先輩、俺の彼女と何をしてたんですか?

朝の清流

第1話:二つの顔

 良くも悪くも真面目。

 クラスメイトたちは皆、口を揃えて俺をそう評価する。

 成績は学年5位で、陸上部では100×400mリレーのメンバー。

 髪型は無難に黒髪短髪で、身長は178センチ。

 少しつり目だが、顔立ちは割と整っている方。

 高校生としてのステータスは高いにも関わらず、いつもクラスの隅で物静かにしているのはその「真面目さ」が原因だろう。と誰かは言っていた。

 ただ俺は、そんな現状に満足している。

 周りが羨むような学校生活には意味を感じない。

 自分の行いを誰かに認められたいとも思っていない。

 俺は今の生き方が好きだ。

 何度考えても、そこに違和感は生まれない。


 でも、本当にそれでいいのだろうか?


 現在、駅前のファストフード店で、大山先輩に相談に乗ってもらっているのは、そんな己の是非を客観視するためだ。


「それで、美沙ちゃんのどこが変なんだ?」


 茶髪のイケメン、大山龍騎は珍しく真剣な面持ちで俺に問いかけた。

 8頭身のルックスを活かした読者モデルとして活動する傍ら、部活動でもそれなりの結果を残している。本に曰く、勉強は苦手らしい。

 そしていうまでもなく、女性経験は豊富。性格も男前だし、モテない方がおかしいだろう。


「どこが変って断定可能な訳ではないんですけど。なんと言いますか、少し違和感を抱くことがあるんです。二人でいるときは特に」

「違和感って、例えばどんな?」


 違和感の正体。それが分かれば違和感ではなくなるのだろう。

 

「分かりません」

「は?」

「違和感の正体が何なのか、俺にはさっぱり……」


 声を濁した俺に向け、大山先輩は呆れの表情を浮かべた。

 その視線に妙な恥ずかしさを感じた俺は、少し身を屈めてしまう。 

 自分の彼女の事なのに何も分からない。

 今年で付き合って二年目。俺はこの1年間、美沙のことを何一つ理解していなかったというになるのだろうか。


「まぁ普通なんかあるじゃん? 例えば、態度とか。言葉遣いとか。挙動とかさ。あと雰囲気」

「確かに。強いて言うなら雰囲気、ですかね。ただ本当に一瞬だけ違うなって感じるだけで。その変化が持続している訳でもなくて。例えるなら、最初と最後の文字だけ伝えるモールス信号みたいな」

「いや、その例えじゃ全然分かんねーよ」


 大山先輩は額を抑えてうな垂れた。

 恐らく、表現力の乏しい後輩に落胆しているのだろう。

 我ながら上手く伝えられたと内心思っていた俺は羞恥心に襲われた。

 そして同時に、彼女の違和感を表現する術も失った。


「なんかすいません。せっかく相談に乗ってもらってるのに」

「いやいや気にすんなって。ポテトも奢ってもらったわけだし、それに……さ」

「……はい?」


 見間違いだろうか? 

 今一瞬、先輩の目が虚ろになったような……。


「それに翔太。お前が聞きたい本題にはまだ入ってねーだろ? 真面目なお前が答えのねー話をする為に俺を呼び出すわけねーもんな」


 気のせい、か。


「美沙のことももちろん本題なんですけど、あともう一つ。出来れば率直に答えてもらってもいいですか?」

「おう。それは俺の得意分野だ」

 

 美沙の違いに一つの答えを見出せない自分。

 もし、俺が変わればその答えにたどり着けるのではないだろうか?

 俺が良くも悪くも真面目な男だから、大切な彼女の変化すら見抜けないでいる。 

 あまり自分の事を話したがらない美沙が、何を感じて、何を考えているのか。

 知っていたと思っていた部分を知らないままなのかも知れない。

 俺と同じく平和な日常を望むような明るい茶髪の少女、末石美沙の本当の願い。

 一年以上も続いている関係が、偽りだったのではないかと疑うのは正直胸が痛む。

 だが、一瞬でも感じ取ってしまった違和感を見過ごすのは性に合わない。

 だから俺は……


「俺の生き方って、間違っているのでしょうか?」


 丁寧に言葉を紡いだ俺は、何故か束の間の沈黙を作り上げた。

 ポカンと、少し口を開けたまま静止してしまった大山先輩。

 少し唐突すぎただろうか。


「……あー、えっと。悪いけどもう一回言ってくれるか?」

「俺の生き方って、間違っているのでしょうか?」


 すると大山先輩は、腕を組んで小さく唸り始めた。

 目を閉じ、天上へと顔を向けている。

 真剣に考えてくれているのか。それとも質問の意図が掴めていないのか。

 俺はただ黙ってじっと待った。


「まぁなんつーか。間違い、ではないと思うぞ。お前はクソ真面目で堅いとこあっけど、俺みたいな軽い男から見れば普通にかっこいいと思うしさ。ってかこの質問がどう美沙ちゃんと……あぁ。そう言うことか」

 

 何かを閃いた様子の大山先輩は、一度飲み物を啜ると新鮮な表情で語り出した。


「お前は堅い。だから男女関係の事がイマイチわかってねーんだよ」

「と、言うと?」

「冷却期間って知ってっか? 付き合ってる男女が、ちょっと時間が経つと最初みたいな熱情が薄れて文字通り冷め始めるってやつ」

「聞いたことはないですけど、俺は美沙のことずっと好きですよ?」

「じゃあ美沙ちゃんはどうなんだ?」

「それは……」


 一緒にいれば体を寄せ合う。

 手を繋ぎ、口づけを交わし、どこにいても幸せを共有出来るような関係。

 違和感を除けば、俺たちは付き合った当初から変わったとはあまり思えない。 

 いや待て、その違和感こそが冷却期間特有の愛情の低下のことなのか?


「違和感があるって言ってたろ? お前結構鈍感だし、美沙ちゃんが余所余所しくなってんのに気づいてないだけなんじゃねーのか?」


 やはり、そうなのか。


「否定は、できないです」


「んだろ? いくらいい子でも……と言うより、人間には絶対に二つの顔があるもんだからさ。お前の場合でいうと真面目な一面と気弱な一面。もしかすると、俺の知らないお前の顔があんのかもしんねーけど。まぁ、言いたいことは分かっただろ?」

「はい。なんとなくは」


 二つ目の顔。つまり明るくて優しい美沙の別の一面がある、ってことか。

 それなら違和感の正体にも納得がいく。

 二面性が自然で辻褄のあう解釈。故にそれを否定したい気持ちが生まれる。

 俺の知らない美沙の顔。

 その一面は、俺の事が好きではない……って事になってしまう。

 単なる推測に過ぎないのに、今まで感じたことのない胸の痛みが走った。


「俺は結構な人数と関係を持った事がある。経験から言わせてもらうと、冷却期間には無理に詰めない方が良さげだな」

「そう、なんですか?」

「一般的にはな。時間が解決するもんも恋愛においては多いし、強ち間違いではない。それにズカズカ入り込むよりは、遠くから眺めてんのがお前の性に合ってると思うしな」

「……俺の性に合ってる、ですか」

「あぁ。だからお前自身が生き方を変えるよりも、いつも通りのままで待っててやればいいんだよ。美沙ちゃんが惚れた、森谷翔太のありのままの姿でさ」


 やはり先輩は饒舌だ。

 納得させられしまうから、美沙が初めての恋人の俺は余計に何も言えない。

 経験の質も数も全く違う。矛盾しているようで矛盾していない先輩の言葉の数々。それが多分、男女交際の摂理というものなのだろう。

 俺が否定しようと思わなければ、全ての筋が通ってしまう言葉の数々。

 それらを繋ぎ合わせて弾き出される解。


 美沙が俺の事を好きではない。もしくは恋愛感情を失いかけている。


 認めてしまえば簡単だ。故に抗いたくなってしまう。

 美沙が先輩のいう一般的ならば、八割型は正しいのだろう。

 歴史の教科書に書かれた事実に反論するような、無謀にも思える俺の心情。

 誇らしげに飲み物を啜り始めた先輩は、今の意見を曲げる気配すら見せない。

 それは自信の現れだ。今の俺の欠けている一番重要なものを、先輩は持っている。


「……ちょっと考えてみます。ありがとうございました、大山先輩」

「まぁいいってことよ。そんじゃ、帰るか」


 混雑する俺の感情。  

 震えそうな体を必死に抑えながら、俺は先輩と帰路に着いた。

 

 

 何が正しくて何が間違っているのか。

 自分の心に正直になろうとしても、何をすればいいのかすら分からない。

 結果的に相談前と何も変化していない自分に対し、俺は少し腹が立った。

 一睡もできない夜を過ごし、気づけばペットの犬が俺を起こしにきている始末。

 ついには母と妹、そして父にまで心配をかけてしまった。

 学校を休むように言われたが、俺はどうしても美沙に会いたい。

 その一心で、今にも倒れそうな体を必死に動かし学校へと向かった。

 自分の中で整理がついていないのに、俺は何をしようとしているのか。

 訳も分からず自分の席で突っ伏した俺に、トントンと誰かが肩を叩いた。

 

「おはよー、翔太……わっ、どうしたのその隈⁉︎ なんか辛そうだけど大丈夫? 保健室行く?」


 肩に掛らない長さの茶色い髪の毛。健康的な肌色の少女、美沙が鼻先五センチで俺の顔を覗き込んでいた。


「美沙。おはよう。俺は大丈夫……だ……」


 あれ、なんだか体が重い……。


「って、大丈夫じゃないじゃん! 翔太、聞こえてる? 翔太? しょ……」


 華奢な手に揺さぶられながら、俺はようやく眠りにつけた。

 美沙の声を聞いたから安心できたのかも知れない。

 違和感さえなければいつも通りの優しい彼女。

 冷却期間なんて……、美沙が俺の事を好きじゃないなんて……。


 –––「全部嘘だったらどうする?」

 

「……はっ⁉︎」


 薄っぺらい白色の掛け布団。

 病院の入院部屋にあるような白いカーテン。

 他の教室とは違う不思議な匂いが漂う室内。

 今までお世話になったことはない、保健室のベッドで俺は目を覚ました。

 心地の良い春の風が、汗で濡れた俺の体に優しく当たっている。

 その窓の先から聞こえてくる野球部の声。

 どうやら俺はあのまま放課後まで爆睡していたらしい。

 

「起きたのね、森谷くん。よかったわ」


 バサッと開いたカーテンから、白衣姿の女性が顔をのぞかせた。

 短髪で、自分の母と同じくらいの年齢。中島、と胸のネームプレートには書かれている。


「あの、今さっき誰かここにいませんでしたか?」

「ん? この部屋にいるのは私だけよ。それより凄い汗ね。いまタオルを……」

「俺はもう大丈夫です。汗は自然に乾くので」

「あら、そう? 要らないなら良いけれど……。あ、そうそう。彼女さんから伝言で、先に帰ってますって。とても良い子そうだったわ〜。ほんと、若いって良いわね〜」


 ふふ、と年相応に笑った中島先生。 

 俺は心の中で、帰宅間際に様子を見にきてくれた美沙の優しさを噛み締めながら、ベッドから体を起こした。

 

「そう言えば、ここまでは誰が運んできてくれたんですか? お礼を言いたいので、特徴だけでも」

「えっと、確か……茶髪のカッコいい子だったわよ。赤色の上履きだったから、きっと三年生ね。女の子に囲まれながら、キャーキャー言われてたわ〜。私もあと二十年若ければ、あの中に混ざってたかも。なーんてね」


 大山先輩、か? でもなんで二年の教室に……。


「そうですか。ありがとうございました、中島先生」

「いえいえ、いいのよ。森谷くんは噂に違わぬ真面目で良い子ね。彼女さん、大切にしなさいな」

「あ、はい。どうもお世話になりました」


 俺はベッドの横に置いてあったカバンを拾い上げ、深く一礼してから保健室を後にした。

 去り際に確認した時計では、現在五時半。後一時間あまりで最終下校時刻だ。

 一応職員室に寄って、部活の顧問の先生に欠席を謝罪してから帰ろう。

 春の記録会も近いし、リレーのメンバーにも迷惑をかけてしまったかも知れないから部活にも顔を出すか……。

 保健室のある一階から職員室のある二階まで上がり、夕焼けに照らされる廊下を一人歩いていると、色々な事が脳内を巡った。

 大半は迷惑をかけた人への謝罪について。

 その隅に、起きる直前に聞こえた声への恐怖心が蔓延っている。

 

「全部嘘だったらどうする、か」


 俺の知らない二つ目の顔。

 きっと大山先輩にもあるであろう隠れた人間性は、表出していないが故に恐ろしい。

 今まで抱いていた印象すら覆しかねない。何も知らない俺は、最悪のケースばかり考えてしまう。

 裏の顔だって、大したことはない可能性も十分にあると言うのに……


 –––「嘘は……ダメだ。だから正直に」


 また聞こえるこの声。それはきっと、物理的な音ではない。

 自分自身の内面から漏れた、いわば心の声。

 二つ目の顔を意識しすぎるあまり、自分の中の何かが抑えきれなくなったのかも知れない。

 今の俺を否定する、もう一人の自分。

 真面目な生き方が正しくないと主張する、自分自身の象徴。


 バタン! 


 突然、廊下の窓が突風で開いた。

 風に靡く自分の髪の毛。首元に残る汗のせいで、悪寒を感じてしまう。

 思わず背を向けたくなるような、俺に左側を向くことを強制するような、不自然な春のいたずら。

 そして横目に映るのは、三年二組の暗い教室。

 窓際の席で、口づけを交わす男女の姿。


「……大山先輩?」


 見てはいけないと、俺自身が頑なに体を縛り付ける。

 妙に重い足を懸命に動かし、俺は教室の中を覗き込んだ。


「大山、先輩……俺の彼女と、何をしてるんですか?」


 教室のドア越しに目にしたその光景に、俺は一人呟いた。

 キスを終え、トロけるような表情の美沙は大山先輩の胸の中へと倒れこむ。

 何が起きているのか。何がどうなって大山先輩と美沙が口づけを交わしているのか。

 理解を拒む俺の思考は、直ちに回路を停止した。


「悪いな」


 俺の存在に気づいた大山先輩は、そう口パクした。

 力なく倒れていく美沙を、お姫様抱っこで床へと寝かせる。


 大山先輩……アイツは今、俺の彼女に何をした?


 なぜ美沙はアイツの口づけを拒まなかった?

 

 なぜ美沙は倒れた?

 

 なぜ美沙は俺に嘘をついてまでこんな場所で?


 なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? 


 意味が分からない。これが冷却期間の行き着く先なのか?

 違和感の正体は、これの事のなのか?


 –––いくら考えても分からない。だけど一つだけ分かる事がある。


 やっぱり、正直になろう。


 悲哀で濡れる頬に気を取られることもなく、俺は愚直に右手を伸ばした。

 俺とアイツを隔てるドアを力強く引き、一直線に突き進む。


「ちょ、どうしたんだよ……うっ」


 ヘラヘラと笑みを浮かべる男の胸ぐらを掴み、俺は自分でも分からないような声で端的に告げた。


「大山。何してんの、お前?」

「えっと……逢い引きかな?」

 

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