三、喫茶『カマユデ』
あちこちを散策しながら、バナムはギマンの森の言い伝えをロン・リーにじっくりと話して聞かせました。以前は五つの戒めがありましたが、時が経つにつれてだんだんと緩くなり三つの掟になったこと、白いヒグマの子孫がピグマリオであること、トラとの戦争で親を亡くした子供達のためにクリスタル会ができたことなど。
ロン・リーはその伝説を聞いて、納得しました。
「なるほど、だから肉を食べるオイラはみんなから警戒されるのか。ヤマネコのタナトスも、きっと苦労したんだろうなぁ。オイラはこの森で役に立つのかなぁ…。」
「何、大丈夫ですよ。最低でも三つの掟をしっかりと守って迷惑さえかけなければ、それでいいんです。あまり心配しないでください。」
「ところでバナムさん、昨夜ユリエルというフクロウに会ったんだけど、知っているかい?」
「ユリエル⁇…いやあ、知りませんねえ。この森の皆さんとは大体顔見知りのはずなんですが…。きっと最近ここに来られた方じゃないんですかねえ…。」
「…そうなんだ。オイラ、疲れていたから、幻覚でも見たのかな。」
そんな話をしているとき、茂みの中から銀狐がひょっこり出て来ました。ロン・リーは、その銀狐に見覚えがありました。
「あれ⁈あんたは、確かあの時の…」
「やあ、久し振りだね。俺がオソロシヤ平原で獲物を探していたら、貴族と猟犬に見つかっちまってね。たまたま近くにいた君が俺の代わりに貴族と猟犬に随分と追いかけられていたね。」
「ああ、あの時は大変だった。オイラの周りを貴族どもやたくさんの猟犬に取り囲まれたからね。どうにか包囲を突破して、命からがら逃げられたよ。」
「おかげで俺は助かったよ。君も無事で何よりだ。俺の名はエッセパルだ。」
エッセパルは握手を求めました。
「オイラはロン・リーだよ。今日からこの森に住むことになった。」
「俺も最近ここに来たばっかりだよ。この森には狐狩りを楽しむ人間がいないし、自然豊かな森だと聞いたからね。君も同じだろ?」
「まったくだ。オイラ達は生きるために狩りをするけど、人間達は娯楽でオイラ達を狩ろうとするんだ。まるで殺しを楽しんでいるみたいだ。」
「俺達はよっぽど人間から嫌われているのさ。家畜を襲うこともあるからね。俺達は、人間から見れば『害獣』って訳だ。」
「オイラ達だけじゃなくて、人間は人間同士で殺し合いをするらしいよ。」
「仲間同士が殺し合いをするなんて、どうかしてるな。」
二人の話が長くなりそうだったので、イノシシのバナムは話に割って入りました。
「お二人は顔見知りだったのですか。ロン・リーさん、よい知り合いがいて良かったですね。エッセパルさんは広場の東側に住んでいますよ。今度近いうちに遊びに行くといいでしょう。」
「ああ、そうするよ。エッセパル、これからもよろしく。」
「こちらこそ。」
「では、ロン・リーさん、挨拶はこれくらいにして、先を急ぐとしましょう。」
ロン・リーとバナムがこの森の一部を巡り終わって中央広場に着いたときには、一番星が輝いていました。
「この森はとても広過ぎるので、今日一日ではとても案内しきれませんが、大事な所は案内できました。あとはご自分であちこち探索してみてください。」
「バナムさん、ありがとう。それじゃあ、また。」
ロン・リーはぺこりと頭を下げて、広場の南の方へ寝ぐらを探しに木々の間に姿を消しました。
次の日の夕方、ロン・リーはエッセパルのもとを訪れました。
「よう、エッセパル。遊びに来たよ。」
「やあ、ロン・リー。よく来てくれたね。この近くに喫茶店があってね、この森で採れるいろんな葉っぱや木の実をお茶にして出してくれるんだ。良かったら行かないか。」
二人は尻尾をフサフサと揺らして、喫茶『カマユデ』に行きました。マスターは初老のタヌキのブンブクです。
「ブンブクさん、こんちは。」
「やあ、エッセパル、いらっしゃい。そちらは?」
「オイラはロン・リーだよ。ギマンの森のずっと南から来て、ここへ移り住むことにしたんだ。今後ともよろしく。」
「そうですか。ここは人間がいないから、のんびりと暮らすにはもってこいですよ。何を飲みますか?」
「何があるんだい?」
「ミルクに椎茸茶、イチョウの葉っぱ茶、ドングリ茶とか、ネコジャラシ茶なんてのもありますよ。食べ物は、干し柿や干し魚、チーズなんかもあります。」
「じゃあ、椎茸茶を。」
「エッセパルは?」
「俺はいつものドングリ茶のミルク割。」
ブンブクは大きなお腹を抱えていましたが、慣れた手つきでササッと二人にお茶を出しました。
お茶を飲みながら、ロン・リーとエッセパルはお互いの過去について話を始めました。
「なあ、エッセパル。オイラは一匹狼で、今までほとんど友達と付き合ったことがないんだ。つい思ったことをそのまま言って相手を怒らせてしまったり、それがもとで嫌がらせを受けたり、裏切られたりして、結局離れて行ってしまうのさ。」
恥ずかしそうにロン・リーがそう言うと、エッセパルは少し考えて、持っていたカップを切り株のテーブルの上にゆっくりと置きました。
「離れて行くやつは、勝手に離れればいいさ。友達なら別に作ればいいじゃないか。」
「そうだな、この森で友達が出来ればいいが…」
「もう、すでに一人出来たじゃないか。俺には分かっているぜ。俺がオソロシヤ平原で貴族の狐狩りに追われていたとき、ロン・リーはわざと俺の前を横切ったんだろ?あれで貴族の関心が君に移って、君が追われる羽目になったんだ。」
エッセパルは緊迫した状況だったにもかかわらず、冷静にその様子を見ていたのでした。どんなに過酷な場面でも、冷静でなければオソロシヤ平原では生き残れなかったのです。
それを聞いたロン・リーの心は激しく揺れて、手にしたカップをカタンとテーブルに置きました。
「分かっていたのか⁉︎」
エッセパルはニヤッと口をゆがめて、落ち着いた声で言いました。
「当たり前だよ。君が貴族と猟犬を自分に引きつけて、俺に逃げ道が確保できたかどうかを見届けていたからね。」
「いやあ、実際のところ、逃げるので手いっぱいだったよ。もう、あんなことは二度と出来ないだろうね。」
照れながら、ロン・リーは頭をポリポリとかきました。
「ところで、エッセパルは生まれも育ちもオソロシヤ平原なのかい?」
「ああ、俺はあそこで生まれ育って、貴族どもの放つ矢と猟犬どもの牙をかわしながら、野ネズミや野ウサギを獲っていたのさ。俺の親父とお袋は、年のせいもあって、かわしきれなかったがな。」
「…そうだったのか。余計なことを聞いてしまったね。」
「いや、気にするな、いずれ話すことだ。それが今になっただけだ。」
エッセパルは、またニヤッと口をゆがめて続けました。
「ロン・リーがいた森というのは、どんな所だったんだい?」
「いやあ、実はオイラが生まれてすぐに親父が殺されてね…」
「人間にかい?」
「いや、オイラの母親の爺さんだ。」
「爺さんに⁈」
エッセパルは細い目を見開きました。
ロン・リーは遠い過去を思い出しながら、ゆっくりと話し始めました。
「オイラの親父といっても、別の群れのオオカミだったんだ。そこには自分の子供もいたのに、何故かオイラの爺さんの群れにやって来て、オイラの母さんと出会ってオイラが生まれたって訳だ。群れを追われたはぐれオオカミだったのかな。やがてボスの座を巡って争いになったらしい。その時親父は死んで、爺さんも深傷を負ってすぐに死んでしまったよ。それからしばらくして群れはバラバラになって、オイラは一匹狼としてあちこちの森を旅して来たって訳さ。」
エッセパルは下を向いたまま沈黙してしまいました。
「…なんか、しんみりした話になっちゃったな。ごめんな。」
「いや、俺も大変だったけど、ロン・リーも苦労してきたんだな。」
「まあ、長く生きてりゃ誰でも色々あるさ。過去を一々気にしてられないよ。」
ロン・リーはそう強がってみましたが、恐らくこれからも色々なことが起こるんだろうと、漠然と思いました。
エッセパルは重い空気を振り払おうと思い、話題を変えました。
「そういえば、俺がオソロシヤ平原を出ようかどうか迷っているときに、頭に角のない雄鹿に会ったんだ。正確に言うと、角の生えている部分がこんもりと丸く削れているんだがね。名前はシャーデンというんだ。彼のお陰でギマンの森のことを知って、ここまで俺を案内してくれたんだよ。この店にもたまに来るから、今度紹介するよ。」
「そうかい、エッセパルの紹介なら喜んで。」
それからも二人は何時間も話し込んでしまい、辺りはすっかり暗く静まりかえっていました。二人は明日の再開を約束しながらガッチリと握手を交わして、うすら寒い森の中をそれぞれの住処へと帰って行きました。
家路を急ぎながら、ロン・リーはエッセパルとの会話を頭の中で噛みしめていました。本音で話し合える喜び、分かり合える喜び、信じ合える仲間がいる喜びで、もう一度誰かを信頼してみたいという感情を抑えきれませんでした。
「こんな気分は久しぶりだなあ。ギマンの森は、オイラがやっとの思いでたどり着いた楽園だ。何て素晴らしい所なんだろう。やっぱりオイラはここに来てよかった。神様、ありがとう。エッセパル、ありがとう。きっといつか、オイラはエッセパルのために、ギマンの森のために役に立ってみせる!」
それ以来、ロン・リーは毎日夕方頃になると、喫茶『カマユデ』に足が向くようになりました。
ある日、ロン・リーとエッセパルとブンブクが雑談をしているところへ、角のない栗色の大きな鹿が店に入って来ました。
「ブンブクさん、エッセパル、どうもこんちは。」
シャーデンは言い終わると、ちらっとロン・リーを見やりました。
「こちらは?」
ロン・リーが挨拶しようと立ち上がるのを制して、エッセパルが代わりに言いました。
「彼がこの前話したロン・リーだよ。ロン・リー、こちらがシャーデンだ。」
「ああ、あなたがロン・リーさん。どうも初めまして。」
ロン・リーは初対面のシャーデンに少し緊張して応えました。
「ああ、どうも。オイラがロン・リーだよ。シャーデンは雄鹿なのに角が生えてないんだってね。」
ロン・リーは何を話せばいいのか分からなかったので、いつもの悪い癖で取り敢えず気になったことを喋ってしまいました。
いきなり失礼なことを聞かれたので、シャーデンはややムッとしました。
「若い頃は生えていたよ。でも、トラやヒョウに負けないように岩に向かって角を突き刺す練習をしていたら、いつの間にか角が削れて無くなってしまったんだ。角の無い今でも、頭突きの練習は欠かさないよ。お陰でご覧の通りさ。」
シャーデンは太い首をぐるりと振り回し、近くにあった木の壁に頭突きをしました。そしてバキッという大きな音とともに、壁に大きく穴が開いてしまいました。あっ気にとられたエッセパルでしたが、口調は冷静でした。
「これじゃ、百獣の王ライオンだってひとたまりもない。相手の頭蓋骨は粉々に砕けちまうな。」
「石頭のシャーデンか。」
ロン・リーの口から、思わずまた余計な一言が出ました。でも、彼の本心では、皆生き残るために必死なのだと感心していました。
一人興奮していたのはブンブクでした。
「ちょ、ちょっとシャーデンさん、どうしてくれるんですか!店を壊さないでくださいよぉ!」
「ありゃりゃ、ごめんなさい。つい力が入っちゃった。後で直すから勘弁してください。」
「もう、お願いしますよ!」
その日も、おしゃべりは遅くまで続きました。
そんな日々が続くうち、すっかり秋になりました。
秋の恵みを求めて新しく森にやって来たウサギのパリプータとカラスのマラドも喫茶『カマユデ』に足を運ぶようになり、ロン・リー達と仲良くなりました。
ある日、ロン・リーが前からずっと気になっていたことをみんなに尋ねてみました。
「ねえ、ちょっといいかな。オイラがこの森に初めて来たとき、ピグマリオさんからルシファー連山の向こうには別の世界があるって聞いたんだけど、みんなも聞いたかい?」
パリプータはブルっと小さく震えて言いました。
「ああ、僕も聞いたよ。あそこに行ったら、誰も戻って来ないんだよね。毒ガスにやられるって。」
行動範囲の広いマラドは、何度か首をかしげました。
「俺の情報によると、毒ガスはいつも出ているわけじゃないらしい。むしろ出てないときの方が多いんじゃないか?」
ロン・リーは大きく目を広げました。
「それなら、誰でも別の世界に行けるんじゃないか⁉︎」
エッセパルはあごに手を当てながら言いました。
「いやあ、ガスがなかったとしても、あの山を越えるのは難しいんじゃないか?」
シャーデンは静かにうなずきました。
「そうだね、あの山は高すぎるよ。カラスだって飛び越えられないだろ?」
「俺どころか、渡り鳥でも無理だろうな。ねえ、マスター?」
竹のカップを洗っていたブンブクの手が、ぴたりと止まりました。少しの間黙っていましたが、ためらいながら、ブンブクは話し始めました。
「…実は、プロビデンス山脈とルシファー連山の間に、どうやら抜け道があるらしいのです。」
「ええ〜〜〜っ⁈」っと一同は驚きました。
「いや、あくまでも噂ですよ。抜け道はあるらしいのですが…。皆さんはこの森の伝説をご存じですよね。白いクマとトラが戦ったという話です。最後に負けたトラが落ちのびて行ったというのが、その抜け道らしいんです。で、その抜け道の先に、トラは別の世界を作って王になったようなのです。その子孫が、今でもいるんじゃないですかね?私が思うに、ああいった歴史がありましたから、トラ一族は今でもギマンの森を恨んでいて、ここから向こうへ行った者達を殺してしまったんじゃないですか?」
エッセパルは、あごに手を当てたまま言いました。
「なるほど、だから向こうへ行った者は、誰も戻って来ない…」
パリプータは、さっきより大きくブルブルっと震えました。
みんなの沈黙のあと、しばらく考え込んでいたロン・リーが、ぼそっと言いました。
「オイラ、行ってみようかな…」
エッセパルはあごから手を外して、ロン・リーに向き直りました。
「やめた方がいいんじゃないか?危険すぎるよ。あっちこっちの放浪の末、やっとこの森に落ち着いたのに。」
「…でも、見てみたいんだよ、いろんなものを。」
「たとえ別の世界に行けたとして、そっちで暮らすのかい?」
「いや、オイラはここを気に入ってるから、戻って来るつもりだよ。」
「そうか、もう秋もだいぶ深まっている。せめて春を待ったらどうだ?」
「オイラは雪山にも慣れているし、冬だったらトラの動きも鈍くなるんじゃないか?行くなら今だと思う。」
「う〜ん、どうやら止めても無駄のようだな。」
「自分の人生は自分で選ぶ。そうだろ?」
「ああ、そうだな。それにもう一つ。選んだ責任は、自分で取る。」
「分かっているよ。」
「必ず戻って来いよ。これは親友としての約束だ。」
「ああ、必ず。」
「じゃあ今夜はロン・リーの送別会だ。ロン・リーの無事を祈って、乾杯!」
喫茶『カマユデ』の騒ぎは、夜遅くまで続きました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます