第25話 初めてのイベント

 あっという間に四月だ。準備に準備を重ね、田島さんと駆けずり回って企画した春イベント『クラシックの集い』本番当日。

 俺がすべきことはもうなんにも無いんだけど、責任者としてずっと会場には出ずっぱり状態だ。


 特に初日の午前中は乳幼児の親子連れコンサートになるので、目が離せない。思いがけないトラブルが次から次へと出てくる。

 一番最初にやらかしたのは、ベビーカー置き場だ。俺も田島さんも独身だから赤ちゃん連れの装備なんか知らない。みんながみんなベビーカーで来るなんて考えていなかったのだ。

 仕方なく市民会館に掛け合って、急遽空いている小会議室をベビーカー置き場にした。

 トイレに設置してあるおむつ交換台も一つしかないので、小会議室の一角にウレタン素材のパネルカーペットを敷いて、おむつ交換所として提供することになった。


 こういうトラブルって、ほんと、想定外なんだよな。これで俺か田島さんのどちらかでも子持ちだったら気付いただろうに。

 こういうのを前以て想定できるようにならないと。まあ、今回失敗したから次回に生かそう。何事も経験、失敗は成功の母だ。


 演奏会が始まると、こちらは田島さんにお任せで、俺は午後からの中ホールのリハーサルに顔を出した。照明さんと音響さんと舞台装置さんが、音楽とプロジェクタの切り替えタイミングの打ち合わせをしている。


 楽屋の方ではオバケのサイちゃんの着ぐるみアクターがスタンバイしている。サイちゃんはめちゃめちゃ可愛いけど、中の人は筋骨隆々の兄ちゃんだ。

 サイちゃんには午前の部の終わりにお客さんを見送って貰い、午後の部の開始時にお客さんをお出迎えして貰う。間に休憩入れて実働二時間くらいだ。


 午後からは中ホールで小さい子供向けのコンサート。一緒に歌うコーナーがあったり、人気のアニメソングを演奏したりで大盛り上がりだったんだが、やはり小さい子供が集まると必ず迷子と落し物が出てくる。まあ、こっちは十分想定内だったが。

 落とし物は発見場所の席ナンバーや通路などをメモして一旦市役所で預かる。大抵市役所に電話がかかって来るからだ。だが、今日のはきっと拾得物が市役所に行く前に電話が来るだろうという事で、田島さんのケータイに回して貰うことになってる。


 一方大ホールではすでに夜の部のリハーサルが着々と進んでいる。市民会館がここまでフル稼働する日も少ないんじゃないか?


 更に言うと、俺は今日の今日まで最古杵市のクラシック人口がこんなに多いとは思っていなかったんだ。

 てか、クラシックだぞ? クラシックって上流階級が聞くようなシロモノじゃん? ベートーベンとモーツァルトとバッハしか知らんけど。しかも名前だけしか知らんけど。


 それがどうだ、夜のコンサートはいくら安いとはいえ、チケット制だというのに当日までに完売だ。なんなのこれ、プログラムだってコルサコフとかいうロシアの銃みたいな名前の作曲家のナントカって曲だし、だいたい俺はそのカラシニコフみたいな作曲家だって初めて聞いたぞ。有名なのか、そのカラシニコフは?


 結局初日は午前の部、午後の部、夜の部ともに満員御礼で、少々のトラブルがあったとはいえ大成功に終わった。全部が片付いたのは夜の十一時頃だったが、翌日も吹奏楽ピストンコンサートがある。俺も田島さんもソッコーで家に帰り、早めに休んだ。


 翌日は睡眠不足の体をおして再び市民会館大ホールへ。前日のスタッフさんたちが疲れも見せずにテキパキと動くのを見ながら「すげえ」と溜息をつき、一時間前に会場入りした司会者さんに挨拶。司会は最古杵市出身のアナウンサーで、ノーギャラでやってくれるという。なんなの、この神対応。


 搬入口に回ると、最初の方の出演と思しき中学と高校の吹奏楽部が五校くらい来ていて、すでにカオスの様相を呈している。

 まずは学生たちを楽屋に案内し、ティンパニとだとかバスドラムだとかいうでっかい太鼓とか木琴のおばけみたいなのとか、そういう大物を搬入して出演順に待機させるように現場のスタッフに指示を出す。


 ていうかさ! コンサートイベントってこんなに大変だったのか!

 誰だよ、五十周年記念イベントを音楽モノにしようって言ったやつ!

 とか思ったけど、前日の『クラシックの集い』にも今日の『吹奏楽ピストンコンサート』にも幽霊がさりげなく来ていたし(チケット無しで入れて羨ましい)、なんかそれはそれでいいか~みたいな気分にはなった。


 だってほら、ちょっと疲れて缶コーヒー飲んでると、幽霊がフラッとやって来て『おつかれ~』なんて言っていくから。

 ついうっかり幽霊に話しかけちゃったりして変な目で見られることのないように、アイツも俺が一人の時を狙って声かけてくれるし。それもあって頑張れたって言うか。アイツが来てくれなかったら途中で果ててたかもっていうくらいハードだった。


 二日目が終わって、いつもなら「打ち上げ行こう」ってところなんだろうけど、俺も田島さんもゲロゲロに疲れ切っていて、終わると同時に二人して「お疲れ様でしたぁ……」って駅に向かってるのがなんだかおかしかった。


 充実感があった。達成感もあった。大きな仕事を一つ成し遂げたっていう自信につながった。

 「とても楽しい演奏会だった」「いいイベントだった」「毎年やって欲しい」と帰り際にお客さんに声かけられた。すごく嬉しかった。


 それなのに、妙に納得のいかない感情があった。素直に喜べない理由はなんとなく気づいていた。だが、それは口にしてはいけないような気がしたから、俺はその気持ちに蓋をした。

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