第23話 涙に消えた封筒


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 「二人分とは言っても、結構貰っちゃいましたね」



 老夫婦と別れ、帰路に立つ二人。

 おばあさんから渡された給料袋の中を覗きながら、モモが言う。



 「そう? あれだけ辛い思いをした割には大したことないような……」



 「文句言わないでくだ……さいッ」



 「あイタっ!!」



 横から七海も覗いて呟くと、罰当たりな彼の後頭部にモモから鉄槌が下された。

 幸い顔面を地面に叩きつけられる惨事は免れたが、二人の喧騒に商店街を歩く人々の視線が集まる。



 「んんっ! お金を稼ぐのは大変だって言ったばかりじゃないですかっ。ほらほら、行きましょう」



 そう言ってモモはぷりぷりしながら歩き出す。そのぷりぷりしている尻尾を、痛みを堪えて七海は追いかける。



 「でもそんなに沢山頂いたなら、今日も何処か美味しい店にでも食べに行く?」


 

 「今日は仲直りのために朝ご飯で贅沢してしまいましたから、しばらくは節約生活です。このお金も、大切に使いましょう」



 堅実なモモが、七海の提案に即答した。

 ずっと手に持ったままのその封筒を、彼女は両腕で抱きしめる。

 その様子や、モモの働く事に対する姿勢を見続けている内に、七海の考えにも変化があったのは明らかだった。


 下積みを経験せず、いきなり会社をトップとして引っ張っていた七海は、その足で、身体を動かして働く事の苦労を理解していなかった。

 それでも今日一日を通して、おじいさんやおばあさん、そしてモモにそれを教えて貰ったような気がしていた。



「そうだね、そうしよう」



先程までの自分を否定するように、七海もはっきりと頷く。



「じゃあ、早く帰りましょうか! お腹も空きましたし! 実はですけど、まだ朝のシチューが残ってますからね~」



「えっ、まだあったの? 何で教えてくれなかったのさ」



「ハルカさんが全部食べる気満々だったからですよ……」



 和やかな会話を弾ませて、帰りを急ぐ商店街を進む足を速める。


 その一歩を踏み出そうとした、その時だった。




 「きゃッ!!!」




 モモの甲高い悲鳴と共に、二人の横を何か黒い物体が走り抜けていく。

 彼女の身を案じようと身を翻した七海は振り向きざまに、それの存在に微かに気付いた。



 「モモ! 大丈夫? 怪我は……」



 「ケガは……、大丈夫です。でも……、でもんです」



 声に、不安と悲しみを露わにさせて彼女が言う。その顔は今にも泣きだしそうな程、瞳を潤ませていた。

 あまりの動揺に主語の抜けてしまったモモの言葉に、七海は直ぐにはその真意が理解出来なかった。



 「……ないって、何が?」



 ただ事ではない空気を感じた彼がおそるおそる尋ねると、モモは胸の前で抱えていた両手を解いて見せた。それでようやく七海は、彼女から奪われていたものが何であったのかを悟る。



 「……封筒か」



 その正体は、七海たちが農園で必死に働いて得た給料が入った封筒だった。恐らくさっき逃げて行った黒い影が盗んでいったのだろう、そう七海は推測した。

 荒々しく盗られたようで、いつもモモが着ている白いシャツの袖先の三つのボタンのうち、二つが無くなっていた。


 とうとう掌で顔を覆って小さくしゃくり上げているモモの肩に、彼はそっと手を置く。その手には、モモの隠しきれない哀情がひしひしと伝わってくる。


 彼女を泣かせる原因が分かった以上、七海がすべきことは一つだった。



 「大丈夫、僕が必ず取り返すから。モモはここで待ってて」



 優しく力強い彼の慰めに、モモはこくり、と頷いた。

 それをしかと受け取ると、肩の手を離した七海は向き直る。視界から消えるその最後の一瞬まで、彼女は俯いたままだった。



 「許さねぇ……!」



 歯を鳴らして、頂点まで達した怒りを掠れた声に乗せる。

 そしてもう既に姿は見えないが、盗人の逃げた方を睨んで、ゆっくりと走り出した。


 スピードはぐんぐん加速していき、あっという間に商店街を抜ける。



 ――あんなかっこつけて言ってはみたけど、手掛かりも当ても何もないんだよな……。



 冷静になった七海が、狭い通りと交差している十字路のど真ん中で急ブレーキをかけて立ち止まった。細かい砂利が宙を舞う。



 「さてどうしたものか……」



 目の前の三本の道を見渡して、あれこれと思案を巡らせる。そのどれを見ても、人影らしきものは見受けられなかった。



 「もう日も完全に落ちかけてるしな。これ以上暗くなったら見つけるのは不可能だ」



 未だに、僅かながら黄昏色が村を包んでいた。今なら肉眼でも何とかなるくらいには明るい。

 

 日没まで約三十分、それが彼に与えられたタイムリミットだった。


 一つ大きく深呼吸をして、焦る気持ちを落ち着ける。

 そして再び、七海は犯人がどれかしらを選んだであろう三つの選択肢に目を向けた。その一つ一つに全神経を傾ける。



 「こっちは……、直ぐそこで行き止まりか。ここから見て分かるくらいだし、そんな道選ぶはずないだろうな」



 向かって左は、何軒かの家が脇に立ち並ぶ中、お誕生日席のように一軒だけが中央に建っていた。そこで道は途絶えている為、逃げようにも逃げられそうにはなかった。


 冷やした頭であっさり可能性を否定した七海は、次に正面に続いている大通りを吟味する。

 商店街こそ抜けたが、村に一つしかない広い通りには、商売を終えた村人たちがそれぞれの家路につく姿があった。



 「夕方でもこの人通り、怪しいヤツがいたら誰かしらが声を上げているに違いない。でもそんな様子はなかったから……」



 街灯こそ少ないが、人々の繋がりの強いライプ村のことだ。誰かが異常を感じれば、それはどんどん周りに知れ渡っていき、村全体が包囲網となる。

 盗人もそれが分かっているのであれば、こんな道を進むメリットなどない。そう七海は結論付けた。



 「――となれば最後は……」



 右側の、細い裏道に目をやる。

 残された選択肢は一つだけ。考えるより先に足が動いていた。

 不意に襲われる危険も頭に入れながら、慎重に歩を進めていく。


 裏道に差し掛かると、少し先に、薄暗い中に白く目立つ小さな石のようなものが目に入った。


 少しずつ近づき、やがて七海はその石を前にすると屈んでそれを拾い上げた。

 軽く砂を払い、掌に載せてまじまじと観察する。



 「これは……、まさか……」



 白いは、ひったくりの衝撃で外れてしまった、モモのシャツの袖のボタンだった。

 推測が確信に変わった七海は、ボタンを拳でぐっと握る。

 そして、足元のおぼつかない、狭く暗い路地を走り出した。



 「待ってろ……。モモを泣かせた罪、きっちり払って貰おうか……!」


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