天狗の落とし文

@utsunomiya_ayari

第1話 栞に関する多少のこと

序章



天矢場栞は天狗になりたかった。

天狗のように鼻が伸びて、禅智内供のごとく鼻を煮込まれ踏みつけられるのはごめんだが、天狗の神通力には抗えない魅力があった。

かといって山伏になり、修験道の道へ入る事も出来ないので、毎日留守を預かる天矢場古書店のレジ前に座り、適当にそこら辺からさらってきた本のページをめくり続けている。



天矢場古書店は二荒山神社のお膝元、宇都宮中心部を東西に横断する煤けたアーケード街、オリオン通りのちょいと裏路地に入った所。県の農業試験場の敷地内にある弁天沼という水源に端を発する釜川沿いにポツネンと存在していた。

遡れるところでは天保の頃、宇都宮の空襲で消失した家系図さえ残っていれば、より古く遡れたという歴史ある書店であり、古書専門となったのは神田神保町の古書店街の成立と時を同じくした戦後の動乱期であった。そしてその由緒ある古書店のレジ前にちょこんと座り本を読んでいる栞は、現店主の孫である。

一人客が入っただけで空間が圧迫されるような空気を感じる狭い店内は、一見乱雑に本が積んでいるようにも見えるが混沌の中にもある一定の法則があって「あるようにある」。そのように思えた。



棚にぎっしりと詰まり、載籍浩瀚薄暗い山脈のごとく本が積まれたその光景は、ひとたび地震など起きようものならば、大規模な本津波に襲われ、山脈に迷い込んだ人々の命など、軽く活字の下に埋没してしまうであろう事は容易に想像出来た。

幸か不幸か先の大地震ではぎっしりと詰まった本のお陰で、総崩れの本雪崩だけは起きずにすんだが、なかなかどうしてエキサイタブルな状態にはなっていた。



入ってすぐ左手の棚には毎年、達磨市に二荒山神社表参道で買ってきた栃木の民芸品、黄鮒と豆太鼓が本の隙間に無数に突き刺さっており、干支が変わるたびに刻印される、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の文字をそれぞれ一つずつ抱いて数十匹が群れをなし、モビールのように泳いでいる。黄鮒は一年に一度買う縁起物なので、その数からして店の歴史の長さは推して知れるであろう。



入り口から更に洞のごとく暗い奥の方に目をやると、それが近いのか、はたまた遙かに遠いのか、今ひとつスケール感のつかめない奥まった場所にレジカウンターがあり、その頭上には神棚。レジスターの隣には小ぶりの招き猫が鎮座ましまし、狭いカウンターの上にはこれでもかと本が積まれ、端の方に申し訳なさそうにテレビが置いてあった。その更に奥は階段があり居住空間となっているようだった。



階段には達磨がちょこんと座っており、店内を見守っている。

周囲を見渡すと、専門書から稀覯本、雑誌、カストリ、和書、漫画本など何でも御座れの品揃えである。その活字の大樹海、いや先人に習えば言海とでも言うべきか。そこに水先案内人も付けず、不用意に一歩踏み込めば遭難することは必死である。そもそも店主は商品を把握しているのかという所からして疑問が頭をもたげるが、混迷を極める書の海は、書痴以外の何者をも近づけまいとする鋼鉄の砦のような敷居の高さを醸し出していた。


そんな無秩序なエントロピーの増大に貢献している複雑系な店内のカウンターの奥で膝に達磨をちょこんと載せて、一心不乱に黙々と本を読んでいる女の子がいる。年の頃なら十六、十七と言ったところか。祖父の不在時の店を預かる天矢場栞は書店内のメンテナンスに精励する様子もなく、ただひたすらにレジ脇に積んである本を黙々と読みふけり、その姿は『薔薇の名前』に登場する僧院の修行僧のようであった。



祖父が若い頃に銀座で仕立てて貰ったというシャツにズボンにチョッキを着こなし、何やら無闇に深刻そうな面持ちの苦行にでも身を置いているかの如き様子で本に熱視線を注いでいるのが、件の天矢場栞という少女である。

時々モジャモジャ頭を掻き毟りながらムゥとかフムン等と呻き声を上げつつ書に没頭していた。



とは言っても仕事が全くないわけでも客が全くいないというわけでもなく古書店ならではの買い取り査定などにも謹厳実直に取り組んでいる、仕事があるときだけは真摯に取り組む働き者ではある。働き者なのだろう。恐らくそうに違いない。



専門書の買い取りなども行っているため、そう遠くないところにある宇都宮大学の学生が伝説の参考書を買い求めてくることなどもある。



曰く、必修難解授業についての分厚い参考書なのだが、歴代の持ち主の授業メモが書き付けてあるため、テストの強力な攻略本になっており、盆暗学生から熱心な学究の徒にまで伝説と化して知れ渡り、噂を聞きつけ購入しようという学生が現れるという。

詰まるところ、参考書を天矢場古書店で入手し、用が済んだところでまた天矢場古書店に持ち込み、誰か分からない後輩に伝授するという流れが出来ているのだ。栞も毎年手にしては買い取りを行っているため、目を通しているうちに大体の授業の流れを把握してしまった程度には長年見続けている。



そんな逸品には高価な値が付いていても買い手がつく。と言うか奪い合いになり、春になる度に学生がやって来ては血腥い腥風血雨の伝説の参考書争奪戦が始まる。

誰かが一生自分の物にしようとせず毎年そのテスト攻略という役目を終えたら天矢場古書店に売りに来るというのは最早儀式であり伝統であるのだ。



伝説の参考書は有志による手沢本となり複製され、今では何冊かそういった本が存在している。これは活版印刷が発明される以前のマニュスクリプト時代のいい加減な写字生や、それを手にした者を彷彿とさせる。



もちろんそんな特殊な参考書の取り扱いだけで店の経営が成り立つわけでもなく、普通の読み物だとか漫画、雑誌なんかも前述の通り商っており、大型中古書店が幅をきかせる中にあっても一定の立ち位置にたち、薄利ではあるものの善戦しているものである。



天矢場古書店は栞の祖父の店である。祖父は一年の大半を海外の古書マーケットやオークションを渡り歩き、入手困難な稀覯本を求める顧客の要望に応えんと辣腕を振るっていた。



ある時には、某ピアニストの老大家の依頼により、失われたアルカンのピアノ・ソナタの楽譜を追い続けて地球を二周半もした末についに手に入れるという、ギュスターヴ・ヘンレの如き事をやってのけたりもした。最近ではある筋からリーマンの黒革手帳なる一世紀以上にわたって行方不明の秘宝中の秘宝の探索を依頼されるなどして大忙しであったりするのである。


で、あるからして実際に店舗が暇であっても忙しくあっても祖父の頑張り次第で大きく稼ぐことが可能なので、店番をしながら読書に興じていても、店頭の売り上げに一喜一憂することなくどっしりと構えていられるのである。



という訳でBGVとして流しているテレビを流し聞きしながら本を読んで祖父の留守を預かるのが専ら一番の仕事である。

もちろん掃除や買い取り査定に接客販売は行うが、極めて高価な稀覯本は祖父が予め売り主から預かり、買い取り査定をしているので、栞が独断で踏む値段というと、祖父が取り扱うものに比べれば微々たるものだが、高校生が独断で扱う金額としては破格である。有名どころでは『鶴八鶴次郎』なんて本も扱ったことがある。その程度の買い取りが任されるほどには祖父からの信頼もあるし、それなりの経験もあるとの自負もあった。



そしてそれを可能にするだけの実弾、つまり現金がカウンター裏の収納スペースに無造作に突っ込んであったのである。

栞はただの書痴などではなく、優秀な古書肆の守り人なのである。



天矢場古書店は一見すると、ただの古臭くなおかつ埃臭いという二重に臭い古書店であるが、母の勤める異端教祖株式会社という怪しい事きわまりない集団からの技術提供を受けた「ヒルベルトのホテル」と言う、極めて特殊な構造をした無限に物を収納出来て、なおかつ簡単に取り出す事が出来るという誠に便利な収納があり、理想的な温度湿度に設定されているため、店頭に飾れないような高価な本や現金、稀覯書の類いがここにしまってあった。



箱の蓋には金のプレートが貼り付けてあり、そこにはラブレー風に「汝の欲するままに読め」と刻んであった。

異端教祖株式会社で新規製品が出ると母はまず、祖父が純粋に趣味だけでやっている店だと頭っから信じ込んでいる、この古書店に製品の試作品を持ち込んで実験するという癖があった。



そんな怪しげな機械なので、役立つ事もあれば被害を及ぼす事もあり、悲喜交々といった所である。普段から使っているのは「光格子腕時計」なるものと、この「ヒルベルトのホテル」くらいである。



今までで最大の被害を出したのが領土拡張機なる新製品のパイロット版が出来たときであり、この時は本当に大変な目に遭った。

M理論において生じる余剰次元を現実の空間にスリットさせる事によって空間を膨張させ、領土を拡張する云々という何一つ分からない機械だが、二階の栞の自室で母に言われるまま起動したところ、ドンという衝撃と共に部屋が四方に広がり、部屋の中の物がばらばらに散乱してしまった。



これによって実際の店の図面と実際の部屋の中の空間の広さが異なるというよく分からない事になっている。よくもまあ人体に影響が出なかったもんだと思ったが、モジャモジャ頭はそのせいなのかも知れない。いや昔からである。



最近では夢幻会社というライバル企業が進出してきて「ヒルベルトのホテル」同様アレフ・ヌル以上の無限に物を詰め込める「カントールの楽園」等という物を開発中らしいとかで、この困った母親は大いに困ったとぼやいていたのを耳にしたが「そんな妙ちきりんな物を作っている会社が何社もあってたまるか」と言うのが栞の素直な感想であった。



一方の父親は世界中に根を張ると強弁する、消音器付き郵便喇叭のマークでおなじみの……と、父は言っている、中世イタリアで誕生したという秘密の私設郵便組織ザ・トリステロとか言うこれまた怪しい集団に属し、世界中の流通網、情報インフラを一手に握っている秘密で謎の組織の構成員という話を聞かされていたが、栞にはあまり興味のない事であった。大体家族に言える時点で秘密の組織も何もあったものではない。

 ブレッチリー・パークの一員ぐらいの管理はされてしかるべきだろう。



そんなこんなで祖父と父は海外、母も出張だ泊まり込みだ何だで家を空けていることが殆どであったので、殆どの時間を一人で過ごしており、実質独り暮らしをしているようなものであった。



平日は自転車で二十分ほどの高校に通っては勉学に励み、微生物と植物の研究に明け暮れ帰宅してからはお気に入りの祖父のシャツに着替えると古書店店主代理として帰宅してから夕飯時までか、もしくは飽きるまでカウンターに座り続けるのであった。

これが栞に関する多少のことである。

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