゴブりんに水が入った皮袋を渡す。

 水で冷やしてちょっと落ち着いたみたいだ。


 僕は地面に落ちたもも肉を拾って、土を払った。

 ふーふーと息を吹きかけて熱を冷まし、少しだけかじりとる。


「……おいしい。ほら、ゴブりんも」


 肉なんて、どれぐらいぶりに食べただろう。涙が落ちる。


 本当はナイフなんかで削って食べられればいいんだけど、僕たちは刃物を持っていない。

 解体に使った尖った石を残しておけばよかった。


 僕の食べ方をマネしてもも肉を口にしたゴブりん。

 目がくわっと開かれる。

 おいしかったらしい。

 味付けもしてないのに。


「やっと、ゴブりんに食べ物を教えられた。グギャ」


 どうぞ、という意味らしいゴブリンの言葉で伝えると、ゴブりんはせわしなくもも肉をついばんでいる。

 僕はそれを見ながら、火にかけている胸肉を確かめる。

 ウサギは一匹だけだったけど、二人なら充分だろう。


 お腹いっぱいに肉を食べる。

 まるで夢みたいだ。


「もっと早く街を出ればよかったかなあ」


「ゲギャ?」


「ううん、なんでもない」


 頭によぎった後悔を押しとどめる。

 考えても、いいことはないから。


 ゴブりんが獲ったウサギ肉を、二人で味わって。

 夜は更けていった。


 今日もまた、明日を夢見ながら。


 魔物と一緒なのに、穏やかで、平和で、自由な日々が続くと思い込んで。


 そんなものはただの夢にすぎないのに。


 僕は平穏な明日を夢見ていた。


 街の外の世界は、自由だけど危険が伴うことも忘れて。


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