うさぎは、選ぶ。
柳なつき
ルズラン
サーカスが終わったあと。私たち団員は、サーカス場の簡単な清掃をしていた。
「いいか、落としものとか忘れものとかないか、よくチェックするんだぞー」
ロリ団長が、いつものように言う。
私は、四つんばいで観客席をまわっていた。言っておくが、べつに好きで四つんばいなわけじゃない。私は、四つんばいでしかうまく歩けないのだ。
なぜなら私は、うさぎ少女だから。基本的なすがたは人間だけれど、人間の耳の代わりに頭からぴょこんとふたつの大きなうさ耳が飛び出ているし、お尻にはふわふわのぽんぽんみたいな尻尾があるし、肉球がぷにぷにしている両手両足はうさぎのそれそのものだ。
この世界には、そうやって人間を半動物にして愉しむひとがいるのだ。困ったことに。
そして、半動物は動物として扱われるのがこの世間の風潮なのだ。
ちなみに着ている衣装は、舞台用のひらひらした可愛らしいドレス。確かに人間の格好にうさ耳のほうが、かえってうさぎらしさ、って言うか動物らしさが強調される気がする。それって私はあんまり嬉しくないけど。
あーあ、私もうさぎ少女でさえなければ、サーカスなんか出て、いいひと見つけて情熱的な恋愛して、結婚して……。
と、妄想していると。
「……あ、落としもの」
紳士ものの高級そうなハンカチが、ぽとりと通路に落ちていた。いいなあ、こういう高級なハンカチをつかう紳士さんってどんなひとなんだろう?
団長に見せようと思い、口でくわえてぴょこぴょこ歩いているときだった。
「可愛いうさぎさん。僕のハンカチを、どこにもっていくんだい?」
「ひぃあっ?」
思わず、変な声を出してしまう。その拍子に、ハンカチが通路に落ちた。耳と耳とのあいだの頭に、大きな手が乗せられた。手のぬくもりが、直に伝わってくる。
私は、そのひとを見上げた。そのひとは、笑う。ひとを和ませる、素敵な笑顔。
「あはは、そんなにこわがらないでよ。僕の落としものを、拾ってくれたんだろう? いい子だね、きみは」
いい子、なんて初対面のひとに言われたらふつうは失礼だと思うだろうけど、私はうさぎなので、まあ、しょうがない。そういう扱いをされることも、ままあるのだ。
そのひとは、ひとことで言ってしまえば若い紳士だった。私より、すこし年上みたい。ダークブラウンの髪に大ぶりなシルクハットをかぶり、スーツをぴっしり着こなしている。そして、端正な顔。私はその黒くて深いひとみに見つめられただけで、なんだかもじもじとしてしまう。
彼はハンカチを拾って、私の頭をひと撫でした。
「ありがとう、可愛いうさぎさん」
「い、いえ、あの……」
「ん? なんだい?」
彼の顔は、あくまで純粋だ。
「あ、あの、こんな高そうなもの、くわえちゃって、ごめんなさい……」
「ああ、なんだそんなこと。いいんだよ。きみは一生懸命に僕のハンカチを届けようとしてくれた。その気持ちが、嬉しいよ」
「あ、ありがとう……」
「お礼を言うのはこっちだよ。ありがとう、可愛いうさぎさん――名前は、ミウちゃんだっけ?」
「あっ、はい」
なんで知っているのだろう。
「君の演技、よかったよ。とてもよかった。飛び跳ねて、空中でくるくる回るなんて、なかなかできない芸当だからね。勇気もいるだろう」
「い、いえ、まあ、あの……」
かぁっとなってしまって、うまく会話ができない。だいたいにおいて、団員以外と会話をする機会なんてほとんどないのだ。しかも、こんな格好いい男のひとと……。
私はふいに、自分が四つんばいであることが恥ずかしくなった。このひとと、おなじ目線に立ちたい。目と目を合わせてみたい。
ちょっとなら、立ち上がれるよね……。
私は、後ろ足に力を入れて立ち上がろうとする。しかし力が無理に入ってしまったのか、よろけて倒れてしまった。「大丈夫かい?」と彼がとっさに抱きとめてくれる。それがまたどきどきするやら悔しいやらで、私は「はい……」と熱にうかされたような返事をしてもとの体勢に戻る。
「なにしようとしたの? そんな、無理して芸をしてくれなくても大丈夫だよ」
「あ、はい……」
私が立ち上がるのは、芸とみなされてしまうのか。うさぎは、ふつうに立ち上がれるものなんだぞ。……ちょっとだけなら。
「……さて。そろそろ僕は行かなきゃ。待たせているひとがいてね。でも、また来るよ。ありがとう、ミウちゃん」
彼はしゃがみ、私をもうひと撫でして去ってゆこうとした。
そして振り返り、思い出したように言う。
「僕の名前はルズラン。気が向いたら、おぼえておいて」
「ルズラン……」
私はその名を、こっそりと口のなかで呟いた。
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