『第0-1章 ラスタの悩み』
第0章 プロローグ
「ラスタ先生、昨日は大丈夫でしたか? 私、あんまり覚えてなくて」
「大丈夫ですよ美咲先生」
親睦会の翌日。
職員室から2-Aに向かう渡り廊下で、ラスタと美咲先生が会話していた。
酔っぱらった美咲先生は、昨夜の記憶があいまいらしい。
「それにしても、日本は安全なのですね。若い女性があれほど酔って夜に外を歩いていても、安全だとは」
「え? 私、そんなに酔ってたかな……」
美咲先生、自覚がなかったようだ。酔っぱらいにはありがちなことに。
親睦会という名目の飲み会が終わった後、ラスタは美咲先生を駅まで送っていった。
その先も送るというラスタの申し出は、美咲先生に固辞された。
けっきょく「護衛をつけていますから」という伊賀の言葉で、ラスタは引き下がったのだった。送り狼ならずである。
「もし〈異世界〉なら、襲われていたでしょう」
「ラスタさん、日本でも本当に一人なら危ない時もありますよ。それに〈地球〉まで範囲を広げれば、安全な地域の方が少ないでしょう」
「なるほど、そうですか」
ラスタが勘違いしないように補足する伊賀。
美咲先生は酔った自覚がないうえに海外の経験もないのか、きょとんとしている。この教師大丈夫か。
「ラスタ先生が育った場所は、大変だったんですね」
「ええ、本当に大変でした。特に、両親が死んでからは」
何気ない会話に地雷が潜んでいたらしい。
明るい渡り廊下で、ラスタが暗い顔を見せる。
「あっ、その、すみません」
「いえ、気にしないでください。〈異世界〉では珍しい話ではありませんから」
「で、でもその、私」
「むしろ私など恵まれていた方です。師匠に拾われて、こうして生きているのですから」
遠い目で窓の外を見るラスタ。
そこには校庭と、その先に住宅街しかない。
ラスタが見ているのは、目に映る景色ではないのだろう。
「……いつか、教えてください。私、ラスタ先生のこともっと知りたいです」
「暗く、つまらない話でもよければ」
ふたたび歩き出すラスタ。
美咲先生は、その背中を見つめている。
そして。
「ラスタさん、我々にも聞かせてください」
伊賀、二人の雰囲気をぶち壊しである。
特務課として見過ごせる話ではなかったらしい。
「それも早めに。今日の放課後はいかがでしょうか?」
強力な力を宿した勇者たち、エルフや獣人、魔物っ娘、魔法。
そして、異世界の存在。
情報とそれを裏付ける証拠は数多くあげられている。
だが、まだ特務課に情報以外の明確な実績はない。
伊賀は結果を出すことに焦っているかもしれない。
「わかりました。長く退屈な話になると思いますが」
振り返らずに返事をするラスタ。
その表情は見えない。
そのままラスタは廊下を歩き、2-Aに入っていく。
その日の『魔法』の授業はいつも通りだった。
無表情なラスタの様子も。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
2-Aの教室。
放課後は部活に使われることもなく、静まり返っている。
ラスタと伊賀は、そのままここで話をすることにしたらしい。
すぐ近くにはラスタの住居にもなっている自衛隊基地がある。
だが美咲先生も同席することになって、この場所を選んだようだ。
2-Aの教室にはラスタの結界が張られている。
特務課には協力するが、ほかの人には聞かれたくないのだろう。特に勇者たちに。
「さて、ではどこから話をしましょうか」
「ラスタさん、少々お待ちください」
口を開いたラスタを遮って、録画と録音機材をセットする伊賀。
話を望んだ美咲先生は緊張した様子である。
「よし。ラスタさん、〈異世界〉の文化や風習も貴重な情報です。覚えている限り昔のことから話していただけませんか?」
「そうですか……」
「あの、私、本当にいてもいいんでしょうか。ラスタ先生がイヤなら」
「かまいませんよ、美咲先生。たいした話ではありませんから」
もし実際にたいしたことのない話だったとしても、伊賀にとっては貴重な話だ。
美咲先生にとっては、ラスタと生徒たちを理解する助けになるだろう。
「では。覚えている限り昔のことから。アーハイム王国の国境にある砦と、小さな街から私の記憶ははじまります」
ポツリポツリと語り出すラスタ。
それから、ラスタは長い長い話をはじめるのだった。
〈異世界〉に生まれ育った半生を。
一部の生徒や美咲先生が憧れる、華やかな〈剣と魔法のファンタジー世界〉ではなく。
魔物がはびこり、文明の発展が現代ほどではなく、封建制で、治安が悪い、〈異世界〉の話を。
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